元ラグビー日本代表の大畑さんが語る『リーグワン』(2022/01/22 放送)
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今週は、元ラグビー日本代表の大畑大介さんをお迎えしました。
今回はリモートで出演してくれた大畑さん。現在は、JAPAN RUGBY LEAGUE ONEに所属するコベルコ神戸スティーラーズのアンバサダーを務めています。
「もう長いことやらしてもらってるんですけど。またリーグワンという形で、今までは企業色が強かったスポーツが地域に愛されるスポーツになっていくという意味でも、非常にこのアンバサダーとしての役割が少しずつおっきくなってるので、今はチームの方の活動に少し携わらせてもらってるって形ですね」
これまで、ラグビーの国内リーグの最高峰は『トップリーグ』でしたが、それに代わって今年1月からスタートしたのが『リーグワン』。5月までに全16節が行われます。
「以前は、関西・関東・九州という形で。3地域でリーグ戦が行われた後の日本選手権だったり社会人大会だったり、っていうような全国大会があったんですが、それを日本リーグの1つのリーグにしようということで(2003年に)『トップリーグ』が生まれたんですよね。で、それはまだまだ企業スポーツの中でやってたんですが、今度は、企業スポーツから地域に愛されるスポーツになっていこう、という形での『リーグワン』ということで」
「一番の大きな目標としては日本代表の強化ですね。そして、やはり地域スポーツになっていこうという形での…ま、チームの運営であったりとかゲームの権利というところは、リーグというか協会のほうが重きを置いてやってたんですが、これからはもう各チームがそういった権利を持ちながら運営していくという形ですね」
「(協会から独立した?)まさにそういう感じですね。だから各チーム、このリーグワンのスタートを切るまでに相当、企業努力をしているというか」
これまでのトップリーグでは16チームによるリーグ戦が行われていましたが、リーグワンは入替戦ありの3部構成となり、ディビジョン1が12チーム、ディビジョン2とディビジョン3がそれぞれ6チームずつになっています。
「(ディビジョン1のチーム数が)12になったことによって、すごく実力が伯仲といいますか、1試合1試合がホントにハイクオリティな、非常にタイトなゲームが増えるということですね。だから観ているお客さんも非常に楽しいゲームが増えたということですね」
「今までは、数多くのチームが1つのリーグにいると、上位チームと下位チームの実力の差っていうのがやはりあったんですよね」
ラグビーの場合、実力の差があると得点差が大きく開きがちなんだとか。
「ラグビーから距離のある方っていうのは、1回(のトライとその後のキックで)7点、2回目14点…14対0、21対0、28対0っていうとすごい大差に感じたりするんですよね。そういった意味の点数の開きも非常に少なくなったりするので、実力差がだいぶ縮まったチームが数多く戦えるということで、非常にタイトなゲームが増えるということですね」
また、大畑さんはリーグワンについてこんなこともおっしゃっていました。
「まずはグラウンドの中でのパフォーマンスが一番大事だと思うんですよね。こういった新しいリーグに対しても後発的なものなので、後発だからこそ、やっぱり周りのいいものをどんどんどんどん取り入れて。そして、ラグビーって毎年のように結構ルールが変わっていく競技でもあるので。そういうことも含めて、ホントに良きものをしっかりと取り入れながら、そして変えてはならないものは変えずに…っていうところで言うと、バランスを上手く取りながらやっていければいいのかなと」
1975年11月11日 大阪生まれで、高校は東海大 大阪仰星高校に進んだ大畑大介さん。東海大 大阪仰星は今月、全国高校ラグビー大会で6回目の優勝を果たした強豪校ですが、大畑さんが入った当時は、大阪でもまだそれほど名前の通った学校ではなかったとか。
「(小学生の時にラグビーを)始めた頃っていうのは足が速かったんで、結構みんなからはすごいなって言われてたんですけど、小学校の後半ぐらいから中学校にかけて、成長期に伴う足の痛みとかで全然走れなくなって。全然大したプレイヤーじゃなかったんですよ」
