世界最高峰のレースで3位に。トレイルランナー、鏑木毅さんの挑戦(2018/11/03 放送)
先週に引き続き、今週もプロ トレイルランナーの鏑木 毅(かぶらぎ・つよし)さんをお迎えしました。
箱根駅伝を目指して早稲田大学に入ったものの、腰を痛めて断念。卒業後は群馬県庁に勤めて目標のない日々を送っていたという鏑木さんですが、28才の時に、自然の野山を走るスポーツ<トレイルランニング>と出会い、トレーニングを積んで挑戦した初めての大会で優勝します。
箱根駅伝を目指して早稲田大学に入ったものの、腰を痛めて断念。卒業後は群馬県庁に勤めて目標のない日々を送っていたという鏑木さんですが、28才の時に、自然の野山を走るスポーツ<トレイルランニング>と出会い、トレーニングを積んで挑戦した初めての大会で優勝します。
「今まで不良公務員みたいな感じの生活だったんですけども、このトレイルランニングに出会ってからは生きてるテンションが高まって、仕事もすごく楽しくなったんですね。いろんな仕事の企画出したり…今まで絶対にそんなことできなかったのに。すべての人生が上手く回っていって。」
「で、週末ごとに山に行って楽しんで、よし月曜日から頑張るぞ!みたいな感じで。ホントにトレイルランニングに人生を救われましたね。」
そして日本一にもなり、国内の大会はほぼ総なめにしたという鏑木さん。30代中盤からは海外の大会にも出場し、プロへの転向を考えるようになったそうです。
「群馬県庁にはトータルで15年間勤務したんですけども、面白かったです。仕事はすごく楽しくて。ただ、2年3年4年で異動して、引き継いで次の人に渡して…っていう仕事なんですけども、そうすると自分にしかできない!と思っていた仕事も次の方がそつなくこなしていくんですよね。」
「せっかく一回の人生なんで、自分にしかできない仕事をやってみたいなっていう願望が出てきて。それをずっと思いつつ、妻もいて、どう言おうかな…って思ってて。自分でも迷ってたんですね。」
鏑木さんは38才の時、アルプスを駆け抜ける世界最高峰のレース『ウルトラトレイル・デュ・モンブラン』(UTMB)に初挑戦。その時は12位だったそうですが、その翌年の大会へ出発する直前、奥様に「世界で5位になったら県庁辞めてプロになる」と伝えたんだとか。
「そんなんできるわけないから大丈夫よ、って言って行ったところ、世界4位になってしまって。これは…と思って、一念発起で清水の舞台から飛び降りるつもりでプロになったんです。」
「もちろん世界大会で活躍したいっていうのもあるし、このスポーツをこの日本に伝えたいっていう…どっちかって言うとそっちの方が大きかったと思いますね。」
トレイルランニングを始めた時とプロに転向した時が、人生の中での2大ターニングポイントだったという鏑木さん。40才でプロになるとすぐに『ウルトラトレイル・デュ・モンブラン』で3位に入るという快挙を達成します。
「今まである意味、身の保証がある中でやってたんですけど、退路を断ったんで。そのプレッシャーがいい方向に向いて、世界3位になれたのかなって思います。」
「ある意味、走ることが仕事になるわけですけども、いいプレッシャーを上手く使えてるなっていうふうには自分でも思ってますね。」
鏑木さんは先週、トレイルランニングの世界では100マイル(160キロ)のレースを完走した人は“100マイラー”と呼ばれて憧れの対象になるとおっしゃっていましたが、2012年には日本で初の100マイルレース『ウルトラトレイル・マウントフジ』をスタートさせました。
「モンブランのレースに出て…モンブランって山を160キロ、一周回っていくんですけども、物語性があるんですね。スタートして同じ場所に戻ってくるんですけど、その時に違う人間になって戻ってくるような感じなんですね。景色も素晴らしいし、たくさんの人たちが160キロの沿道で応援してくれて。火を燃やして応援してくれたり…。」
「そういうみんなで楽しむカルチャーを日本でもやってみたい。で、日本だったらやっぱり富士なんだろうっていうことで、富士山を一周巡る160キロの大会『ウルトラトレイル・マウントフジ』を作ったんです。私が実行委員長で、自分が感動したレースを日本に伝えたいっていう想いで作ったんですけどね。」
3位に入った2009年を最後に『ウルトラトレイル・デュ・モンブラン』には出場していなかったという鏑木さんですが、来年の夏に再チャレンジするプランがあるそうです。
「50才になるにあたって、かつて40才の時に上がった舞台にもう一回、戻っていきたいっていう想いですね。それが『NEVER』っていうプロジェクトで、来年50才でUTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)に挑戦します。」
「なんて言うんですかね、世間ではもう鏑木は終わったよね、みたいな感じで思われてる…自分もけっこう負けず嫌いなところがあるんで、なにくそ!っていうふうに思ってるところもあるし。あと、もう一回ウワー!ってワクワクするような、気持ちが高ぶるようなことを50才でやってみたいっていう…そっちの方が強いですかね。」
いくつになっても「走れなくなるまで山を走りたいですね」「競技はどうかわからないですけど、山を走ること自体はやめないかもしれないですね」とおっしゃっていた鏑木さん。改めてトレイルランニングの魅力について伺うと、こんな答えが返ってきました。
「山の中を走ってると、ホントにいろんなストレスが消えていくし、気持ちがすごく前向きになるし。あと、インスピレーションだったり、いろんなことが湧いてくるんですよね。山でしか味わえない、山で追い込まないと出てこないんですよね、そういう感情ってものは。」
「楽しいですね。トレランは本当に大好きなんで(笑)」
そして、ご自身にとっての挑戦については「楽しむ心だと思いますね。あえて苦しいことを楽しむ心でやるっていうこと。その一言に尽きると思いますね。」と話してくれました。
番組では、そんな鏑木さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらを1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームから「鏑木 毅さんの色紙希望」と書いてご応募ください!
恵さん「印象的なのは、目尻にしわが何本もある優しい顔ですよ。なんかこの人が上司だったらすごくいいんだろうなって思いますよね。」