武田真治さんが筋トレを始めたきっかけとは?(2020/12/26 放送)
今週は、武田真治さんをお迎えしました。
芸能生活30年目だという武田さんは、1972年12月18日生まれの48歳。1989年のジュノン・スーパーボーイ・コンテストでグランプリを受賞したのをきっかけに俳優・タレントとしてデビューしましたが、本来はミュージシャン志望で、10代の頃からサックスに熱中していたとか。
「僕が小学校の時にチェッカーズっていうみなさんが現れて、姉が凄い夢中になって。しかも、ボーカルのフミヤさんはもちろん素敵なんですけど、弟さんの藤井尚之さん、サックス・プレイヤーの方にもう心酔してて。このままだと大好きなお姉ちゃんが尚之さんに取られちゃう!と思って、慌てて(サックスを)始めたんですよね」
「それで、バンド活動に夢中になってたら、親が、そんなブームはもう去るからこれを受けて駄目だったら芸能界はすっぱり諦めろ、みたいな感じで、新聞の切れ端で持ってきてくれたのがこのコンテストだったんですよ。で、受けてみたら、ありがたいことにグランプリを頂いて。その大会の会場に今の事務所の方が来てくれてたので、スカウトしてもらって30年たつんです」
「ちゃんと練習していっぱいコピーしていけば、チェッカーズのメンバーに8人目で入れてもらえるんじゃないか?ぐらいの。それぐらいの気持ちで大好きで練習してたんですね」と、サックスへの思いを語ってくれた武田さん。2001年と2002年には、忌野清志郎さんのツアーのバンドにサックス・プレイヤーとして参加し、そこでいろいろなことを学んだそうです。
「もうこの2年間はべったり清志郎さんといたので…。あ、こういうニュース、こういう事件が起きるとこの人はこういう歌を作るんだ、とか。基本的にはホントにおとなしいオジサマという感じだったんですけど、ステージに上がるともう、雷のように問答無用のパフォーマンスを見せつけるっていう、あの振れ幅っていうんでしょうか、振り幅」
そして、武田さんは清志郎さんから学んだという“覚悟”と“準備”についてこう話してくれました。
「ステージに上る、人前に立つという覚悟。そして清志郎さんにとっては言って欲しくないかもしれないんですけど、準備っていうのも凄く重要なんだっていうことを学びました」
「ツアー中でも、朝早くから自転車に乗って次の街に移動して。で、リハーサルして本番やってみんなでご飯食べて、その日のライブの反省会をビデオ見ながらするんですね。見終わったらそれぞれホテルの部屋に戻るんですが、次の日、ちょっと新曲あるから試してみたいんだ、みたいなことをおっしゃるんですよ」
「いつ曲を作ってるのか知らない、あんなにずっと一緒にいても。でも絶対しっかりと準備されてたんだなぁって。それはお客さんに見せないどころじゃなくて、僕らにも全然見せる感じじゃなかったので。でも、確実に準備をして、一期一会のパフォーマンスのようで、きっちり確実に毎回そのクオリティのパフォーマンスをするっていうのは凄いことなんだなぁって。準備と覚悟なのかなぁ、なんて思いました」
「いいことがあると必ず清志郎さんの顔が浮かびますね」
90年後半に体調を壊した時期があったという武田さん。最近はNHKの番組『みんなで筋肉体操』に出演するなど、その筋肉美でも注目されるようになっていますが、実は筋トレを始めてからもう20年も経っているんだとか。
「清志郎さんが自転車に乗るから僕も自転車に乗り始めて体力も回復していった。それが2000年代初頭で。それから筋トレ、体力作りっていうのは20年間やってて。なので、なぜいまさら?というか。むしろその頃のほうが、若かった分、筋肉も張ってたかもしれないです。運動し始めて3年目ぐらいにはもう今と同じサイズでした」
「(筋トレをする前は)ガリガリのヒョロヒョロで…。“フェミ男”って呼ばれてた頃。中性的なファッションアイコンみたいに捉えて頂いてたんですが、それが体を蝕んじゃったこともあるんです。それはいけないってことに気づいて、清志郎さんとの出会いもあって、体力づくりを始めて20年。で、自分としては筋トレというのが歯を磨いたり髪を洗ったりするのと変わらないぐらいになった頃に取り上げて頂いて」
「体調崩した頃の経験も自分にとって良かった経験にできたっていうのは、自分の人生というか自分自身をちょっと誇りに思えますね。20年かかっちゃったけど、ピンチをちゃんとチャンスに出来たというか。20年かけて自分の努力をサプライズに変えられた」
「努力し続けてると、歌手の人が言うような、明日は夢が叶う!絶対に願いが叶う!みたいな、ウソぉ?と思ってたことがホントになるんですね」
