ウィルチェアーラグビーの官野さんが金メダルへの思いを語る(2019/02/09 放送)
先週に引き続き、今週もウィルチェアーラグビー日本代表の官野一彦(かんの・かずひこ)さんをお迎えしました。
2004年にサーフィン中の事故で頚椎を骨折した官野さん。翌2005年に車椅子で行うラグビー、“ウィルチェアーラグビー”と出会い、2006年から本格的に始めると、早くも2007年には日本代表入りを果たします。
2004年にサーフィン中の事故で頚椎を骨折した官野さん。翌2005年に車椅子で行うラグビー、“ウィルチェアーラグビー”と出会い、2006年から本格的に始めると、早くも2007年には日本代表入りを果たします。
「正直(自分は)天才だと思いました(笑)。すぐやれる自信があったし、やってみたらそこそこやれたので。僕は競技を始めた時から2012年のロンドン・パラリンピックで主力で活躍したいっていう思いがありました」という官野さんですが、2010年には日本代表から落ちるという挫折を経験します。
「単純に、天才とか言ってるからですね。ぜんぜん練習しなかったんですよね。そんなこと言ってる人が伸びるわけないんですよね。なので、ホントに自分が甘かったと。当たり前なんですよね。」
そこで、官野さんは改めて自分を振り返ったそうです。
「俺の夢とか目標って何なんだろうな?って自分と対話して、2012年にロンドンに出ることじゃん?って思った時に、このままじゃいけないと思って。で、見直して。体重も重かったので。タバコもやめて。そこから20キロ走を始めたんですよね。何かもっと自分にキツイことを課そうと思って。」
官野さんは一人で体育館を借りて地道にトレーニングを積み、体重も8キロ減量したとか。
「挫折があって良かったな、とは思わないですけど、挫折をした時に自分とちゃんと向き合えるようになれたことが、僕にとって大きな成長だったので、2010年は自分の人生の大きなターニングポイントでしたね。」
「気づかないで終わっていくことが一番悲しい、というか、ダサいことだと思うので。」「ダメな自分をしっかり認めて、最終的に勝てる自分に変えてあげるのが一番いいことだと思うので、今でも謙虚に…というか、奢らず威張らずコツコツ頑張ろうっていうのはありますね。」
翌2011年に日本代表に復帰した官野さんは、2012年のロンドン大会でパランピック初出場を果たします。
「物凄い幸せな時間だったし、ありきたりな言葉になってしまうかもしれないですけど、生きててホントに良かったなって純粋に思ったんですよ。ただ、ロンドンの結果は4番だったんですよ。メダルを獲れなかったんですね。」
「ただ、僕はいろんなところで講演させてもらうんで言うんですけど、世界で4番って凄くないですか?世界で4位なんですよ?どう考えても凄いんですよ。だから、ちょっと満足してる自分もあったと思うんですね。悔しいし、すげえ悲しかったけど、どこか心の奥底でちょっと満足しているというか、ここまでやってこれた自信っていうか。」
ですが、ロンドンから帰国した時に、官野さんを次の目標に向かわせる出来事があったんだとか。
「成田に着いた時に友達とか家族が税関を抜けた先で待っててくれて。で、荷物を持ってすぐに出ようとしたら、僕、止められたんですよ。『メダルを獲った人が先です』って言われたんですよ。それを聞いた時にカチンと来て。」
「でも、グッとこらえて冷静に考えてみたら、この先出たところにメディアの方がたくさんいらっしゃって、メダルを獲った人たちを見に来ているというか、撮りに来ているんだなって。で、僕は小さくなって、すいません…すいません…って感じで通っていくんですよ。世界で4位なのに。」
「凄い惨めとは言わないんですけど、なんか凄い嫉妬があったんですよ。なんで俺こんなに頑張ったのに差があるんだろう?メダルがないからだって。じゃあメダルを獲りたい!って思ったのが、新しい目標へのスタートだったんです。」
2007年からは市役所で働きながら夕方以降にウィルチェアーラグビーの練習をしていたという官野さん。2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックにも出場し、今度は銅メダルに輝きます。
「もうこれ以上頑張れない、っていうところまで僕の中ではやったつもりでリオを迎えて。で、リオで1つ順位を上げて3番だったんですけど、それでも3位だったんですね。なので、ホントに嬉しかったですし、幸せな瞬間だったんですけど…。」
ちなみに、リオの後の成田空港での対応は?
