氷川きよしさんが自分で作詞した曲に込めた思いとは?(2020/07/04 放送)
先週に引き続き、今週も氷川きよしさんにリモート収録でお話を伺いました。
今年でデビューから満20年を迎えた氷川さんは、6月9日に初のポップスアルバム『Papillon(パピヨン)-ボヘミアン・ラプソディ-』をリリース。プライベートでも親交があるという上田正樹さんが作曲した曲「Never give up」では、ご自身が作詞にもチャレンジしています。
「上田さんと言ったらR&Bの帝王だっていうふうに思って。で、自分も今回アルバムを出させてもらうんで、正樹さんに曲を、R&Bでお願いできますか?って話をして。そしたらメロディーを携帯で送ってくださったんです」
「で、詞はなかったんで、詞はどうしましょうか?って話をしたら、氷川くんが書いたら?って言われて。どうしよう…と思ったんですけど、ルールはないからなんでもいいんだよって。自分の思いを、素直にまっすぐに書いてみたら?って言われました」
実は、氷川さんが作詞した曲が世に出るのは、この「Never give up」が初めてなんだとか。
「初めてですね。売りものは。売りものじゃないのでいっぱい書いてるのはあります。ポップス系のやつ」
「18ぐらいの時から、いろいろ考えて悩んだりとかしてたから詩をいっぱい書いてるんですけど…ポエムを」「書くことによって安心するっていうか、気持ちを落ちつかせられる」
「覚えてるのは『18(じゅうはち)』ってやつ。生きるってなんだろう?みたいな。上京したばかりの時。アルバイトして、この先どうなるんだろうぁってことを書いてるんです」
22歳だった2000年にシングル「箱根八里の半次郎」でデビューした氷川さん。デビュー当時のことをこう振り返ってくれました。
「嬉しいんですけど、デビュー曲は『箱根八里の半次郎』って来た時に、かなりパンチ効いてるなと思って…。一生懸命歌ってますよね」
「ギャップっていうか、演歌を歌えそうにない22の子が、ああいうコテコテの演歌で、コブシを回して三度笠と合羽っていうのが物珍しかったんでしょうね」
「当時、若手男性演歌歌手っていうのが周りにいなかったので、一人でいろいろ探りながら。衣装にしてもスリムなスーツを着たり、髪型だってボブヘアーみたいにしたり。ありのままでいいんだよ、ってうちの会社の社長から言われてたんで、バランスを取りながらやってきたんですけど」
そして、氷川さんは自分で歌詞を書いた曲「Never give up」に込めた思いを改めてこう語ってくれました。
「小さい時からいろいろ自分にコンプレックスがあって。それでもやっぱり親を悲しませたくないとか、諦めないっていう思いはどこかあって」
今年でデビューから満20年を迎えた氷川さんは、6月9日に初のポップスアルバム『Papillon(パピヨン)-ボヘミアン・ラプソディ-』をリリース。プライベートでも親交があるという上田正樹さんが作曲した曲「Never give up」では、ご自身が作詞にもチャレンジしています。
「上田さんと言ったらR&Bの帝王だっていうふうに思って。で、自分も今回アルバムを出させてもらうんで、正樹さんに曲を、R&Bでお願いできますか?って話をして。そしたらメロディーを携帯で送ってくださったんです」
「で、詞はなかったんで、詞はどうしましょうか?って話をしたら、氷川くんが書いたら?って言われて。どうしよう…と思ったんですけど、ルールはないからなんでもいいんだよって。自分の思いを、素直にまっすぐに書いてみたら?って言われました」
実は、氷川さんが作詞した曲が世に出るのは、この「Never give up」が初めてなんだとか。
「初めてですね。売りものは。売りものじゃないのでいっぱい書いてるのはあります。ポップス系のやつ」
「18ぐらいの時から、いろいろ考えて悩んだりとかしてたから詩をいっぱい書いてるんですけど…ポエムを」「書くことによって安心するっていうか、気持ちを落ちつかせられる」
「覚えてるのは『18(じゅうはち)』ってやつ。生きるってなんだろう?みたいな。上京したばかりの時。アルバイトして、この先どうなるんだろうぁってことを書いてるんです」
22歳だった2000年にシングル「箱根八里の半次郎」でデビューした氷川さん。デビュー当時のことをこう振り返ってくれました。
「嬉しいんですけど、デビュー曲は『箱根八里の半次郎』って来た時に、かなりパンチ効いてるなと思って…。一生懸命歌ってますよね」
「ギャップっていうか、演歌を歌えそうにない22の子が、ああいうコテコテの演歌で、コブシを回して三度笠と合羽っていうのが物珍しかったんでしょうね」
「当時、若手男性演歌歌手っていうのが周りにいなかったので、一人でいろいろ探りながら。衣装にしてもスリムなスーツを着たり、髪型だってボブヘアーみたいにしたり。ありのままでいいんだよ、ってうちの会社の社長から言われてたんで、バランスを取りながらやってきたんですけど」
