村崎太郎さんが日光猿軍団を引き継いだ経緯を語る!(2015/09/26 放送)
先週に引き続き、今週も猿まわし師の村崎太郎さんをお迎えしました。
村崎太郎・次郎として“反省のポーズ”で大成功を収め、海外でも高い評価を得た村崎さんは、帰国後に常設劇場をオープンしますが、残念ながら失敗してしまいます。劇場を始めた時は「怖いものは一切なかった」そうですが、一度休んでしまうと、反対に「何をやっても上手く行かない…」という状態になってしまったんだとか。
しかし、そんな中、思わぬチャンスが…それはあの『日光猿軍団』が解散するというニュースでした。「おやめになる、ってことは、誰か引き継ぐ人がいるのかいないのか、まず電話してみよう、って。そしたら、電話も出ないんですよ(笑)。なぜ貴方の電話を受けなきゃいけないんだ、みたいな。まず最初は間に人を通してですけど」
猿軍団の校長だった間中さんは、同業のライバルである村崎さんの話をなかなか聞いてくれなかったそうですが、村崎さんは頼み込んでなんとか会ってもらったそう。「将来、私がこれ(日光猿軍団)を引き継ぐとは誰も思わないだろう。だけど、それをやらない限り、自分の芸能生活は元に戻らないんじゃないか?自分自身は復活しないんじゃないか?」と、その時の崖っぷちの心境を語ってくれた村崎さんでした。
村崎太郎・次郎として“反省のポーズ”で大成功を収め、海外でも高い評価を得た村崎さんは、帰国後に常設劇場をオープンしますが、残念ながら失敗してしまいます。劇場を始めた時は「怖いものは一切なかった」そうですが、一度休んでしまうと、反対に「何をやっても上手く行かない…」という状態になってしまったんだとか。
しかし、そんな中、思わぬチャンスが…それはあの『日光猿軍団』が解散するというニュースでした。「おやめになる、ってことは、誰か引き継ぐ人がいるのかいないのか、まず電話してみよう、って。そしたら、電話も出ないんですよ(笑)。なぜ貴方の電話を受けなきゃいけないんだ、みたいな。まず最初は間に人を通してですけど」
猿軍団の校長だった間中さんは、同業のライバルである村崎さんの話をなかなか聞いてくれなかったそうですが、村崎さんは頼み込んでなんとか会ってもらったそう。「将来、私がこれ(日光猿軍団)を引き継ぐとは誰も思わないだろう。だけど、それをやらない限り、自分の芸能生活は元に戻らないんじゃないか?自分自身は復活しないんじゃないか?」と、その時の崖っぷちの心境を語ってくれた村崎さんでした。
また、村崎さんはこんなこともおっしゃっていました。「私が父と共にこの猿回しの芸を復活させたんですけど、この芸はもしかするとこのままなくなって、滅んでいってしまうんじゃないかな、と」「私は個人芸として相当、芸を積んできて、そのエキスをまた集団芸に注ぎ込んだら、もしかしてむっちゃくちゃ面白いのできるんじゃないの?って」
猿軍団を継ぎたいという村崎さんに対して、間中 前校長は釣れない返事だったようですが、村崎さんはそれから何十回も日光に通ったそうです。そして、最終的には「太郎次郎の名前を捨てて猿軍団に専念すること」という条件を飲んで、猿軍団を受け継ぐことを認めてもらったんだとか。「(太郎次郎の名前を捨てると)即答できなかったらあの時、話は終わってましたね」
ただ、これで本当に太郎・次郎がなくなったのかと言えば、そういうわけではないようです。「だって、太郎次郎は今までやってきたわけであって、名前が消せるわけでもないし、嘘つく気持ちもなくて、私も。でも、太郎次郎は太郎次郎でやればいいんじゃないの?わかったよ、って間中校長が言ってくれたので。またこの人も大っきな人だなぁと思いましたね。(太郎次郎の名前を捨てろと言ったのは)日光猿軍団を継ぐならばそこまでの覚悟で来い!…ってことだと私は思ってますけど」
そして、今年の4月に新生・日光さる軍団をオープンした村崎さん。これまでに太郎・次郎として1対1でやっていた“厳格な”芸と、さる軍団の芸との違いについても話してくれました。
「1匹だったらいいんですけども、2匹、3匹、4匹、5匹、10頭並んでくるとね、こちらの猿は完璧にやってるけど、後の5頭は向こうでうろうろしてバナナ食ってる…これじゃもう芸にならないなぁと思って最初は大変でしたね。許せなかったですね」
「真面目に対応しようとする猿と、根っからサボりたがるタイプのヤツっているんですよ。初めっからズルしたがってる猿をもう1回躾直すっていうのは無駄な努力なんですよ。っていうことは個性の違いで、ズルいところを上手い具合に生かしていく…」
「初めてお客さんの前で披露して今4ヶ月ですけども、お客様が厳格なことを求めていないことがわかった。言うこと聞いてない猿をめっちゃくちゃ笑うんですよね。受けるんです(笑)」
村崎さんに「今楽しいですか?」と訊ねると、こんな答えが返ってきました。「どう答えていいんだろう…もの凄く浮かんでくるんですよね。だから反対に苦しいですね。苦しいっていうのは、いろんなことが浮かんで来ちゃって、拡散しちゃって、アイデアも…結局、自分の首しめてるような感じでそれが楽しい(笑)。なんかやりたいことがいっぱい出てくるって楽しいですよね」
例えば、2020年の東京オリンピックに向けてのアイデアもたくさんあるようです。「いわゆるスポーツというものは全部、猿軍団がですねぇ、バスケットから何から野球から水泳から競技は日本に来たらやってるし!…みたいな。それはもうぜひやって、いろんなことをエンターテインメントとして、この日本にしかない猿芸、猿回し芸を発信してですね…」
さらに、村崎さんには再び海外に出て行くという野望もあるようで、現役の間にラスベガスのホテルに猿専門の劇場を作るのが目標だとおっしゃっていました。
番組では、そんな村崎太郎さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらの色紙を1名様にプレゼントします。このホームページ右のメッセージフォームから「村崎太郎さんの色紙希望」と書いてご応募ください!