横山剣さんがクレイジーケンバンドを結成するまでの挑戦(2015/10/03 放送)
今週は、クレイジーケンバンドの横山剣さんをお迎えしました。
1960年、横浜生まれの横山さん。10代の頃にクールス・ロカビリー・クラブというグループのメンバーと知り合い、17才で東京に出て来ると、彼らのお店の近くに住むようになったそうです。
「ちょうどアパートと学校の間にその店があったんで、通る度に、おい!とかって呼ばれてですね、タバコ買ってこいとか牛乳買ってこいとか、そういうこと言われて。いわゆるパシリですね。やってるうちにだんだん馴染んで、グレーな存在の関係者みたいな感じ(笑)。お客さんのようなスタッフのような」
クールスと言えば、初期には岩城滉一さんや舘ひろしさんが在籍し、キャロルの解散コンサートで親衛隊を務めたこともあるグループ。やがてクールスのツアーに誘われた横山さんは、高校を休学し、スタッフとしてツアーに参加したんだとか。
音楽が好きで、小学生の頃から作曲をしていたという横山さんですが、元々は裏方指向だったようです。「ミュージックビジネスには興味あったんですけど、表に出るのは恥ずかしいというか、どっちかって言えば、作曲をしたり、目立たないポジションで…。でも、音楽的には重要なポジションをやりたいなと思ってはいたんですけど」
「筒美京平さんのようなヒットメイカーなんかになれたら最高だな、みたいな。スターだったらきっといろんなところに遊びにも行けないだろうとか、デートもできないだろうとか。で、作曲家の人だったら顔分からないから。しかも印税入るし(笑)」
そんなわけで、スタッフやマネージャー、ファンクラブの責任者といった形でクールスに関わった横山さんですが、最終的にはグループのリード・シンガーとして抜擢されたんだとか。実はちょうどその頃、曲の売り込み用のデモテープが認められて、ソロでデビューしないかという話もあったそうですが、横山さんはバンドを経験してみたいということでクールスを選んだそうです。
そして3年間、クールスのメンバーとして活動した横山さん。その後、97年に今のクレイジー・ケン・バンドを始めるまでは、いくつかのバンドで活動してきましたが、運送屋で働きながら作曲家として活動した時期もあったそう。また、音楽活動と並行して、横浜の外資系検査会社に8年間も務めていたそうです。
1960年、横浜生まれの横山さん。10代の頃にクールス・ロカビリー・クラブというグループのメンバーと知り合い、17才で東京に出て来ると、彼らのお店の近くに住むようになったそうです。
「ちょうどアパートと学校の間にその店があったんで、通る度に、おい!とかって呼ばれてですね、タバコ買ってこいとか牛乳買ってこいとか、そういうこと言われて。いわゆるパシリですね。やってるうちにだんだん馴染んで、グレーな存在の関係者みたいな感じ(笑)。お客さんのようなスタッフのような」
クールスと言えば、初期には岩城滉一さんや舘ひろしさんが在籍し、キャロルの解散コンサートで親衛隊を務めたこともあるグループ。やがてクールスのツアーに誘われた横山さんは、高校を休学し、スタッフとしてツアーに参加したんだとか。
音楽が好きで、小学生の頃から作曲をしていたという横山さんですが、元々は裏方指向だったようです。「ミュージックビジネスには興味あったんですけど、表に出るのは恥ずかしいというか、どっちかって言えば、作曲をしたり、目立たないポジションで…。でも、音楽的には重要なポジションをやりたいなと思ってはいたんですけど」
「筒美京平さんのようなヒットメイカーなんかになれたら最高だな、みたいな。スターだったらきっといろんなところに遊びにも行けないだろうとか、デートもできないだろうとか。で、作曲家の人だったら顔分からないから。しかも印税入るし(笑)」
そんなわけで、スタッフやマネージャー、ファンクラブの責任者といった形でクールスに関わった横山さんですが、最終的にはグループのリード・シンガーとして抜擢されたんだとか。実はちょうどその頃、曲の売り込み用のデモテープが認められて、ソロでデビューしないかという話もあったそうですが、横山さんはバンドを経験してみたいということでクールスを選んだそうです。
そして3年間、クールスのメンバーとして活動した横山さん。その後、97年に今のクレイジー・ケン・バンドを始めるまでは、いくつかのバンドで活動してきましたが、運送屋で働きながら作曲家として活動した時期もあったそう。また、音楽活動と並行して、横浜の外資系検査会社に8年間も務めていたそうです。
「会社入ったばっかりの頃は、音楽は道楽になりつつあったんですけど、その道楽であるはずの音楽も非常にお金のかかる音楽を求めていたんで。ホーンセクションを入れたりとか」「よし、じゃあ、自分が自分のパトロンになろうと。そのように考えて、メンバーみんな働こう!ってことですね。みんな仕事を持ちながら…」
横山さんは、自分がやりたくない、売れ線の音楽をやっている時は「これは当たるわけがない」と感じていたそうで、結果もやはり芳しくなかったそう。「それで、まず好きなことをやって、やってからちょっとずつ絞っていこうかな、みたいなイメージだったですね」とおっしゃっていました。
「諦めようと思っても曲がまた…パチンコなんかと一緒で、もうダメかと思ったら後3個ぐらいでフィーバー入っちゃうみたいな感じで。やめようと思ってもまた入っちゃう、みたいな。あと、仕事が来ちゃうとか。結構いいイベントに呼ばれたりとか」
来週も引き続き、横山剣さんをお迎えします。お楽しみに!