マルシアさんのチャレンジを支えた祖父の一言とは?(2019/11/02 放送)
今週はマルシアさんをお迎えしました。
平成元年に歌手デビューし、今年で30周年を迎えたマルシアさん。9月11日にはミニアルバム『真夜中のささやき』をリリースしましたが、このミニアルバムには、元THE BOOMの宮沢和史さんが作曲、東京スカパラダイスオーケストラの谷中敦さんが作詞を手がけた新曲「ALEGRIA (アレグリア)」も収録されています。
「宮沢さんに頼んだ時は、ブラジルの風をちょっと感じるサウンドとかメロディーをお願いしたいなと。でもやっぱり、わかりやすく私が歌えそうな歌謡曲のニュアンスも入っていると嬉しいなぁ…とか」「パッとやってきた時に、うわ!もうこれしかない!と思って。もう想像通り」
「で、谷中さんの歌詞の中には、マルシアの生きる哲学も入ってて。本気で楽しむと奇跡が起きる…そうやって私も30年やってきた気持ちでいるので。本気であれば前進できるし、本気であれば何か起きるという、そういうメッセージをね。この曲を聞いた方々にとにかく元気になって欲しい」
今回のミニアルバム『真夜中のささやき』は、マルシアさんがご自身でプロデュースを手がけています。
「今回わたくし、このアルバムをぜんぶ自分でセルフプロデュースしまして。で、今まで通りのマルシアの歌い方をあえてしなくて…」「ささやく感じでソフトに歌おうとか、そういうチャレンジもさせていただいて。ちょっと今までやったことのないこともたくさんやりましたね」
「あのね、ブラジルの方はとにかく音楽が好き。もちろん日本の方も好きですけど…(ブラジル人は)何をしても音楽を流してる。必ず流れてるね。どこに行っても。これは不思議な…で、よく考えると私もやってるんだな。お掃除してる時も料理作ってる時も必ず流してるから。娘もそうなのよ(笑)」
ちなみに、「ALEGRIA (アレグリア)」を作曲した元THE BOOMの宮沢和史さんとは10年来の友人で、知り合ったきっかけはマルシアさんが歌手活動を休んでいる時に宮沢さんプロデュースのイベントに誘われたことだったとか。
「世界の移民が集まるイベントがあるんですよね。沖縄で。5年に1回。NIPPONIAといいます。そこに(出演して欲しいと)彼から友達を通して連絡が入ってきて。で、私は今歌ってないって言ったんですけども、しつこかったんですよ。5回ぐらい連絡が来て。これって必然としか思えない。今思うと」
「もう歌わないので…ってずっと言ってたんだけど、俺に会いに来いっておっしゃってて。俺に会いに来い?わかりました、じゃあ…国際フォーラムに行って、直接会って。それでDVD、CD渡されて、これ聞いてダメだったら諦めるって言われて。それでCD、DVDを聞いて私の心のスイッチが入った。もう1回歌ってみようかなと思って、そのイベントに参加させて頂いて、そこで復帰した」
「だから、宮沢さんは私の恩人です。彼がいなければ今の私はない」「あの時のことは鮮明に覚えてるし、ホントに感謝してる。あの時、彼が手を差し伸べてなかったら今の私はなかった」
「で、そのイベントが終わった頃に、MIYA(宮沢さん)さ、いつか新曲を出す時が来たら書いてくれる?って言ったら、彼は“もちろん”と」
また、「ALEGRIA (アレグリア)」の歌詞を書いた谷中敦さんについてはこうおっしゃっていました。
「スカパラの谷中さんとは3年前にリオのオリンピックに行って、ご一緒させて頂いて。とても話が合う…で、谷中さん、いつか新曲を出す機会があったら書いて頂けますか?って言ったら、“もちろん”と。この2人の“もちろん”が今回に繋がったんです」
マルシアさんは、1969年ブラジル・サンパウロ州生まれの日系三世。子供の頃から日本の歌が好きだったそうです。
