なぜ厚切りジェイソンさんは日本に来たのか(2021/12/25 放送)
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今週は、厚切りジェイソンさんをお迎えしました。
“ホワイ、ジャパニーズピーポー”でおなじみの厚切りジェイソンさん。先月には最新の著書『ジェイソン流 お金の増やし方』が発売となりました。
「これホント?マジ?しんじらんない。すぐやんなきゃ。これが(この本の)感想です」という恵さんに対して、「みんな言うんですけど、実際にやる人とやらない人が分かれるんですよね。で、今じっさいにやる人は10年後、確実に豊かになってると思いますので」とジェイソンさん。もうすでにこの先食べていけるだけのお金を貯めているんだとか。
「まぁそうなりましたね。別にそれ目指してたわけじゃないですけど、これをやってたらいつの日かそういう計算になりました」
「(経済的な余裕は)大事ですね。それこそ挑戦ができる自由に繋がりますからね」
そんな厚切りジェイソンさんは1986年4月9日生まれ。アメリカのミシガン州出身で、大学時代に1年間、研究所のインターンシップで来日した経験があるそうです。
「ホントはシリコンバレーでやるつもりだったんですけど、面接した結果、行きたかったところは行けなかったんですね。落ちました」
「で、自分なりの勝負するスキルを作るために、僕はコンピュータ・サイエンスとプラス、何かのスキルを組み合わせたところで、両方必要としてるところで頑張ろうと決めて。で、その、もう一つのスキルは日本語でした。日本だとビジネスチャンスがあると。先進国で、技術的に優れていて、当時は2つ目に大きい経済大国でしたし」
その時の日本の印象を「魔法をかけられたような感じになりました。楽しかったし、なんか生きやすかったし。なんでも魅力を感じましたね」と話してくれたジェイソンさん。現在の奥様と出会ったのもその時だったとか。
「連れて帰ったというか、これもビザ関係でめちゃくちゃ大変でしたんですけど、僕は先に(アメリカに)いて、婚約者ビザ申し込んで。で、半年ぐらいたったら妻が合流して。で、アメリカで結婚して。まだ学生時代、ハタチでした。アメリカでまだお酒飲めない歳ですよ。やっちゃいました」
「だって、全部固まってから結婚すると冒険する期間ないじゃないですか。人生どうなるのかわからないからこそ、一緒にいろんな思い出を作って歩んでいけるような」
「ま、妻はすごいですね。アイシテルヨー!就職決まってない、学費の借金ある、将来真っ暗かもしれない。でも行っちゃうという。えらい。よっ!」
大学を卒業したジェイソンさんは、まずアメリカでGE(General Electric)という会社に就職したそうです。
「その時はもちろん(妻と)一緒にいましたし。安定したアメリカの一流大企業に入ったわけですから、エンジニアとして。しかも、特別な次世代リーダーシップ訓練プログラムとして僕は入社したんですよ。だから、毎年違うプロジェクトに関わりながら、特別な訓練も受けて。で、夜間に(大学院の)コンピュータサイエンスの修士号も。学費を全額負担してくれる、という条件で僕は働いてたんですよ」
そんな中、ジェイソンさんはまた日本に来たいと思っていたそうで、日本語検定の一級も取得。やがてGEを辞めて、日本法人を作る予定だったアメリカのベンチャー企業に転職します。
「日本語できて、日本に住んで働いたことあって、修士号以上のコンピュータサイエンスを持ってて、英語と日本語ビジネスレベル以上、話してる人を探してます。いるか!いないよ!いたわ!俺だ!」
“ホワイ、ジャパニーズピーポー”でおなじみの厚切りジェイソンさん。先月には最新の著書『ジェイソン流 お金の増やし方』が発売となりました。
「これホント?マジ?しんじらんない。すぐやんなきゃ。これが(この本の)感想です」という恵さんに対して、「みんな言うんですけど、実際にやる人とやらない人が分かれるんですよね。で、今じっさいにやる人は10年後、確実に豊かになってると思いますので」とジェイソンさん。もうすでにこの先食べていけるだけのお金を貯めているんだとか。
「まぁそうなりましたね。別にそれ目指してたわけじゃないですけど、これをやってたらいつの日かそういう計算になりました」
「(経済的な余裕は)大事ですね。それこそ挑戦ができる自由に繋がりますからね」
そんな厚切りジェイソンさんは1986年4月9日生まれ。アメリカのミシガン州出身で、大学時代に1年間、研究所のインターンシップで来日した経験があるそうです。
「ホントはシリコンバレーでやるつもりだったんですけど、面接した結果、行きたかったところは行けなかったんですね。落ちました」
「で、自分なりの勝負するスキルを作るために、僕はコンピュータ・サイエンスとプラス、何かのスキルを組み合わせたところで、両方必要としてるところで頑張ろうと決めて。で、その、もう一つのスキルは日本語でした。日本だとビジネスチャンスがあると。先進国で、技術的に優れていて、当時は2つ目に大きい経済大国でしたし」
その時の日本の印象を「魔法をかけられたような感じになりました。楽しかったし、なんか生きやすかったし。なんでも魅力を感じましたね」と話してくれたジェイソンさん。現在の奥様と出会ったのもその時だったとか。
「連れて帰ったというか、これもビザ関係でめちゃくちゃ大変でしたんですけど、僕は先に(アメリカに)いて、婚約者ビザ申し込んで。で、半年ぐらいたったら妻が合流して。で、アメリカで結婚して。まだ学生時代、ハタチでした。アメリカでまだお酒飲めない歳ですよ。やっちゃいました」
