髭男爵の山田ルイ53世さんが引きこもり時代を振り返る(2018/12/08 放送)
今週は、漫才コンビ、髭男爵の山田ルイ53世さんをお迎えしました。
おなじみ、ルネッサ〜ンス! のフレーズと共に登場した山田さんは、1975年4月10日生まれの43才。兵庫県出身で、中学は進学校として知られる六甲中学校に進んだそうです。
「今はどうかちょっとわからないですけど、当時は関西の御三家…灘、甲陽、六甲みたいに言われてて。中高一貫の学校で、普通はだいたい小学校4年生から大手のちょっとええ塾に行って、3年勉強して中学入試で受かるか落ちるかなんですけど。」
「僕の場合は、クラスのあんまり仲良くなかった子が休み時間に凄く分厚いお堅い問題集で勉強してて、なんやこれ?と思って。」「なにこれカッコエエなと思ってたら、その子が中学受験するゆうて。そういう世界があんねや!カッコエエな!と思って小6の夏から始めたんですよね。」
「そんな薄っぺらいモチベーションで…でも一生懸命、勉強したんですよ。それもメチャメチャしましたよ。単純に周りから褒められたいっていう気持ちだけでやってたんで。」
六甲中学に入った後も成績は良く、「このままいけば東大」と言われるほどだったそうですが…。
「部活もサッカー部でけっこう一生懸命頑張ってたんで、家帰るのも夜8時や9時とかになって。で、宿題やってから寝ると大体1時ぐらい。で、家遠いからだいたい朝5時、6時起きなんですよ。これを1年間。結局、中2の夏で僕、引きこもりになるんですけど、そのしんどさみたいなものがたまりにたまってて。そこで心がポッキリ折れるという…。」
「気づいたら夏休みの宿題をぜんぜんしてなかったんですよね。まぁその前段として、登校途中にうんこを漏らすっていう凄くベタなハプニングがあったんですよ。ただ、学校では凄く優秀な人になってたんで、今やったら『やってもうた!』で全然すんだんですけど、その時は『俺がうんこを漏らすなんて…』っていう。」
「あれ、なんか臭う…ってなって。なんかこっち見てくるんですよ。そこからだんだん、前に座ってるヤツの背中もなんかモゾモゾしてきて、もうオセロ大逆転みたいな状況ですよね。」「ほんで、その空気に耐えきれず、休み時間に家に帰ってそのまま6年引きこもったんです。」
2015年には『ヒキコモリ漂流記』という本も出している山田さん。15,6才の時には一度、近所のコンビニでアルバイトをしたことがあったそうですが…。
「僕が雑誌のしばってあるのをハサミでといたりしてると、コンビニのガラスの外から僕と同じような年頃の人が2,3人、僕を見てるわけですよ。で、じぃっと見てたら小学校の時のクラスメイトなんですよね。」
「うわヤバイ、見つかった…と思って。そしたら1人が来て、『あれ?山っち やん』みたいな。絶対に知ったうえで来てるんですけど。『あれ、山っちって、メッチャかしこいとこ行ったんちゃうの?』みたいになって。うわぁ、ヤバイヤバイヤバイ、これはキツイなぁ…と思いながら、なんとか返さなあかんなと思って、『いや、せやねんけど、メッチャかしこいとこやから、勉強ぜんぶ終わってん』っていうわけのわからん返しを…。」
「で、そういうのが続いて、結構みんなが来るようになったんで、耐えられなくてまた引きこもるという…。」
山田さんはそんな引きこもり生活を脱することになったきっかけをこう振り返ってくれました。
「ハタチ手前ぐらいの時に、同世代の子の成人式のニュースを見たんですよ。で、“成人”っていうワードがすごく僕の中の焦りを掻き立てまして。そこで焦ってしまって、とりあえずなんかやらなアカン、前に進まなアカンって。大検とって大学行こう!ってなって、なんとか入ることができたという。」
そして、愛媛県にある愛媛大学に進学した山田さん。お笑いの道に進むきっかけは大学時代にあったそうです。
「とりあえず、なんとかそこに潜り込むことができたんですけど、やっぱりそこでムクムクと…これホント失礼な話なんですけど、『俺、東大行けるとか言われてたのに…』みたいな、いやなプライドが…とろ火やったんが、またボオっとなってきて。かつ、いい加減にやってたもんですから、大学1年の時点で履修科目の取り方ミスって、もう4年で卒業できへんっていうのが決まるわけですよ。」
「そこでアルバイトとかしてたら、アルバイト先に知り合った先輩が、彼女が近くの女子短大みたいなところで文化祭実行委員やってるから文化祭で漫才ができると。一緒にやらへんか?みたいな誘いを受けたんですよ。」
「その人には言ってなかったですけど、僕、6年の引きこもり明けですけど?と思いながら…でもリハビリになるかなと思って。ま、その先輩と遊んでるのは楽しかったんで。で、引き受けてやってみたら、まぁ内輪受けやから、受けるんですよ、これが。それで勘違いしてしまって。」
「漫才とかはやっぱり好きでしたけど…。頑張ってらっしゃる諸先輩方、同期、これからお笑い界に入ってくる方々にはホントに申し訳ないですけど、ほかが全部ダメやから、もうたまたま出会ったお笑いしかないっていう。お笑いやめたらいよいよホントにやることないな、みたいな状況でずっとやってたんで。」
来週も引き続き、山田ルイ53世さんをお迎えします。
ルネッサ〜ンス!