2018年の紅白歌合戦では、天童よしみさんのステージで筋肉とサックスを披露した武田さん。また、ダイエット企画で出演したテレビ番組『有吉ゼミ』のために曲を作ったり、NHK『ニュースきょう一日』のテーマ曲なども担当しています。
そして、今年9月には芸能生活30周年記念アルバム『BREATH OF LIFE』をリリース。このアルバムには『有吉ゼミ』の曲や『ニュースきょう一日』テーマ曲のセルフカバーも収録されました。
「サックス活動はずっと続けていて、インディーズレーベルからリリースとかはしてたんですけど、メジャーレーベルからは24年ぶりのソロアルバムなんです。四半世紀ぶりに50間近の男が再デビューできるって夢があると思いません?(笑)」
武田さんは、今回のアルバムのタイトル『BREATH OF LIFE』(ブレス・オブ・ライフ)についてこう話してくれました。
「ほっと一息、っていう意味だったり、あとは人生にとってなくてはならないもの、呼吸をするようになくてはならないもの、という意味もあるそうで。僕がサックスをある意味やめられなかったので、僕にとってなくてはならなかったもの、ということで、『BREATH OF LIFE』というタイトルをつけさせてもらいました」
ちなみに、武田さんのサックスは独学なんだとか。
「習ったことないですね。でも、どうです、恵さん。人に認められるものとかご自身が人に教えられるものって、意外と、人から習ったことじゃなくて自分で掴み取ったことの方が多くないですか?」
「他のサックスプレイヤーが普通にできるようなことも、僕は全然できないこともありますし、凄くいい大学出られても僕みたいにできないこともあるのかな、とも思うし。なので、僕がプレイヤーとして個性的だねって言われるようなプレイをいっぱい詰めたアルバムです」
「後悔した時期もあるんです。親が引き止めてくれた通りに、北海道で高校を卒業して音楽大学かなんかでちゃんとやってれば、それこそ90年代後半に関節症っていう病気にもならなかったかもしれない…とか、いろいろあったんですけど。いろいろあっての今の僕、今の音なのかなっていうふうに、最近やっと自分自身を認めてあげることができるようになってきて。恵さんがおっしゃる通り、泥臭いサウンドだったりもするので。今はそれにちょっと誇りを持てるようになってきました」
2021年1月15日からは、池袋の東京芸術劇場にてミュージカル『パレード』に出演する武田さん。このミュージカルについては来週、2021年最初の放送で詳しく伺います!
芸能生活30年目だという武田さんは、1972年12月18日生まれの48歳。1989年のジュノン・スーパーボーイ・コンテストでグランプリを受賞したのをきっかけに俳優・タレントとしてデビューしましたが、本来はミュージシャン志望で、10代の頃からサックスに熱中していたとか。
「僕が小学校の時にチェッカーズっていうみなさんが現れて、姉が凄い夢中になって。しかも、ボーカルのフミヤさんはもちろん素敵なんですけど、弟さんの藤井尚之さん、サックス・プレイヤーの方にもう心酔してて。このままだと大好きなお姉ちゃんが尚之さんに取られちゃう!と思って、慌てて(サックスを)始めたんですよね」
「それで、バンド活動に夢中になってたら、親が、そんなブームはもう去るからこれを受けて駄目だったら芸能界はすっぱり諦めろ、みたいな感じで、新聞の切れ端で持ってきてくれたのがこのコンテストだったんですよ。で、受けてみたら、ありがたいことにグランプリを頂いて。その大会の会場に今の事務所の方が来てくれてたので、スカウトしてもらって30年たつんです」
「ちゃんと練習していっぱいコピーしていけば、チェッカーズのメンバーに8人目で入れてもらえるんじゃないか?ぐらいの。それぐらいの気持ちで大好きで練習してたんですね」と、サックスへの思いを語ってくれた武田さん。2001年と2002年には、忌野清志郎さんのツアーのバンドにサックス・プレイヤーとして参加し、そこでいろいろなことを学んだそうです。
「もうこの2年間はべったり清志郎さんといたので…。あ、こういうニュース、こういう事件が起きるとこの人はこういう歌を作るんだ、とか。基本的にはホントにおとなしいオジサマという感じだったんですけど、ステージに上がるともう、雷のように問答無用のパフォーマンスを見せつけるっていう、あの振れ幅っていうんでしょうか、振り幅」
そして、武田さんは清志郎さんから学んだという“覚悟”と“準備”についてこう話してくれました。
「ステージに上る、人前に立つという覚悟。そして清志郎さんにとっては言って欲しくないかもしれないんですけど、準備っていうのも凄く重要なんだっていうことを学びました」
