まるで巨人の星?左官職人の久住さんが語る父との修行(2019/03/02 放送)
今週は、左官職人の久住 有生(くすみ・なおき)さんをお迎えしました。
兵庫県の淡路島で、建物の壁などを塗る左官職人の家に生まれ育った久住さん。有生と書いて“なおき”さんですが、「元々は直角の直に己で直己(なおき)だったんです」とおっしゃっていました。
「で、25才ぐらいの時、父親に『名前が良くないから変えろ』って言われて。その時は“熊八”っていう名前に変えろって言われたんですけど(笑)、まだ若かったんでちょっとイヤだなと思って。で、せめて呼び方が同じで字だけ変えますって。」
「ちょっと変わった父親なんで(笑)思い込みでころころいろいろ変わっちゃうんですよ。」
そんなお父様の元、久住さんと弟さんは小学校の頃から毎日、鏝(こて)で畳一畳分の土壁を塗って剥がす…といった英才教育を受けていたとか。
兵庫県の淡路島で、建物の壁などを塗る左官職人の家に生まれ育った久住さん。有生と書いて“なおき”さんですが、「元々は直角の直に己で直己(なおき)だったんです」とおっしゃっていました。
「で、25才ぐらいの時、父親に『名前が良くないから変えろ』って言われて。その時は“熊八”っていう名前に変えろって言われたんですけど(笑)、まだ若かったんでちょっとイヤだなと思って。で、せめて呼び方が同じで字だけ変えますって。」
「ちょっと変わった父親なんで(笑)思い込みでころころいろいろ変わっちゃうんですよ。」
そんなお父様の元、久住さんと弟さんは小学校の頃から毎日、鏝(こて)で畳一畳分の土壁を塗って剥がす…といった英才教育を受けていたとか。
「それをしないとご飯を食べさせてもらえなかったんで(笑)」「でもね、継いで欲しいんじゃなくって、父はたぶん自分が凄い楽しかったんですよ。左官の仕事が。今でもそうなんですけど。だから息子の僕たちもきっと楽しいだろうと。継いで欲しいわけじゃなくて、やって欲しかったんです。『いいだろう?』っていう。」
「お土産なんかも父から買ってもらったのってコテだけなんですよね。京都から帰ってきた時に『お前の友達こんなええの持ってへんやろ?』って嬉しそうにコテをいっぱい見せられたんですけど(笑)。小学校の時。全然嬉しくなかったんですけど(笑)」
「夏休みに朝から晩まで毎日毎日ただ砂を振るうだけとか。それも父からしてみれば修行なんです。同じことを毎日するっていう。」
「イヤなことばっかりでしたね、ハッハッハ(笑)。ひたすら親指から血を流しながらやるとか。『巨人の星』みたいな感じですよ。雰囲気的に。」
そうやって子供の頃からお父様と左官の修行をしていた久住さんですが、10代の頃はケーキ職人になりたかったとか。
「早くやりたいことを見つけないと…下手したら中学も行かなくていいって言われたぐらいなんで。すぐにお前、職人になれって。早い方がいいって。」「これはマズイと。中学ぐらいから、何か自分の生きる道を探さないと…と思ってケーキ屋さんにバイトに行ったのがきっかけですね。」
しかし、ケーキ職人になるために専門学校に行かせてほしいと頼んでもお父様は認めてくれなかったそうです。
「お前、学校に行ったらバカになるからダメだって言われて(笑)。よくわからないですよね。ま、たぶん、僕が元々勉強が好きじゃないのに学校に行っても遊ぶだけだろうとか。だったらもっと自分の役に立つことを若いうちからやれ、みたいな感じで。」
ちなみに、久住さんは子供の頃、テストで0点をとって褒められたことがあるとか。
「小学校2年生の時に0点をとって初めて父親から直接お小遣いをもらったんです。『なかなか今の子で0点とる子はおらへんから』って100円くれたんですけど。」
ケーキの専門学校は許可してくれなかったお父様ですが、その代わりに久住さんをヨーロッパ旅行に行かせてくれたそうです。
「学校に行く代わりに凄く少ない金額なんですけどもお金を渡してもらって、ヨーロッパを旅してこいって。で、夏休み1ヶ月半ずっとヨーロッパを一人で。高校3年生の時ですね。」
「その時は今みたいに携帯もないし、いろいろ不安なことはありますけども、凄く嬉しくて。父にここは見たほうがいいよと言われて、スペインのアントニ・ガウディとかケルンの大聖堂とかいろんないいところを見て回って、何も知らない田舎の、淡路島の高校3年生ですから凄い感動して。」
「ガウディなんか見た時はホント震えて…サグラダ・ファミリア。100年前から作ってて、こんなに作ってる途中で人が見て感動して、いや凄い!と。で、知識がないから左官屋が作ったんだと思っちゃったんですよ、その時。全然違うんですけどね。あれ、ほとんど石なんですよ。もちろん左官屋も作ってるんですけど。」
ヨーロッパではいろいろなケーキ屋さんにも行ったという久住さん。サグラダ・ファミリアを見て「左官もいいかな?」と思うようにはなっていたものの、やはりケーキ職人になるという夢は捨てきれなかったそうです。
「卒業するギリギリぐらいの時に、父親に『僕はやっぱりケーキ屋になりたいんだ』って言ったら、父親が『ケーキは食べたらなくなるけど、左官は死んでも残るで』みたいな。ちょっとガウディなんかと例えながら…。」
「18才やったんで『あ、そうか!』って。今思うと、食べるものも全部記憶に残ったり、いろいろ残るんで同じことなんですけど。で、左官屋になろうってその時決めましたね。で、なるからには父親を超えたいって。」
ちなみに、久住さんの家はお祖父様の代からの左官職人。未だにお父様から褒められたことは一度もないそうですが、左官職としてのお父様の偉大さについてこう話してくれました。
「(左官職人に)なろうと思った時の方がわかってなかったかもですね。周りから凄い職人だって言われてるし、左官職人にしては珍しく、その時からいろんな本とかに取り上げられたりしてたんですよ。なんか凄いことしてる人だなとは思ってたんですけど、並んで塗るわけでもなく、父がやったのを全部見たわけでもないから、やればやるほどホントに天才なんだなと思って。凄い努力家だし。」
「僕の方がぜんぜん手先も器用だし、何が綺麗なものなのかは父親から子供の時から教わっているんで、スタートは早いはずなんですけどね。」
来週も引き続き、左官職人の久住有生さんをお迎えします。