十種競技、ゴルフそして芸能界!武井壮さんが百獣の王を目指すわけ(2015/07/18 放送)
先週に引き続き、今週も“百獣の王”武井壮さんをお迎えしました。
陸上の十種競技で日本チャンピオンになった武井さんが、次にチャレンジしたのはなんとゴルフでした。「若い時は勝利欲が凄い強かったんですよ。十種のチャンピオンだけど、100メートルのチャンピオンの方が全然有名なわけですよ。それが許せないわけですよ。そしたらその頃、スーパースターって言ったらタイガー・ウッズだったんですよ。これを目指さないでどうするんだろう、と思って、日本チャンピオンをやめた足ですぐ、僕ゴルフに転向します、ってコーチに言いに行って…」
「まぁ、愚かだったなと思うんですけど、(ウッズに)勝とうと思ったんですよ」という武井さんは、すぐに本屋に行ってゴルフ雑誌を買いあさり、その中の一つに載っていた広告に目がとまったそうです。「ゴルフメーカーさんが、アメリカで日本のタイガー・ウッズを育てると。全面バックアップして、家とかゴルフ場とか全部用意して特待生を募集してると。これだ!と思って」。そして、テストを受けることになった武井さんですが、実はそれまでゴルフの経験はまったくなかったとか。
「テスト会場に行ったら、まぁいるのが日本のそうそうたるトップアマたちですよ。ジュニアのチャンピオンとか高校のチャンピオンとか…。そこに一人、なぜか陸上のジャージを着た武井壮がいて、みんなクスクス笑ってんですよ。まぁ当然のことながら、体力テスト、全部倍ぐらいの記録でぶっちぎりでトップ。ヤベえのが来た!って話になって。で、2日目に、ゴルフのドライバーで球打って球を計測するっていうテストがあって。打ったことがないからどうしようと思って、そこにいたゴルフの高校のチャンピオン捉まえて、握り方教えろ、つって…」
「1回目は空振りしたんですよ。そしたらちょっとザワついてて、あれ、なんか恐ろしくスイング速くねえか?みたいな。で、2球目当たったんですよ。ああ大体この感じだ、と思って。バーンって当たったらコーンって飛んでいって、200ヤードぐらい右に曲がっていったんですよ。でも、そん時のヘッドスピードを測ったら、それがジャンボ尾崎さんとタイガー・ウッズの間ぐらいだったんですよ。それで、生まれて初めて振ったのに、これはもしかしたら可能性があるんじゃないか、つって受かっちゃったんですよ」
それから10ヶ月ほどでスコアを73ぐらいまで伸ばしたという武井さんは、その後、自分でスポンサーを探して、3年ほどアメリカでゴルフをやったんだとか。そして、武井さんが“百獣の王”を目指すきっかけに出会ったのもこの頃だったそうです。「アメリカ北部のオレゴン州に住んでて、山を散歩してたらドデケえ鹿に出会って腰抜かしちゃって。ホントに殺されると思って。で、その帰り道にこんなゴルフとかやってる場合じゃねえやと。もしかしたらこの鹿に会ったことで人生終わってたかも知れないって、一番分厚い動物図鑑を買って帰ってきたのが、まぁ百獣の王の始まりっちゃ始まりですよね。動物とか生き物のことを知っとこうと思って。それでちょっと道がズレたんですよね」
俳優志望だった武井さんのお兄さんは、24才の若さで亡くなったそうです。「やっとテレビとかに出だして良い役とかを貰い始めていた時だったのに亡くなっちゃって…」。当時、十種競技で初めての国際大会に出た頃だったという武井さんは「スポーツでただ食べていくんじゃなくて、スターになりたい。ゴルフとかを目指したのもやっぱりそこが強かったんですよ。有名なアスリートになることで、彼の思いも遂げられるんじゃないかと思ってたんだけど…」とお兄さんへの思いを語ってくれました。
