40周年の渡辺徹さんが“演劇界の東大”への挑戦を語る(2021/09/18 放送)
Podcast
今週は、渡辺徹さんをお迎えしました。
今年5月に60歳、還暦を迎えた渡辺さん。大人気ドラマ『太陽にほえろ!』の新人刑事役でデビューしたのが1981年なので、今年はデビュー40周年の年でもあります。
「でも、これはもう、やってりゃ誰でも40年たつわけで、取り立てて言うのも照れくさいことではあるんですけどね」「ただいりゃあいいってもんでもないんですけど、まぁおかげさまで40年たちましたね、今年でね」
「『太陽にほえろ!』って出たの19歳ですからね」「俺自身も小学校の時から『太陽にほえろ!』のファンで、ショーケン(萩原健一さん)、(松田)優作さん…“太陽にほえろ!ごっこ”なんていうのをやってたぐらいでしたからね。まさか自分が出るとは」
そして、還暦とデビュー40周年を記念して、来週9月25日(土)と26日(日)に“徹まつり”を開催。25日(土)は、“徹まつり”第1弾『いまさらふたりで Part.2 朗読劇 “家庭内文通”』ということで、結婚34年目の奥様・榊原郁恵さんと東京の草月ホールで朗読劇を行います。
この朗読劇『家庭内文通』は昼と夜の2回公演で、ご夫妻の希望により岡田恵和さんが脚本をご担当。岡田さんといえば、朝ドラの『ちゅらさん』や『ひよっこ』、鈴木保奈美さんがこの番組に来てくれた時に紹介した映画『おとなの事情 スマホをのぞいたら』などなど、数々のヒット作を生み出してきた売れっ子です。
「数々の名作をねぇ、『ちゅらさん』とか『ひよっこ』、『イグアナの娘』とかたくさんお書きになってる。とにかくすごく生きた台詞を書かれる方なので。俺も女房も大ファンだったんで、大好きな作家さんにオリジナルを書いてもらえたらいいね、っていうところから岡田さんにダメ元でお話をしたら、話を聞きましょうということで、2時間、3時間近く話したかな」
「もちろんフィクションなんだけれども、役名も別にあるんだけれども、多分に我々の夫婦のことを反映した本を書いてくださって。で、“家庭内文通”すべては夫婦喧嘩から始まった…っていう。ケンカをしてて口をきかない夫婦がいて。で、帰ってくると日記というかノートに書き置きでしか会話してない、っていう話に」
さらに今回の朗読劇では、俳優として活躍している長男・渡辺裕太さんとの親子初共演も実現します。
「もし差し支えなかったら僕も出させて頂けませんか?って打診が、マネージャーを通して来たんですよ、直接言やぁいいのに。それまでは親との共演は絶対ヤだっていう…ま、そういう気持ちもわかるんですけど、こっちもヤだったんですけども」
「で、なんでだ?って聞いたら、まずは岡田(恵和)さんが大好きで、岡田さんの書かれた本に出てみたいっていうことと、もう一つはやっぱり父ちゃんがお祝いのとこだから息子として何かしら参加させてもらえたらいいな、って言うんで、結局、手前味噌ですけど親子初共演の朗読劇をやるっていうことになって」
「正直言います。自分からの発信の企画でなに言ってんだ?ってお叱りを受けるかもしれないけど、(息子との共演は)こっ恥ずかしいですねぇ。やっぱりねぇ、なんか恥ずかしい。一番喜んでるのは女房ですね。楽しみ、楽しみ、って」
そんな朗読劇の翌日、9月26日(日)は同じく東京・草月ホールで開催される“徹まつり”の第2弾『徹座6』。こちらは渡辺徹さんプロデュースのお笑いライブで、コロッケさん、友近さん、中川家、サンドウィッチマン、和牛、なすなかにし、TKO 木本武宏さんが出演します。
25日(土)と26日(日)の“徹まつり”は、いずれも配信でもご覧いただけます。詳細はこちら→渡辺徹 ㊗️還暦&デビュー40周年記念イベント【徹まつり】(Twitterへのリンクです)でご確認ください。
1961年5月12日生まれ、茨城県古河市出身の渡辺徹さん。子供の頃から表に出るのが好きで、小中高と生徒会長をやっていたとか。
「元来、お楽しみ会とか、そういうリクリエーションとか、なんかいろいろ先頭立ってやるタイプだったし。生徒会も小中高と内容の密度が違うけど、いろいろ行事とかをね。企画立案とか、有り物のやつのアレンジとかっていうのは結構やってきましたからね」
