生瀬勝久さんが俳優を目指したきっかけを語る!(2015/06/27 放送)
今週は、俳優の生瀬勝久さんをお迎えしました。
兵庫県西宮市出身の生瀬さん。甲子園の近くで生まれた生瀬(なませ)さんは、小学校3年生の時に同じ西宮市の生瀬(なまぜ)に引っ越し、生瀬小学校に通うことになったそうです。そして、小学校では児童会長、中学では生徒会長にもなったそうで、2才年上のお兄さんも先だって同じ役職を務めていたとか。
また、ご自身の性格について、「真面目だったね。基本、真面目。無骨だったね、どっちかって言うと。平等でいたい、っていうのがまずあるのかも知れないな。だから、偉そうにする人嫌いなんだよ。年取れば取るほど、どんどんそういうの強くなってくるな」と話してくれた生瀬さん。大河ドラマでも共演したこともあるという恵さんは、生瀬さんに「まっすぐな人」という印象を持っているそうです。
やがて同志社大学に進んだ生瀬さんは、20才の時に大阪で観た つかこうへい さんの舞台『蒲田行進曲』にカルチャーショックを受けて、演劇にのめり込んだそうです。「あの舞台ってホントに素の舞台で、セットも何もなく、ジャージみたいなので大きな声出して曲がバーンって鳴って、照明だけで、これだけのものができるんだ、ってことに度肝を抜かれちゃった」
大学入学までに1年浪人して、入ってからも2年留年したという生瀬さん。卒業後は親の知り合いの会社に就職が決まったそうですが、それを蹴ってお芝居の道を選んだそうです。「親に学費払ってもらったし、自分が食っていくためにはどっかに、企業に属さないと…と思って。でも、就職決まって、もうほんとギリギリのところで、両親の目の前で、台所で、ちょっと考えさせてくれ、つって」
就職すれば会社の中でも上手くやっていく自信はあったという生瀬さんは、その頃の心境についてこんな風に話してくれました。「本能的に、これ落ちちゃダメだ!みたいな。何の保証もないし、自分の実力も…でもアウトローになりたかった」「芸術的才能とかそういうものはまだわからない。でも、お芝居は好き。で、ちょうどバブルの手前で、浮き足立ってたっていうかお金があった。バイトもいくらでもあった。だから、バイトしながら好きな芝居をやっていくという人生もあるのかも知れない、いいんじゃないかな、と思った」
そして、「いつも言うんですけど、自分、目標とか夢がないんですよ」と生瀬さん。「これをやりとげたら達成っていうものを置かない。そうするとストレスっていうのがなくなる。なぜかと言うと、達成できないとストレスなんですよ」とおっしゃっていました。
「もちろん努力するよ。好きなことを突き詰めたいから。どういうことかと言うと、芝居でいろんなキャラクターを素敵に演じるっていうことが僕の夢だから」「今度こういう役やりたい、とかっていうのはないのよ。生瀬がまた変な役やってる、今度どうするんだろ?っていう、そういう俳優ですから。だから、いろんなスキルを身につけたいし、いろんな表現方法を身につけたい」
生瀬さんの口からは、主に若手の俳優に対する辛口の発言も飛び出しました。「多いね。いろんな舐めてるヤツとかね。ホントに。いなくなればいいと思う。現場でヘラヘラヘラヘラ…若手!何しにきとんだ!って思うよね。お前ら絶対いなくなるわ!と思って。若くてこれからっていう俳優さんいっぱいいるじゃない。ずっとやってる方もいっぱいいるし、チャンスじゃない。ちょっとの台詞しかない役でも、そこでなぜ努力しないのか!なぜ先輩の芝居を見ないのか?ムダだよ!と思うわけ」
また、生瀬さんはこんなこともおっしゃっていました。「(劇団を辞めた理由は)やっぱり温度差ですね。プロフェッショナルになりたい人と演劇をやるのが楽しいと思う人。今、金をもらってるんだ、チケット代っていうのを頂いてるんだ、っていう。そのためには自分たちが何かを犠牲にしなきゃいけない。それに耐えられるかどうか。僕はやっぱり金をとる俳優になりたいし、そうでなきゃいけないと思ってるんで、つって。金もらってるっていうことは凄いことだね」
↓生瀬さんと恵さんが共演する明石家さんまさん主演の舞台『七人ぐらいの兵士』は来月スタート!
