弱かった野村忠宏少年が金メダリストになるまでの挑戦(2016/02/20 放送)
今週は、柔道家の野村忠宏さんをお迎えしました。
オリンピック3連覇を達成した野村さんが柔道を始めたのは3才の時だったそう。柔道が大好きだったお祖父様は、農業をやりながら町道場を創設。その道場は今年でちょうど80周年という歴史があるんだとか。そんな柔道一家に生まれた野村さんですが、柔道をやるにあたってスパルタ教育を受けたり、プレッシャーを感じたりといったことはなかったようです。
オリンピック3連覇を達成した野村さんが柔道を始めたのは3才の時だったそう。柔道が大好きだったお祖父様は、農業をやりながら町道場を創設。その道場は今年でちょうど80周年という歴史があるんだとか。そんな柔道一家に生まれた野村さんですが、柔道をやるにあたってスパルタ教育を受けたり、プレッシャーを感じたりといったことはなかったようです。
「子供なりに自ずと目標を持って自分から努力する。柔道一家に生まれたから強くならなきゃいけない、とか。こういう選手にならなきゃいけない、って自分で感じたことなかったですね」「兄は小学校の時から強くて中学の時も強くて。兄の方が柔道一家のプレッシャーとか…もう全然期待されてましたね」
子供の頃の野村さんは体も小さく、特に勉強が出来るわけでもスポーツが得意なわけでもなかったそう。そして「だからこそ、一つだけは自分に自信の持てる場所、何か誇れるもの、輝ける場所が欲しい」ということで、それを柔道に求めますが、なかなか結果は出なかったんだとか。
「真剣にやりたい、強くなりたいって真剣に思えるのが柔道だったから、ここを諦めたら俺には何もないなって」「でも、努力したけど結果は出なかったんです。周りは、自信を持て頑張れつったけど、結果が出ないから自信なんか持てなかったしね」
ただ、それでも、時々は成功体験、喜びを感じる瞬間があったそうです。「練習とかだったらみんな気ぃ抜く時とかあるじゃないですか。たまーに自分の大好きな背負い投げで、自分よりも強い相手とか自分よりも大きい相手をバチーンッ!て投げれる瞬間があったんですよ」
「その快感が自分の支えだったし、この背負い投げに期待してやっていこうと思って。今は勝てへんけど、この背負い投げっていうのを磨き続けていけば、3年後か5年後になるかわかんないけど、いつか俺凄い選手になれるんじゃないかなって(笑)。そこは信じてたんですよ。努力を続けた未来の自分に期待してたんですよ」
野村さんのお父様も柔道の指導者で、奈良の名門・天理高校柔道部の元監督。野村さんはずっとお父様からの指導を求めていたそうですが、指導してくれることは一切なく、初めてのアドバイスをくれたのは高校生の時だったとか。
「中学校の時も もちろん“野村先生”だったけども、天理高校に入ってからはそれこそ“天理高校の柔道部の先生”になったから、すべて敬語だったし…今でも“親父”って言えないですもん。さすがに、それでも“お父さん”ですね。常に子供にプレッシャーをかけないように距離を置いて。けど、見守ってくれている」
そういったお父様の姿勢があったからこそ、野村さんは柔道を続けられ、オリンピック3連覇にも繋がったようです。
「弱かった時に、自分は未来の自分に期待しようと思ってやったけども、それを思えたのもやっぱり柔道が好きだったし。その時に、負けて親父とか祖父ちゃんに怒られて、お前なんで勝たれへんねん、なんでこんな弱いねん、もっとなんで頑張られへんねんって言われてたらたぶん…」
そして、野村さんは、お父様から初めてのアドバイスについてこう話してくれました。
「高校2年生の時に、ちょっと自分が勝ちに走っちゃって組まない柔道をした時に、“今だけ勝てる柔道、今だけ勝ちたい選手でいいんだったらそういう柔道をしたらいい”って。すぐは変わらなかったです。結局、結果論だけど、その柔道を続けていったことによって大学になってぐっと伸びたんですよ」
オリンピックに出るような選手は、やはり小学校からずっと強くてチャンピオンだったような人が多いそうで、野村さんのような成長を見せるのは非常に珍しいんだとか。
1996年、大学4年生の時にアトランタ・オリンピックの60キロ級日本代表に選ばれた野村さん。最終選考会前の段階ではまだ4番手ぐらいのポジションだったそうですが、ライバルたちが直前の国際大会で負けたことにより、思わぬ形でチャンスが巡ってきたんだとか。
「自分は一つ下のレベルの国際大会に派遣されたんですよ。で、自分がラッキーだったのは、自分よりも上のトップ3がみんなヨーロッパの大会で負けちゃったんです。でも、自分はBクラスの大会だったけど、優勝したんですよ。で、勝ち方も良かったしということで…」
この結果により、野村さんは「いい勝ち方で最終選考会で優勝すれば代表もありえる」という状況に…。それまでは、ご本人曰く「2000年のシドニーオリンピックに出れたらいいかなぁ」という感じだったそうですが、ここで初めてオリンピックに対する欲が出てきたそうです。
「伸びる時はその波に乗らなきゃダメなんですね。乗り切らなきゃダメなんです。で、乗り切ったんですよ」
ご自身のことを「究極のビビリなんですよ。試合が怖くて怖くてしょうがないんですよ」と野村さん。「畳に上がる直前にそれこそスイッチ入れて切り替わるんですけど、そこまでは怖くて怖くてしょうがないんですよ」とおっしゃっていました。
一方で、アトランタで金メダルを獲った時の心境を伺うと、こんな答えが返ってきました。「イエイ!って感じです(笑)。人生最高のイエイだったですね。(自分は世界の頂点だと)思いました。帰国したらどんな幸せな人生が待ってるのかな、とかね。でも、ホントに金メダリストになってからが苦しかったですね」
最後に野村さんはこんなことを話してくれました。
「強い気持ちで柔道やってるけど、弱い自分が出てくる時があって。やっぱり勝たなきゃいけないとか…。(勝たなきゃいけないというプレッシャーを)はねのけるのはやめました。それが当たり前なんだって思って。世界一を目指すんだから、プレッシャーも孤独も恐怖も不安も全部当たり前なんだって。みんなそれを抱えながらやってその中で自分の力を出し切れるヤツがチャンピオンになれるんだって」
来週も引き続き、野村忠宏さんをお迎えします。お楽しみに!