上村愛子さんが語るワールドカップの年間総合優勝とオリンピック(2019/02/23 放送)
先週に引き続き、今週も元女子モーグル日本代表の上村愛子さんをお迎えしました。
長野県の白馬村で小学校時代はアルペンスキーに打ち込み、中学2年でモーグルと出会った上村さん。高校3年の時に地元の長野オリンピックで7位に入賞し、決勝が終わったその日の夜に「次のオリンピックでは絶対にメダルを目指すぞ!」と決意したそうです。
長野県の白馬村で小学校時代はアルペンスキーに打ち込み、中学2年でモーグルと出会った上村さん。高校3年の時に地元の長野オリンピックで7位に入賞し、決勝が終わったその日の夜に「次のオリンピックでは絶対にメダルを目指すぞ!」と決意したそうです。
「長野オリンピックに出ているその瞬間は楽しくてしょうがなかったんですよね。そのシーズンで一番いい滑りをちゃんとできましたし、そのシーズンで一番いい成績をオリンピックでもとれたので、やったぁ!よく頑張れたぁ!と思ったんですけれど。」
「でも、目の前で里谷多英さんが金メダルをとるんですね。その姿を見て、ホントにみんなで喜んで、もちろん多英さんにおめでとう!と言うんですけど、みんなが幸せになるのって金メダルをとることなんだ、ってその時に感じました。」
オリンピックに5回出場する一方、ワールドカップでは2007-2008のシーズンで日本人選手初の年間総合優勝を達成している上村さんですが、「かなり時間がかかってようやく勝てるようになって…」ということで、そこまでの道のりは長かったようです。
「勝てると思っているのに勝てない、ってことが長く続くなんて想像してなかったので、私はホントに、見る側からするとね、はぁかわいそう…というか(笑)みなさんの心をソワソワさせた選手だろうなとは思うんですけれど。」
そんな上村さんの発言に対して、「僕はそうではなかったですよ。これだけ挑戦してる人を応援したいと思ったんじゃないですかね。だから、どっちかと言うと身内意識、とらせてあげたい、親心、そっちに近かった気がしますね。」「ブレずに逃げずにっていうか、ひたむきさを見せられるから」と恵さん。
上村さんも「軸はブレなかったので、見ている方には凄く伝わってたのかな、と思って。ホントにこんなに暖かく応援してもらえる人ってそんなにいないんじゃないかな、って後半ようやく知りました」とおっしゃっていました。
さらに上村さんはオリンピックとワールドカップについてこんなことを話してくれました。
「私はとにかくオリンピックでメダリストになりたいってずっと思ってたので、間のワールドカップとかっていうのは、それこそチャレンジとか挑戦する場所だったんですよね。で、オリンピックにピークを持っていくっていうふうに考えていたんですけれど、オリンピックの金メダルを目指して一所懸命やったことで、(ワールドカップの)総合優勝っていうのがついてきた、っていう感覚だったんですよね。」
「物凄く大きな難しい目標を立てるって大事なことだなぁって思いました。副産物がもの凄くたくさん手の中に入ってくるというか。ビックリしましたね。オリンピックの金メダルを目指してやっていたので、とれるとしたらオリンピックの金メダルだと思ってたんですね、ずっと。まさかワールドカップの年間総合がとれる選手になるとは思ってなかったので。」
「年間総合優勝をとった時はモーグル史上初でもあったんですけど、女子のスキー界でもたぶん日本人初だったと思うんですよね。長野オリンピックの時の『金メダルをとったら全員で手を挙げて喜べる!』っていうのが(ワールドカップの)総合優勝で一つ叶えられた気がして。あれはホントに良かったぁと思いました。それまでもう3回オリンピックに出た後だったので。なかなかオリンピックのメダルっていうのがとれずに、返せない、っていうのがずっと自分の心に残っていたので。」
今週のオープニングで「自分がこだわりを持つってことはそんなに何個もないと思うんですよね。私の場合はモーグルしかなかったので。こんなに人に凄い!って言ってもらえるものはスキー以外なかったです」と話してくれた上村さん。モーグルについてこんなこともおっしゃっていました。