そんな渡辺さんが俳優を目指すようになったのは高校生の時だったそうです。
「生徒会とかって言うんで行事とかはやってたんだけど、芝居という発想はなかったんだね」
「だけど、いちおう高校がまぁ進学校っていうんで、その路線に乗って、大学行って、いいとこに就職すれば…みたいな、こういう路線でいってたんだけれども、高校生の時にちょっと大きなイベントを企てて。学校だけじゃなくて、県下の高校生を巻き込んだイベントをちょっとできやしないか?っていうんで、県の各高校の生徒会とかに手紙書いて、やりませんか?と」
「まぁ子供の考えというか、下準備もないから苦労に苦労を重ね、開催ムリかっていうところまでいったりしたんだけども、結果、蓋を開けたら3000人くらい集まったイベントができて。ものすごく充実感と、なんかこう喪失感があって。でもなんか、俺こういうのやっていけたらいいな、っていうスイッチが入ったんだね。なんか作りたいって」
渡辺さんは、高校1年生の時に地元のアマチュア劇団に参加したことがあったんだとか。
「ホンットにアマチュアで、商店街のオジサンたちが(仕事が)終わって趣味で芝居をする、そこを手伝ったんです、1回。まぁ騙されて、初めて行ったのに主役をやらされて、若いからっていうんで。老人ホームの慰問をやったのよ、1回だけ。おじいさん、おばあさんたちが泣いてたりして、やってるこっちがビックリして。で、笑ってたりして、すげえなぁって。なんか作るものをやりたい!って思った時に、ああ、あれがそうじゃないか!と。じゃあ、演劇というものを生業(なりわい)にできないか?っていう」
「でも、どうやったらプロになれるかわからないので、そのアマチュアの劇団の主催者、おじいちゃんのとこに行って相談したら、だったら徹、中途半端はやめてもう日本一を目指せ!って言われて。え、どうするんすか?って言ったら、今、日本で演劇界の東大と言われるところがある、そこを受けたらどうだ?って。どこですか?って言ったら、『文学座』というとこだって。そこで初めて文学座を聞いて。で、受験システムがあるんで、文学座の演劇研究所っていうところを受験してみようということで受けたんですね」
“演劇界の東大”と言われる劇団だけあって、文学座に入るのはかなりの狭き門だったようです。
「後でわかったんですけど、2300人受けてたのかな。60人合格して、その60人で今度は1年間。学校ですから、授業を毎日。いろんな演劇にたずさわる…バレエやダンスやいろんなことも、声楽も含めてやって。で、10人に絞られて。この10人で2年間すごして、もっと詳しい勉強をして。で、半分に絞られて、准座員という准の座員になって、劇団の、今度は通行人みたいなことをやったり…ま、抜擢もあるんですけど。で、それから1人とか2人が座員になるという、数字だけで言うとそういうシステム」
渡辺さんにそんな難関に合格できた理由を尋ねると、こんな答えが返ってきました。
「俺はね、経験もそれしかないから、たぶんね、顔の良さだけだと思うんだよねぇ…(笑)」
現在も文学座に所属している渡辺徹さん。文学座の研究生だった81年にドラマ『太陽にほえろ!』でデビューすると、翌82年には歌手としても大ヒットを放ちました。
「当時はやっぱり劇団というのがテレビよりも前にあったんで、俺なんかもチクチク言われましたよ。お前、テレビなんか出てると芝居がテレビ芝居しかできなくなるぞ、とか。先輩にそんなことを言われる時代ではあったんですけどね。でも、それは違うだろと俺は思ってて」
「杉村春子っていう一番の大先生に相談もしました。いろいろやってんですけど、いいんすか?って言ったら、おやりなさいと。ぜんぶ血となり肉となりますと。その代わり、いいですか?やるからには100%汗かいてやりなさい。自分は役者だから歌はこの程度、お笑いはこの程度っていうんだったらやめなさい。上手くできてもできなくてもいいから100%汗かいて挑みなさい。そうすれば血となり肉となって自分のものになります、って言われて。じゃあ、なんでもいいから一生懸命やってみようと思って、やって、今日まで来たっていうか」
来週も引き続き、渡辺徹さんをお迎えします!