そして、氷川さんは自分で歌詞を書いた曲「Never give up」に込めた思いを改めてこう語ってくれました。
「小さい時からいろいろ自分にコンプレックスがあって。それでもやっぱり親を悲しませたくないとか、諦めないっていう思いはどこかあって」
「あんまり友達もいるタイプじゃなかったんですよ。周りと合わないっていうか。でも、諦めない気持ちがずうっと続いてきたから、やめないで歌ってこれたのかなって。どっかで諦めてもう無理って思ったら、やめちゃうじゃないですか」
「諦めない(Never give up)という言葉をタイトルにして、そこから自分の素直な思いを…自分は歌があったから自分っていうのを表現できるようになった」
「子供の時、喋りもあまり得意じゃなかったんで…吃音がひどくて。そういうコンプレックスがあったから、歌で克服しようとか。人前に出るのも凄く苦手だったから克服しようっていう思いをずっと積み重ねてきて。で、そんな思いが、このNever give upの歌詞になりました」
氷川さんはそんな「Never give up」の歌詞を完成させるまでに1年ぐらいかかったそうです。
「たった1曲なんですけど(笑)何回も直して…」
「1つの作品を作るのにこんなに大変な思いをして作るんだって。アーティストの方々はやっぱり凄いなと思いました。みなさん言葉のチョイスとかもセンスあるし。で、ちゃんと時代っていうのも読んでるし。やっぱり職人なんだなと思いますよね」
「また(作詞を)やってみたいですね。それを繰り返していく中で、またどんどん良くなっていくと思うので。機会があれば挑戦したいなと」
料理やファッション、インテリアなどが登場するインスタグラムも話題の氷川さん。「私生活がわからない」といった声に答えて、去年の11月から「思いっきり自分をブワアッって出してやろうかな」という気持ちで始めたそうです。
「写真を1日3回更新する時もあるんですけど。20年間溜まったものをそこで爆発させて…自分はこういう人なんですけど!みたいな」
そして、氷川さんは大好きだという料理について楽しそうに話してくれました。
「肉じゃが が美味しかったんですよ。それでジャガイモを箱で頼んだんですよ。それで電子圧力鍋っていうのを買いまして。これが便利なんですよ。凄く美味しく出来るんですね」
「それでね、恵さん。ジャガイモを頼みすぎて、だんだん芽が出てきて。これはマズイと思って土に植えたんですよ。そしたら、今度はどんどん芽が伸びて、いっぱい実がついて、ジャガイモにジャガイモが…。ちょっと小ぶりなんですけど、それを土から取って火を通したら、すっごいねっとりして味が濃い自家製ジャガイモが出来たんですよ。楽し〜!と思って」
また、氷川さんはSNSについてこんなこともおっしゃっていました。
「反響は、楽しそう!とか、自分らしく生きてる姿が凄く好き!って言ってくれる人もいるし。みなさんそれぞれ、自分に対して見方が違うからあれなんですけど、やっぱり自分に嘘つかないで、自分に素直に好きなものは好き!っていう生き方をこれからもしていけたらいいなって。全部が全部は難しいですけど、楽しみながら生きれたらいいなぁって思いますね」
今後の挑戦について、作詞だけではなく「曲も作ってみたいなと思います」とおっしゃっていた氷川さん。また、初のポップスアルバム『Papillon(パピヨン)-ボヘミアン・ラプソディ-』などの制作を経て、演歌の良さにも改めて気づいたそうです。
「ずうっとポップスを歌ってポップスの制作をしてたから、演歌を聞くとやっぱり演歌はいいな、ホッとするなぁって。気取らなくていいなぁっていうふうに思いますし。お互いの良さがわかるんですよ」
「去年の『限界突破×サバイバー』で氷川きよしのことを好きになったけど、ショーで演歌も聞いたらいろんな世界があって面白かったから演歌も好きになった、って言ってくれると、なんか凄く広がって…。そういうふうにいろんな世代の人に広げていかないといけないので、ここから演歌も聞いてもらいたいなぁ、っていうふうに思ってます」
最後に氷川さんはご自身にとっての挑戦についてこう話してくれました。
「挑戦とは、過去の自分を超えることですね」「成長するってことですよね。なかなか自分も反省することばっかりですけど…」「(過去の自分を)超えてますね。少しずつですかね」
番組では、そんな氷川さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらを1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームから「氷川きよしさんの色紙希望」と書いてご応募ください!