久住 有生さんが左官職人の仕事を語る(2019/03/09 放送)
先週に引き続き、今週も左官職人の久住 有生(くすみ・なおき)さんをお迎えしました。
兵庫県の淡路島でお祖父さまの代から続く左官職人の家に生まれ育った久住さん。ケーキ職人になるという夢を持ちつつもお父様に説得されて左官職人になることを決意しますが、時代的にはちょうど左官の仕事が減ってきた時期だったそうです。
「父の世代の職人さんたちは戦後生まれの方で仕事の量が凄くあったんです。まず家を建てるっていったら、ほとんどの壁は左官だったわけなんですね。漆喰とかセメントとか、ビル建ててもそうだったんですよ。でも、今は違うものがたくさん出てきたので。」
「僕が始めた頃には、左官の仕上げ自体がひょっとしたら一番減ってたのかもわからないです。やるからには父のような名人になりたいし、父を超えたいっていう思いがあったんで…でもこのまま普通に毎日8時間やってたんではとてもじゃないけど追いつけない。」
そこで久住さんはまず量を増やして修行をしたそうです。
「みんなが8時間だったら僕は最低16時間塗れば、10年で20年分やれる。若いから体力があるからもっと速く塗れる。寝る間も惜しんで、ご飯食べる時間とかお風呂入る時間とか全部短くして左官のことを一生懸命やれば、10年で50年分ぐらいやれるんじゃないかって。そう思って、ひたすらそういう修行をホントに血を吐くような思いで若い時はずっとやってましたね。」
「例えば、同じ金額で1枚の壁を塗るとするじゃないですか。同じお金でいいんで何回も塗らせてほしいとか(笑)。もっと安い金額でいいんで面積をたくさん塗らせてほしいとか。ずっとそれの繰り返しですよね。」
「下手したらお客さんが『いや、これでもう十分やから』っていう時も…」「めんどくさい職人ですよね(笑)」
左官職人の精神性のようなものは久住さんがお父様から学んだことだそうです。
「納得するまでとことんやらないといけない、って言葉では聞いたことはないですけど、朝から晩までひたすら小さなところをやり続けてるのに、帰る時にバサッと全部落として帰るんですよ。『え、なんで?』って子供ながらに思ったけど、『いや、あんまり良ぉかったから』みたいなのが結構あるんですよ。」
また、久住さんは技術的なことに関してはこうおっしゃっていました。
「もちろん僕が2年間お世話になった親方がいたりとか、わからない時に習いに行く親方がいたんですけども、ほとんどは自分で…22才で独立したんで、自分の現場をやりながら覚えたことが多いですね。」
ちなみに、久住さんが22才で独立した時、お父様は特に何も言わなかったとか。
「父親は別に一緒にやりたいわけではないので。一緒にやると良い職人にならないと思ってたと思います。」
独立した久住さんが最初に左官職人としての手応えを感じるようになったのは、26〜7才ぐらいの時だったそうです。
「(父を)抜いたか?っていうのは、ちょっと得意不得意があるのでよくわからないんですけど。(阪神淡路)震災以降、京都に出て数寄屋仕事をいろいろ勉強するんですけど、その時にいろいろ綺麗な仕事をさせてもらって。」
「で、20代っていったら職人としては全然…職人と言っていいのか?ぐらいのことなんです、ホントはね。でも、そういう一番いいところで一番いい壁さわらせてもらったりして、その時にけっこう一生懸命やってきたし、けっこうできるようになったなって。父親にも近づいたんじゃないかなって。技術だけですけどね。」
「でも、それ(技術)だけじゃないんでね。いいものってそこから先なんで。まず技術とか知識は当たり前なんですよ。そこでとことん突き詰めて、そこから良いものにするのはやっぱり思いが入ったりとか…。」
「(数寄屋仕事は)お茶室とかですね。京都のああいうお茶をやるお茶室とか、お寺の壁とか。やっぱりやってみたかったですね。田舎にはそこまで良いものはないんで。お茶室仕事っていうと、僕が思うに左官仕事では最高峰で、ホントにキリがないというか終わりがないんですよ。」
現在は46才で、企画やデザインの提案なども行っているという久住さん。27才の頃にはある建築家の方に「お前のやってる壁は綺麗すぎる」と言われたことがあったとか。
兵庫県の淡路島でお祖父さまの代から続く左官職人の家に生まれ育った久住さん。ケーキ職人になるという夢を持ちつつもお父様に説得されて左官職人になることを決意しますが、時代的にはちょうど左官の仕事が減ってきた時期だったそうです。
「父の世代の職人さんたちは戦後生まれの方で仕事の量が凄くあったんです。まず家を建てるっていったら、ほとんどの壁は左官だったわけなんですね。漆喰とかセメントとか、ビル建ててもそうだったんですよ。でも、今は違うものがたくさん出てきたので。」
「僕が始めた頃には、左官の仕上げ自体がひょっとしたら一番減ってたのかもわからないです。やるからには父のような名人になりたいし、父を超えたいっていう思いがあったんで…でもこのまま普通に毎日8時間やってたんではとてもじゃないけど追いつけない。」