おなじみ、ルネッサ〜ンス! のフレーズと共に登場した山田さんは、1975年4月10日生まれの43才。兵庫県出身で、中学は進学校として知られる六甲中学校に進んだそうです。
「今はどうかちょっとわからないですけど、当時は関西の御三家…灘、甲陽、六甲みたいに言われてて。中高一貫の学校で、普通はだいたい小学校4年生から大手のちょっとええ塾に行って、3年勉強して中学入試で受かるか落ちるかなんですけど。」
「僕の場合は、クラスのあんまり仲良くなかった子が休み時間に凄く分厚いお堅い問題集で勉強してて、なんやこれ?と思って。」「なにこれカッコエエなと思ってたら、その子が中学受験するゆうて。そういう世界があんねや!カッコエエな!と思って小6の夏から始めたんですよね。」
「そんな薄っぺらいモチベーションで…でも一生懸命、勉強したんですよ。それもメチャメチャしましたよ。単純に周りから褒められたいっていう気持ちだけでやってたんで。」
六甲中学に入った後も成績は良く、「このままいけば東大」と言われるほどだったそうですが…。
「部活もサッカー部でけっこう一生懸命頑張ってたんで、家帰るのも夜8時や9時とかになって。で、宿題やってから寝ると大体1時ぐらい。で、家遠いからだいたい朝5時、6時起きなんですよ。これを1年間。結局、中2の夏で僕、引きこもりになるんですけど、そのしんどさみたいなものがたまりにたまってて。そこで心がポッキリ折れるという…。」
「気づいたら夏休みの宿題をぜんぜんしてなかったんですよね。まぁその前段として、登校途中にうんこを漏らすっていう凄くベタなハプニングがあったんですよ。ただ、学校では凄く優秀な人になってたんで、今やったら『やってもうた!』で全然すんだんですけど、その時は『俺がうんこを漏らすなんて…』っていう。」
「あれ、なんか臭う…ってなって。なんかこっち見てくるんですよ。そこからだんだん、前に座ってるヤツの背中もなんかモゾモゾしてきて、もうオセロ大逆転みたいな状況ですよね。」「ほんで、その空気に耐えきれず、休み時間に家に帰ってそのまま6年引きこもったんです。」
2015年には『ヒキコモリ漂流記』という本も出している山田さん。15,6才の時には一度、近所のコンビニでアルバイトをしたことがあったそうですが…。
「僕が雑誌のしばってあるのをハサミでといたりしてると、コンビニのガラスの外から僕と同じような年頃の人が2,3人、僕を見てるわけですよ。で、じぃっと見てたら小学校の時のクラスメイトなんですよね。」
「うわヤバイ、見つかった…と思って。そしたら1人が来て、『あれ?山っち やん』みたいな。絶対に知ったうえで来てるんですけど。『あれ、山っちって、メッチャかしこいとこ行ったんちゃうの?』みたいになって。うわぁ、ヤバイヤバイヤバイ、これはキツイなぁ…と思いながら、なんとか返さなあかんなと思って、『いや、せやねんけど、メッチャかしこいとこやから、勉強ぜんぶ終わってん』っていうわけのわからん返しを…。」
「で、そういうのが続いて、結構みんなが来るようになったんで、耐えられなくてまた引きこもるという…。」
山田さんはそんな引きこもり生活を脱することになったきっかけをこう振り返ってくれました。
「ハタチ手前ぐらいの時に、同世代の子の成人式のニュースを見たんですよ。で、“成人”っていうワードがすごく僕の中の焦りを掻き立てまして。そこで焦ってしまって、とりあえずなんかやらなアカン、前に進まなアカンって。大検とって大学行こう!ってなって、なんとか入ることができたという。」
そして、愛媛県にある愛媛大学に進学した山田さん。お笑いの道に進むきっかけは大学時代にあったそうです。
「とりあえず、なんとかそこに潜り込むことができたんですけど、やっぱりそこでムクムクと…これホント失礼な話なんですけど、『俺、東大行けるとか言われてたのに…』みたいな、いやなプライドが…とろ火やったんが、またボオっとなってきて。かつ、いい加減にやってたもんですから、大学1年の時点で履修科目の取り方ミスって、もう4年で卒業できへんっていうのが決まるわけですよ。」
「そこでアルバイトとかしてたら、アルバイト先に知り合った先輩が、彼女が近くの女子短大みたいなところで文化祭実行委員やってるから文化祭で漫才ができると。一緒にやらへんか?みたいな誘いを受けたんですよ。」
「その人には言ってなかったですけど、僕、6年の引きこもり明けですけど?と思いながら…でもリハビリになるかなと思って。ま、その先輩と遊んでるのは楽しかったんで。で、引き受けてやってみたら、まぁ内輪受けやから、受けるんですよ、これが。それで勘違いしてしまって。」
「漫才とかはやっぱり好きでしたけど…。頑張ってらっしゃる諸先輩方、同期、これからお笑い界に入ってくる方々にはホントに申し訳ないですけど、ほかが全部ダメやから、もうたまたま出会ったお笑いしかないっていう。お笑いやめたらいよいよホントにやることないな、みたいな状況でずっとやってたんで。」
来週も引き続き、山田ルイ53世さんをお迎えします。
ルネッサ〜ンス!