カラテカ矢部太郎さんが気象予報士への挑戦を振り返る(2021/08/14 放送)
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先週に引き続き、今週もカラテカの矢部太郎さんをお迎えしました。
1977年生まれ、東京都 東村山市育ちの矢部さん。芸人、俳優のほか、漫画家としても活躍していて、2007年には気象予報士の資格も取得しています。
「気象予報士の森田(正光)さんのところにロケでお邪魔することがあったんですね。それで、気象予報士の試験について聞いてたら、ちょっと問題やってみる?矢部くんって言われて。やってみたら結構できたんです。矢部くん受かるんじゃない?みたいに言ってくださって。あ、もし受かったらこれ、お笑い芸人として仕事が!みたいな。(相方の)入江くんも、いいよ!いいよ!みたいな感じで言って。それで勉強しようってなったんです」
合格率が約5%と言われる気象予報士の資格を取るため、矢部さんは2年ぐらい勉強したんだとか。
「森田さんの(会社)ウェザーマップで塾もやってて、そこにも通って勉強しました」
「(試験は)いっぱい天気図が出て、それを見て、これの12時間後はどうなるでしょう?みたいな。それを文章題で書くんです」
「恵さんも『ひるおび』でやられてるからたぶん相当お詳しいですよね。『ひるおび』はすごく充実してますよね、天気のコーナー」「僕もいつもすごく楽しめます」
その後、恵さんと積乱雲の話などで盛り上がった矢部さん。気象予報士の勉強は楽しかったとおっしゃっていました。
「こういう仕組みで雲の粒が出来て、それが成長してって、重くなりすぎて地面に落ちてくるのが雨なんだ、とか。そういう一個一個がすごく面白くて。未来を科学で予報するっていうのがなんかすごい新鮮で、世界の見え方が変わってく気がしたんです」
「面白いですよね。ぜんぶ理屈があるんですよね。で、繋がってるし、気象が全部。この地方だけじゃなくて、日本のことはもっと南の海から繋がってたりとか」
かつて東京学芸大学に通っていたものの、芸人の道を選んだことで除籍になってしまったという矢部さん。でも、勉強することは好きなんだそうで、20年ほど前にはテレビ番組『電波少年』で4ヶ国語をマスターしたとか。
「外国語を勉強してその国の人を笑わせる、っていう企画をやってたんです。学んでるうちに楽しくなって。『電波少年』も、大体みんなつらくなって脱走するらしいんですね、1人1回は。でも、1回も脱走しなかったのはお前が初めてだって言われて(笑)。ちょっと脱走とかしてくんないとVTRが面白くならないからって(笑)。楽しまないであんまり、って言われました」
「集中して何かをするのが好きだし、学んでそれがまた使える知識になるのもすごい好きですね。言葉とかは話せるようになるし、天気もすぐこう見て、雲で…とか。それが好きなんですかね」
「漫画を描く時も、ここは今日は風が強いから雲がこっちに流れてるとか、夏だから積乱雲を描こうかなとか。そういうふうに役立つような気がしますね」
「知識があるからこういう絵も描けて。で、なんかそれがリアリティになって記憶を呼び起こせるかもしれないなぁ、とか思います」
矢部さんは今年6月、子供の頃の思い出を描いた4作目の漫画『ぼくのお父さん』を発表。矢部さんのお父さんは絵本作家の“やべみつのり”さんで、矢部さんがこの作品を描く際に当時の育児日記を見せてくれたんだとか。
「漫画を描くんだったらこれどうぞ、って言って送ってきてくれて。絵と文でその日あったことを書いてありました」
「嬉しかったです。僕のお姉ちゃんの頃から書いてて。お母さんが妊娠して、お腹がだんだん大きくなって、僕が生まれるところも書いてあったりして。すごく不思議な気持ちで自分の人生を見ました」
「普通そういう日記って、子供に見せるの恥ずかしいですよね。それを見ていいよって言ってくれたのはすごく嬉しいです。でも、お姉ちゃんの方が数が10倍ぐらい多くて、絵もすごい丁寧だったんで、ちょっとやっぱり2人目は軽くなるのかなぁと(笑)」
漫画家としての矢部さんのデビュー作は、2017年に出版された『大家さんと僕』。この作品は手塚治虫文化賞 短編賞を受賞しましたが、さらに今年からは矢部さんが手塚治虫文化章の選考員を務めることになりました。
「僕でいいのかな?っていう気持ちもありながら…はい」
「お父さんも(手塚治虫さんが)好きで、一緒に(手塚さんが)亡くなった時の展覧会を観に行きました。それで僕、大好きになって、ファンクラブに入ったりしたので、それは影響がありますね。まさかその賞を頂けるなんて、っていう」
矢部さんは手塚治虫文化章の選考員についてこうおっしゃっていました。
「候補作を読んで、それをみんなで会議して、受賞作を…」「漫画で大賞とかにノミネートされる作品は、『鬼滅の刃』とか、大体20巻とかあったりするから、すごい量…100冊ぐらい読みます。でも幸せな仕事」
最後に矢部さんはご本人にとっての挑戦についてこう話してくれました。
「好きなことがたくさんできること。挑戦した結果どんどん好きになるし、そのことをたくさんできてきたな、と思って。お天気のことも」
「漫画も好きだから挑戦できたし。それで、それをたくさんやってどんどん好きになれてるなと思います」
番組では、そんな矢部さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらを1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームから「矢部太郎さんの色紙希望」と書いてご応募ください!
