森高千里さんが“森高ワールド”を語る(2019/01/26 放送)
先週に引き続き、今週も森高千里さんをお迎えしました。
熊本から上京して87年にデビューした森高さん。89年に南沙織さんの曲をカバーした「17才」のヒットでブレイクし、衣装などを含めた“森高ワールド”を確立していきます。
恵さん「今、当たり前のように森高さんのミニスカート、森高さんの髪型…みたいなことの完成形を我々は知ってしまってるんですけど、これはどうやって作られていくんですか?」
森高さん「ホントに積み重ねですね。意外と最初からミニスカートはいてたんですよ。ただ、最初はGジャンとかジーパンの短いものみたいなのを着てて、そんなに似合ってなかったのかもしれない。ははは(笑)。なので、たぶん目立ってなかったんですけど、(89年のシングル)『17才』で、お人形さんみたいな、ああいう…」
恵さん「(同じ89年のアルバム)『非実力派宣言』の時とかはわりと“森高ワールド”ですよね。」
森高さん「そうですね。これはもう『17才』から繋がっていく、みたいなところですよね。こういう広がってるスカートって足が細く見えるんですよ、実は。だから、そういうのもいろいろ研究しながらやっていった結果、だと思います。」
恵さん「専門のアーティストがいるんですか?」
森高さん「そういうわけじゃなくて、自分に似合う衣装を自分で考えてました。」
恵さん「やっぱり森高さんを目指すというか、“森高スタイル”みたいなのは確実にあったような気がしますね。」
森高さん「他ではやってないことをやろう!みたいな。」
恵さん「しかも、後追いもいないじゃないですか。」
森高さん「あーそうなんですかね。」
恵さん「やっぱ森高さんの世界って難しいんでしょうね。追っかけようがないんじゃないですか。森高さんが唯一無二な…不思議なイメージなんだよなぁ。」
今日の埼玉・狭山市民会館を皮切りに、全国ツアー『森高千里「この街」TOUR 2019』をスタートさせる森高さん。21年ぶりのチャレンジとなる今回の全国ツアーについて改めてこう話してくれました。
「ワクワクします。ホントに久々に行く場所もいっぱいあるので、待っててくださる方がいるんだなと思って行くワクワク感でステージに立ちたいなと。嬉しいです。」
このタイミングでの全国ツアーには、お子さんが大きくなって少し家をあけても大丈夫になったから、という理由もあるそうです。
「コンサートも何度か来たことがあります。でも、子供ってけっこう厳しいというか、『この曲はちょっと…』とか、『この衣装はママに似合ってなかった』とか結構そういうのをズバスバ言いますよ(笑)」
「そんなことはないよ!ママだって頑張ってんだから!みたいな(笑)ところもあるんですけど。でもまぁ、そういう意見もあるんだなっていうのを踏まえながら次にまた考えたりとかしてます。」
恵さん「森高さんが作ってきた“森高千里”っていう世界観があるじゃないですか。で、ご自身の日常があるじゃないですか。“森高千里”を着る感じなんですか?それともそこに行ったら“森高千里”になるんですか?」
森高さん「メイクしてもらって、衣装を着て、それがないと…。今の普段着みたいな感じでステージに出ていって歌えるかって言ったら、歌えないと思うんですよね。だから、ホントにメイクさんにメイクしてもらって、キラキラの衣装を着て、やるぞ!ってなった切り替えで出来るんです。」
恵さん「スイッチを入れていく、変身していくっていうことなんでしょうね。だから、今日の写真なんかけっこう貴重だと思いますけど。このざっくりとしたニットと白いTシャツと…。これはこれで森高ファンにとってはたまらない感じですよ。これは私生活でステージの上に乗ってる森高さんとは違いますもんね。」
森高さん「やっぱりステージに立つ以上はキラキラした感じ。自分がちっちゃい時にピンク・レディーが大好きだったんですけど、衣装も歌詞もダンスも全部含めてピンク・レディー。で、ピンク・レディーになりたかったんですよね。そのイメージが凄くあるというか。だから、ステージに立つ以上はキラキラしてたいなって。」
森高さんにとってこれまでで一番のチャレンジはデビュー当時だったそうです。
「やっぱり熊本から東京に出てきた時は凄く大変でしたね。友達とも別れなきゃいけないし、親とも離れて一人暮らししなきゃいけないし、満員電車とかも初めてだし…とか。なんかホントに“初めてずくし”で凄く大変でした。精神的に。」
「(コンテストで)選んでいただいて優勝してこういう仕事をやるからには、負けたくない!みたいな。ダメで帰ってきちゃったね…みたいなふうに思われないように頑張ろうって思ってました。」
また、今後のチャレンジについてはこんなことをおっしゃっていました。
「今年1年で久しぶりにツアーをやらせていただく…やった結果が自分にどういうことを考えさせるのかなぁって。これからこういうふうにやりたい、ってまた変わるかもしれないし、やらないとわからないな、ってところも正直あって。」
「去年の自分が今年全国ツアーをやるっていうのもまったく考えてなかったことだったので。それがどんどんどんどん進化していくというか変わっていってるので、その時その時を大事にやっていけば結果が付いていくというか、やりたいことも見つかっていくのかなぁって思ってます。」
最後にそんな森高さんにとっての挑戦について伺うと「やり続けること」だと答えてくれました。
「私の場合はコンサートですけど。コンサートもやり続けることで、今は新曲とかを出してるわけではないんですけど、昔の曲とかもリアレンジして、その時にはなかなか歌えなかったんだけど今だったら表現して歌えるな、ってのもあったりとかするので。そういう今までやらなかったことをやったり、今だから歌える、みたいな表現とかを聞いてもらいたいなと思って歌い続けています。」
番組では、そんな森高さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらを1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームから「森高千里さんの色紙希望」と書いてご応募ください!
