書家の紫舟さんがルーブル美術館での挑戦を語る(2015/12/26 放送)
今週は、書家でアーティストの紫舟さんをお迎えしました。
NHK大河ドラマ『龍馬伝』のタイトルなど、テレビや雑誌の題字を手がけたり、伊勢神宮や東大寺などで作品ご奉仕を行ったりと幅広く活躍している紫舟さん。今年のイタリア・ミラノ万博では、日本館のエントランスホールで書や彫刻、映像を組み合わせた作品を展示して、日本の自然に対する想いを発信したそうです。
「言葉の意味がわからない人が見ても理解できるかなと思っていたんですが、動く映像の力と音の力で、映像が終わった後に会場から拍手が起こっていて、やっぱり彼らの鑑賞力の凄さを感じました」
お祖母様の勧めで6才から書道を習っていたという紫舟さん。「非常に厳しい先生で。まだ一桁の歳でも夕方から書き始めて0時を回っても帰らしてくれないと。泣いても帰らしてくれないので、泣き止んでただ書く、みたいな」。ただ、それでも書家を目指していたわけではないそうです。
しかし、就職して働いていた時に「ここは自分の居場所じゃないのか?」と思うようになったんだとか。「会社は会社で楽しかったんですけど、このままずっと人生が続くとなった時に、非常に恐怖感を感じて、不安を感じて、えい!やー!と会社をやめ、それで自分自身に問うというのを100日ぐらいしていました」
そして紫舟さんが出した結論は「書家になる」というものでした。
「100日ぐらい自分を見つめていて、誰かの期待に応えたいとか、あの人はこう言うからこうしなきゃとか、そういったもので自分の本当に気持ちとかが見えなくなっていたので、それを一個一個下ろしていくっていう作業を100日かけてやっていて。でも、それは同時に自信とかプライドとかそういったものも手放す作業だったんだと思います。ですから、もう何も残っていなくて、自分自身を支えるものをすべて手放した結果、それだけが残ってたんだと思います」
2014年には、フランス国民美術協会の展覧会で『金賞』、そして最高位の『審査員賞金賞』をダブル受賞した紫舟さん。日本画家の横山大観氏に続いて、現在活動を行っている日本人作家では初となる主賓招待アーティストに選ばれ、今月17日から20日まで、パリのルーブル美術館の地下にある展覧会スペース『カルーゼル・デュ・ルーブル』で大規模な展覧会を開催したばかりです。
「夢みたいなことだと思います。たまたまパリに作品を持って行った時に、たまたまルーブル美術館の館長に見てもらうことができて…」と紫舟さん。書家になると決めてから現在まで10年以上の歳月を経ているそうで、ここまでの道のりについてこんなふうに話してくれました。
「周りを見渡してみると、私が始めた頃は本当にたくさんの人がそのステージに乗っていたと思うんですね。でも、多くの人が自らそのステージから降りていくんですよね。悲しいんですけれども。ちょっとした何かの出来事とか自分の才能を諦めるとか周りの人の一言とか、誰かが強制的にそのステージから引きずり下ろすわけではなく、どんどん降りていって、気がついたらホントに一握りしか残っていなくて」
紙に書いた書を立体化して彫刻にし、それに光を当てて影で再び平面に戻す…そんな表現も行っている紫舟さん。フランスでは特に『書の彫刻』が大人気だったそうです。
「“(浮世絵師の)北斎は空間が立体に見えるものを置き換えて、紫舟は本来平面である文字を立体にした”というふうな評価を頂きました。北斎の絵を見た時に驚いたのと同じような驚きを、彫刻の文字を見た時にも感じて頂いたみたいです」
「あと、そういったものが当たり前のように身近にあるフランスの人たちの鑑賞力があまりにも凄くて。私たちは例えば物事を鑑賞する時っていうのは、まず文章で説明を読んでタイトルを見て絵を見る…というような、少し勉強するような味方をするんですけども、フランスの人たちはあえてそういうのを一切見ないんですね。自分自身で鑑賞の旅をするんですね。フランスの人たちの鑑賞力がアーティストを育てるんだろうなと思いました」
紫舟さんは、今回のフランスでの展示会を振り返ってこんなことを話してくれました。
「制作以外の部分はすべて挑戦でした。制作だけはなんとか順調に進めることができたんですが、それ以外のことは、例えば作品を運搬するとか、現地の施工業者さんとどういうふうに展示するとかも挑戦でしたね。まぁ、その過程で流した涙も勇気に変わってくれたりとか。関わってくれた人みんな成長できたんじゃないかなと思いますね。私も含めて」
来週、新年最初のオンエアも引き続き、紫舟さんをお迎えします。1月2日ということで書き初めもやって頂きますよ。お楽しみに!
