ファミレスから気象予報士へ。7回試験を受けた「あまたつ」さんの挑戦(2016/03/19 放送)
今週は、気象予報士の天達武史さんをお迎えしました。
1975年、神奈川県生まれの40才。フジテレビ『とくダネ!』のお天気コーナーでお馴染みで、オリコンの『好きなお天気キャスター』では、計5回首位を獲得している天達さん。ご本人曰く「僕は名前で得してると思いますね。小倉さんに呼んでもらって」とのことで、小さい子供が『とくダネ!』の小倉智昭さんのように「あまたつ!」と声を掛けてくれることもあるそうです。
1975年、神奈川県生まれの40才。フジテレビ『とくダネ!』のお天気コーナーでお馴染みで、オリコンの『好きなお天気キャスター』では、計5回首位を獲得している天達さん。ご本人曰く「僕は名前で得してると思いますね。小倉さんに呼んでもらって」とのことで、小さい子供が『とくダネ!』の小倉智昭さんのように「あまたつ!」と声を掛けてくれることもあるそうです。
「春は一番嫌ですねぇ。なんかこう、大きく外れやすい」と天達さん。ちょうど今の時期の天気を予想するのは難しいそう。というのも、日本列島で春と冬の空気がぶつかって、春の空気のところは気温が上がり、冬の空気のところは寒いままなんだとか。天達さんは、最高気温を17度で予想したのに7度までしか上がらなかったこともあると苦笑いしていました。
高校までは野球をやっていたという天達さん。その頃は「練習が嫌だから雨降らないかな」ぐらいで特に天気予想に興味があったわけではないそう。しかし、アルバイトから入ったファミリー・レストランのデニーズで働き、食材の発注業務などをするうちに、天気予報をより気にするようになったとか。というのも、天達さんがいたのはお天気でお客さんの入りが大きく変わる海の前の店舗だったから。
「毎日、森さんとか森田さんの天気予報を見て、晴れるからレタス5ケースのところちょっと上乗せして10ケースとろう、サラダ出るなぁとか、ずっとそういうのやってたんですよ。だから、その頃は天気予報を強制的に見てたという。客数が変わっちゃうので」
「だけど、天気予想ってたま〜に外れるじゃないですか。外れるとホント死活問題なので。晴れって言ってレタス10ケースとっちゃったのに雨が降ると2ケースぐらいしか使わないんですよ。森田さ〜ん!っていうのがあったんで。だったら、自分で予報士の資格を取ったら楽にできるんじゃないかなと思って(笑)。それで目指したんです」
予報士に興味を持った次の日の新聞で『気象予報士養成講座』の広告を見つけたという天達さん。さっそく見学に行き、漫画で授業をやっているのを知って、「これだったら自分にもできるな」とその場で30万円の半年コースを申し込んだそうです。しかし、気象予報士の国家資格は平均合格率5%という超難関。次の授業から急激に難しくなっていったとか…。
「だから、最初は(講座に支払った)お金のためだけにやってましたね」と天達さん。実は文系だったので「最初は問題に何が書いてあるか分からなかった」そうです。そして、理解するために最終的には小学校4年生の算数にまで立ち返ったとか。「小数点の計算とか忘れちゃってたんで、算数ドリルとかやって…」
そして、年に2回受けられる気象予報士の試験を、天達さんは合格するまで計7回受けたそうです。
「どうしても仕事が終わった後に勉強する気にならなかったんですよね。だから、休みの日にまとめて10時間とかやろうと思ってたんですけど、それやるとまた1週間開くわけじゃないですか。そうすると最初の3時間ぐらいは忘れてるんですよ。復習になっちゃうんですよ。もの凄いストレスを感じて。だから、ダメだったんですけど」
そんな天達さんを救ったのは、のちに奥様となる女性。彼女は理系の学校に行っていたそうで、天達さんは知り合ってすぐに気象予報士に受からないことを話したそうです。
「まず、アンタその勉強の仕方ダメねって言われて(笑)。どうすればいいの?って聞いたら、毎日やりなさいって言われて(笑)。お酒飲んだりとか、疲れて帰ってきても、毎日3分でも参考書開くだけでもいいからやれって言われて」
最初は「でも、毎週10時間やってるし、3分やったところで…」と無視していたという天達さんですが、次の試験でも受からなかったので、言われたことをやってみる気になったそう。そして、毎朝1時間と決め、集中して勉強すると、3ヶ月ほどで大きな進歩を感じたそうです。
「今までいろんなところに散らばっている、点、点、点の知識が線で結ばれた瞬間があったんですよね。あ、これだ!と思って。そうしたら、今までわかんなかった問題が解けて。最後は、試験時間も余っちゃったぐらいだったんです」
何度落ちてもチャレンジし続けた理由について、天達さんはこんなことを話してくれました。
「最初はやっぱりお金だったんですよね。あとは年齢的にも、もう25を過ぎてて、何か人と違うものを持ってないと社会に適応できないんじゃないかなって思ってたので。だから、これだけは取らないと人として社会に出て行けないんじゃないかって劣等感がもの凄くあったんですよね。成功体験も1つもなかったので、自信を持てなかったんですよね」
当時は実家暮らしだった天達さんですが、ご両親は何も言わずに見守ってくれたそうで、申し訳なく思って相談した時も「まだお前26だろ。好きなことやれ」と言ってくれたとか。また、天達さんが勉強している姿などを見ていた奥様は「受かるってわかったよ」と言っていたそうです。
来週も引き続き、天達武史さんをお迎えします。お楽しみに!