森高千里さんがミニスカで挑む21年ぶりの全国ツアーを語る(2019/01/19 放送)
今週は、森高千里さんをお迎えしました。
まもなく、実に21年ぶりとなる全国ツアー『森高千里「この街」TOUR 2019』をスタートさせる森高さん。1月26日(土)の埼玉・狭山市民会館を皮切りに、現在のところは9月22日の岡山市民会館まで23公演が発表されています。
「コンサートはやってたんですけど、東京ばっかりで。あとはやっても大阪、名古屋とかぐらいしか行けてなかったんですけども、うちの街にも来てください!っていう声をかけて頂いて。声をかけていただいている間に行っておこう!みたいな(笑)」
そして、森高さんはライブへの思いをこう語ってくれました。
「ずっと子育てで間が開いていた時、自分が何を最後に…最後にって言ったら変ですけど(笑)…やれることって何かな?やりたいことって何かな?って思った時に、やっぱりライブだったんですよね。」
「楽しいですね。ステージに自分が立たないとできないこと。考えたりしててもできないことがステージの上だとできちゃうというか。あとはホントにファンの方たちとのやり取りが、その場でしかないやり取りができるので、それが楽しいなと思いますね。」
今回は久しぶりのツアーということで、おなじみのシングル曲がメインのライブになるそうです。また、衣装に関しても「まだミニ(スカート)で頑張ってます(笑)」とのこと。
「例えば、観に来た人が、私がズボンだったりロングスカートだったりして、なんだよ…みたいな感じはちょっとね。ガッカリさせたくないなと思うので、もうすぐ50ですけど頑張って(笑)。とりあえずステージに出るからにはやれちゃう、みたいな。メイクして、衣装着て、ステージに立つとできちゃうんですよね。」
森高さんと言えば、『ザ・ミーハー』『ザ・ストレス』『臭いものにはフタをしろ!!』『ロックンロール県庁所在地』『私がオバさんになっても』などなど、独特の世界観を持った歌詞も魅力ですが、それぞれにそういう歌詞が生まれるきっかけがあったんだとか。
「『私がオバさんになっても』の時も、“女盛りは19だよな”みたいな感じのことを言われて、え、ちょっとどういうこと?みたいな。ちょっとカチンときて、そんなことはないよ、みたいなところがきっかけで歌詞を書いたりとか。」
「『ザ・ストレス』も、自分が19才ぐらいの時だったかな…ストレスで入院したんですよ。で、ストレスって言われてもその当時はいまいちピンとこなくって、どういう意味なんだろうな?っていう。」「なんかこう、響きが凄く不思議だったんだと思うんですよね。そこから『ストレス』っていう曲を書こうと思って書いたんですけど。」
森高さんは元々、自分で詞を書いたりするようなタイプではなかったそうで、ほとんどの曲はメロディーが先にあってそこに歌詞を当てはめる方法で作っているそうです。
「曲のイメージもありますよね。凄く良いメロディーの時に『ザ・ストレス』みたいな曲はもちろん出来ないんですけど、曲が面白かったりすると、ちょっと言葉遊びができるかな、っていうところから考えていったりします。」
そんな森高千里さんは熊本県出身。1969年4月11日生まれで、1987年、18才の時にデビューしました。
「熊本のいち女子高生だったんですけど、友達に誘われて、イメージガールコンテストみたいなのがあるから受けよう!?みたいな。友達も遊び半分で、記念になれば、、みたいなところだったんですけど、それがトントン拍子に…。」
「(両親も)まさか優勝しちゃって、どうする?みたいな感じでした。母と一緒に東京にオーディションに行ってたんですけど、父も…兄とかもいるんですけど、電話しても全然信じてくれなくて。何ゆうとっとねん!みたいな感じで。スポーツ紙とかテレビとかで報道された時に、あれ?みたいな。だからビックリしてましたね。」
デビュー当時は、女優としても活動していた森高さんですが、やがて音楽活動に専念することになります。
「最初の頃は、歌手と言ってもぜんぜん歌が歌えるわけではないし、女優と言っても演技ができるわけではないし…みたいなところだったんですけど、ずっとちっちゃい頃からピアノをやっていたり、音楽っていうのはずっと好きだったので。音楽をやりたい!歌をやりたい!って思ってから、女優さんとかっていうのは私にはあまりにも合ってないと。」
「あっちもこっちもはできないなって思ったんですよね。そこで、事務所の方に、売れてもないんですけど(笑)、歌でやりたいんです、っていうのを伝えて。そこからですね。」
元々はピアノの先生になるために音大を目指していたという森高さん。高校時代には女の子バンドを組んでいて、レベッカのコピーで文化祭やライブハウスに出たりしていたそうです。
来週も引き続き、森高千里さんをお迎えします!