「ツアー中でも、朝早くから自転車に乗って次の街に移動して。で、リハーサルして本番やってみんなでご飯食べて、その日のライブの反省会をビデオ見ながらするんですね。見終わったらそれぞれホテルの部屋に戻るんですが、次の日、ちょっと新曲あるから試してみたいんだ、みたいなことをおっしゃるんですよ」
「いつ曲を作ってるのか知らない、あんなにずっと一緒にいても。でも絶対しっかりと準備されてたんだなぁって。それはお客さんに見せないどころじゃなくて、僕らにも全然見せる感じじゃなかったので。でも、確実に準備をして、一期一会のパフォーマンスのようで、きっちり確実に毎回そのクオリティのパフォーマンスをするっていうのは凄いことなんだなぁって。準備と覚悟なのかなぁ、なんて思いました」
「いいことがあると必ず清志郎さんの顔が浮かびますね」
90年後半に体調を壊した時期があったという武田さん。最近はNHKの番組『みんなで筋肉体操』に出演するなど、その筋肉美でも注目されるようになっていますが、実は筋トレを始めてからもう20年も経っているんだとか。
「清志郎さんが自転車に乗るから僕も自転車に乗り始めて体力も回復していった。それが2000年代初頭で。それから筋トレ、体力作りっていうのは20年間やってて。なので、なぜいまさら?というか。むしろその頃のほうが、若かった分、筋肉も張ってたかもしれないです。運動し始めて3年目ぐらいにはもう今と同じサイズでした」
「(筋トレをする前は)ガリガリのヒョロヒョロで…。“フェミ男”って呼ばれてた頃。中性的なファッションアイコンみたいに捉えて頂いてたんですが、それが体を蝕んじゃったこともあるんです。それはいけないってことに気づいて、清志郎さんとの出会いもあって、体力づくりを始めて20年。で、自分としては筋トレというのが歯を磨いたり髪を洗ったりするのと変わらないぐらいになった頃に取り上げて頂いて」
「体調崩した頃の経験も自分にとって良かった経験にできたっていうのは、自分の人生というか自分自身をちょっと誇りに思えますね。20年かかっちゃったけど、ピンチをちゃんとチャンスに出来たというか。20年かけて自分の努力をサプライズに変えられた」
「努力し続けてると、歌手の人が言うような、明日は夢が叶う!絶対に願いが叶う!みたいな、ウソぉ?と思ってたことがホントになるんですね」
2018年の紅白歌合戦では、天童よしみさんのステージで筋肉とサックスを披露した武田さん。また、ダイエット企画で出演したテレビ番組『有吉ゼミ』のために曲を作ったり、NHK『ニュースきょう一日』のテーマ曲なども担当しています。
そして、今年9月には芸能生活30周年記念アルバム『BREATH OF LIFE』をリリース。このアルバムには『有吉ゼミ』の曲や『ニュースきょう一日』テーマ曲のセルフカバーも収録されました。
「サックス活動はずっと続けていて、インディーズレーベルからリリースとかはしてたんですけど、メジャーレーベルからは24年ぶりのソロアルバムなんです。四半世紀ぶりに50間近の男が再デビューできるって夢があると思いません?(笑)」
武田さんは、今回のアルバムのタイトル『BREATH OF LIFE』(ブレス・オブ・ライフ)についてこう話してくれました。
「ほっと一息、っていう意味だったり、あとは人生にとってなくてはならないもの、呼吸をするようになくてはならないもの、という意味もあるそうで。僕がサックスをある意味やめられなかったので、僕にとってなくてはならなかったもの、ということで、『BREATH OF LIFE』というタイトルをつけさせてもらいました」
ちなみに、武田さんのサックスは独学なんだとか。
「習ったことないですね。でも、どうです、恵さん。人に認められるものとかご自身が人に教えられるものって、意外と、人から習ったことじゃなくて自分で掴み取ったことの方が多くないですか?」
「他のサックスプレイヤーが普通にできるようなことも、僕は全然できないこともありますし、凄くいい大学出られても僕みたいにできないこともあるのかな、とも思うし。なので、僕がプレイヤーとして個性的だねって言われるようなプレイをいっぱい詰めたアルバムです」
「後悔した時期もあるんです。親が引き止めてくれた通りに、北海道で高校を卒業して音楽大学かなんかでちゃんとやってれば、それこそ90年代後半に関節症っていう病気にもならなかったかもしれない…とか、いろいろあったんですけど。いろいろあっての今の僕、今の音なのかなっていうふうに、最近やっと自分自身を認めてあげることができるようになってきて。恵さんがおっしゃる通り、泥臭いサウンドだったりもするので。今はそれにちょっと誇りを持てるようになってきました」
2021年1月15日からは、池袋の東京芸術劇場にてミュージカル『パレード』に出演する武田さん。このミュージカルについては来週、2021年最初の放送で詳しく伺います!