村治佳織さんが村上春樹さん、吉永小百合さんとのコラボを語る(2021/12/04 放送)
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先週に引き続き、今週もクラシック・ギタリストの村治佳織さんをお迎えしました。
12月1日に映画音楽やクラシック、ポップスの名曲を収録した最新ベストアルバム『ミュージック・ギフト・トゥ』(Music Gift to)をリリースした村治さん。演奏の際は、ギターの弦を押さえるキュッキュッというノイズを極力出さないように心がけているんだとか。
12月1日に映画音楽やクラシック、ポップスの名曲を収録した最新ベストアルバム『ミュージック・ギフト・トゥ』(Music Gift to)をリリースした村治さん。演奏の際は、ギターの弦を押さえるキュッキュッというノイズを極力出さないように心がけているんだとか。
「キュっていう音がいいっていう方もいらっしゃるんですけど、私はやっぱり音そのものを大事にしたいので、すごい気をつけて。鳴らないような指の移動の仕方をしてたりしますね」
「筋力は必要ですね。だからこれ、80歳になっても弾けてるかな?って思ったりはしますけど(笑)。ま、でも、実際に90歳でも活躍されてたギタリストの方がいらっしゃるので。そういう方の映像を見ながら、よし!できる!って思いながら(笑)。中年期に入ってきて、今後ますます日々の基礎練習は大事かなって」
村治さんは20代後半に右手首の神経麻痺で苦しんだことがあるそうです。
「手首から先の指全部がもう1ミリも動かなくなってしまって。橈骨(とうこつ)神経麻痺というのにある日突然なりまして」
「当日もコンサートのために愛知県に行ったんですよね。コンサート当日に朝目が覚めて、歯ブラシを持とうとしたら持てないっていうか、力がまったく入らなくて。なんだこれは?と思って」
「今まで感じたことのない…しびれでもないんですよね。ジーンとした感覚もないし。一応、冷たいとか温かいはわかるんですけど、ホントにピクリとも…」「これはちょっと尋常じゃないなって思って、すぐに朝からやってるマッサージの治療院を探して行ったんですけど、これは神経麻痺かなぁと。たぶん今日数時間後に治るようなものではないって。で、初めてコンサートを当日にキャンセルっていう状況にならざるをえなくて」
「コンサートシーズンで…10月だったものですから」「3ヶ月後にやっと復帰コンサートができました。できうる最短じゃなかったかなと思いますよね。でも、3ヶ月後は手首が途中までは動いたんですけど、これ以上の、上まではまだ持ち上がらない状態ではあったんですけど。指はもう動いたので」
「原因はこれだっていうのは言えないんですけれども、たしかに忙しくて、指も酷使していて。で、その上、体も疲れてたかもしれないし。直接の状況としては、夜寝ている時に体の体重がすべて腕の方にかかってしまって、神経を圧迫して。で、痺れの一歩先の麻痺を起こしてしまうっていうことですね。薬があるわけでもないので、時間薬ですね」
「動くようにはなると」「あとは神経がずっと伸びてくれて、また神経伝達が上手くいくのを待つしかないっていうような状態でした」
そんな村治さんを救ったのは、学生時代から頑張っている姿を見てくれていた恩師の言葉だったとか。
「ありがたいことに、私、中高とプロテスタントの学校に行ったんですけど、神経麻痺のことがいろいろニュースでも流れたので、その当時お世話になってた校長先生が連絡くださって。で、お茶をしながら暖かいお言葉をくださって」
「これは休んだ方がいいっていうサインだし、聖書にも、神様は乗り越えられない試練は与えないっていう言葉があります、っていうことを直におっしゃって頂いて。だから、どん底を経験すると言うよりも、その言葉に救われましたね」
村治さんは、その6年後にも同じ神経麻痺を経験しているそうです。
「だから、あの1回目はまだ私の中ではどん底ではなかったんですよね」
「今度は飛行機…やっぱり公演が多い時で、地方に向かってる時の飛行機の中でちょっと寝て。で、起きたら、ちょっと覚えのある、あの状態になってたんですよね」
「その時はちょっと冷静でしたね」「1回目よりは感覚がまだ少しあった、みたいなのはありましたね。でもやっぱりまた、すいません…って。キャンセルです…って。でも、治った経験があったので、きっとまた大丈夫って思って。逆に主治医の先生の方が心配しちゃって。あんまり再発とかないんだけどな、って。先生大丈夫です、とか言って(笑)」
