お風呂にも入れなかった子供が競泳の五輪メダリストになるまで(2015/04/04 放送)
今週からスタートしました『Challenge Stories』、記念すべき第1回目は、北京オリンピックの競泳メダリストでスポーツキャスターの宮下純一さんをお迎えしました。恵さんとはテレビの『ひるおび!』で共演している宮下さん。実は、お二人は共に鹿児島出身、しかも小学校と高校は同じ学校なんだとか。「高校時代は、恵さんみたいにみんななろう!って言って、僕の学年、一生懸命頑張ってましたから!」とオープニングから地元の大先輩を立てる宮下さんでした。
そんな宮下さん、意外なことに子供の頃は水が大嫌いだったそうで、オリンピックのメダルをお母様に渡した時、お母様は「お風呂に入れんかったあんたがね…」とおっしゃったとか。そして、これでは小学校の水泳の授業が大変だということで習わされたのが、水泳を始めるきっかけだったそうです。宮下さんは「最初は泣きながらですよ。首根っこ掴まれて。最初はイヤでしたね。なんで俺やってんだろう?こんなイヤなこと…って」と当時のことを話してくれました。
そんな宮下さん、意外なことに子供の頃は水が大嫌いだったそうで、オリンピックのメダルをお母様に渡した時、お母様は「お風呂に入れんかったあんたがね…」とおっしゃったとか。そして、これでは小学校の水泳の授業が大変だということで習わされたのが、水泳を始めるきっかけだったそうです。宮下さんは「最初は泣きながらですよ。首根っこ掴まれて。最初はイヤでしたね。なんで俺やってんだろう?こんなイヤなこと…って」と当時のことを話してくれました。
ところが、そんな気持ちとは裏腹に、宮下さんには水泳の才能があったようで、早くも小学校1年の時には桜島から鹿児島市内までの4.2キロを泳ぎ切ったとか。「だから、挑戦しないとわからないことってあるなと思うんですよね。僕が初めてでしたね、船につかまらないで泳ぎ切ったっていうのは」。ちなみに、元々は花形である自由形をやりたかったという宮下さんですが、コーチに背泳ぎを勧められて大会に出場したところ、自由形よりも良い成績を収めることができたそう。そして、それからは成績もぐんぐん伸びて、小学5年生の時には背泳ぎの九州チャンピオンになったそうです。
全国で1位になったのは高校3年の時だったという宮下さん。しかし、なかなか勝てずに「もうここで終わりなのかな」と思った時期もあったとか。「コーチがずっと言ってくれてたのは、お前はここで伸びる選手じゃないから。シニアで代表になるために今トレーニングしている、と。もっと泳がせれば、もっと結果を今出すことはできるけど、お前はオリンピックとか世界大会…シニアで活躍して欲しいから、今は基礎しかやってない。お前は大学行ってから伸びるからって言ってくれたんですよ」
「じゃあ、チャレンジしてみたい。前の選手にかするぐらいのホントに微妙な位置だったので、行ったら成長できるのかなと思って、大学に行こうと思うんですけども、勧誘が来ないんですよね。表彰台に乗らない選手って。だから、自分からラブコールを送って…僕、筑波大学なんですけど…先輩がいるからその人に、会ったこともないんですけど電話でコンタクトをとって監督に繋いでもらって、宮下っていう選手がいるんだけど、インターハイ、国体を見ててくれ、っていうようなお願いをして、やっと入れてもらったみたいな。だから、入れてなかったら今の僕はないと思います」
水泳に力を入れる一方、宮下さんはご両親から「水泳バカになるな」とずっと言われていたので、勉強も頑張ったそうです。「怪我したり病気したらあんたもうダメになるんだから、その時に自分を生かせるように勉強しときなさい!って言われて。まぁ、当時はね、うるせえ!とか言ってたとは思うんですけど、無理矢理でもやらせてくれた父と母には感謝してますね」。また、宮下さんには学校の先生になりたいという夢もあったそうで、大学で教員免許を取得したとか。「文武両道って難しいんですけど、やらないと叶わない」なんておっしゃっていました。
2004年のアテネ・オリンピックの代表選考では、惜しくも出場枠に入れなかった宮下さん。その時のことをこんな風に話してくれました。「一発勝負です。4年間の1分です。準決勝で世界記録出してもダメなんです。決勝の舞台で2位に入らないといけない。で、僕、3番だったんです(笑)。泣きましたね。正直、俺行っちゃうなオリンピック、ってちょっと思ってたんですよ。そこをガツンと上から押さえられたような思いを感じたのがアテネでした」