ユージさんが語るお父様との再会秘話(2022/02/12 放送)
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先週に引き続き、今週もユージさんをお迎えしました。
ハリウッド俳優のお父様と日本人モデルのお母様の元、アメリカのフロリダ州で生まれたユージさん。5歳の時、両親の離婚をきっかけにお母様に連れられて日本へ来ました。そして、中学生の時に黒沢清監督の映画『アカルイミライ』に出演し、役者を目指しましたが、挫折して一度は夢を諦めてしまったそうです。
ハリウッド俳優のお父様と日本人モデルのお母様の元、アメリカのフロリダ州で生まれたユージさん。5歳の時、両親の離婚をきっかけにお母様に連れられて日本へ来ました。そして、中学生の時に黒沢清監督の映画『アカルイミライ』に出演し、役者を目指しましたが、挫折して一度は夢を諦めてしまったそうです。
「アルバイト兼で、建築の仕事をずっとやってたんですよ。ホントいろいろ経験したんですけど、土木とか塗装屋」「けっこう建築現場って稼げるんですよ。日給1万円とか貰えたりして。例えば、月に25日出たら25万円、高校生でも貰える。これで僕べつに生きていけるなぁと思って。友達もいたし。しかも楽しかったんですよ」
「たぶんね、どんな環境でもその環境の中での楽しみを見つけるのが意外と得意なんだなぁと、自分でも思っていて。ただ、おそらくですけど、役者とかテレビ、芸能界に対する種火みたいなのは消えてなかったんですよね。」
そんな中、お母様が、高校を卒業しても建築の仕事を続けているユージさんにアメリカに行けと背中を押してくれたんだとか。
「正確に言うと、母親とはかなり仲が悪かったんで、知り合いに頼んで、ユージくん、チケットあげるからアメリカに旅行いってきたら?これタダであげるからって言って、くれたんですよ、チケットを」
「僕も当時、路頭に迷ってたわけじゃないですけど、進路に迷っていて。ま、ちょっと気分転換に行くだけ行ってみるかと思って行ったら、親父がいたんですよね。空港で。予想だにもしてなかった。5歳から会ってない父親がいて。顔も覚えてなかったんですけど、すぐ親父だってわかりましたね。同じ顔でした、僕と(笑)」
「ま、後でわかったことなんですけど、母親がお父さんと連絡を取り合って、どうにかユージにもう1回なんか…希望の光を彼は失ってる気がするから、その火を灯すじゃないけど、大人のお父さんとしての刺激があの子には足りないと。ホントに僕のことを考えてくれて。」
ユージさんは、その時のお父様との再会をこう振り返ってくれました。
「僕の中ではお父さんがどんな人かホント想像もできなかったんですけど、すごいユーモアがあるお父さんで」「せっかくお前、家族がアメリカにいっぱいいるんだから全員に会いに行こう!って言って。LAに住んでたんですけど、お祖母ちゃんがいるシカゴまで車でロードトリップしようって言って、2週間かけて行きました。」
「お父さんも仕事しなきゃいけないんで、役者の現場とかに着いていくと、そんなに大きい作品ではなかったんですけど、アメリカのハリウッドの撮影現場っていうのも見て。で、そん時に僕が初めて見た親父の背中が役者の背中じゃないですか。なんか自分も一度、役者経験があったなぁと、その種火がちょっとボッと大きくなったんですよ。あ、親父も役者なのか!って。なんか運命を感じるなぁというか。」
「カッコよかったんですよ。役者をしているお父さんが。彼もお父さんとしての時間を取り戻すことができたし、僕もお父さんを見つけることができて、実はこのロードトリップにもたくさん思い出があるんです。」
さらに、シカゴでは家族の温かさを感じることでもできたようです。
「お父さんって4人兄弟なんですけど、4人兄弟な上にみんな結婚して子供もいたりして。僕は日本では母と2人暮らしでずっと来てたのに、アメリカに来たら僕の家族ってこんなにいっぱいいたんだ、っていうので。母親だけじゃないんだみたいな。なんか実は日本にいた時、僕さみしかったんじゃないかな、ってことに気づいて」
「特にアメリカの方って愛情表現が体で表現するというか。みんなが順番に並んで僕とハグして、さみしかった気持ちがすごくあっためられるような。なんか新しい体験だったんですよ。」
「で、それと同時に、お母さんにしてきた迷惑とか、そういうことにも気づき始めたんですよ。俺のためを思ってすべてのことをやってくれてたのに全部が余計なお世話に感じてしまって。で、今、家族のこの輪の中に母親だけが入れてないのが可哀想って思っちゃって。日本に帰ったら絶対もう俺は母親のためにできることなんでもしてあげたいな、っていう気持ちが芽生えました、そこで。」
そんなアメリカ旅行から帰ってきたユージさんが一番最初に会いに行ったのはお母様だったそうです。
「お母さんは意外と、別にそんな気にしなくていいよ、みたいな。すごい温かくて。そんなことより、あんたどうすんの仕事は?って。また前の仕事に戻るの?って言った時に、いや俺は役者をもう1回やりたいって言って。今いる事務所、勝手に抜けたみたいな形になってたんで、社長に挨拶に行って。で、社長が、おおいいよ!やれよ!ってもう1回チャンスをくれて。そんな時に『ごくせん』の第3シリーズの知らせが来るんですよ。」