そして「スポーツやってる自分のことをよく考えてみたんですよね。あんまり仲間もいなかったし、けっこう唯我独尊だったんで、勝ちたい!チャンピオンになりたい!有名になりたい!スターになりたい!っていう、凄い欲求の塊みたいな男だったんですよ」と武井さん。しかし、日本に帰ってきて、お兄さんがお世話になっていたタレントさんや芸人さんと出会う機会があり、その人たちに影響を受けて、タレントへの道を歩み始めたんだとか。
「その人たちが歌ったり喋ったりすることで人がウワッと笑顔になったり、涙を流したりするのを見てたら、おいおい魔法使いがいるじゃないかと。俺はスポーツで日本一になったのにこんなこと出来なかったと。でもよく考えたら、僕がやってたのって、自分がやりたいことのためにしかやってなかったから…」
「でも、このお笑い芸人さんは、人がどうやったら笑うのか、喜ぶのかってことを考えてるし、アーティストの人もどうやったら人が自分の曲を聞いて元気になったり、前に踏み出したりってことができるのか、っていうことを考えて作ってるじゃないですか。だから、自分のための仕事なんだけど、そのモチベーションっていうのは、人がプラスの何かを手に入れることっていうのが大前提にある。スポーツに対してそういう思いは全然なかったから…」
「そこが僕の生まれてから一番の敗北で、勝てないと思って。これはとてつもない差だなと。で、この人たちの持ってる魔法をもし手に入れられたら、自分のスポーツとかも、もしかしたら大っきい魔法になるんじゃないかな、とか…」
陸上の十種競技で日本チャンピオンになった武井さんが、次にチャレンジしたのはなんとゴルフでした。「若い時は勝利欲が凄い強かったんですよ。十種のチャンピオンだけど、100メートルのチャンピオンの方が全然有名なわけですよ。それが許せないわけですよ。そしたらその頃、スーパースターって言ったらタイガー・ウッズだったんですよ。これを目指さないでどうするんだろう、と思って、日本チャンピオンをやめた足ですぐ、僕ゴルフに転向します、ってコーチに言いに行って…」
「まぁ、愚かだったなと思うんですけど、(ウッズに)勝とうと思ったんですよ」という武井さんは、すぐに本屋に行ってゴルフ雑誌を買いあさり、その中の一つに載っていた広告に目がとまったそうです。「ゴルフメーカーさんが、アメリカで日本のタイガー・ウッズを育てると。全面バックアップして、家とかゴルフ場とか全部用意して特待生を募集してると。これだ!と思って」。そして、テストを受けることになった武井さんですが、実はそれまでゴルフの経験はまったくなかったとか。
「テスト会場に行ったら、まぁいるのが日本のそうそうたるトップアマたちですよ。ジュニアのチャンピオンとか高校のチャンピオンとか…。そこに一人、なぜか陸上のジャージを着た武井壮がいて、みんなクスクス笑ってんですよ。まぁ当然のことながら、体力テスト、全部倍ぐらいの記録でぶっちぎりでトップ。ヤベえのが来た!って話になって。で、2日目に、ゴルフのドライバーで球打って球を計測するっていうテストがあって。打ったことがないからどうしようと思って、そこにいたゴルフの高校のチャンピオン捉まえて、握り方教えろ、つって…」
「1回目は空振りしたんですよ。そしたらちょっとザワついてて、あれ、なんか恐ろしくスイング速くねえか?みたいな。で、2球目当たったんですよ。ああ大体この感じだ、と思って。バーンって当たったらコーンって飛んでいって、200ヤードぐらい右に曲がっていったんですよ。でも、そん時のヘッドスピードを測ったら、それがジャンボ尾崎さんとタイガー・ウッズの間ぐらいだったんですよ。それで、生まれて初めて振ったのに、これはもしかしたら可能性があるんじゃないか、つって受かっちゃったんですよ」
