仮面女子の猪狩ともかさんが『100%の前向き思考』を語る(2021/01/09 放送)
今週は、アイドルグループ『仮面女子』の猪狩ともかさんにリモートでお話を伺いました。
昨年、初の著書『100%の前向き思考 生きていたら何だってできる!一歩ずつ前に進むための55の言葉』を発表した猪狩さん。1991年12月9日生まれで、子供の頃からアイドルに憧れていたそうです。
「小学生の頃からずっとモーニング娘。さんが大好きで、オーディションを一度受けたことがあったんですけど、ダメで。そこからは、私はアイドルになれないんだ…って思って、応援する側としてずっと生きてきたんですね」
「で、4年制の管理栄養士の専門学校に通っていて。そこで私は小学校の栄養士になりたいと思ってたんですよ。けど、その小学校の栄養士になるための採用試験に受からなくて。じゃあ今度の進路をどうしよう…っていうのを考えた時に、他の募集要項とかを見てもトキめかなかったんですよ。あ、私ホントはアイドルやりたかったんだよなぁ、やるなら今しかないなぁ、と思って、今の事務所のオーディションを受けました(笑)」
その時の猪狩さんは21歳。アイドルになろうとしても年齢制限に引っかかるオーディションが多い中、仮面女子が所属するアリスプロジェクトのオーディションは受けられたそうです。
ただ、仮面女子は『見習い生』→『AJ(アリス嬢)』→『研究生』→『候補生』→『仮面女子』という序列になっていて、猪狩さんは一番下の『見習い生』からのスタートだったとか。
「昇格制度っていうものがあって。見習い生っていうのは、そもそもオーディションに落ちた子たちなんですよ」
猪狩さんはそれでもアイドルを目指した理由をこう話してくれました。
「もう気持ちがアイドル一直線だったんですよ。見習い生っていうものでも、そこでチャンスがあるならばもういくしかない!っていう感じでしたね。『候補生』から仮面女子に上がるまでに凄い月日がかかりました。3年近くですね」
「もう焦りしかなかったですね。ここで諦めちゃったら、今まで応援してくださってた方々を裏切ることになるなと思って。もうとにかく仮面女子になるんだ!っていう思いで、もう執念みたいな感じですよね(笑)」
何度もチャレンジしてようやく仮面女子に昇格することができた猪狩さんですが、「もうやめよう」と思ったここともあったとか。
「“組閣”っていって、候補生から仮面女子に上がるメンバーを発表する大きなイベントがあるんですけど、その組閣、私4回目でやっと仮面女子になれたんですね」
「3回目の時、私は自分の中で勝手に、これが最後だって思って挑んでたんですよ。これがダメだったらもうダメだろうなっていう。案の定ダメで。ああもうじゃあやめよう、って思っちゃったんですよ、その時。で、劇場に置いてた荷物とかも全部持って帰って。ファンの人にも何も言わずに消えてしまおう…みたいな。最悪な考えをしてしまっていて、その時は」
「けど、偶然なんですけど、その翌日と翌々日が祖母のお葬式で、元々休みをとってたんですよ。なので、そこで冷静に考える時間があったから戻れたんですよね。なんかもう、悲劇のヒロインみたいな感じになっちゃってたと思うんですよ。でも、私が今までアイドルを応援してきた時に、そうやってアイドルの子を心配したり、やめちゃうんじゃないかな?大丈夫かな?みたいに思って応援したことってなくて。ただひたすらに元気をもらってたのに、私ぜんぜん真逆のアイドルじゃん、って思って。そこで改心できましたね」
2017年1月9日(まさに4年前の今日)、念願の仮面女子に昇格した猪狩さん。しかし、2018年の4月11日、ダンスのレッスンに向かうために歩道を歩いていた時に、大きな看板が強風で倒れる事故に巻き込まれてしまいます。
