元ちとせさんの運命を変えた1枚の名刺(2018/12/01 放送)
先週に引き続き、今週も歌手の元ちとせ(はじめ ちとせ)さんをお迎えしました。
11月14日に二ューアルバム『元唄(はじめうた)~元ちとせ 奄美シマ唄集~』をリリースした元さんは、1979年1月5日生まれ。奄美大島の南部に位置する瀬戸内町出身で、小学校5年生の時にまずは三味線を習い始めたそうです。
「私が住んでたのは瀬戸内の中でも本当に田舎で、島の人ですらそこがどこか知らない人が多かった場所なんですよ。で、週に一度、街の公民館講座に三味線を習いに行く、ってなって。そこに週1回行ける!っていう誘惑に乗って、行く行く!って言って通い始めたんですけど、地元に帰ればお祖父ちゃんお祖母ちゃんが三味線を弾く私に喜ぶわけですよ。」
11月14日に二ューアルバム『元唄(はじめうた)~元ちとせ 奄美シマ唄集~』をリリースした元さんは、1979年1月5日生まれ。奄美大島の南部に位置する瀬戸内町出身で、小学校5年生の時にまずは三味線を習い始めたそうです。
「私が住んでたのは瀬戸内の中でも本当に田舎で、島の人ですらそこがどこか知らない人が多かった場所なんですよ。で、週に一度、街の公民館講座に三味線を習いに行く、ってなって。そこに週1回行ける!っていう誘惑に乗って、行く行く!って言って通い始めたんですけど、地元に帰ればお祖父ちゃんお祖母ちゃんが三味線を弾く私に喜ぶわけですよ。」
「へたくそでも、わぁっ!ってなることが嬉しくて。褒めたら伸びるタイプをいかして。で、1週間してまたみんなのところに行くじゃないですか。私だけ凄く上達してるんですよね。それが嬉しくなってメキメキと。」
「とにかく好きで。やっぱりお祖父ちゃんお祖母ちゃんが喜ぶのと、あと一番ビックリしたのは泣くんですよ。いつも強いし笑顔なのにポロッと泣くのを見て、この歌になんでこの人たちが涙する要素があるんだろう?っていつも思っていました。でも、私はその涙がなんかちょっと嬉しかったです。」
当時は歌手になろうとは思っていなかったという元さんですが、中学生の頃からお祭りに呼ばれて歌うようになったそうです。
「大人の人がお祝儀みたいなのをくれるじゃないですか。中学生なので小遣いみたいな感じで嬉しく思ってたんですけど、そしたら母が毎回『今日の歌でお金なんか貰えると思ってんの?』『一人ずつ返してきなさい』って。子供に対してのお小遣いみたいな感じではあったでしょうけど、母的にはこれで伸びなくなるっていうのが一番怖かったんだと思います。」
そして、高校3年生の時に史上最年少で奄美民謡大賞を受賞。それをきっかけにテレビに出たことで、たくさんのレコード会社からスカウトされたという元ちとせさん。中には8時間かけて元さんの家まで来て『ホントに音楽やる気ありませんか?』と話してくれた人もいたそうですが…。
「お母さんが『そんなドラマみたいな話はない。あんた騙されてんのよ』って。『まず話聞いて、美味しい刺身出すからとっとと帰しなさい!』って言われて(笑)」
「で、高校を卒業して美容師をするために大阪に出たんですよ。2年間ぐらい。職場にも恵まれて楽しかったんですけど、パーマ液が自分に合わなくてちょっと体調を崩しちゃったんです。じゃぁ島に帰らなきゃいけないのかな…と思って荷造りしていたら、もう2年たってたんですけど、その人の名刺が落ちてきて。」
「単純に『この会社ってホントにあって、この人ってホントにこの名前で存在してるのかな?』っていうのを調べたくなって電話したんですよ。ホントは音楽をやろうと思ったわけじゃなく…そしたら、その人が電話に出てくれて。」
「で、『出ちゃった…』と思って。『どうした?』って言われて、『いやぁ、音楽やりたいなぁと思って』って。一ミリも思ってなくて、しかも2年もたってたので『何言ってんの君?遅いよ』って言われると思ったら、『え?じゃあ今すぐ来てよ』って。」
その電話が2002年のメジャーデビューに繋がったわけですね。
今回は、そんな元さんの“歌”への想いをたくさん伺うことができました。
「歌に一番いい時ってないじゃないですか。で、毎日毎日が自分を発見するっていう作業なんですよね。歌声を。で、ライブの音源とかでもそうですけど、どこが良かったか、どこが良くなかったのかを叩き込む作業っていうのが割と好きなんですよね。」
「シマ唄の師匠というか、私がビデオとかを擦り切れるほど見て学んできた人がいるんですけど、一度だけプライベートでお会いした時に、その人が私に三味線を弾くバチをくれて『今日自分が歌った歌が今まで一番良かったってもし思ったら、貴女もその日に歌を歌うのをやめなさい』と。明日もっといい歌が歌えるはずだっていうものを常に持ってないと歌う意味はないよっていうことを教えてもらって。」
「誰かになりたいわけじゃないので。自分が何度も聞きたいって思えるぐらいの歌をどんなふうに残していくのかって。まだ全然なんにも見えない未来ですけど、なんか楽しみだなっていうのがあります。一度も歌いたくないって思ったことがないので。」
「一人でやってこれたことじゃないので。側で支えてくれてる人たちが、一番わぁっ!て感動できるものを常に残したいなっていうのはあります。」
「とにかくライブをもっともっと増やしたいって思いますね。」「私にとってのご褒美ですけど、何度もやり直せないですから。その1回だけっていうものをちゃんと詰めていって、100パーに持っていけるようにしたいっていうのはありますね。」
現在の元さんは、故郷の奄美大島を拠点に活動しているそうです。
「自分らしくいられますよね。言葉であったり。子供を叱ってる私を東京で見たら、何を言ってるんだろう?ってなるでしょうから(笑)」
最後に元さんはご自身にとっての挑戦についてこんなふうに話してくれました。
「自分の声色を探していくっていう事です。今回、シマ唄のアルバムを作りましたが、シマ唄は三味線と太鼓と鳩笛…指笛でやるのが基本なんですけど、シマ唄というもので作り上げた自分の声をいろんな楽器に乗せて新しい声色を探していくことがまたオリジナルにも繋がるかなと思って。それが挑戦ですね。」
番組では、そんな元ちとせさんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらを1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームから「元ちとせさんの色紙希望」と書いてご応募ください!