「私たち日系人というのはホントに日本の歌が好きで。母の歌声がよく…日本の歌、美空ひばりさんの曲とか。で、カラオケっていうものが入りだしてから、カラオケ大会が毎月のように行われて。で、その度に歌っていたら、なんとなく優勝したりして」
「ただね、ホントに趣味なんです。日本で歌手になるっていう夢、チャレンジ精神はそこまで行かなかったですね。なんでかって言うと、あまりにも遠い国なんです」
「ときたま大きな大会があるわけ。で、優勝すると日本に行けるチケットが手に入る。で、歌謡選手権ブラジル大会に出た時に、実はピンチヒッターで出たんです。私の町の代表として。出たら出たで準優勝しちゃったんです。え?ってなって。準優勝かい!みたいな」
「準優勝ってギリギリじゃん。冗談じゃない!ってなったわけ。私の炎がブワァって咲いちゃって。優勝してみたい、日本に行ってみたいっていうチャレンジが生まれたわけ」
「で、翌年の外国人歌謡大賞っていうのがあって、そこの審査委員長に(作曲家の)猪俣公章先生がいて。で、歌いましたら優勝しちゃったんです。よしチケット手に入った。で、ブラジル代表で日本に来て、テレビ東京さんの番組なんですけど、そこで歌いまして。で、これで夢を叶えたという気持ちでブラジルに帰った」
実は、建築士になりたかったというマルシアさん。飛び級して17才で大学にも入っていたそうですが、歌謡大賞の後、ブラジルまでスカウトに来た猪俣公章さんに「歌手になりたいか?」と聞かれた時に「はい。行きます!」と即決したんだとか。
平成元年に歌手デビューし、今年で30周年を迎えたマルシアさん。9月11日にはミニアルバム『真夜中のささやき』をリリースしましたが、このミニアルバムには、元THE BOOMの宮沢和史さんが作曲、東京スカパラダイスオーケストラの谷中敦さんが作詞を手がけた新曲「ALEGRIA (アレグリア)」も収録されています。
「宮沢さんに頼んだ時は、ブラジルの風をちょっと感じるサウンドとかメロディーをお願いしたいなと。でもやっぱり、わかりやすく私が歌えそうな歌謡曲のニュアンスも入っていると嬉しいなぁ…とか」「パッとやってきた時に、うわ!もうこれしかない!と思って。もう想像通り」
「で、谷中さんの歌詞の中には、マルシアの生きる哲学も入ってて。本気で楽しむと奇跡が起きる…そうやって私も30年やってきた気持ちでいるので。本気であれば前進できるし、本気であれば何か起きるという、そういうメッセージをね。この曲を聞いた方々にとにかく元気になって欲しい」
今回のミニアルバム『真夜中のささやき』は、マルシアさんがご自身でプロデュースを手がけています。
「今回わたくし、このアルバムをぜんぶ自分でセルフプロデュースしまして。で、今まで通りのマルシアの歌い方をあえてしなくて…」「ささやく感じでソフトに歌おうとか、そういうチャレンジもさせていただいて。ちょっと今までやったことのないこともたくさんやりましたね」
「あのね、ブラジルの方はとにかく音楽が好き。もちろん日本の方も好きですけど…(ブラジル人は)何をしても音楽を流してる。必ず流れてるね。どこに行っても。これは不思議な…で、よく考えると私もやってるんだな。お掃除してる時も料理作ってる時も必ず流してるから。娘もそうなのよ(笑)」
ちなみに、「ALEGRIA (アレグリア)」を作曲した元THE BOOMの宮沢和史さんとは10年来の友人で、知り合ったきっかけはマルシアさんが歌手活動を休んでいる時に宮沢さんプロデュースのイベントに誘われたことだったとか。
「世界の移民が集まるイベントがあるんですよね。沖縄で。5年に1回。NIPPONIAといいます。そこに(出演して欲しいと)彼から友達を通して連絡が入ってきて。で、私は今歌ってないって言ったんですけども、しつこかったんですよ。5回ぐらい連絡が来て。これって必然としか思えない。今思うと」