「一瞬、何が起きているかわからなくて。下敷きになりながら、これは助けを呼ばないとヤバいなぁということで、携帯で自分で救急車を呼ぼうとしたんですけど、携帯電話まで手が届かなくって。ああもうどうしよう、誰か助けて助けて…っていう感じで…」
そして、6時間の緊急手術を受けた猪狩さん。自分が置かれた状況を受け入れることができたのは、入院してから10日目ごろだったとか。
昨年、初の著書『100%の前向き思考 生きていたら何だってできる!一歩ずつ前に進むための55の言葉』を発表した猪狩さん。1991年12月9日生まれで、子供の頃からアイドルに憧れていたそうです。
「小学生の頃からずっとモーニング娘。さんが大好きで、オーディションを一度受けたことがあったんですけど、ダメで。そこからは、私はアイドルになれないんだ…って思って、応援する側としてずっと生きてきたんですね」
「で、4年制の管理栄養士の専門学校に通っていて。そこで私は小学校の栄養士になりたいと思ってたんですよ。けど、その小学校の栄養士になるための採用試験に受からなくて。じゃあ今度の進路をどうしよう…っていうのを考えた時に、他の募集要項とかを見てもトキめかなかったんですよ。あ、私ホントはアイドルやりたかったんだよなぁ、やるなら今しかないなぁ、と思って、今の事務所のオーディションを受けました(笑)」
その時の猪狩さんは21歳。アイドルになろうとしても年齢制限に引っかかるオーディションが多い中、仮面女子が所属するアリスプロジェクトのオーディションは受けられたそうです。
ただ、仮面女子は『見習い生』→『AJ(アリス嬢)』→『研究生』→『候補生』→『仮面女子』という序列になっていて、猪狩さんは一番下の『見習い生』からのスタートだったとか。
「昇格制度っていうものがあって。見習い生っていうのは、そもそもオーディションに落ちた子たちなんですよ」
猪狩さんはそれでもアイドルを目指した理由をこう話してくれました。
「もう気持ちがアイドル一直線だったんですよ。見習い生っていうものでも、そこでチャンスがあるならばもういくしかない!っていう感じでしたね。『候補生』から仮面女子に上がるまでに凄い月日がかかりました。3年近くですね」
「もう焦りしかなかったですね。ここで諦めちゃったら、今まで応援してくださってた方々を裏切ることになるなと思って。もうとにかく仮面女子になるんだ!っていう思いで、もう執念みたいな感じですよね(笑)」
何度もチャレンジしてようやく仮面女子に昇格することができた猪狩さんですが、「もうやめよう」と思ったここともあったとか。
「“組閣”っていって、候補生から仮面女子に上がるメンバーを発表する大きなイベントがあるんですけど、その組閣、私4回目でやっと仮面女子になれたんですね」
「3回目の時、私は自分の中で勝手に、これが最後だって思って挑んでたんですよ。これがダメだったらもうダメだろうなっていう。案の定ダメで。ああもうじゃあやめよう、って思っちゃったんですよ、その時。で、劇場に置いてた荷物とかも全部持って帰って。ファンの人にも何も言わずに消えてしまおう…みたいな。最悪な考えをしてしまっていて、その時は」
「けど、偶然なんですけど、その翌日と翌々日が祖母のお葬式で、元々休みをとってたんですよ。なので、そこで冷静に考える時間があったから戻れたんですよね。なんかもう、悲劇のヒロインみたいな感じになっちゃってたと思うんですよ。でも、私が今までアイドルを応援してきた時に、そうやってアイドルの子を心配したり、やめちゃうんじゃないかな?大丈夫かな?みたいに思って応援したことってなくて。ただひたすらに元気をもらってたのに、私ぜんぜん真逆のアイドルじゃん、って思って。そこで改心できましたね」
2017年1月9日(まさに4年前の今日)、念願の仮面女子に昇格した猪狩さん。しかし、2018年の4月11日、ダンスのレッスンに向かうために歩道を歩いていた時に、大きな看板が強風で倒れる事故に巻き込まれてしまいます。
