“百獣の王”武井壮さんが華麗なスポーツ遍歴を語る!(2015/07/11 放送)
今週は、タレント、コメンテーター、俳優としても活躍されている“百獣の王”武井壮さんをお迎えしました。
武井さんは東京の葛飾区出身。スポーツが盛んな中高一貫校に進み、勉強は常に学年トップだったそうです。「母親が離婚して、いなくて、親父は…何て言ったらいいか…他に家庭があったんですよね」。お兄さんと二人暮らしだったそうで、成績が学年で3番以内だと学費がタダになり、トップだと奨学金が貰えるということで勉強を頑張ったんだとか。
「だから、ホントに(勉強が)好きだったとかじゃなく、向上心でもなんでもなく、学校に行きたい、っていうのがあって…」と武井さん。「でもね、別に親とも凄く仲良いですし、今、父親とも凄く仲良くやってますし。一緒にはあんま住めなかったんですけど、凄い愛情は感じてたんで。常に気遣って頂いてましたね」とおっしゃっていました。
子供の頃から凝り性だったという武井さんは、小学生の時にスポーツに目覚めたそう。「2年生の時に運動会があって、負けそうになったんです、同級生に。ギリギリ勝ったぐらいになって。ヤバイ!と思って。それで、3年生ぐらいの時に、全力で家から走って(学校の)門まで何秒かかるか、っていうのを毎日計ってたんですよ」。しかし、それでもタイムが伸びない時があったそうで、おかしいな、と思った武井さんは、同じマンションに住んでいる体育大学の学生さんに体育大の教科書を貰って、体の仕組みから勉強したんだとか。
また、小学5年生の時に、ラケットで打つ野球で毎回ホームランを打てないことを不思議に思ったという武井さん。お父様がビデオに撮ってくれた自分のフォームを見てあることに気付いたそうです。「僕、その映像を見て、雷が落ちてきたみたいにビカビカビカ〜って光って、これだ!と思って…。僕その時、西武ライオンズが好きで、ライオンズの選手のマネして投げたり打ったりしてたんですけど、全然似てなかったんですよ」
「それ(自分のビデオを)見て、あ、俺は思った通りにやってるつもりなだけでやってないんだ…そら当然、打とうと思っても打てないな、っていうことに気付いて。じゃあ、まずは見えてないところも思った通りの形にできるトレーニングをしよう、っていう。だから、技術の練習をする前に武井壮を動かす練習をしなきゃいけないんだ、っていうのに気付いたのが小5の時です。そっからノートにスポーツ理論を書き出したんですよ」
中学の野球部では、ここで勝てば全国大会に行けるという決勝戦で1対0で負けてしまったという武井さん。それを期に野球部を辞めたそうで、陸上を始めたのは神戸学院大学に進学してからだったそうです。
「最初はプロ野球のプロテストを受けようと思ってたんですよ。体も仕上がってきてたんで、いけると思ってたんですけど。秋にプロテストがあるじゃないですか」と大学に入った時のことを話してくれた武井さん。ところが、大学1年の6月に大学のスポーツテストで全種目トップになったことで、いろんな部からスカウトされたんだとか。そして、そんな中、同学年にいた短距離のエースが100メートルを10秒台で走ると聞かされた武井さんは、彼に触発されて陸上を選んだそうです。
短距離走を始めた武井さんは、1ヶ月の合宿を経て出場したデビュー戦で100メートル10秒9の記録をマークし、新聞に載るほどの注目を集めたそう。さらに、翌年には兵庫代表で国体に出場。その国体には天才と呼ばれていた朝原宣治さんも出場していたそうで、武井さんはたまたま朝原さんと同部屋になったとか。
「初めて出た全国大会で同じ部屋になったのが朝原さんだったから、これは!と思って、根掘り葉掘り聞いて。そしたら、朝原くんがその試合で日本記録ですよ。100メートル10秒19。で、僕はまだその時、10秒9とかだったから、0.7秒ぐらい差がある」
「朝原選手の動き見て、ああわかってんな、と。しかも、僕よりも走ることに関してはわかってるから、これに追いつくのは2年だと無理だと思って短距離をやめたんですよ。時間的な問題で間に合わない。じゃあ、陸上でいちばん日本一になりやすい競技は何かな?って考えて、十種競技っていうのが浮かんできて…」
武井さんは東京の葛飾区出身。スポーツが盛んな中高一貫校に進み、勉強は常に学年トップだったそうです。「母親が離婚して、いなくて、親父は…何て言ったらいいか…他に家庭があったんですよね」。お兄さんと二人暮らしだったそうで、成績が学年で3番以内だと学費がタダになり、トップだと奨学金が貰えるということで勉強を頑張ったんだとか。