今年5月に60歳、還暦を迎えた渡辺さん。大人気ドラマ『太陽にほえろ!』の新人刑事役でデビューしたのが1981年なので、今年はデビュー40周年の年でもあります。
「でも、これはもう、やってりゃ誰でも40年たつわけで、取り立てて言うのも照れくさいことではあるんですけどね」「ただいりゃあいいってもんでもないんですけど、まぁおかげさまで40年たちましたね、今年でね」
「『太陽にほえろ!』って出たの19歳ですからね」「俺自身も小学校の時から『太陽にほえろ!』のファンで、ショーケン(萩原健一さん)、(松田)優作さん…“太陽にほえろ!ごっこ”なんていうのをやってたぐらいでしたからね。まさか自分が出るとは」
そして、還暦とデビュー40周年を記念して、来週9月25日(土)と26日(日)に“徹まつり”を開催。25日(土)は、“徹まつり”第1弾『いまさらふたりで Part.2 朗読劇 “家庭内文通”』ということで、結婚34年目の奥様・榊原郁恵さんと東京の草月ホールで朗読劇を行います。
この朗読劇『家庭内文通』は昼と夜の2回公演で、ご夫妻の希望により岡田恵和さんが脚本をご担当。岡田さんといえば、朝ドラの『ちゅらさん』や『ひよっこ』、鈴木保奈美さんがこの番組に来てくれた時に紹介した映画『おとなの事情 スマホをのぞいたら』などなど、数々のヒット作を生み出してきた売れっ子です。
「数々の名作をねぇ、『ちゅらさん』とか『ひよっこ』、『イグアナの娘』とかたくさんお書きになってる。とにかくすごく生きた台詞を書かれる方なので。俺も女房も大ファンだったんで、大好きな作家さんにオリジナルを書いてもらえたらいいね、っていうところから岡田さんにダメ元でお話をしたら、話を聞きましょうということで、2時間、3時間近く話したかな」
「もちろんフィクションなんだけれども、役名も別にあるんだけれども、多分に我々の夫婦のことを反映した本を書いてくださって。で、“家庭内文通”すべては夫婦喧嘩から始まった…っていう。ケンカをしてて口をきかない夫婦がいて。で、帰ってくると日記というかノートに書き置きでしか会話してない、っていう話に」
さらに今回の朗読劇では、俳優として活躍している長男・渡辺裕太さんとの親子初共演も実現します。
「もし差し支えなかったら僕も出させて頂けませんか?って打診が、マネージャーを通して来たんですよ、直接言やぁいいのに。それまでは親との共演は絶対ヤだっていう…ま、そういう気持ちもわかるんですけど、こっちもヤだったんですけども」
「で、なんでだ?って聞いたら、まずは岡田(恵和)さんが大好きで、岡田さんの書かれた本に出てみたいっていうことと、もう一つはやっぱり父ちゃんがお祝いのとこだから息子として何かしら参加させてもらえたらいいな、って言うんで、結局、手前味噌ですけど親子初共演の朗読劇をやるっていうことになって」
「正直言います。自分からの発信の企画でなに言ってんだ?ってお叱りを受けるかもしれないけど、(息子との共演は)こっ恥ずかしいですねぇ。やっぱりねぇ、なんか恥ずかしい。一番喜んでるのは女房ですね。楽しみ、楽しみ、って」
そんな朗読劇の翌日、9月26日(日)は同じく東京・草月ホールで開催される“徹まつり”の第2弾『徹座6』。こちらは渡辺徹さんプロデュースのお笑いライブで、コロッケさん、友近さん、中川家、サンドウィッチマン、和牛、なすなかにし、TKO 木本武宏さんが出演します。
25日(土)と26日(日)の“徹まつり”は、いずれも配信でもご覧いただけます。詳細はこちら→渡辺徹 ㊗️還暦&デビュー40周年記念イベント【徹まつり】(Twitterへのリンクです)でご確認ください。
1961年5月12日生まれ、茨城県古河市出身の渡辺徹さん。子供の頃から表に出るのが好きで、小中高と生徒会長をやっていたとか。
「元来、お楽しみ会とか、そういうリクリエーションとか、なんかいろいろ先頭立ってやるタイプだったし。生徒会も小中高と内容の密度が違うけど、いろいろ行事とかをね。企画立案とか、有り物のやつのアレンジとかっていうのは結構やってきましたからね」
