日本代表の官野一彦さんが語るウィルチェアーラグビーの魅力(2019/02/02 放送)
今週は、ウィルチェアーラグビー日本代表の官野 一彦(かんの かずひこ)さんをお迎えしました。
ウィルチェアーラグビーというのは、名前の通り、車椅子を使って行うラグビー。96年のアトランタ・パラリンピックでデモンストレーションとして紹介され、正式競技になったのは2000年からだとか。日本代表はリオデジャネイロ・パラリンピックで銅メダルを獲得し、昨年の世界選手権では見事優勝しています。
「ワールドカップで優勝しまして、実質上というか、今のところは世界で一番の称号を持っている感じです。」「追われる立場と言われることも多いんですけども、まだまだ横綱相撲で勝てるチームではないと思っているので、2020年の東京では挑戦者として金メダルにチャレンジしていきたいなと思ってますね。」
ウィルチェアーラグビーは障害の重い方がやる競技なんだそうですが、その激しさは、官野さんご本人が「本当に障害のある人がやっていい競技なのかっていう…」とおっしゃっていたほど。車椅子同士がぶつかった時の音も凄くて、火花が飛び散ったり、焦げ臭い匂いがすることもあるそうです。
BS日テレで放送されている連動番組『Challenge Stories Next』で実際に体験した恵さんは「ホントに大変なスポーツですね!」と驚いたとか。
官野さん「なかなか車椅子の競技でコンタクト、ぶつかり合うっていうことがイメージしづらいと思うんですけど、ホントにこんなにぶつかるんだ?!っていうぐらいぶつかるので、やってる側も怖いっちゃ怖いですけども、やっぱり楽しいですよね。」
ウィルチェアーラグビーというのは、名前の通り、車椅子を使って行うラグビー。96年のアトランタ・パラリンピックでデモンストレーションとして紹介され、正式競技になったのは2000年からだとか。日本代表はリオデジャネイロ・パラリンピックで銅メダルを獲得し、昨年の世界選手権では見事優勝しています。
「ワールドカップで優勝しまして、実質上というか、今のところは世界で一番の称号を持っている感じです。」「追われる立場と言われることも多いんですけども、まだまだ横綱相撲で勝てるチームではないと思っているので、2020年の東京では挑戦者として金メダルにチャレンジしていきたいなと思ってますね。」
ウィルチェアーラグビーは障害の重い方がやる競技なんだそうですが、その激しさは、官野さんご本人が「本当に障害のある人がやっていい競技なのかっていう…」とおっしゃっていたほど。車椅子同士がぶつかった時の音も凄くて、火花が飛び散ったり、焦げ臭い匂いがすることもあるそうです。
BS日テレで放送されている連動番組『Challenge Stories Next』で実際に体験した恵さんは「ホントに大変なスポーツですね!」と驚いたとか。
官野さん「なかなか車椅子の競技でコンタクト、ぶつかり合うっていうことがイメージしづらいと思うんですけど、ホントにこんなにぶつかるんだ?!っていうぐらいぶつかるので、やってる側も怖いっちゃ怖いですけども、やっぱり楽しいですよね。」
恵さん「闘志は湧きますよね。ダーッとぶつけられた時のあの音と衝撃と悔しさと…でも、もう1回やってやろう!っていう想いになると言いますか。そして、思い通りに車椅子を動かしていかなきゃいけないですし。で、なんと言ってもチームプレイですよね。」
ウィルチェアーラグビーは1チームが4人。障害の度合いが0.5点から3.5点までの7段階ある中で、4人で合計が8点以内になるようにチームを編成しなければならないそうです。
「障害の一番重い選手が0.5点で、軽い選手が3.5なんですけども、ウィルチェアーラグビーというのは手と足に麻痺がないとやれない競技なんですね。その中で障害に応じて7段階に分かれるんです。」
「3.5点の選手ってメチャメチャ速いし、ボールも遠くに投げれて有利なんですけど、8点で組まなきゃいけないということで、3.5点の選手を2人入れてしまったら、残りが1点しかないので、これを0.5点の2人で分け合わなきゃいけないと。で、0.5点の選手は車椅子から車椅子に自分で乗り移りができないような本当に障害が重い選手なので。」
また、ウィルチェアーラグビーが一般のラグビーと大きく違うのは、前にもパスを出していいところ。官野さんは「ラグビーっていう名前はついてるんですけども、ルールの7割ぐらいはアメリカンフットボールに近いかな」とおっしゃっていました。
そして、官野さんは来年の東京パラリンピックに向けての想いをこう語ってくれました。
「2020年に東京でやるっていうのが決まった瞬間に、物凄いモチベーションというか、心の底から溢れ出る何かというか、凄い熱い想いがありました。」
「障害をおってしまって正直辛い時期もありましたけど、目指せるものがあるっていうことに対して、物凄い幸せな気持ちになったりとか、誇りを感じられているので、今はホントに毎日楽しいです。」