「もう全然違います。というよりはもう、ずっと手前から違います。ロッカーに帰ってきた時に、僕が携帯を見たら500件ぐらいメールが来てて、みんな『おめでとう!』とか『ありがとう』っていうメールもあって、そんなにありがとうって言われるようなことしたのかな?って思うぐらい。やっぱり凄い嬉しかったし、報われた感じはあったんですけど。うーん…でも、今考えてみるとまだ3番なので(笑)」
そして、官野さんはリオデジャネイロの表彰式でまた次の目標を見つけたそうです。
「表彰式の時に凄い嬉しかったんですよ。物凄いテンション高くて。2位がアメリカ・チームだったんですけど、アメリカ・チームを見たら泣いてるんですよね。自分たちよりもランキングが上なのに。」
「で、右斜め前にオーストラリア・チームがいたんですけど、当たり前ですけど物凄い喜んでて。で、最後に優勝したチームが国歌を歌う、それをオーストラリア・チームが凄いデカい声で自分たちの国旗を見ながら歌ってて、それを見た時にちょーカッコいい!と思って。」
「で、もし、2020年に自分たちが優勝して、最後の国歌をたくさんの日本人の方と一緒に歌えたらどんだけ気持ちいいんだろうな!?って思ったら、表彰式の最中に鳥肌が止まんなくなっちゃって。東京で金メダルとりてー!って。その時、速攻で思いました。新しいスタートがそこからまた始まったんだなぁと思って。」
官野さんはパラリンピックについて、こんなこともおっしゃっていました。
「オリンピックとパラリンピックは比較されるというか…でも、誰一人、遊びでやってないんですよ。特にパラリンピックの人なんかは、障害があってかわいそう、とかそういう目線で見られるんですけど、ホントに命をかけてるので。」
「いつも僕は明日死んでもいいと思うぐらい毎日をしっかり生きてるし、ホントに追い込んでるし。別に同情なんて一つも欲しくないし、オリンピックの人と同じトレーニング量をこなしてるので。そういったこともわかってもらったりすると凄く嬉しいし、頑張っていきたいなって改めて思いますね。」
ちなみに、東京パラリンピックの出場選手が決まるのは約1年後だとか。官野さんは「ホントに努力を惜しまないでする…ま、みんなしてると思いますけど、人一倍、人二倍、人三倍、努力は必要だと思います」と東京パラリンピックへの思いを語ってくれました。
ウィルチェアーラグビーというスポーツの魅力について、「一回観てもらえれば…ものすっごい面白いので。ホントに、確実に面白いので、ぜひ観て、興味を持ってもらえたら嬉しいなと思いますね」と改めてアピールしてくれた官野さん。最後にご自身にとっての挑戦についてこう話してくれました。
「挑戦とは…成長だと思うんですね。ホントに毎回毎回、壁に当たることとか山みたいなものを感じるんですけど。イチロー選手とか本田選手の本を読むと同じようなことを言っていて、感銘を受けたし、僕も実際そうだなと思うんですけど、壁はそれを乗り越えられる人しか感じないと。」
「自分が今、壁にぶつかって、辛いとか苦しいとか、これヤだなって思った時に、それを簡単に迂回して逃げちゃうこともできると思うんですよ。でも、それを乗り越えなきゃとか、乗り越えるチャンスがあると思えるのって、それを乗り越える資質がある人だと。」
「それを乗り越えた時に、自分が一人の人間として成長できるって思ってるので、ホントに挑戦し続けて、どんどんどんどん、人として、人間として、もちろんアスリートとして成長できればなと思います。」
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