「で、たぶん強豪校に行っても、自分の中では、なんか上手いこといかへんのちゃうかな、みたいなのがあったんで。なんとなく自分の中で少し背伸びをして、自分の成長とチームの成長が上手く合わさるところに行けたらいいかな、と思ったので。ちょうどこれから強くしていこうっていうような、そういう勢いのある学校だったので東海大仰星っていうところに行かしてもらったんですよ」
大畑さんは、野球やサッカーではなくラグビーを選んだ理由についてはこうおっしゃっていました。
「僕は大阪の下町で生まれ育ちまして。友達はみんな野球少年で阪神ファンだったんですよ。それがたまらなく気持ち悪くて。そこの中には身を置けなかったというか」
「でも、子供なんで友達は欲しかったんですよね。みんなに興味抱けへんのやったら、みんなに興味を抱かれる人間になったらええんちゃうか?思たんですよ。もうベクトルの方向を逆にしたれ!と思って。筆箱の中になんかヘンな消しゴムとか鉛筆持っとったら、なんやアイツ?ってなるじゃないですか。だから、僕はこの教室の中のヘンな鉛筆とかヘンな消しゴムになったれ!と思ったんですよ」
「っていうことで、なんか自分持ってるもんないかな?と思った時に、足が速かったんで、スポーツしようと思って。みんながしてへんスポーツでそれなりに活躍してたら、アイツすげえな!ってなるじゃないですか」
「ま、うちの父が高校時代ラグビーをしていて。新日鉄釜石が7連覇していて、同志社大学が3連覇していて、平尾(誠二)さんと松尾(雄治)さんが日本一を争ってる…みたいな。っていうので、ラグビーやろうと思ってやったのが小学校3年生でしたね」
大畑さんは、東海大 大阪仰星高校に入学した時に、高校3年間の自分の目標を設定したんだとか。
「僕の学校っていうのが、真っ白な上履きを履いて学校生活を送るんですけど、そこの上履きの両足の外側、右足と左足の外側にそれぞれ個人の目標とチームの目標を書いたんですよ。で、それが『全国制覇』と『高校日本代表』って書いたんですよ。要は、チームとしてと個人としてのナンバーワンになりたいって」
「けど僕、ラグビーで推薦で入ったわけじゃないんで、その目標自体も、お前には絶対にムリや、みたいな感じで。だから、みんなにもアホって言われましたし、学校の先生にも、そんなもん叶えへんわ、ってボロクソ言われたんですよ」
「けど僕、そん時先生に言ったんが、いや、先生わかってると、今じゃないと、俺はそこまで強くないと。学校に来た時に、下駄箱開けた時に、あ、俺の高校生活の目標はここにあるんだ、っていうことを焼き付けなきゃいけないと。で、またみんなに見られてもその目標はここにあるんだよ、っていう。だから先生、やらしてくれと。で、もしも、どこかで俺の気持ちが弱くなったり逃げてるんやったら言ってくれと。そうしたら、俺は消すし、買い換えるからって言ったら、先生が、わかった、じゃぁやらしたる、って言ってやらしてくれたんですよ」
高校卒業後は京都産業大学に入り、大学3年生の時に日本代表に選出された大畑さん。日本代表へのチャレンジをこう振り返ってくれました。
「諦めはなかったですね。自分の中で、そこに辿り着くまでにやれることをやってなかった、っていう思いがあったんですよね」
「なんで選ばれへんのかな?と思った時に、僕のふた学年上の先輩で、もう大学時代から日本代表に選ばれてる方がいたんですよ。その方が選ばれてる、でも自分は選ばれてない、っていうことで言えば、自分は輝ききれてへんと思ったんですよ。っていうことは、自分が頑張ったら日本代表に辿り着くんかな、と思ったんですよね。結局、ベクトルをずっと自分に向け続けなきゃいけないと思ったんですよ」
「だから自分でラグビー協会の方に連絡して、7人制の代表の合宿があると聞いたんで行かしてください!とか。指くわえて待ってるっていうのだけは自分はできないと思ったんで。辿り着かなかったら違う方法でアプローチしようっていうことで、とにかく自分の中で自分をアピールするっていうことだけはやり続けましたね」
「山って目標地点は一つかもしれないですけど、360度ぐるっと回ったら、どっからかなんか登れる道ってあるじゃないですか。で、そこに辿り着けなければ、要はそれは自分にその力がないと思うだけで。だから、ただただそこに対してアプローチしない、そこに向かって行かないことは後悔にしかならないと思ったんで。だから、自分はまず行けると思ってチャレンジして」
