挫折から這い上がって五輪メダリストに…宮下純一さんの挑戦(2015/04/11 放送)
先週に引き続き、今週もスポーツキャスターで北京オリンピックの競泳メダリスト、宮下純一さんをお迎えしました。
大学3年の時、ギリギリのところでアテネ五輪出場を逃し、「調子に乗ってた鼻を折られた」「もうすべての水泳人生、今までを否定された感じ」だったという宮下さん。北京オリンピックまでの4年間について、「大学生までがピークって言われてる中で、ホントに数人しか社会人で環境を与えられて水泳ができる人っていなかったんですね。不安の中、でもチャレンジしないといけない。けれども、もう一つの自分の夢、教員になる、っていうところもあるので…4年って長いんですよね。3年だと、あ、続けます!っていう選手って多いと思うんです。5年だとやりません、っていう選手が多い中で、4年って迷うんです」と話してくれました。
大学3年の時、ギリギリのところでアテネ五輪出場を逃し、「調子に乗ってた鼻を折られた」「もうすべての水泳人生、今までを否定された感じ」だったという宮下さん。北京オリンピックまでの4年間について、「大学生までがピークって言われてる中で、ホントに数人しか社会人で環境を与えられて水泳ができる人っていなかったんですね。不安の中、でもチャレンジしないといけない。けれども、もう一つの自分の夢、教員になる、っていうところもあるので…4年って長いんですよね。3年だと、あ、続けます!っていう選手って多いと思うんです。5年だとやりません、っていう選手が多い中で、4年って迷うんです」と話してくれました。
そんな中、2005年、大学4年の時の世界選手権で結果を出せば、水泳選手として拾ってくれる企業があるかもしれない、この大会が自分の就活だ、と考えた宮下さんは、この大会で見事に日本記録を出し、7位に入ったそう。そして、その時のインタビューを見たホリプロのマネージャーさんが、宮下さんをスカウトしてくれたんだとか。
「マネージメントする会社なので、僕の所属するのがスポーツ文化部って言って、選手だった時の気持ちを生かしながら、そういった人たちをマネージメントする社員が欲しいということで、社員としてオファーが来たんです。で、会社に入るんですけど、僕の条件としては、やっぱり北京まで目指したいので、そこの3年間は水泳中心で泳がして欲しいと。でもう、僕、社会人でやっていくって、どっちかって言うとワクワクしてたところもあったんですよ。だって、大好きな水泳やってお金がもらえる…(でも)やっぱりお金頂いてやるって厳しいですよねぇ」
社会人選手としてのプレッシャーから、北京オリンピックまでの3年間はタイムが伸びなかったという宮下さん。五輪選考会の半年ほど前、故郷・鹿児島のお母様に電話して「俺、なんで北京目指すって言っちゃったんだろう…」と泣き言を言うと、お母様は「あと1年あるんだよ。楽しんで頑張んなさい」と言ってくれたんだとか。それまでは、北京までのカウントダウンをしながら「あれをしなきゃ、これもしなきゃ…」となっていたという宮下さんですが、お母様の一言で「あと1年ある。あれもできる、これでもできる」と考え方が変わったそうです。
そして、北京オリンピックの選考会では「間違いなくベストを出せる!」というぐらい調子が良かったという宮下さん。「母の言葉もありましたけど、自分で這い上がって頑張れたっていうのが自分の中での財産にはなってます」とおっしゃっていました。
宮下さんは、ついに出場できた夢の舞台、オリンピックについてこんな風に話してくれました。「今までいろんな世界大会に出させて頂いたんですけれども…他の日の丸をつけた試合っていうのは、どこか日本のために結果を出さないと、っていうところが多かったんですけども、唯一と言ってもいいですかね、オリンピックだけです、楽しかったの。例えるなら、ディズニーランドに行ってるような」。オリンピックに行きたくて行きたくて、でも行けなかったので、選手村で五輪のマークを見る度に楽しさを感じたんだとか。
「プレッシャーもかかんなかったですね。で、ほぼ9割方、森田選手がメドレーリレーに出るってみんな思ってるから…。メドレーリレーの選考の方法って、オリンピックの100メートルの個人のレースで速かったほうなんですよ。準決勝で、同じ1組だったかな…で泳いだんですけども、森田選手に僕は勝って…で、僕は決勝に進出したんです。で、森田選手は8位以内に入れなくて、準決勝で敗退しちゃったんですよ。その時点で、宮下、メドレーリレー代表って決まったんですよ」。森田さんによると「その時、一番調子良い奴を選ぶ」っていうのが水泳連盟の方針なんだとか。
現在は、スポーツキャスターとして活躍している宮下さん。そのいきさつについてはこんなことをおっしゃっていました。「まず最初に社員として(ホリプロに)入ってるので…。うちの社長にメダル持って報告に行ったんですね。メダル見て、で、本題に入ろう、みたいな感じの話になって、もちろんこの後、マネージャーとして会社を盛り上げてくれる道もある、で、もう一つあるのが、メダルを獲った人間として、その競技の楽しさだったり、スポーツの良さを伝えることも君にはできる仕事なんじゃないかって」。「180度ですよ、もう。え、僕がテレビに?っていう(笑)」
最後に、宮下さんは“挑戦する”ということについてこう話してくれました。「やっぱり挑戦することで人って成長できると思うんですよね。現状維持だと間違いなく衰退していくんで、挑戦し続けて、変化を求めないと、特に自分の記録の挑戦だといいんですけど、周りとの戦いなので、スポーツは…。そこでいろんなものを見つけていきながら挑戦するってことが、すべてにおいてのキーポイントじゃないかな、という風に思います」
そして、宮下さんから挑戦に関する一言メッセージを色紙に頂きました。「挑戦とは成長である」まさに挑戦を繰り返し成長してきた宮下さんの根底にある言葉です。番組では、こちらの色紙を1名様にプレゼントします!ホームページのメッセージフォームからご応募ください。
↓こちらが宮下さんが書いてくれた色紙