「だから、ホントに(勉強が)好きだったとかじゃなく、向上心でもなんでもなく、学校に行きたい、っていうのがあって…」と武井さん。「でもね、別に親とも凄く仲良いですし、今、父親とも凄く仲良くやってますし。一緒にはあんま住めなかったんですけど、凄い愛情は感じてたんで。常に気遣って頂いてましたね」とおっしゃっていました。
子供の頃から凝り性だったという武井さんは、小学生の時にスポーツに目覚めたそう。「2年生の時に運動会があって、負けそうになったんです、同級生に。ギリギリ勝ったぐらいになって。ヤバイ!と思って。それで、3年生ぐらいの時に、全力で家から走って(学校の)門まで何秒かかるか、っていうのを毎日計ってたんですよ」。しかし、それでもタイムが伸びない時があったそうで、おかしいな、と思った武井さんは、同じマンションに住んでいる体育大学の学生さんに体育大の教科書を貰って、体の仕組みから勉強したんだとか。
また、小学5年生の時に、ラケットで打つ野球で毎回ホームランを打てないことを不思議に思ったという武井さん。お父様がビデオに撮ってくれた自分のフォームを見てあることに気付いたそうです。「僕、その映像を見て、雷が落ちてきたみたいにビカビカビカ〜って光って、これだ!と思って…。僕その時、西武ライオンズが好きで、ライオンズの選手のマネして投げたり打ったりしてたんですけど、全然似てなかったんですよ」
「それ(自分のビデオを)見て、あ、俺は思った通りにやってるつもりなだけでやってないんだ…そら当然、打とうと思っても打てないな、っていうことに気付いて。じゃあ、まずは見えてないところも思った通りの形にできるトレーニングをしよう、っていう。だから、技術の練習をする前に武井壮を動かす練習をしなきゃいけないんだ、っていうのに気付いたのが小5の時です。そっからノートにスポーツ理論を書き出したんですよ」
中学の野球部では、ここで勝てば全国大会に行けるという決勝戦で1対0で負けてしまったという武井さん。それを期に野球部を辞めたそうで、陸上を始めたのは神戸学院大学に進学してからだったそうです。
「最初はプロ野球のプロテストを受けようと思ってたんですよ。体も仕上がってきてたんで、いけると思ってたんですけど。秋にプロテストがあるじゃないですか」と大学に入った時のことを話してくれた武井さん。ところが、大学1年の6月に大学のスポーツテストで全種目トップになったことで、いろんな部からスカウトされたんだとか。そして、そんな中、同学年にいた短距離のエースが100メートルを10秒台で走ると聞かされた武井さんは、彼に触発されて陸上を選んだそうです。
短距離走を始めた武井さんは、1ヶ月の合宿を経て出場したデビュー戦で100メートル10秒9の記録をマークし、新聞に載るほどの注目を集めたそう。さらに、翌年には兵庫代表で国体に出場。その国体には天才と呼ばれていた朝原宣治さんも出場していたそうで、武井さんはたまたま朝原さんと同部屋になったとか。
「初めて出た全国大会で同じ部屋になったのが朝原さんだったから、これは!と思って、根掘り葉掘り聞いて。そしたら、朝原くんがその試合で日本記録ですよ。100メートル10秒19。で、僕はまだその時、10秒9とかだったから、0.7秒ぐらい差がある」
「朝原選手の動き見て、ああわかってんな、と。しかも、僕よりも走ることに関してはわかってるから、これに追いつくのは2年だと無理だと思って短距離をやめたんですよ。時間的な問題で間に合わない。じゃあ、陸上でいちばん日本一になりやすい競技は何かな?って考えて、十種競技っていうのが浮かんできて…」
そんな経緯で十種競技を始めたという武井さん。そこにもライバルはいたそうですが、武井さんには勝算があったようです。「これだったら、もしかしたら点数の計算上、勝てるんじゃないか?と思って始めて、2年半ぐらい経って、3回目の日本選手権に出た時に(その人の)7連覇を止めて僕が優勝しました」
しかし、狙い通りに十種競技で優勝しても、武井さんの人生は期待した方向には変わらなかったようです。「スターになれると思ったんです。でも、マイナー種目だったこともあって、翌日、優勝した国立競技場の回りを3周ぐらい散歩したのに誰にも声かけられないっていう惨状が待ってたわけです(笑)。何の話題にもなんなくて、あれ、おかしいぞ?と。目指してたのはこんなことじゃなかったな、っていうので、どうしよう?と思って、そこからちょっとねぇ…」
それ以後の武井さんのチャレンジについては、来週詳しく伺います。お楽しみに!