来週も引き続き、大畑大介さんをお迎えします。
今回はリモートで出演してくれた大畑さん。現在は、JAPAN RUGBY LEAGUE ONEに所属するコベルコ神戸スティーラーズのアンバサダーを務めています。
「もう長いことやらしてもらってるんですけど。またリーグワンという形で、今までは企業色が強かったスポーツが地域に愛されるスポーツになっていくという意味でも、非常にこのアンバサダーとしての役割が少しずつおっきくなってるので、今はチームの方の活動に少し携わらせてもらってるって形ですね」
これまで、ラグビーの国内リーグの最高峰は『トップリーグ』でしたが、それに代わって今年1月からスタートしたのが『リーグワン』。5月までに全16節が行われます。
「以前は、関西・関東・九州という形で。3地域でリーグ戦が行われた後の日本選手権だったり社会人大会だったり、っていうような全国大会があったんですが、それを日本リーグの1つのリーグにしようということで(2003年に)『トップリーグ』が生まれたんですよね。で、それはまだまだ企業スポーツの中でやってたんですが、今度は、企業スポーツから地域に愛されるスポーツになっていこう、という形での『リーグワン』ということで」
「一番の大きな目標としては日本代表の強化ですね。そして、やはり地域スポーツになっていこうという形での…ま、チームの運営であったりとかゲームの権利というところは、リーグというか協会のほうが重きを置いてやってたんですが、これからはもう各チームがそういった権利を持ちながら運営していくという形ですね」
「(協会から独立した?)まさにそういう感じですね。だから各チーム、このリーグワンのスタートを切るまでに相当、企業努力をしているというか」
これまでのトップリーグでは16チームによるリーグ戦が行われていましたが、リーグワンは入替戦ありの3部構成となり、ディビジョン1が12チーム、ディビジョン2とディビジョン3がそれぞれ6チームずつになっています。
「(ディビジョン1のチーム数が)12になったことによって、すごく実力が伯仲といいますか、1試合1試合がホントにハイクオリティな、非常にタイトなゲームが増えるということですね。だから観ているお客さんも非常に楽しいゲームが増えたということですね」
「今までは、数多くのチームが1つのリーグにいると、上位チームと下位チームの実力の差っていうのがやはりあったんですよね」
ラグビーの場合、実力の差があると得点差が大きく開きがちなんだとか。
「ラグビーから距離のある方っていうのは、1回(のトライとその後のキックで)7点、2回目14点…14対0、21対0、28対0っていうとすごい大差に感じたりするんですよね。そういった意味の点数の開きも非常に少なくなったりするので、実力差がだいぶ縮まったチームが数多く戦えるということで、非常にタイトなゲームが増えるということですね」
また、大畑さんはリーグワンについてこんなこともおっしゃっていました。
「まずはグラウンドの中でのパフォーマンスが一番大事だと思うんですよね。こういった新しいリーグに対しても後発的なものなので、後発だからこそ、やっぱり周りのいいものをどんどんどんどん取り入れて。そして、ラグビーって毎年のように結構ルールが変わっていく競技でもあるので。そういうことも含めて、ホントに良きものをしっかりと取り入れながら、そして変えてはならないものは変えずに…っていうところで言うと、バランスを上手く取りながらやっていければいいのかなと」
1975年11月11日 大阪生まれで、高校は東海大 大阪仰星高校に進んだ大畑大介さん。東海大 大阪仰星は今月、全国高校ラグビー大会で6回目の優勝を果たした強豪校ですが、大畑さんが入った当時は、大阪でもまだそれほど名前の通った学校ではなかったとか。
「(小学生の時にラグビーを)始めた頃っていうのは足が速かったんで、結構みんなからはすごいなって言われてたんですけど、小学校の後半ぐらいから中学校にかけて、成長期に伴う足の痛みとかで全然走れなくなって。全然大したプレイヤーじゃなかったんですよ」