「だって、全部固まってから結婚すると冒険する期間ないじゃないですか。人生どうなるのかわからないからこそ、一緒にいろんな思い出を作って歩んでいけるような」
「ま、妻はすごいですね。アイシテルヨー!就職決まってない、学費の借金ある、将来真っ暗かもしれない。でも行っちゃうという。えらい。よっ!」
大学を卒業したジェイソンさんは、まずアメリカでGE(General Electric)という会社に就職したそうです。
「その時はもちろん(妻と)一緒にいましたし。安定したアメリカの一流大企業に入ったわけですから、エンジニアとして。しかも、特別な次世代リーダーシップ訓練プログラムとして僕は入社したんですよ。だから、毎年違うプロジェクトに関わりながら、特別な訓練も受けて。で、夜間に(大学院の)コンピュータサイエンスの修士号も。学費を全額負担してくれる、という条件で僕は働いてたんですよ」
そんな中、ジェイソンさんはまた日本に来たいと思っていたそうで、日本語検定の一級も取得。やがてGEを辞めて、日本法人を作る予定だったアメリカのベンチャー企業に転職します。
「日本語できて、日本に住んで働いたことあって、修士号以上のコンピュータサイエンスを持ってて、英語と日本語ビジネスレベル以上、話してる人を探してます。いるか!いないよ!いたわ!俺だ!」
「自分の運命を自分で掴みにいかないと。ま、チャレンジですね。でも、責任のあるチャレンジでしたよ」
「橋を燃やす(burn bridge=背水の陣を敷く)という言い方がアメリカにあるんですけど、それをやらなかったのね。だから後戻りできるように橋をしっかり残す。で、転職が確実にすべて契約締結するまではGEに伝えてないですね。だから、辞めてとりあえず転職活動始めます、じゃなくて、平行して転職活動すべて終わらして、固めて。おし!来週からはこの会社だぁっと全部固まってから、初めてGEと、いや実はちょっと転職します…というやり方ですね。だから僕は働いてなかった日は1日もなかったんですよ。転職したけど」
ジェイソンさんが再び来日したのは2011年のこと。
「(ベンチャー企業の)日本法人を立ち上げるために日本に来て。24歳。日本法人社長…一人ですけどね。社員がいたわけじゃないんですけど、一からやるので、一人でやりながらもいちおう法人を立ち上げる」「それをやるためにその会社に行きました」
「当時はもう長女がお腹の中に。できたら日本で生みたいですよね。妻も安心できますし」
ところが、再来日した2週間後に東日本大震災が起こります。
「で、すぐそのベンチャー企業が、いや日本に法人を作ってる場合か!つって。今度シンガポール行け!と言われたんですけど…」「日本語検定一級まで取ったので、それは日本に残りますよ。ずぅっと日本に行きたかったので、日本に残りますと」
そこで、ジェイソンさんはまた別の会社に転職したそうです。
「日本でベンチャー企業、上手くいってるところは海外進出したいので、アメリカ法人を作れる人を探してますと。で、僕はその会社に入って日本からアメリカ法人を作るわけ。それは今でも残ってる会社です」
最初の来日時はひたすら『エンタの神様』を観ていたとおっしゃっていたジェイソンさん。再来日後は日本で働きながらワタナベコメディスクールに通うようになります。
「テレビを見て、ああなんか楽しそうだな、自分も もしかしたらそれできるんじゃないかなと思ってて」
「でもね、僕は会社辞めてないですし、週末に養成所通うだけですから。(妻は)まぁやってみれば、みたいな感じだったですよ。なんか面白そうじゃん、楽しそうじゃん。楽しくできるならぜひやってみて、つって」
「1年間やるだけのつもりでした。ホントに趣味程度で、あ、こういうもんだと、ああ、たしかに楽しいな、いい思い出できたな…で終わるつもり。で、それを終えて、次の挑戦をやる週末が空くだけの下準備だったんですけど、途中でテレビ出ちゃって。で、こうなっちゃったんですよ、いつのまにか。こうなるつもりなかったんですけどね。急展開!」
「(最初に出たのは)TBSの『所さんのニッポンの出番』。外国人たちが日本の路上をひたすら歩いて、これは自分の国と違うやつだ!つって叫ぶやつ。ピッタリじゃないですか」
ちなみに、最初にテレビに出た時は“厚切りジェイソン”という芸名ではなかったとか。
「その芸名はちょっと強すぎるので、“マッスルハイテンションジェイソン”でいきましょう!つって。一番最初のテレビは“マッスルハイテンションジェイソン”でした」
そして、2015年には『速報!有吉のお笑い大統領選挙』という番組に出演したジェイソンさん。
「若手コーナーのMVPとして選ばれて、それが一番最初にネタをやった番組」「それは“ホワイ、ジャパニーズピーポー”やりました」
さらにその数カ月後には『R-1ぐらんぷり2015』で決勝進出を果たしました。
現在もお笑い芸人と会社役員という二足のわらじを履いているジェイソンさん。挑戦についてこんなことをおっしゃってました。
「二足、三足、四足…」
「基本、人生ずぅっと大きめのことを2つ以上やってきてますしね。とにかく種をばらまいて。で、何が芽出るのかわかんないので、ぜんぶ大事にしといて。で、芽が出たやつにそのあと力入れればいい、みたいな感じ。覚悟じゃないんですけどね。だから、責任のある挑戦は非常に大事だと思います。余裕を残せば、今回上手くいかなかったら次の挑戦もできるわけ。僕は余裕を余して挑戦し続けてるわけ」
↓こちらが『ジェイソン流 お金の増やし方』
来週も引き続き、厚切りジェイソンさんをお迎えします。