上村愛子さんがモーグルとの出会いと長野五輪を振り返る(2019/02/16 放送)
今週は、元・女子モーグル日本代表の上村愛子さんをお迎えしました。
長野県・白馬村育ちの上村さん。アルペンスキーを始めたのは小学1年生の時だったそうで、学校の掲示板に貼ってあった地元のアルペンチームの勧誘ポスターを見て、お母様に「これに入りたい!」と伝えたんだとか。
ちなみに、小学生の時は表彰台を目指してどれだけ頑張ってもチームで5〜6番手ぐらいだったという上村さんですが、性格的には負けず嫌いだとおっしゃっていました。
長野県・白馬村育ちの上村さん。アルペンスキーを始めたのは小学1年生の時だったそうで、学校の掲示板に貼ってあった地元のアルペンチームの勧誘ポスターを見て、お母様に「これに入りたい!」と伝えたんだとか。
ちなみに、小学生の時は表彰台を目指してどれだけ頑張ってもチームで5〜6番手ぐらいだったという上村さんですが、性格的には負けず嫌いだとおっしゃっていました。
「その頃は、コーチの方に『大会が終わって愛子が後ろを向いて背中を丸めてたら声をかけちゃいけないと思った』って言われるぐらい(笑)。誰の声も聞けないぐらいに悔しそうに…。うわーん!って泣くんじゃないんですよ。しとしと涙がポロポロ落ちて、悔しそうに方を震わせてるちびっこの私がいたらしくって(笑)」
その後、中学では部活の上下関係が苦手で1年間アルペン競技からは離れ、地元の山でスキーを楽しんでいたという上村さん。しかし、中学2年の冬にお母様の友人がいるカナダへ旅行する機会があり、そこでモーグル(フリースタイル競技の1つ)と出会ったそうです。
「英語も全然わからなかったんですけど、カナダでスキーができる!というモチベーションが凄く高かったので(笑)行きたい!と言って。で、向こうに飛び込んだら、現地でモーグルのワールドカップというのを開催していて。それを見た時に衝撃的でした。こんな競技があるんだ!と思って。」
「なんて言うんですかね、明るいなというか楽しそうだなこの競技!っていうふうに最初思って。で、やってみたいと。単純ですよね(笑)」
その時に一人でカナダに行ったことを「よく行ったなと思います」と振り返った上村さん。「母は普段は物凄く心配性の人で、愛ちゃん大丈夫?って常に見守ってくれるタイプの人なんですけれど、その母が『行ける』と言うんであれば行けるんだろうと単純に思ってしまって(笑)そんなに怖いことはないんじゃないかなと思って」と背中を押してくれたお母様のことを話してくれました。
上村さんがモーグルと出会ったのは94年のことですが、実はモーグルを始めるにはいろいろといいタイミングだったようです。
「地元の山で長野県のスキー連盟のフリースタイルチームの人が毎週練習をしてたんですよ。で、その方たちが『モーグルをやろうと言っているアルペン上がりの子がいるから、面白そうだから一緒に練習をしたらいいよ』って声をかけてくれて。なんかすべてがラッキーなんですよ。」
「私が始めた頃は、モーグルをやろうとしている子を見つけようとしてくれている時期だったので、凄く幸運なことに最初からナショナルチームレベルの人たちの練習に参加させてもらって。」
「生まれ年かなって思いました。98年にちょうど長野オリンピックが迫っていたので。で、私が育った場所は長野なので。フリースタイルであれば出られる可能性があるんじゃないか、っていうのを連盟の方は考えていたと思うんですよ。で、そこに中学2年生の私がぽこっと(笑)登場したので。」
中学2年でモーグルを始めた上村さんは、中学3年で全日本選手権の表彰台に立ち、高校1年の春からはナショナルチームに参加することになります。
「トントン拍子で。もう段飛ばしもいいところ(笑)っていうぐらい階段を駆け上がって。ビックリしましたけど。」
さらに、高校1年の冬(96年)に初出場したワールドカップ、スイスのマイリンゲン大会ではいきなり3位に入賞!しかし、その後はしばらく低迷を経験したそうです。
「初めて出たワールドカップは最終戦という形だったので、翌年からワールドカップの1戦目から回り始めた時にやっぱり人数もぜんぜん違いましたし、あと、バーンの固さとか。」
「私が3位に入れたマイリンゲン大会っていうのはけっこう雪が柔らかくって、翌年のワールドカップが始まってみたらカッチカチのマイナス10度とかそれぐらいの気温の中で滑るという。ホントに本格的なワールドカップ参戦が始まったんですけれど、そうなった時にまだぜんぜん技術が追いつかなくて。体力も追いつかなくて…。」
そして、迎えた地元・長野でのオリンピック。「世界ランクを見ると選ばれないんじゃないかなっていうのは思ってました」という上村さんですが、無事に出場が決まり、見事に7位入賞を果たします。
「オリンピックに出られる枠、何人出られるかっていうのは結構ギリギリまでわからなかったので、自分が選ばれるかどうかっていうのは、ホントにオリンピックの選考の発表があるまで自信はそんなになかったですね。」
「実は、長野は自分から掴み取りに行った!っていうオリンピックではなくて、『あ、ラッキー、出られた!』っていう。モーグルを始めてまだ4年だったんですよね。始めます!とコブコブを滑りはじめて4年後に出てしまったので、『こんな幸運ってあるんだなぁ』というのを周りに感謝してる気持ちの方が大きかったですね。」
恵さん「ある意味、ここで本気になるんですか?要するに、次のオリンピックも!とかワールドカップも!ってなるんですか?」
上村さん「その通りなんです(笑)」
恵さん「ここからはまた来週のお話ですね。」
来週も引き続き、上村愛子さんをお迎えします。お楽しみに!