『ごくせん』と言えば、かつてのユージさんがパンチパーマにジャージという不良スタイルでオーディションに合格したものの、結局はケガで出演できなかったドラマです。
「僕からすると、最後に挫折を味わったのが『ごくせん』だったので、なんか人生の再チャレンジ、もう1回挑戦するぞ!って」「大きな忘れ物」
「で、『ごくせん』のオーディションに行って。もうあれから4年ぐらいたってたのかなぁ。だからスタッフさんも全員覚えてないと思って、僕は最初に、みなさん覚えてないかもしれませんが…って一言目に付けちゃったんですね。そしたらみんなが、覚えてるに決まってんだろ!って。ちょっと怒りながら、忘れるわけねえだろ!お前のことなんか!とかって」
「で、お前あれから変わったか?大丈夫か?って。見た目が僕丸くなってたんで、だいぶ。ジャージも着てなかったんで。お前、あん時の格好が好きだったのに、なんだその格好?って(笑)。なんか爽やかな男になっちゃってんじゃねえか!って言われて。でも、いつでもあの格好に戻れます!って言って、もう1回チャンス頂いたんですよ」「最終的に合格を頂いて。見事、芸能界の再スタートを切ることができました。」
現在、TOKYO FMなどJFN系列で平日朝に全国放送されているワイドプログラム『ONE MORNING』のパーソナリティを務めているユージさん。恵さん言うところの“巧みな話術”について伺うと、こう答えてくれました。
「これも実は『ごくせん』に関係するんですけど、『ごくせん』ってまぁ人気ドラマだったんで、放送前に番宣っていう、バラエティ番組に…ま、生徒全員は出られないけど、数名ピックアップされて出る時に、僕がおしゃべり担当だったんですね」
「で、ドラマの現場でもずっとふざけて、いっつも監督にも怒られるような。ただ、ユージってムードメーカーだよねっていう。バラエティの番宣の時は、みんなが僕の背中を押して、ほら、ユージ行け!ユージ行け!みたいな。そんなことをしてたら、バラエティのオファーがどんどん増えちゃって。役者の仕事がぜんぜんお話が来なくなっちゃったんですよね」
「そんなことをしてるうちに、僕もバラエティ楽しくて。で、僕はもしかしたらこういう場面でもすごく輝けるのかな、と自分では思って。今となってはもう、バラエティという道がなんか僕の主軸になったというか。」
また、ユージさんは『ONE MORNING』での新しいチャレンジについてこう話してくれました。
「バラエティは人を楽しませるっていうことが割合としては多かったんですね。で、この情報番組『ONE MORNING』は、人を楽しませることはもちろんなんですけども、やっぱり情報番組なので。毎日放送して、今日起こってる出来事を…もちろん朝、新聞読んで。その新聞の中から自分でピックアップもして。で、みなさんに新しい情報を届けていく、っていうことなので、笑いの要素よりはどっちかと言うと情報の方が多いですね。鍛えられてますよ、今も。」
明後日2月14日は、ユージさんの8回目の結婚記念日なんだとか。
「妻は子供がもともと一人いて。で、その妻と結婚して。妻との間にもう2人生まれたので、今3人子供がいるんですけど。年齢の幅も広いですし…上が高校3年生で、下はまだ幼稚園の年長。なので、親としての関わり方っていうのも年齢によってまた違ったりするんで、親としての経験もまたいろいろと今させてもらってますけども。ただやっぱり、僕自身が母子家庭で育って兄弟もいなかったので、そういう意味では、今、人に囲まれて暮らしてるっていうのがもうただ幸せです。」
「僕自身がやっぱり、ハタチぐらいまではちょっとさみしい思いをしてたなぁと、振り返ると思うので。子供たちにああなって欲しいとか、こうなって欲しいってのはないですけど、さみしい思いはして欲しくないなと思います。例えば、僕と妻がケンカをして、その姿を見る子どもたちがさみしかったとしたら、それはやめなきゃいけないなと思いますし」「いつか大人になった時に、あ、さみしい思いをしなかったことが幸せなんだな、と気づけるぐらいになったらいいなと思いますね。」
ユージさんの話を聞いて「チャレンジしよう!と思ってチャレンジしてるというよりは、勝手にチャレンジがやってきて、それを勝手に乗り越えて。なんかサーフィンみたいに見えましたよ」と言っていたのは恵さん。そして、ユージさん自身もこうおっしゃっていました。
「この番組でお話をする中で、僕はちょっと、あ、これだ!って今気づいたものがあって。実は恵さんがおっしゃってた言葉の中にあったんですけど、挑戦とはサーフィンだなと思いました」
「自分で波は選べないというか、地球が作り出した波が向かってくるだけなので。で、その波に乗ってみるんだけども、乗れないこともたくさんあるし、思わぬ方向で、あれ?乗れちゃったよ、この波に、っていうこともあるし。振り返ってみても、僕が予定してた通りにいったことは一つもなくて。だけど、その場で起こったことをいざやってみたら上手くいったことの方が多いので。なんかサーフィンのように、これからもどんな波が来るかわかんないけど乗れたらいいなと思ってます。」
番組では、そんなユージさんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらを1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームから「ユージさんの色紙希望」と書いてご応募ください!