それから10ヶ月ほどでスコアを73ぐらいまで伸ばしたという武井さんは、その後、自分でスポンサーを探して、3年ほどアメリカでゴルフをやったんだとか。そして、武井さんが“百獣の王”を目指すきっかけに出会ったのもこの頃だったそうです。「アメリカ北部のオレゴン州に住んでて、山を散歩してたらドデケえ鹿に出会って腰抜かしちゃって。ホントに殺されると思って。で、その帰り道にこんなゴルフとかやってる場合じゃねえやと。もしかしたらこの鹿に会ったことで人生終わってたかも知れないって、一番分厚い動物図鑑を買って帰ってきたのが、まぁ百獣の王の始まりっちゃ始まりですよね。動物とか生き物のことを知っとこうと思って。それでちょっと道がズレたんですよね」
俳優志望だった武井さんのお兄さんは、24才の若さで亡くなったそうです。「やっとテレビとかに出だして良い役とかを貰い始めていた時だったのに亡くなっちゃって…」。当時、十種競技で初めての国際大会に出た頃だったという武井さんは「スポーツでただ食べていくんじゃなくて、スターになりたい。ゴルフとかを目指したのもやっぱりそこが強かったんですよ。有名なアスリートになることで、彼の思いも遂げられるんじゃないかと思ってたんだけど…」とお兄さんへの思いを語ってくれました。
そして「スポーツやってる自分のことをよく考えてみたんですよね。あんまり仲間もいなかったし、けっこう唯我独尊だったんで、勝ちたい!チャンピオンになりたい!有名になりたい!スターになりたい!っていう、凄い欲求の塊みたいな男だったんですよ」と武井さん。しかし、日本に帰ってきて、お兄さんがお世話になっていたタレントさんや芸人さんと出会う機会があり、その人たちに影響を受けて、タレントへの道を歩み始めたんだとか。
「その人たちが歌ったり喋ったりすることで人がウワッと笑顔になったり、涙を流したりするのを見てたら、おいおい魔法使いがいるじゃないかと。俺はスポーツで日本一になったのにこんなこと出来なかったと。でもよく考えたら、僕がやってたのって、自分がやりたいことのためにしかやってなかったから…」
「でも、このお笑い芸人さんは、人がどうやったら笑うのか、喜ぶのかってことを考えてるし、アーティストの人もどうやったら人が自分の曲を聞いて元気になったり、前に踏み出したりってことができるのか、っていうことを考えて作ってるじゃないですか。だから、自分のための仕事なんだけど、そのモチベーションっていうのは、人がプラスの何かを手に入れることっていうのが大前提にある。スポーツに対してそういう思いは全然なかったから…」
「そこが僕の生まれてから一番の敗北で、勝てないと思って。これはとてつもない差だなと。で、この人たちの持ってる魔法をもし手に入れられたら、自分のスポーツとかも、もしかしたら大っきい魔法になるんじゃないかな、とか…」
そこで、武井さんはそのタレントさんたちが集まるお店に通い、その人たちのお喋りをボイスレコーダーにこっそり録音していたそうです。「これ怒られるんだけど(笑)。でも必死だったんですよ。それを一人になった時にずっと聞いて、マネして喋るんですよ。なんでこの人の喋ることで笑うんだろう?っていう。それを7〜8年ずうっとやってたんですよ」
「で、40になる手前に勝負しようと思って。その頃に動物の辞書を全部読み切って、どの動物を言われても、倒し方を陽気に喋れるようになってたんですよ(笑)。これでもう一発勝負かけてやろと思って、マネージャーつけてフジテレビで決まったのが、中居正広さんの『うもれびと』って番組だったんですけど。そこで百獣の王を目指しているおかしな人がいるよ、って紹介して頂いたところから今日まで3年間、ほとんどお休みなくお仕事頂けているっていう…」
そして、最後に武井さんはこんなことをおっしゃっていました。「楽しいですよ、恵さん!芸能界だけじゃないですけど。地球楽しいなと」