大畑大介さんがラグビーワールドカップ挑戦を振り返る(2022/01/29 放送)
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先週に引き続き、今週も元ラグビー日本代表の大畑大介さんをお迎えしました。
大阪出身で、東海大 大阪仰星高校出身を経て京都産業大学に進んだ大畑さん。京産大を選んだ理由をこう話してくれました。
大阪出身で、東海大 大阪仰星高校出身を経て京都産業大学に進んだ大畑さん。京産大を選んだ理由をこう話してくれました。
「一応、高校代表に選ばれるぐらいだったので、いろんな大学からお話は頂いたんですよ。同志社は子供の時から憧れてたというのもあったので、やっぱり同志社っていうのがまず一番初めにイメージはあったんですが、まぁなかなかちょっと…。推薦の問題でちょっとどうなるのか、ってなってた時に、うちの父親の言葉を思い出しまして。勉強しろ、ラグビーしろ、とか言う人じゃなくって、自分で責任を取れない行動は取るな、ということと、AとBという選択肢があるならばしんどい方を選べと。そうすることによって大きなものが得られるから、っていうことを言うような人やったんですよ」
「で、自分の中で自分自身が一番成長するには自分の一番弱いところを強くしなきゃいけないと思ったんですよ。その時に、練習する、しんどいことをする、っていうことをずっと避けてる自分がいたんですよ。自分の中での気持ちいいところ、自分の楽しいプレーとかっていうのはどこに行ってもできるかなと思ったんですよね。自分の弱点をそのタイミングで自分自身で克服する勇気というか、力もなかったので、ならば外側から…要は、強制的にそこに対してアプローチしてもらうことができて、それに対して逃げずに向き合って克服することができれば、むちゃむちゃ自分は成長するんちゃうかと思ったんですよ。それで、当時日本一の練習量って言われてた京産に行くことに決めたんです」
そして、京都産業大学3年生の時に日本代表大学入りし、卒業後は神戸製鋼に入った大畑さん。当時の神戸製鋼は“ミスターラグビー”と言われた平尾誠二さんが監督を務めていました。
「平尾(誠二)さんが監督になられてたっていうこともあったんですけど…」
「いろんなチームからお誘いもらったんですが、口説き文句っていうのが、僕すでに日本代表になってたんで、君の力が欲しい、とか、君が来たらポジションは開けとく、とか、君が活躍できるようなチームの戦い方を模索するよ、とかって。でも僕にとっては、まだまだ自分の力は足りてない、自分の力はまだないと思ってたんですよ。日本代表選手かもしんないけど、自分の求めてるものはもっともっと高いところにあるから、今現状評価されてるっていうのがすごく気持ち悪かったんですよ」
「で、唯一、神戸製鋼だけ、君の現状の力は評価するけど、チームに入ってからポジション獲ってください、チームに入ってもっともっと成長してください、って言われた時に、あ、自分のイメージと合致したなと思ったんで」
「で、唯一、神戸製鋼だけ、君の現状の力は評価するけど、チームに入ってからポジション獲ってください、チームに入ってもっともっと成長してください、って言われた時に、あ、自分のイメージと合致したなと思ったんで」
「それともう一つあったのが、神戸製鋼が当時勝ってなかったんですよ。勝ってたチームに自分が入って日本一になっても、自分の力とは表現できないじゃないですか。けど、負けてるチームに入って、自分が入ったことによって日本一になったら、俺の力がチームの力になったんや!と思えるっていうのはあったんで。そういう複合的な理由で選ばせてもらいました」
日本代表としては1999年と2003年のワールドカップに出場した大畑さんでしたが、どちらも勝ち星なしに終わりました。
「僕の中では、ラグビー人生20年かなっていうイメージがあったので。子供の時に決めてたので。そういった意味で2003年が一つの集大成かなと思ってたんですよ。で、考えた時に、やはり一度も見たことがない高いレベルのものに行ってすべての力を発揮はできないと思ってたので、99年だけは出なきゃいけないと思ってたんですよ。で、99年に出て、自分の立ち位置とか世界のレベルっていうのを知ることによってその4年間をかけて勝負していこうと思ってた、っていうことで言うと、やっぱり99年は僕の中ではそこまで覚悟が出来てなかったんですよね、ワールドカップに対して。だから、それで完全に中途半端に伸びた鼻を折られたというか。ホントに世界の分厚さといいますか、高い壁にやられたっていうのがありましたね」
そこで大畑さんは、2001年にオーストラリア、2003年にはフランスのチームにも入団。
「(2003年のワールドカップまでの)4年間の中で自分が何ができるのかなって考えた時に、一番簡単に変えれるのは環境だと思ったんで、じゃあ海外行こうと思って海外行きました」
2003年に日本でトップリーグが始まると、新たなチーム名となった神戸製鋼コベルコスティーラーズとプロ契約を交わし、その初年度にチームは優勝を果たしました。
「(ラグビー人生20年という意味では)一区切りがこの年で、っていうことはありましたね」
そして、2006年に行われたワールドカップの予選ではキャプテンも務めた大畑さんですが、2007年の1月に右足アキレス腱を断絶。そこから見事に復活したものの、ワールドカップ目前の2007年8月に今度は左足アキレス腱を切ってしまいます。