「僕は2012年のロンドン・パラリンピックが初出場なんですけど、開会式の時に見る景色っていうのが、ホントに言葉じゃ伝えられないぐらい感動的でした。」
「リオの時は2回目なので少し慣れてるかなと思ったんですけど、やっぱりおんなじ気持ちになって(笑)。これが東京になったらどうなるだろうなって。」
「世界選手権の方が参加チームは多いので、本来、規模はデカいんですけども、やっぱりパラリンピックっていうのは特別なものがあって、心に訴えかけるものがあるんですよね。」
また、官野さんは東京パラリンピックについてこんなこともおっしゃっていました。
「待ち遠しい想いもあるんですけど、正直、選手的に言うのであれば、焦りもありますね。ホントにこのままでいいのかな?やれることがあるんじゃないか?って思うと焦るんですけど、ホントにベストな状態で東京を迎えられればいいと思います。」
「もっと言うと、2020年にまず選手として選ばれないといけないので(笑)、まずはそこにフォーカスしてしっかりとトレーニングしなきゃいけないですね。」
そんな官野一彦さんは、千葉県袖ケ浦市出身の現在37才。元々は甲子園とプロを目指して野球をやっていたそうですが、夢は叶わず、海が近くにあったこともあってサーフィンを始めたそうです。
ところが、官野さんは22才の時にサーフィン中の事故で頚椎を骨折してしまいます。
「この時は静岡県の御前崎市で仕事をしてまして、目の前が海だったので毎日サーフィンばっかりやってたんですけど。元々、運動神経に自信はありましたし、ほとんど毎日入ってたので実力もそこそこついてきて、ちょっと調子に乗ってたんですよね。」
「で、岸に近いところで技をかけて失敗した時に、転んで頭から海底にゴンとまっすぐ…落ちたというよりは刺さった感じですかね。その時に首の頚椎の上から6番目の骨を破裂骨折して、脊髄を損傷してしまったんです。」
「うちは母が看護師だったので、自分の息子のMRI写真を見た時にすぐに車椅子だって、歩けなくなるって気づいたみたいなんですよね。」
そして、ご本人が不安や焦りで情緒が不安定になる中、お母様だけは明るく接してくれたんだとか。
「僕の気持ちをなんでわかってくれないんだろうって思ってたんですけど、夜いっしょに寝泊まりしてくれてた時にシクシクすすりなく音が聞こえたので…。それを聞いた時に、ありったけの力を振り絞って作り笑いして明るく振る舞ってたのかなと思ったらすげえ泣けてきちゃって…。」
それを機にお母様を泣かせないように強く生きていくことを決意したという官野さん。「それ以降は一回も死にたいとかそういう気持ちにはならなかったですね」とおっしゃっていました。
「親の方が先に亡くなるので、その時に安心して死んでいってもらえるようにしなきゃいけないなって思ったんですよね。なので、それをどうしたらいいんだろう?って思ったら、やっぱり前向きに生きていくしかないと思ったし、元々ポジティブな性格だったと思うんですけど、なんとかなるだろうと思ったんですよね。」
そんな官野さんがウィルチェアーラグビーと出会ったのは、車椅子での生活になってから1年ぐらい経った頃だったとか。
「車屋さんに用があって行ったんですけど、後ろからポンポンと背中を叩かれて、振り返ったら車椅子の人なんですね。で、『ウィルチェアーラグビーって知ってますか?』っていきなり言われて。」
その人と仲良くなり、「一緒にやらない?」と誘われて連絡先を交換したという官野さんですが、その時はウィルチェアーラグビーのことを知らなかったので、家に帰ってからインターネットで検索したんだとか。
「そしたら、僕が怪我したのが2004年なんですけども、2004年ってアテネ・オリンピック、パラリンピックがあった年なんですよ。その時に日本のウィルチェアーラグビーがパラリンピックに初出場してると。で、結果は8チーム中8位で1回も勝てなかったんですけど、ただ、もしかしてこの競技を始めたら世界に行けるチャンスがあるんじゃないかな?と思ったんですよね。」
「で、もし日本代表になって世界で戦える機会があれば、俺、女の子にモテるんじゃないかなと思って(笑)。最初はそんなきっかけだったんですけど、実際にその人と一緒に競技を初めて見た時に、うわっ!と思って。マジか!みたいな。こんなに激しいのか!と。」
「いい大人が、みんな僕より年上の人が多かったので…そういう人たちが凄いムキになって、車椅子をこいで、ぶつかって、ボールを追いかけて…っていうのを目の当たりにした時に、すげえカッコいいなと。なので、この競技をやってみたいと純粋に思って。で、実際に始めたらあっという間にこの熱い競技にのめり込んでいきました。」
2006年の1月から本格的にウィルチェアーラグビーを始めた官野さんは翌2007年に日本代表入り。そこからの挑戦については来週の放送で伺います!