まもなく、実に21年ぶりとなる全国ツアー『森高千里「この街」TOUR 2019』をスタートさせる森高さん。1月26日(土)の埼玉・狭山市民会館を皮切りに、現在のところは9月22日の岡山市民会館まで23公演が発表されています。
「コンサートはやってたんですけど、東京ばっかりで。あとはやっても大阪、名古屋とかぐらいしか行けてなかったんですけども、うちの街にも来てください!っていう声をかけて頂いて。声をかけていただいている間に行っておこう!みたいな(笑)」
そして、森高さんはライブへの思いをこう語ってくれました。
「ずっと子育てで間が開いていた時、自分が何を最後に…最後にって言ったら変ですけど(笑)…やれることって何かな?やりたいことって何かな?って思った時に、やっぱりライブだったんですよね。」
「楽しいですね。ステージに自分が立たないとできないこと。考えたりしててもできないことがステージの上だとできちゃうというか。あとはホントにファンの方たちとのやり取りが、その場でしかないやり取りができるので、それが楽しいなと思いますね。」
今回は久しぶりのツアーということで、おなじみのシングル曲がメインのライブになるそうです。また、衣装に関しても「まだミニ(スカート)で頑張ってます(笑)」とのこと。
「例えば、観に来た人が、私がズボンだったりロングスカートだったりして、なんだよ…みたいな感じはちょっとね。ガッカリさせたくないなと思うので、もうすぐ50ですけど頑張って(笑)。とりあえずステージに出るからにはやれちゃう、みたいな。メイクして、衣装着て、ステージに立つとできちゃうんですよね。」
森高さんと言えば、『ザ・ミーハー』『ザ・ストレス』『臭いものにはフタをしろ!!』『ロックンロール県庁所在地』『私がオバさんになっても』などなど、独特の世界観を持った歌詞も魅力ですが、それぞれにそういう歌詞が生まれるきっかけがあったんだとか。
「『私がオバさんになっても』の時も、“女盛りは19だよな”みたいな感じのことを言われて、え、ちょっとどういうこと?みたいな。ちょっとカチンときて、そんなことはないよ、みたいなところがきっかけで歌詞を書いたりとか。」
「『ザ・ストレス』も、自分が19才ぐらいの時だったかな…ストレスで入院したんですよ。で、ストレスって言われてもその当時はいまいちピンとこなくって、どういう意味なんだろうな?っていう。」「なんかこう、響きが凄く不思議だったんだと思うんですよね。そこから『ストレス』っていう曲を書こうと思って書いたんですけど。」
森高さんは元々、自分で詞を書いたりするようなタイプではなかったそうで、ほとんどの曲はメロディーが先にあってそこに歌詞を当てはめる方法で作っているそうです。
「曲のイメージもありますよね。凄く良いメロディーの時に『ザ・ストレス』みたいな曲はもちろん出来ないんですけど、曲が面白かったりすると、ちょっと言葉遊びができるかな、っていうところから考えていったりします。」
そんな森高千里さんは熊本県出身。1969年4月11日生まれで、1987年、18才の時にデビューしました。
「熊本のいち女子高生だったんですけど、友達に誘われて、イメージガールコンテストみたいなのがあるから受けよう!?みたいな。友達も遊び半分で、記念になれば、、みたいなところだったんですけど、それがトントン拍子に…。」
「(両親も)まさか優勝しちゃって、どうする?みたいな感じでした。母と一緒に東京にオーディションに行ってたんですけど、父も…兄とかもいるんですけど、電話しても全然信じてくれなくて。何ゆうとっとねん!みたいな感じで。スポーツ紙とかテレビとかで報道された時に、あれ?みたいな。だからビックリしてましたね。」
デビュー当時は、女優としても活動していた森高さんですが、やがて音楽活動に専念することになります。
「最初の頃は、歌手と言ってもぜんぜん歌が歌えるわけではないし、女優と言っても演技ができるわけではないし…みたいなところだったんですけど、ずっとちっちゃい頃からピアノをやっていたり、音楽っていうのはずっと好きだったので。音楽をやりたい!歌をやりたい!って思ってから、女優さんとかっていうのは私にはあまりにも合ってないと。」
「あっちもこっちもはできないなって思ったんですよね。そこで、事務所の方に、売れてもないんですけど(笑)、歌でやりたいんです、っていうのを伝えて。そこからですね。」
元々はピアノの先生になるために音大を目指していたという森高さん。高校時代には女の子バンドを組んでいて、レベッカのコピーで文化祭やライブハウスに出たりしていたそうです。
来週も引き続き、森高千里さんをお迎えします!