兵庫県西宮市出身の生瀬さん。甲子園の近くで生まれた生瀬(なませ)さんは、小学校3年生の時に同じ西宮市の生瀬(なまぜ)に引っ越し、生瀬小学校に通うことになったそうです。そして、小学校では児童会長、中学では生徒会長にもなったそうで、2才年上のお兄さんも先だって同じ役職を務めていたとか。
また、ご自身の性格について、「真面目だったね。基本、真面目。無骨だったね、どっちかって言うと。平等でいたい、っていうのがまずあるのかも知れないな。だから、偉そうにする人嫌いなんだよ。年取れば取るほど、どんどんそういうの強くなってくるな」と話してくれた生瀬さん。大河ドラマでも共演したこともあるという恵さんは、生瀬さんに「まっすぐな人」という印象を持っているそうです。
やがて同志社大学に進んだ生瀬さんは、20才の時に大阪で観た つかこうへい さんの舞台『蒲田行進曲』にカルチャーショックを受けて、演劇にのめり込んだそうです。「あの舞台ってホントに素の舞台で、セットも何もなく、ジャージみたいなので大きな声出して曲がバーンって鳴って、照明だけで、これだけのものができるんだ、ってことに度肝を抜かれちゃった」
大学入学までに1年浪人して、入ってからも2年留年したという生瀬さん。卒業後は親の知り合いの会社に就職が決まったそうですが、それを蹴ってお芝居の道を選んだそうです。「親に学費払ってもらったし、自分が食っていくためにはどっかに、企業に属さないと…と思って。でも、就職決まって、もうほんとギリギリのところで、両親の目の前で、台所で、ちょっと考えさせてくれ、つって」
就職すれば会社の中でも上手くやっていく自信はあったという生瀬さんは、その頃の心境についてこんな風に話してくれました。「本能的に、これ落ちちゃダメだ!みたいな。何の保証もないし、自分の実力も…でもアウトローになりたかった」「芸術的才能とかそういうものはまだわからない。でも、お芝居は好き。で、ちょうどバブルの手前で、浮き足立ってたっていうかお金があった。バイトもいくらでもあった。だから、バイトしながら好きな芝居をやっていくという人生もあるのかも知れない、いいんじゃないかな、と思った」
そして、「いつも言うんですけど、自分、目標とか夢がないんですよ」と生瀬さん。「これをやりとげたら達成っていうものを置かない。そうするとストレスっていうのがなくなる。なぜかと言うと、達成できないとストレスなんですよ」とおっしゃっていました。
「もちろん努力するよ。好きなことを突き詰めたいから。どういうことかと言うと、芝居でいろんなキャラクターを素敵に演じるっていうことが僕の夢だから」「今度こういう役やりたい、とかっていうのはないのよ。生瀬がまた変な役やってる、今度どうするんだろ?っていう、そういう俳優ですから。だから、いろんなスキルを身につけたいし、いろんな表現方法を身につけたい」
生瀬さんの口からは、主に若手の俳優に対する辛口の発言も飛び出しました。「多いね。いろんな舐めてるヤツとかね。ホントに。いなくなればいいと思う。現場でヘラヘラヘラヘラ…若手!何しにきとんだ!って思うよね。お前ら絶対いなくなるわ!と思って。若くてこれからっていう俳優さんいっぱいいるじゃない。ずっとやってる方もいっぱいいるし、チャンスじゃない。ちょっとの台詞しかない役でも、そこでなぜ努力しないのか!なぜ先輩の芝居を見ないのか?ムダだよ!と思うわけ」
また、生瀬さんはこんなこともおっしゃっていました。「(劇団を辞めた理由は)やっぱり温度差ですね。プロフェッショナルになりたい人と演劇をやるのが楽しいと思う人。今、金をもらってるんだ、チケット代っていうのを頂いてるんだ、っていう。そのためには自分たちが何かを犠牲にしなきゃいけない。それに耐えられるかどうか。僕はやっぱり金をとる俳優になりたいし、そうでなきゃいけないと思ってるんで、つって。金もらってるっていうことは凄いことだね」
↓生瀬さんと恵さんが共演する明石家さんまさん主演の舞台『七人ぐらいの兵士』は来月スタート!
この舞台については、来週、詳しく伺います。お楽しみに!