先に弟弟子が真打ちに…立川談春さんの落語家人生(2015/12/12 放送)
今週は、落語家の立川談春さんをお迎えしました。
現在は『下町ロケット』にも出演するなど、俳優としても活躍中の談春さんですが、元々は競艇の選手になりたかったそう。「生まれ変われるなら僕は落語家にならないです。競艇選手になります。で、競艇の選手はおそらくあまり稼げなくて、成績が悪いとリストラされてしまうので、その後に落語家になるんではないかと思いますが(笑)。だから、一番の夢は叶いませんでした」なんておっしゃっていました。
80年代からはテレビが面白くなっていく時代ですが、談春さんにとってはラジオが大きな存在だったようです。「ひょうきん族はあんまり面白くなかったんじゃないですか、僕にとって。ラジオが面白かった。耳で聞くっていうことが僕には何かを刺激してたんですよね。そりゃ面白いですよ、ひょうきん族。でも、やっぱり一番ワクワクしていたのは、たけしさんの一人語りのオールナイトでしたね」
そんな談春さんは、師匠の立川談志さんについてこんなことをおっしゃっていました。「立川談志を見た時に、なんでこんな、たけしの亜流みたいな人なんだろう?と思ったけど、よく考えたらキャリアはこっちの方が上だなと思って、なんでこの人こんなにえばってて、世の中に存在してんだろう?この人なんで治外法権なんだろう?っていうんで追っかけってたら落語があったんですけどね」
「僕らの時代に落語家になるっていうのはホントに将来はないのと一緒でしたから…」「稼げるとか売れるとかモテるとか、あの頃、落語家になった人には誰もいないです。どん底ですから。ただ、どん底で入った奴らは30年経って、あの頃から考えたらブームみたいなものを作ってますから。ブームの時に入ってる奴らはおそらく駄目ですね」
談春さんは17才で高校を辞めて落語の世界に入ったそうです。「世の中舐めてたんでしょうね。僕はこういう言い方しかできないですけど、挑戦って僕にとってそういうことですね。死にゃしないと思ってんですよ。あの頃、バブルじゃないですか。落語家で駄目でも飢え死にすると思ってないじゃないですか。で、30年経ったんですよ。今度は終身雇用も崩れてきたし、何をやっても駄目なら好きなことやる、って弟子が入ってくるんですよ」
落語界は基本的に年功序列で、どれだけ売れても順番は変わらないそうですが、唯一、順番が入れ替わるのが真打ちになる時なんだとか。そして、談春さんの弟弟子、志らくさんは談春さんよりも先に真打ちに…。
「真打ちで抜かれるということは、僕の後輩だった志らくが先輩になるということなんです」と談春さん。志らくさんとは真打ちに対する考え方に相違があったと話してくれました。
「彼は真打ちをスタートラインだと思い、真打ちをきっかけにもう1回行くんだと。僕の場合はどうにかなってから真打ちになる、真打ちってもうちょっと上にしようよ、それを彼は僕の下で見ていて、順番でなるというのを考えた時にあまりに私がのんびりしているので、これを待ってたんじゃ俺がヤバいし腐ると思ったんでしょうね。実は、俺を抜いて真打ちになろうと思う葛藤っていうのは、意外に俺がわからないだけで今思うとあったでしょうね」
志らくさんの真打ち披露のパーティーでは司会を務めたという談春さん。しかし、やはり弟弟子に抜かれたのは悔しかったそうで、可愛がってもらっていた さだまさしさんに愚痴を言いますが、怒られてしまったとか。
「立川談志ほどの天才が50年の間に2人生まれるわけがないだろうと。でも、お前にしかなれないものはあるんだから。真打ちがスタートラインだろうと。100メートルの金メダルとマラソンの金メダルとどっちに価値があるかなんていうのはお前の決めることじゃなくて、お前が死んだ後に後の世の人が決めてくれることだから、とりあえず号砲一発鳴ったら走れ!って言われて。それが真打ちだろうと。なんでお前、用意!って言われた時に用意しないでグジュグジュ悩んでんだと」
↓こちらは、今回伺ったようなお話が詰まった立川談春さんのエッセイ『赤めだか』。