1977年生まれ、東京都 東村山市育ちの矢部さん。芸人、俳優のほか、漫画家としても活躍していて、2007年には気象予報士の資格も取得しています。
「気象予報士の森田(正光)さんのところにロケでお邪魔することがあったんですね。それで、気象予報士の試験について聞いてたら、ちょっと問題やってみる?矢部くんって言われて。やってみたら結構できたんです。矢部くん受かるんじゃない?みたいに言ってくださって。あ、もし受かったらこれ、お笑い芸人として仕事が!みたいな。(相方の)入江くんも、いいよ!いいよ!みたいな感じで言って。それで勉強しようってなったんです」
合格率が約5%と言われる気象予報士の資格を取るため、矢部さんは2年ぐらい勉強したんだとか。
「森田さんの(会社)ウェザーマップで塾もやってて、そこにも通って勉強しました」
「(試験は)いっぱい天気図が出て、それを見て、これの12時間後はどうなるでしょう?みたいな。それを文章題で書くんです」
「恵さんも『ひるおび』でやられてるからたぶん相当お詳しいですよね。『ひるおび』はすごく充実してますよね、天気のコーナー」「僕もいつもすごく楽しめます」
その後、恵さんと積乱雲の話などで盛り上がった矢部さん。気象予報士の勉強は楽しかったとおっしゃっていました。
「こういう仕組みで雲の粒が出来て、それが成長してって、重くなりすぎて地面に落ちてくるのが雨なんだ、とか。そういう一個一個がすごく面白くて。未来を科学で予報するっていうのがなんかすごい新鮮で、世界の見え方が変わってく気がしたんです」
「面白いですよね。ぜんぶ理屈があるんですよね。で、繋がってるし、気象が全部。この地方だけじゃなくて、日本のことはもっと南の海から繋がってたりとか」
かつて東京学芸大学に通っていたものの、芸人の道を選んだことで除籍になってしまったという矢部さん。でも、勉強することは好きなんだそうで、20年ほど前にはテレビ番組『電波少年』で4ヶ国語をマスターしたとか。
「外国語を勉強してその国の人を笑わせる、っていう企画をやってたんです。学んでるうちに楽しくなって。『電波少年』も、大体みんなつらくなって脱走するらしいんですね、1人1回は。でも、1回も脱走しなかったのはお前が初めてだって言われて(笑)。ちょっと脱走とかしてくんないとVTRが面白くならないからって(笑)。楽しまないであんまり、って言われました」
「集中して何かをするのが好きだし、学んでそれがまた使える知識になるのもすごい好きですね。言葉とかは話せるようになるし、天気もすぐこう見て、雲で…とか。それが好きなんですかね」
「漫画を描く時も、ここは今日は風が強いから雲がこっちに流れてるとか、夏だから積乱雲を描こうかなとか。そういうふうに役立つような気がしますね」
「知識があるからこういう絵も描けて。で、なんかそれがリアリティになって記憶を呼び起こせるかもしれないなぁ、とか思います」
矢部さんは今年6月、子供の頃の思い出を描いた4作目の漫画『ぼくのお父さん』を発表。矢部さんのお父さんは絵本作家の“やべみつのり”さんで、矢部さんがこの作品を描く際に当時の育児日記を見せてくれたんだとか。
「漫画を描くんだったらこれどうぞ、って言って送ってきてくれて。絵と文でその日あったことを書いてありました」
「嬉しかったです。僕のお姉ちゃんの頃から書いてて。お母さんが妊娠して、お腹がだんだん大きくなって、僕が生まれるところも書いてあったりして。すごく不思議な気持ちで自分の人生を見ました」
「普通そういう日記って、子供に見せるの恥ずかしいですよね。それを見ていいよって言ってくれたのはすごく嬉しいです。でも、お姉ちゃんの方が数が10倍ぐらい多くて、絵もすごい丁寧だったんで、ちょっとやっぱり2人目は軽くなるのかなぁと(笑)」
漫画家としての矢部さんのデビュー作は、2017年に出版された『大家さんと僕』。この作品は手塚治虫文化賞 短編賞を受賞しましたが、さらに今年からは矢部さんが手塚治虫文化章の選考員を務めることになりました。
「僕でいいのかな?っていう気持ちもありながら…はい」
「お父さんも(手塚治虫さんが)好きで、一緒に(手塚さんが)亡くなった時の展覧会を観に行きました。それで僕、大好きになって、ファンクラブに入ったりしたので、それは影響がありますね。まさかその賞を頂けるなんて、っていう」
矢部さんは手塚治虫文化章の選考員についてこうおっしゃっていました。
「候補作を読んで、それをみんなで会議して、受賞作を…」「漫画で大賞とかにノミネートされる作品は、『鬼滅の刃』とか、大体20巻とかあったりするから、すごい量…100冊ぐらい読みます。でも幸せな仕事」
最後に矢部さんはご本人にとっての挑戦についてこう話してくれました。
「好きなことがたくさんできること。挑戦した結果どんどん好きになるし、そのことをたくさんできてきたな、と思って。お天気のことも」
「漫画も好きだから挑戦できたし。それで、それをたくさんやってどんどん好きになれてるなと思います」
番組では、そんな矢部さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらを1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームから「矢部太郎さんの色紙希望」と書いてご応募ください!