「で、たぶん強豪校に行っても、自分の中では、なんか上手いこといかへんのちゃうかな、みたいなのがあったんで。なんとなく自分の中で少し背伸びをして、自分の成長とチームの成長が上手く合わさるところに行けたらいいかな、と思ったので。ちょうどこれから強くしていこうっていうような、そういう勢いのある学校だったので東海大仰星っていうところに行かしてもらったんですよ」
大畑さんは、野球やサッカーではなくラグビーを選んだ理由についてはこうおっしゃっていました。
「僕は大阪の下町で生まれ育ちまして。友達はみんな野球少年で阪神ファンだったんですよ。それがたまらなく気持ち悪くて。そこの中には身を置けなかったというか」
「でも、子供なんで友達は欲しかったんですよね。みんなに興味抱けへんのやったら、みんなに興味を抱かれる人間になったらええんちゃうか?思たんですよ。もうベクトルの方向を逆にしたれ!と思って。筆箱の中になんかヘンな消しゴムとか鉛筆持っとったら、なんやアイツ?ってなるじゃないですか。だから、僕はこの教室の中のヘンな鉛筆とかヘンな消しゴムになったれ!と思ったんですよ」
「っていうことで、なんか自分持ってるもんないかな?と思った時に、足が速かったんで、スポーツしようと思って。みんながしてへんスポーツでそれなりに活躍してたら、アイツすげえな!ってなるじゃないですか」
「ま、うちの父が高校時代ラグビーをしていて。新日鉄釜石が7連覇していて、同志社大学が3連覇していて、平尾(誠二)さんと松尾(雄治)さんが日本一を争ってる…みたいな。っていうので、ラグビーやろうと思ってやったのが小学校3年生でしたね」
大畑さんは、東海大 大阪仰星高校に入学した時に、高校3年間の自分の目標を設定したんだとか。
「僕の学校っていうのが、真っ白な上履きを履いて学校生活を送るんですけど、そこの上履きの両足の外側、右足と左足の外側にそれぞれ個人の目標とチームの目標を書いたんですよ。で、それが『全国制覇』と『高校日本代表』って書いたんですよ。要は、チームとしてと個人としてのナンバーワンになりたいって」
「けど僕、ラグビーで推薦で入ったわけじゃないんで、その目標自体も、お前には絶対にムリや、みたいな感じで。だから、みんなにもアホって言われましたし、学校の先生にも、そんなもん叶えへんわ、ってボロクソ言われたんですよ」
「けど僕、そん時先生に言ったんが、いや、先生わかってると、今じゃないと、俺はそこまで強くないと。学校に来た時に、下駄箱開けた時に、あ、俺の高校生活の目標はここにあるんだ、っていうことを焼き付けなきゃいけないと。で、またみんなに見られてもその目標はここにあるんだよ、っていう。だから先生、やらしてくれと。で、もしも、どこかで俺の気持ちが弱くなったり逃げてるんやったら言ってくれと。そうしたら、俺は消すし、買い換えるからって言ったら、先生が、わかった、じゃぁやらしたる、って言ってやらしてくれたんですよ」
高校卒業後は京都産業大学に入り、大学3年生の時に日本代表に選出された大畑さん。日本代表へのチャレンジをこう振り返ってくれました。
「諦めはなかったですね。自分の中で、そこに辿り着くまでにやれることをやってなかった、っていう思いがあったんですよね」
「なんで選ばれへんのかな?と思った時に、僕のふた学年上の先輩で、もう大学時代から日本代表に選ばれてる方がいたんですよ。その方が選ばれてる、でも自分は選ばれてない、っていうことで言えば、自分は輝ききれてへんと思ったんですよ。っていうことは、自分が頑張ったら日本代表に辿り着くんかな、と思ったんですよね。結局、ベクトルをずっと自分に向け続けなきゃいけないと思ったんですよ」
「だから自分でラグビー協会の方に連絡して、7人制の代表の合宿があると聞いたんで行かしてください!とか。指くわえて待ってるっていうのだけは自分はできないと思ったんで。辿り着かなかったら違う方法でアプローチしようっていうことで、とにかく自分の中で自分をアピールするっていうことだけはやり続けましたね」
「山って目標地点は一つかもしれないですけど、360度ぐるっと回ったら、どっからかなんか登れる道ってあるじゃないですか。で、そこに辿り着けなければ、要はそれは自分にその力がないと思うだけで。だから、ただただそこに対してアプローチしない、そこに向かって行かないことは後悔にしかならないと思ったんで。だから、自分はまず行けると思ってチャレンジして」
来週も引き続き、大畑大介さんをお迎えします。