そこで久住さんはまず量を増やして修行をしたそうです。
「みんなが8時間だったら僕は最低16時間塗れば、10年で20年分やれる。若いから体力があるからもっと速く塗れる。寝る間も惜しんで、ご飯食べる時間とかお風呂入る時間とか全部短くして左官のことを一生懸命やれば、10年で50年分ぐらいやれるんじゃないかって。そう思って、ひたすらそういう修行をホントに血を吐くような思いで若い時はずっとやってましたね。」
「例えば、同じ金額で1枚の壁を塗るとするじゃないですか。同じお金でいいんで何回も塗らせてほしいとか(笑)。もっと安い金額でいいんで面積をたくさん塗らせてほしいとか。ずっとそれの繰り返しですよね。」
「下手したらお客さんが『いや、これでもう十分やから』っていう時も…」「めんどくさい職人ですよね(笑)」
左官職人の精神性のようなものは久住さんがお父様から学んだことだそうです。
「納得するまでとことんやらないといけない、って言葉では聞いたことはないですけど、朝から晩までひたすら小さなところをやり続けてるのに、帰る時にバサッと全部落として帰るんですよ。『え、なんで?』って子供ながらに思ったけど、『いや、あんまり良ぉかったから』みたいなのが結構あるんですよ。」
また、久住さんは技術的なことに関してはこうおっしゃっていました。
「もちろん僕が2年間お世話になった親方がいたりとか、わからない時に習いに行く親方がいたんですけども、ほとんどは自分で…22才で独立したんで、自分の現場をやりながら覚えたことが多いですね。」
ちなみに、久住さんが22才で独立した時、お父様は特に何も言わなかったとか。
「父親は別に一緒にやりたいわけではないので。一緒にやると良い職人にならないと思ってたと思います。」
独立した久住さんが最初に左官職人としての手応えを感じるようになったのは、26〜7才ぐらいの時だったそうです。
「(父を)抜いたか?っていうのは、ちょっと得意不得意があるのでよくわからないんですけど。(阪神淡路)震災以降、京都に出て数寄屋仕事をいろいろ勉強するんですけど、その時にいろいろ綺麗な仕事をさせてもらって。」
「で、20代っていったら職人としては全然…職人と言っていいのか?ぐらいのことなんです、ホントはね。でも、そういう一番いいところで一番いい壁さわらせてもらったりして、その時にけっこう一生懸命やってきたし、けっこうできるようになったなって。父親にも近づいたんじゃないかなって。技術だけですけどね。」
「でも、それ(技術)だけじゃないんでね。いいものってそこから先なんで。まず技術とか知識は当たり前なんですよ。そこでとことん突き詰めて、そこから良いものにするのはやっぱり思いが入ったりとか…。」
「(数寄屋仕事は)お茶室とかですね。京都のああいうお茶をやるお茶室とか、お寺の壁とか。やっぱりやってみたかったですね。田舎にはそこまで良いものはないんで。お茶室仕事っていうと、僕が思うに左官仕事では最高峰で、ホントにキリがないというか終わりがないんですよ。」
現在は46才で、企画やデザインの提案なども行っているという久住さん。27才の頃にはある建築家の方に「お前のやってる壁は綺麗すぎる」と言われたことがあったとか。
「それが凄いショックで。最初はわからなかったんですね。『綺麗だからいいじゃないですか。これより綺麗な壁を塗れる人がいるんですか?』ぐらいに思ってたんです。とことんやったし。」
「でも、そうじゃなかった。最初わからなかったけど『でも僕は壁しか見てなかったんだな』ってその時気づいたんですよ。やっぱり建築の中の一部の壁で、建築も自然の中の一部じゃないですか。で、衣食住があって人が使って…っていう。全然そこまで気が回ってなくって。」
海外のいろいろなところで現地のものを使って作品を作ってみたい、といったこともおっしゃっていた久住さん。最後にご自身にとっての挑戦について伺うとこんな答えが返ってきました。
「今ちょうど思ってるのが、風土。ちゃんとそこへ行って、感じて、何かを作りたいっていう意志というか欲というのが凄く強いんで、その風土みたいなものが僕にとっては今からの挑戦なのかなと思ってますけど。」
恵さん「その土地に行って、その土地のものを感じることなのかも知れないですね。」「その中から何かを作り出すことが挑戦なんですね、きっと。」
久住さん「ちゃんと感じて、ちゃんと考えて。で、そこにちゃんと作る。丁寧に作る。」
恵さん「どっからそこにないものを持ってきて作るってことじゃない、挑戦とはそこにあるもので作ることなんですね。」
久住さん「そうです。今までもやってきてますけども、限定されてたので。もうちょっと開いてもいいのかなっていう気はしますね。」
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