「270メートルあるバーの中のコブは一つ一つ形が違うんですね。で、自分で思うように完璧に滑れることってほぼなくって、どの大会も毎回コブに負けたって思わされるんですよ。」「いつか全部を自分の思うように滑りきりたいという気持ちと、それができた時に金メダルがとれるっていうイメージがあったので。そこを追求していった競技人生かなと。」
また、大きなルール変更があってもそれに挑戦していったそうです。
「頭と足を回転させていいですよっていうルール変更が起きて、私、最初の1年ついていけなかったんですね。怖かったですし(笑)回るの?という感じで。でも、やっぱりチャレンジしている人がいる中で自分がどれだけ一生懸命やっても色が薄まるんですね。だから、ここの場所に自分が残るためにはやらなきゃいけないんだ、と思って。」
「自分としては何をやってもモーグルという場にいたかったんですよ。世界大会に出られるようなことなんて他にはないので。とにかく全力でやりきらなきゃいけない!って凄く思ってたんですよね。チャレンジしないとモーグルの世界から出なければいけなくなってしまうでしょうから。」
「若い頃にはモーグルを辞めたら?って考えたら泣いてました。モーグルから離れる時がいつか来るって考えただけで号泣してたんですよ(笑)。それぐらい大好きというか得意なことだし、人に胸張ってモーグルやってます!って言えますし。大人の人たちがビックリするぐらいメソメソ泣いたりしましたね(笑)」
そんな上村さんが現役引退を発表したのは、4位に入賞した2014年のソチオリンピックの後でした。
「一番最後のオリンピックは、これ以上できないなと思う準備をその前の3年間で積み重ねられたという自信は凄くあって。34才のソチでとにかく金メダルをとりに行く!と相変わらずチャレンジをして、3年間かけてやり尽くした自分が納得いく滑りができたんですね。こんなオリンピックが最後に待ってたんだって思えるぐらい。」
「数字としては、メダリストにもなれないホントにあと一歩という惜しい数字を残して。数字だけ見ると、とにかく残念だったね、という言葉になってしまうんですけど、ここまで自分の技を作って、体力も作って、オリンピックで戦える選手に最後ようやくなれたなって。」
「自分が滑り終わった瞬間に、ああホントにここまでやってよかった!って気持ちが凄く溢れて。涙が出ていたからゴーグルを上げられないという状況だったんですけど(笑)。でも、ホントに一生懸命頑張ることっていいかもな、って誰かに伝わったらいいなぁっていうのは凄く思いました。」
「オリンピックに出るとメダルをとらないと地獄なんじゃないか、って想像する人はきっと凄く多くて、私もずっとそういうふうに感じていたんですけれど、最後のオリンピックが終わった時に自分がそう感じなかったので、あ、精一杯やった後ってこういう気持ちになれるんだって。」
「やっぱりオリンピックって楽しいところっていうのをこれからオリンピックを目指そうとしているアスリートの人には知ってもらいたいし…楽しかったです。途中はかなり苦しかったですけど(笑)。でも、やっぱりやって良かったな!って思う時間でしたね。」
最後に上村さんはご自身にとっての挑戦についてこう話してくれました。
「なんだろう?っていろいろ考えて…挑戦とは、想像もしていなかったところに自分を連れて行ってくれるもの。それこそオリンピックの金メダルをとりたい!っていうふうにずっと挑戦し続けたものが、後ろを振り返ると世界ランク1位をとっていたりとか。もちろん競技の部分じゃなくてもいろんな人と知り合えたりとか、仲間が増えてたりとか。」
「これをとりに行く!っていうものが挑戦なんですけれど、でも挑戦をしていくことによって想像してなかった世界が広がるんじゃないかな、っていうイメージがあります。」
恵さん「そういうモーグル人生に一片の悔い無し、でしょ?きっと。」
上村さん「一片の悔い無し、ですね。」
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