「ワールドカップで1回も結果残せてなかったんで、2007年は出たいって思いがあったんですよね。けど、その気持ちとは裏腹に体はボロボロだったんですよ。まず右アキレス腱が切れちゃったんですよね。でも、実はアキレス腱切った時っていうのは、別にそんなにショックではなかったんですよ。っていうのが、新聞に『大畑ワールドカップ絶望』って出たんですよ。ってことで言えば、これから復活したら俺めっちゃカッコいいやん!と思って」
「それまで2007年にワールドカップがあるってけっこう皆さん知らんかったんですよ。でも、新聞に、デカデカと1面に出たということは、少なくともラグビーを知らない人にも発信できたと思ったんですよ、情報を。だから、この自分のケガ一つでこんだけ世の中に情報発信できんのやったら、これをネタにするにしかないなと思ったんですよね」
怪我に関しては大きなショックはなかったという大畑さんですが、元ラガーマンのお父様から言われた「こんなスポーツに出会わせて悪かった」という言葉にはショックを受けたそうです。
「僕ね、右肩も外れてて右アキレス腱も切れた状態で、もう松葉杖すら突けない、引きずって帰ってきたんですよ。座薬入れて痛み止め飲んで試合してたんですよ。で、父はそうやってボロボロになってる息子を見るのはやっぱりシンドかったみたいなんですよね。で、よくよく聞いたら、ラグビーに出会わせへんかったらこんなにボロボロになれへんかったのにな、と思ったみたいで。そん時に、自分の中で、なんとしても絶対戻らなアカンなと思ったのがありましたね」
その後、2008-2009年シーズンで復活した大畑さんでしたが、2010-2011シーズンを前に、このシーズン限りで現役を引退することを発表しました。
「自分が辞めるタイミングに何かニュースにしなきゃいけないなと思ったんですよね。どうせ辞めるにしても」
「今日の試合を持って引退します、とかっていうのは、ニュースとしては一瞬で終わるかなと思ったんですよ。だからシーズン前に引退を発表したろと思ったんですよ。このシーズンを通して僕は引退します、だから皆さん、最後の姿を応援してください!っていう。集客に繋げようと思ったんですよね。大畑辞めんねんやったら最後見に来よかな、っていうのが1人でも2人でも増えたら集客に繋がるじゃないですか」
「自分自身のモチベーションと体っていうことも並行して考えた時に、もうこの1年しか勝負できないと思ったんで。引退興行します、1年間通してやります、っていう以上は、やっぱグラウンドに出続けないとカッコ悪いじゃないですか。最後のモチベーション、最後の自分の心にも火ぃ着けようっていう思いもあったので」
「引退する時は自分の中でたぶん壊れると思ってたので、もう燃えカスもすべて燃やし尽くしてこそ自分の完全燃焼だと思ってたんで」「先に引退を発表しようと思って引退をこの時期にさせてもらいました」
現在は、今年から始まったジャパンラグビー リーグワンに所属するコベルコ神戸スティーラーズのアンバサダーなどを務める大畑さん。ラグビー以外のチャレンジとしては、『大畑大介商店』として全国各地の生産者と皆さんの食卓を結ぶ事業を展開中です。
「実は、5年ほど前から関西の方の番組の中で、ある生産者のところにお伺いしまして、その時期の旬のものをテレビを通して紹介させていただく、というような番組をやらしてもらってたんですよ。それを3年間やった時に、コロナウイルスがバアッと蔓延し始めた時期だったんですよね」
「で、僕ジャガイモがむちゃむちゃ好きなんですよ。北海道のジャガイモ生産者の方とお話をさせてもらった時に(コロナ禍で)やっぱ大変ですと。学校給食も止まって、飲食店も止まって、出荷先がないんです、って言われたんですね。まぁ僕自身は、番組の中で言うと生産者と消費者を繋ぐ役割をやってたんですが、自分の大好きなジャガイモが行き場が困ってるって、なんかジャガイモにめっちゃ可哀想やなと思ったんですよ」
「で、じゃあ、ちょっと僕の中で できること考えますわ、ってなった時に、僕はお店をやってるわけでもないんで、できることと言えば、自分の名前とかいろんなものを使ってネットでお店作ったらいいんちゃうか、と思ったんですよ。それで、ECサイトという形で『大畑大介商店』をやらしてもらったんです」
大畑さんは『大畑大介商店』についてこんなこともおっしゃっていました。
「産地で食べるもんってやっぱむちゃむちゃ美味しいんですよね。そういうものをいろんなルートに流れてる間にちょっと鮮度が落ちたりして味が落ちたりするっていうこともありながら、でもそれが産地から直接届くとホントに美味しさを感じてもらって。で、美味しいものを食べたら元気になるじゃないですか。で、元気になるっていうのはやっぱ体の源やと思ってるんで。今のウイルスに対しても耐性を作るにはやっぱ体が元気じゃないといけないというのもあるんで。そういった意味でも、一つの点をぜんぶ線で繋げてってたらこういったものが出来たということですよね」
最後に大畑さんはご自身にとっての挑戦についてこう話してくれました。
「自分のエネルギーですね。それがなかったら僕たぶん止まってしまうなと思ってるんで」
番組では、そんな大畑大介さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらを1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームからご応募ください!