NHK大河ドラマ『龍馬伝』のタイトルなど、テレビや雑誌の題字を手がけたり、伊勢神宮や東大寺などで作品ご奉仕を行ったりと幅広く活躍している紫舟さん。今年のイタリア・ミラノ万博では、日本館のエントランスホールで書や彫刻、映像を組み合わせた作品を展示して、日本の自然に対する想いを発信したそうです。
「言葉の意味がわからない人が見ても理解できるかなと思っていたんですが、動く映像の力と音の力で、映像が終わった後に会場から拍手が起こっていて、やっぱり彼らの鑑賞力の凄さを感じました」
お祖母様の勧めで6才から書道を習っていたという紫舟さん。「非常に厳しい先生で。まだ一桁の歳でも夕方から書き始めて0時を回っても帰らしてくれないと。泣いても帰らしてくれないので、泣き止んでただ書く、みたいな」。ただ、それでも書家を目指していたわけではないそうです。
しかし、就職して働いていた時に「ここは自分の居場所じゃないのか?」と思うようになったんだとか。「会社は会社で楽しかったんですけど、このままずっと人生が続くとなった時に、非常に恐怖感を感じて、不安を感じて、えい!やー!と会社をやめ、それで自分自身に問うというのを100日ぐらいしていました」
そして紫舟さんが出した結論は「書家になる」というものでした。
「100日ぐらい自分を見つめていて、誰かの期待に応えたいとか、あの人はこう言うからこうしなきゃとか、そういったもので自分の本当に気持ちとかが見えなくなっていたので、それを一個一個下ろしていくっていう作業を100日かけてやっていて。でも、それは同時に自信とかプライドとかそういったものも手放す作業だったんだと思います。ですから、もう何も残っていなくて、自分自身を支えるものをすべて手放した結果、それだけが残ってたんだと思います」
2014年には、フランス国民美術協会の展覧会で『金賞』、そして最高位の『審査員賞金賞』をダブル受賞した紫舟さん。日本画家の横山大観氏に続いて、現在活動を行っている日本人作家では初となる主賓招待アーティストに選ばれ、今月17日から20日まで、パリのルーブル美術館の地下にある展覧会スペース『カルーゼル・デュ・ルーブル』で大規模な展覧会を開催したばかりです。
「夢みたいなことだと思います。たまたまパリに作品を持って行った時に、たまたまルーブル美術館の館長に見てもらうことができて…」と紫舟さん。書家になると決めてから現在まで10年以上の歳月を経ているそうで、ここまでの道のりについてこんなふうに話してくれました。
「周りを見渡してみると、私が始めた頃は本当にたくさんの人がそのステージに乗っていたと思うんですね。でも、多くの人が自らそのステージから降りていくんですよね。悲しいんですけれども。ちょっとした何かの出来事とか自分の才能を諦めるとか周りの人の一言とか、誰かが強制的にそのステージから引きずり下ろすわけではなく、どんどん降りていって、気がついたらホントに一握りしか残っていなくて」
紙に書いた書を立体化して彫刻にし、それに光を当てて影で再び平面に戻す…そんな表現も行っている紫舟さん。フランスでは特に『書の彫刻』が大人気だったそうです。
「“(浮世絵師の)北斎は空間が立体に見えるものを置き換えて、紫舟は本来平面である文字を立体にした”というふうな評価を頂きました。北斎の絵を見た時に驚いたのと同じような驚きを、彫刻の文字を見た時にも感じて頂いたみたいです」
「あと、そういったものが当たり前のように身近にあるフランスの人たちの鑑賞力があまりにも凄くて。私たちは例えば物事を鑑賞する時っていうのは、まず文章で説明を読んでタイトルを見て絵を見る…というような、少し勉強するような味方をするんですけども、フランスの人たちはあえてそういうのを一切見ないんですね。自分自身で鑑賞の旅をするんですね。フランスの人たちの鑑賞力がアーティストを育てるんだろうなと思いました」
紫舟さんは、今回のフランスでの展示会を振り返ってこんなことを話してくれました。
「制作以外の部分はすべて挑戦でした。制作だけはなんとか順調に進めることができたんですが、それ以外のことは、例えば作品を運搬するとか、現地の施工業者さんとどういうふうに展示するとかも挑戦でしたね。まぁ、その過程で流した涙も勇気に変わってくれたりとか。関わってくれた人みんな成長できたんじゃないかなと思いますね。私も含めて」
来週、新年最初のオンエアも引き続き、紫舟さんをお迎えします。1月2日ということで書き初めもやって頂きますよ。お楽しみに!