そんな2度目の神経麻痺からも3ヶ月ほどで回復したという村治さん。「今年も10月、11月を乗り越えられたので、ありがたいと思ってます」とおっしゃっていました。
今年、村治さんの新たな挑戦として話題になったのが、10月16日に早稲田大学で行われた作家・村上春樹さんとのコラボレーションでした。
「村上春樹さんご自身の作品をご自分で朗読されて、そこに音楽を少し付けていくんですけれども、ハルキストの皆さんからメチャメチャ羨ましがられましたね(笑)」
「ずっとお世話になっていたラジオ局のプロデューサーの方からのお話だったんですよ。で、お話の前に実はですね、村上さんの40周年の記念イヤーで、イベントの後になぜか私が呼んで頂いて、目の前で弾かせて頂いていて。その経験があって」
「だからギターの音も気に入ってくださったのかなぁ、というのがあったので。じゃあ今回は、緊張してしまうといい表現できないので、これはもう頂いたご縁と思って いい演奏をしようということで、リラックスできるように自分を持っていって臨みました」
「やはり言葉が主人公なので、自分がソロで弾いてるよりもさらに音量を落として、声で言ったらささやき声ですね、ウイスパーボイスで演奏するという感じです。ここまで落としてもちょうどいいんだなという感じでした」
そして、朗読とギターとのコラボと言えば、村治さんは長年、女優の吉永小百合さんと共演してきました。
「高校生の時に吉永小百合さんからお手紙を頂きまして。その内容が、私がこれから作る原爆の朗読詩に佳織さんのお作りになったアルバムの音源を使わせて頂けないか、というお願いだったんです。ちょっともうみんなビックリ、私の家は(笑)」
「原爆の朗読詩というテーマが重いので、当時高校生の私は、自分がお受けしてもいいのかな?とちょっと考えてしまったんですね。でも、そのお手紙を頂いて、想いがこもった…なんか女優さんというよりも、一人間としてこの活動をされてるんだな、って気づいたので、ありがたくということでお受けして」
「それが10代だったんですけれども、そこから数年に1回、ステージでも小百合さんの朗読とギターって、もうずっと続いてるんですよ。来年もどこかでやると思います」
村治さんは吉永さんについてこんなこともおっしゃっていました。
「あるインタビューで、佳織さんは妹のような存在です、って言われたんですよ」「母と娘ほど離れてるので、普通だったら“娘のような”って言うと思うんですけど、ここを妹と表現できるところに小百合さんの若々しさ、内面の瑞々しさがあるなぁと」
「じゃあ、お姉さんと思っていいのかとそれ以来思って、何か悩みごとがあった時は聞いて頂いた時もありますし。家族ぐるみで。小百合さんはあのような華やかなキャリアとまた別に、日常生活、結婚生活だったりをものすごく大切にされてるんですよね」
村治さんの生演奏を楽しめる直近の公演としては、今月12月12日(日)に東京のサントリーホールでのコンサートがあります。
「目玉としては、キューバの作曲家(レオ・ブローウェルさん)にお願いをした曲、これの世界初演ということで、初めてお聴き頂けます」「映画音楽とかベスト盤に入れた曲も弾くんですけれども。だから聴きやすい曲と、一度聴いただけではわかりにくいような曲、でもギターの歴史には大事な曲っていう。両方お楽しみ頂きたいなと」
ちなみに、村治さんはコンサートの前の心構えについてこんなことをおっしゃっていました。
「どんな状況であっても、ギターの良さって脱力できないと出せないので、まず自分が楽しむこと。そして、いい意味でのリラックスした状態…体が…そのような状態にコンサート当日に合わせて持っていけるように。だからすべて日常生活から大事だなと思ってます」
最後に、村治さんはご自身にとっての挑戦についてこう話してくれました。
「“挑戦”と聞くだけで、肩に力入っちゃうんです。で、私はあえて、成長拡大が求められる世の中にあって、常に受け入れる、成り行きも大事にできて、そういう中でもリラックスできるって、そういう自分を常に準備しておくっていうことが…」
「状況を受け入れること、逆にそれが挑戦かなと」「で、受け入れた時にすぐに飛び込める器用さも必要だろうし、おおらかさも必要だろうし…」
番組では、そんな村治さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらを1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームから「村治佳織さんの色紙希望」と書いてご応募ください!