そんな渡辺さんが俳優を目指すようになったのは高校生の時だったそうです。
「生徒会とかって言うんで行事とかはやってたんだけど、芝居という発想はなかったんだね」
「だけど、いちおう高校がまぁ進学校っていうんで、その路線に乗って、大学行って、いいとこに就職すれば…みたいな、こういう路線でいってたんだけれども、高校生の時にちょっと大きなイベントを企てて。学校だけじゃなくて、県下の高校生を巻き込んだイベントをちょっとできやしないか?っていうんで、県の各高校の生徒会とかに手紙書いて、やりませんか?と」
「まぁ子供の考えというか、下準備もないから苦労に苦労を重ね、開催ムリかっていうところまでいったりしたんだけども、結果、蓋を開けたら3000人くらい集まったイベントができて。ものすごく充実感と、なんかこう喪失感があって。でもなんか、俺こういうのやっていけたらいいな、っていうスイッチが入ったんだね。なんか作りたいって」
渡辺さんは、高校1年生の時に地元のアマチュア劇団に参加したことがあったんだとか。
「ホンットにアマチュアで、商店街のオジサンたちが(仕事が)終わって趣味で芝居をする、そこを手伝ったんです、1回。まぁ騙されて、初めて行ったのに主役をやらされて、若いからっていうんで。老人ホームの慰問をやったのよ、1回だけ。おじいさん、おばあさんたちが泣いてたりして、やってるこっちがビックリして。で、笑ってたりして、すげえなぁって。なんか作るものをやりたい!って思った時に、ああ、あれがそうじゃないか!と。じゃあ、演劇というものを生業(なりわい)にできないか?っていう」
「でも、どうやったらプロになれるかわからないので、そのアマチュアの劇団の主催者、おじいちゃんのとこに行って相談したら、だったら徹、中途半端はやめてもう日本一を目指せ!って言われて。え、どうするんすか?って言ったら、今、日本で演劇界の東大と言われるところがある、そこを受けたらどうだ?って。どこですか?って言ったら、『文学座』というとこだって。そこで初めて文学座を聞いて。で、受験システムがあるんで、文学座の演劇研究所っていうところを受験してみようということで受けたんですね」
“演劇界の東大”と言われる劇団だけあって、文学座に入るのはかなりの狭き門だったようです。
「後でわかったんですけど、2300人受けてたのかな。60人合格して、その60人で今度は1年間。学校ですから、授業を毎日。いろんな演劇にたずさわる…バレエやダンスやいろんなことも、声楽も含めてやって。で、10人に絞られて。この10人で2年間すごして、もっと詳しい勉強をして。で、半分に絞られて、准座員という准の座員になって、劇団の、今度は通行人みたいなことをやったり…ま、抜擢もあるんですけど。で、それから1人とか2人が座員になるという、数字だけで言うとそういうシステム」
渡辺さんにそんな難関に合格できた理由を尋ねると、こんな答えが返ってきました。
「俺はね、経験もそれしかないから、たぶんね、顔の良さだけだと思うんだよねぇ…(笑)」
現在も文学座に所属している渡辺徹さん。文学座の研究生だった81年にドラマ『太陽にほえろ!』でデビューすると、翌82年には歌手としても大ヒットを放ちました。
「当時はやっぱり劇団というのがテレビよりも前にあったんで、俺なんかもチクチク言われましたよ。お前、テレビなんか出てると芝居がテレビ芝居しかできなくなるぞ、とか。先輩にそんなことを言われる時代ではあったんですけどね。でも、それは違うだろと俺は思ってて」
「杉村春子っていう一番の大先生に相談もしました。いろいろやってんですけど、いいんすか?って言ったら、おやりなさいと。ぜんぶ血となり肉となりますと。その代わり、いいですか?やるからには100%汗かいてやりなさい。自分は役者だから歌はこの程度、お笑いはこの程度っていうんだったらやめなさい。上手くできてもできなくてもいいから100%汗かいて挑みなさい。そうすれば血となり肉となって自分のものになります、って言われて。じゃあ、なんでもいいから一生懸命やってみようと思って、やって、今日まで来たっていうか」
来週も引き続き、渡辺徹さんをお迎えします!