熊本から上京して87年にデビューした森高さん。89年に南沙織さんの曲をカバーした「17才」のヒットでブレイクし、衣装などを含めた“森高ワールド”を確立していきます。
恵さん「今、当たり前のように森高さんのミニスカート、森高さんの髪型…みたいなことの完成形を我々は知ってしまってるんですけど、これはどうやって作られていくんですか?」
森高さん「ホントに積み重ねですね。意外と最初からミニスカートはいてたんですよ。ただ、最初はGジャンとかジーパンの短いものみたいなのを着てて、そんなに似合ってなかったのかもしれない。ははは(笑)。なので、たぶん目立ってなかったんですけど、(89年のシングル)『17才』で、お人形さんみたいな、ああいう…」
恵さん「(同じ89年のアルバム)『非実力派宣言』の時とかはわりと“森高ワールド”ですよね。」
森高さん「そうですね。これはもう『17才』から繋がっていく、みたいなところですよね。こういう広がってるスカートって足が細く見えるんですよ、実は。だから、そういうのもいろいろ研究しながらやっていった結果、だと思います。」
恵さん「専門のアーティストがいるんですか?」
森高さん「そういうわけじゃなくて、自分に似合う衣装を自分で考えてました。」
恵さん「やっぱり森高さんを目指すというか、“森高スタイル”みたいなのは確実にあったような気がしますね。」
森高さん「他ではやってないことをやろう!みたいな。」
恵さん「しかも、後追いもいないじゃないですか。」
森高さん「あーそうなんですかね。」
恵さん「やっぱ森高さんの世界って難しいんでしょうね。追っかけようがないんじゃないですか。森高さんが唯一無二な…不思議なイメージなんだよなぁ。」
今日の埼玉・狭山市民会館を皮切りに、全国ツアー『森高千里「この街」TOUR 2019』をスタートさせる森高さん。21年ぶりのチャレンジとなる今回の全国ツアーについて改めてこう話してくれました。
「ワクワクします。ホントに久々に行く場所もいっぱいあるので、待っててくださる方がいるんだなと思って行くワクワク感でステージに立ちたいなと。嬉しいです。」
このタイミングでの全国ツアーには、お子さんが大きくなって少し家をあけても大丈夫になったから、という理由もあるそうです。
「コンサートも何度か来たことがあります。でも、子供ってけっこう厳しいというか、『この曲はちょっと…』とか、『この衣装はママに似合ってなかった』とか結構そういうのをズバスバ言いますよ(笑)」
「そんなことはないよ!ママだって頑張ってんだから!みたいな(笑)ところもあるんですけど。でもまぁ、そういう意見もあるんだなっていうのを踏まえながら次にまた考えたりとかしてます。」
恵さん「森高さんが作ってきた“森高千里”っていう世界観があるじゃないですか。で、ご自身の日常があるじゃないですか。“森高千里”を着る感じなんですか?それともそこに行ったら“森高千里”になるんですか?」
森高さん「メイクしてもらって、衣装を着て、それがないと…。今の普段着みたいな感じでステージに出ていって歌えるかって言ったら、歌えないと思うんですよね。だから、ホントにメイクさんにメイクしてもらって、キラキラの衣装を着て、やるぞ!ってなった切り替えで出来るんです。」
恵さん「スイッチを入れていく、変身していくっていうことなんでしょうね。だから、今日の写真なんかけっこう貴重だと思いますけど。このざっくりとしたニットと白いTシャツと…。これはこれで森高ファンにとってはたまらない感じですよ。これは私生活でステージの上に乗ってる森高さんとは違いますもんね。」
森高さん「やっぱりステージに立つ以上はキラキラした感じ。自分がちっちゃい時にピンク・レディーが大好きだったんですけど、衣装も歌詞もダンスも全部含めてピンク・レディー。で、ピンク・レディーになりたかったんですよね。そのイメージが凄くあるというか。だから、ステージに立つ以上はキラキラしてたいなって。」
森高さんにとってこれまでで一番のチャレンジはデビュー当時だったそうです。
「やっぱり熊本から東京に出てきた時は凄く大変でしたね。友達とも別れなきゃいけないし、親とも離れて一人暮らししなきゃいけないし、満員電車とかも初めてだし…とか。なんかホントに“初めてずくし”で凄く大変でした。精神的に。」
「(コンテストで)選んでいただいて優勝してこういう仕事をやるからには、負けたくない!みたいな。ダメで帰ってきちゃったね…みたいなふうに思われないように頑張ろうって思ってました。」
また、今後のチャレンジについてはこんなことをおっしゃっていました。
「今年1年で久しぶりにツアーをやらせていただく…やった結果が自分にどういうことを考えさせるのかなぁって。これからこういうふうにやりたい、ってまた変わるかもしれないし、やらないとわからないな、ってところも正直あって。」
「去年の自分が今年全国ツアーをやるっていうのもまったく考えてなかったことだったので。それがどんどんどんどん進化していくというか変わっていってるので、その時その時を大事にやっていけば結果が付いていくというか、やりたいことも見つかっていくのかなぁって思ってます。」
最後にそんな森高さんにとっての挑戦について伺うと「やり続けること」だと答えてくれました。
「私の場合はコンサートですけど。コンサートもやり続けることで、今は新曲とかを出してるわけではないんですけど、昔の曲とかもリアレンジして、その時にはなかなか歌えなかったんだけど今だったら表現して歌えるな、ってのもあったりとかするので。そういう今までやらなかったことをやったり、今だから歌える、みたいな表現とかを聞いてもらいたいなと思って歌い続けています。」
番組では、そんな森高さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらを1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームから「森高千里さんの色紙希望」と書いてご応募ください!