「一瞬、何が起きているかわからなくて。下敷きになりながら、これは助けを呼ばないとヤバいなぁということで、携帯で自分で救急車を呼ぼうとしたんですけど、携帯電話まで手が届かなくって。ああもうどうしよう、誰か助けて助けて…っていう感じで…」
そして、6時間の緊急手術を受けた猪狩さん。自分が置かれた状況を受け入れることができたのは、入院してから10日目ごろだったとか。
「脊髄損傷ということに関して、自分でもスマートフォンで調べたりして。知識が増えてきて。で、周りの反応とかも見て、なんかちょっと違和感があったので、もしかして一生治らないパターンのやつなのかな、って感づいてきて。それを自分から家族に確認したんですよ。これ治らないの?っていうふうに。そしたらそこで、うーん、その可能性の方が高いみたいだね、っていう返事をもらったので、受け入れざるを得なかったっていう感じですね」
猪狩さんが、パニックに陥ることなくその事実を受け止めることができたのは、それまでに最高のパターンと中間のパターンと最悪のパターンの3つをイメージしていたからだったそうです。
「もし治るんだとしたら、というパターンがまず1つ目。で、治らない治る、どっちの可能性もあるパターンっていうのも考えた時に、それは治るまで頑張る、みたいな感じで。で、3つ目の治らないパターンっていうのを考えた時に、じゃあ、車椅子生活で一生いきていくのかなぁ、みたいなふうに考えて」
「私は、家族に確認するまでの心の準備期間といいますか、もしかしたら、っていうふうに考える時間があったので、逆にそれは良かったんじゃないかなって思ってて。家族の場合は…ファンの皆さんとかもそうですけど…心の準備を出来ないまま、すぐに事実を伝えられたわけじゃないですか。その衝撃に比べたら、私はまだましだったと思っていて…」
そんな体験について綴られている猪狩さんの著書『100%の前向き思考 生きていたら何だってできる!一歩ずつ前に進むための55の言葉』。この本を読んで「何箇所線を引いたかな」と感銘を受けていた恵さんは、「人生に本当に大事なものは何一つ失ってなかったんです」というフレーズに“涙が飛び出した”とか。
恵さん「本当に大事なものは何一つ失ってなかったって思えてる、この猪狩ともかの凄さ。なんでこう思えたんですか?」
猪狩さん「やっぱり周りのサポートが大きかったからですかね。家族をはじめ、事務所の方やメンバー、ファンの方だったり、みんなが凄く支えてくれたので、人間関係は何一つこじれたりしてないし、また仮面女子に戻る、居場所があるんだっていうことで…」
恵さん「事務所の対応も200点ですよね。100点満点で200点、もう1000点かな。凄いよね。(社長さんが)まず自分のために頑張りなさい、っておっしゃったと。自分のために頑張って、自分の夢を追っかけなさいと。そしたら貴女を応援してる人がみんな幸せになれるから、っていうこの言葉が凄いと思ったの」
恵さん「表に出てる我々は、みんなを元気にしたい、みんなのために頑張る、みたいに思いがちだけど、社長さんが素晴らしいなと思ったのは、自分のために頑張ったら疲れないよと。こう、なんか気持ちが軽くなるじゃん。あ、そっかいいんだ、自分のために生きていいんだっていう…。なんていうんだろう、凄い魔法の言葉だなぁと思って」
猪狩さん「そうですね。例えば、私が大好きな埼玉西武ライオンズの球場、メットライフドームで始球式をする、っていう夢を叶えた時とかも、始球式の夢を叶えるなんて自分が嬉しいことじゃないですか。でも、それを見たファンの方が、夢を叶える姿を見てホントに勇気をもらった、とかっていうふうに言ってくださって。ああ、社長が言ってたのはそういうことなんだな、っていうふうにそこで思いましたね」
来週も引き続き、猪狩ともかさんをお迎えします!