現在は『下町ロケット』にも出演するなど、俳優としても活躍中の談春さんですが、元々は競艇の選手になりたかったそう。「生まれ変われるなら僕は落語家にならないです。競艇選手になります。で、競艇の選手はおそらくあまり稼げなくて、成績が悪いとリストラされてしまうので、その後に落語家になるんではないかと思いますが(笑)。だから、一番の夢は叶いませんでした」なんておっしゃっていました。
80年代からはテレビが面白くなっていく時代ですが、談春さんにとってはラジオが大きな存在だったようです。「ひょうきん族はあんまり面白くなかったんじゃないですか、僕にとって。ラジオが面白かった。耳で聞くっていうことが僕には何かを刺激してたんですよね。そりゃ面白いですよ、ひょうきん族。でも、やっぱり一番ワクワクしていたのは、たけしさんの一人語りのオールナイトでしたね」
そんな談春さんは、師匠の立川談志さんについてこんなことをおっしゃっていました。「立川談志を見た時に、なんでこんな、たけしの亜流みたいな人なんだろう?と思ったけど、よく考えたらキャリアはこっちの方が上だなと思って、なんでこの人こんなにえばってて、世の中に存在してんだろう?この人なんで治外法権なんだろう?っていうんで追っかけってたら落語があったんですけどね」
「僕らの時代に落語家になるっていうのはホントに将来はないのと一緒でしたから…」「稼げるとか売れるとかモテるとか、あの頃、落語家になった人には誰もいないです。どん底ですから。ただ、どん底で入った奴らは30年経って、あの頃から考えたらブームみたいなものを作ってますから。ブームの時に入ってる奴らはおそらく駄目ですね」
談春さんは17才で高校を辞めて落語の世界に入ったそうです。「世の中舐めてたんでしょうね。僕はこういう言い方しかできないですけど、挑戦って僕にとってそういうことですね。死にゃしないと思ってんですよ。あの頃、バブルじゃないですか。落語家で駄目でも飢え死にすると思ってないじゃないですか。で、30年経ったんですよ。今度は終身雇用も崩れてきたし、何をやっても駄目なら好きなことやる、って弟子が入ってくるんですよ」
落語界は基本的に年功序列で、どれだけ売れても順番は変わらないそうですが、唯一、順番が入れ替わるのが真打ちになる時なんだとか。そして、談春さんの弟弟子、志らくさんは談春さんよりも先に真打ちに…。
「真打ちで抜かれるということは、僕の後輩だった志らくが先輩になるということなんです」と談春さん。志らくさんとは真打ちに対する考え方に相違があったと話してくれました。
「彼は真打ちをスタートラインだと思い、真打ちをきっかけにもう1回行くんだと。僕の場合はどうにかなってから真打ちになる、真打ちってもうちょっと上にしようよ、それを彼は僕の下で見ていて、順番でなるというのを考えた時にあまりに私がのんびりしているので、これを待ってたんじゃ俺がヤバいし腐ると思ったんでしょうね。実は、俺を抜いて真打ちになろうと思う葛藤っていうのは、意外に俺がわからないだけで今思うとあったでしょうね」
志らくさんの真打ち披露のパーティーでは司会を務めたという談春さん。しかし、やはり弟弟子に抜かれたのは悔しかったそうで、可愛がってもらっていた さだまさしさんに愚痴を言いますが、怒られてしまったとか。
「立川談志ほどの天才が50年の間に2人生まれるわけがないだろうと。でも、お前にしかなれないものはあるんだから。真打ちがスタートラインだろうと。100メートルの金メダルとマラソンの金メダルとどっちに価値があるかなんていうのはお前の決めることじゃなくて、お前が死んだ後に後の世の人が決めてくれることだから、とりあえず号砲一発鳴ったら走れ!って言われて。それが真打ちだろうと。なんでお前、用意!って言われた時に用意しないでグジュグジュ悩んでんだと」
↓こちらは、今回伺ったようなお話が詰まった立川談春さんのエッセイ『赤めだか』。
来週も引き続き、立川談春さんをお迎えします。お楽しみに!