「もう歌わないので…ってずっと言ってたんだけど、俺に会いに来いっておっしゃってて。俺に会いに来い?わかりました、じゃあ…国際フォーラムに行って、直接会って。それでDVD、CD渡されて、これ聞いてダメだったら諦めるって言われて。それでCD、DVDを聞いて私の心のスイッチが入った。もう1回歌ってみようかなと思って、そのイベントに参加させて頂いて、そこで復帰した」
「だから、宮沢さんは私の恩人です。彼がいなければ今の私はない」「あの時のことは鮮明に覚えてるし、ホントに感謝してる。あの時、彼が手を差し伸べてなかったら今の私はなかった」
「で、そのイベントが終わった頃に、MIYA(宮沢さん)さ、いつか新曲を出す時が来たら書いてくれる?って言ったら、彼は“もちろん”と」
また、「ALEGRIA (アレグリア)」の歌詞を書いた谷中敦さんについてはこうおっしゃっていました。
「スカパラの谷中さんとは3年前にリオのオリンピックに行って、ご一緒させて頂いて。とても話が合う…で、谷中さん、いつか新曲を出す機会があったら書いて頂けますか?って言ったら、“もちろん”と。この2人の“もちろん”が今回に繋がったんです」
マルシアさんは、1969年ブラジル・サンパウロ州生まれの日系三世。子供の頃から日本の歌が好きだったそうです。
「私たち日系人というのはホントに日本の歌が好きで。母の歌声がよく…日本の歌、美空ひばりさんの曲とか。で、カラオケっていうものが入りだしてから、カラオケ大会が毎月のように行われて。で、その度に歌っていたら、なんとなく優勝したりして」
「ただね、ホントに趣味なんです。日本で歌手になるっていう夢、チャレンジ精神はそこまで行かなかったですね。なんでかって言うと、あまりにも遠い国なんです」
「ときたま大きな大会があるわけ。で、優勝すると日本に行けるチケットが手に入る。で、歌謡選手権ブラジル大会に出た時に、実はピンチヒッターで出たんです。私の町の代表として。出たら出たで準優勝しちゃったんです。え?ってなって。準優勝かい!みたいな」
「準優勝ってギリギリじゃん。冗談じゃない!ってなったわけ。私の炎がブワァって咲いちゃって。優勝してみたい、日本に行ってみたいっていうチャレンジが生まれたわけ」
「で、翌年の外国人歌謡大賞っていうのがあって、そこの審査委員長に(作曲家の)猪俣公章先生がいて。で、歌いましたら優勝しちゃったんです。よしチケット手に入った。で、ブラジル代表で日本に来て、テレビ東京さんの番組なんですけど、そこで歌いまして。で、これで夢を叶えたという気持ちでブラジルに帰った」
実は、建築士になりたかったというマルシアさん。飛び級して17才で大学にも入っていたそうですが、歌謡大賞の後、ブラジルまでスカウトに来た猪俣公章さんに「歌手になりたいか?」と聞かれた時に「はい。行きます!」と即決したんだとか。
「自分で掴まないともう2度と来ないチャンスっていうのは本能的にわかるじゃないですか。そういうのを感じたんでしょうね。だからとりあえず建築は置いといて、私は1回日本に行ってみようって」
「でも、親とかみんな反対だし…お祖父ちゃんなんて大反対。祖父は時に、日本からブラジルに行って、知らない国で戦うっていうのはどういうことだってよく知ってる人だからこそ」
「ま、それもわかるんですけど、私は親に言った。おじいちゃんにも。これは私の人生。私がみなさんのおっしゃってることを、はい、わかりました、そうしますって言って行かなかったら、私後悔すると思う。だったら行って後悔したいと言って説得した」
「おじいちゃんはね、空港で最後の一言。“成功するまで絶対に帰ってくるな”って言われて。その時17才だから意味がわからなかった。どうしてそんなにキツイことを言うんだろう?応援しないのかって」「でも、おじいちゃんの一言が今でも私を支えてる。だから30年もやってこれた」