佐野史郎さんが改めて振り返る“冬彦さん”という挑戦(2017/07/08 放送)
今週は、俳優の佐野史郎さんをお迎えしました。
佐野史郎さんは、1955年山梨県生まれの現在62才。生後すぐに東京都内へ移り、小学校一年生の3学期からは島根県の松江市で育ったそうで、実家は江戸時代から続くお医者様の家系だとか。
「俺が継がなきゃいけなかったんだけど…5代目なんですけどね。今は弟が医者になって開業してますけど。まぁ僕がとにかく全然ダメで…とは言いながら医者の役は多いんですけどね(笑)。参考にはなってます」
ミュージシャンとしても活躍している佐野さん。本格的に音楽にのめり込んでいったのは中学生だった1967年頃だったようです。
67年と言えば、ビートルズが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を発表し、フォーククルセイダーズの「帰って来たヨッパライ」が出た年。佐野さんは、この年に始まった『オールナイトニッポン』を聴きながらヒットチャートを追いかけていったとおっしゃっていました。
そして、高橋ともやさん、岡林信康さん、加藤和彦さんといった日本のフォーク・ミュージシャンからも影響を受けたという佐野さん。16才だった1971年には、島根から夜行列車に乗って、岐阜県の中津川で開催された伝説の野外フェスティバル『フォークジャンボリー』を観に行ったとか。
「観てるんですよ。かぶりつきで。(延々と歌い続けて伝説になった)吉田拓郎さんの『人間なんて』も目の前で観てる。はっぴいえんどの演奏も真ん前で観てる。もう行かずにはおれないですよ。親には“夏休みの社会科の宿題をしにいく”みたいな(笑)」
また、佐野さんはその時、ただフェスティバルを観るだけではなく、『フォークジャンボリー』の事務局で誘われて会場の設営を手伝い、地元のスタッフの家に泊めてもらったそうです。
「朝、知らないのにお母さんが僕に朝ごはんを出してくれるんですよ。味噌汁、美味かったなぁ。フォークジャンボリーのサブタイトルが、“来る者は拒まず、去る者は追わず”って、まさにそうですよね。ホントにああいうフラワーな感じでしたね」
「まだ16ぐらいだったけど、結局、聴いてるもの、読んでるもの、観てる映画とかは大学生の人たちや10才ぐらい上の人たちとだいたい一緒なわけですよ。そういう空気に憧れるわけですよね。で、そういうことをずっと続けていくうちに、(劇作家の)唐十郎さんのところに行かなきゃっていう」
ちなみに、佐野さんは演劇に興味をもつようになった経緯についてはこんなふうに話してくれました。
「島根県の松江にいて、音楽はリアルタイムで聴ける。文学もどんなにサブカルなものでもある程度は読める、映画もちょっと遅れてきてもまぁだいたい名作は観れる。でも、演劇だけは。新劇は回ってくるんですけど、アンダーグラウンド演劇は…。60年代も終わりになると、寺山修司、唐十郎、こういう名前が演劇雑誌だけじゃなくて音楽雑誌にも出てくるわけですよ。そうすると観たいわけですよ。物凄く観たいんだけど、山陰には回ってこないわけですよ」
「物凄く飢えてたんですよ。だから本当はなんでも良かったのかも知れないけど。(音楽と演劇は)つながってましたよね」
先日お亡くなりになった野際陽子さんと92年のテレビ・ドラマ『ずっとあなたが好きだった』で共演した佐野さん。“冬彦さん”の演技が大きな話題となり、社会現象にもなったあの作品について改めて振り返ってくれました。
「もう25年も前なんですけど、毎年ドラマの歴史みたいなのを振り返る番組が必ずあるじゃないですか。すると必ず流れるでしょ」「この間、ドラマの仲間たちと4人ぐらいで手を合わせに行ってご飯を食べて…野際さんの話をずっとしながらね」「まぁ、もう30代ですよ、あの時は。でも、こういう言葉はあれだけど、やっぱり青春(笑)、遅れてきた青春っていうか…。あの組はその後も共演したりとか」
「思い入れのある映画作品やドラマはありますよ。いっぱいあるんだけど、それでもあの90年代の何本か、貴島(誠一郎)さんのプロデュースしたのはやっぱり“一座”ですよね。“組”だったんで、久々に会ってもすぐ戻るし、ちょっと共演者っていうのとは違います。普段仕事をしなくても家族に近い愛情を持っちゃいますよね」
当時、いわゆるトレンディドラマが視聴率30%といった数字を出す中、『ずっとあなたが好きだった』は初回の視聴率が13%だったそうで、佐野さんは「なにくそ!っていうのはやっぱりそりゃありましたよ。で、視聴率を上げるぞ!っていう挑戦(笑)」とおっしゃっていました。
また、元々は劇団出身の佐野さんですが、『ずっとあなたが好きだった』に出演した頃はずっと舞台に立っておらず、「劇場で唐十郎さんの演出に答えられなかった。世に言うアンダーグラウンドな演劇の中では何にもできなかった」という“敗北感”があったとか。
そして「一度、連続ドラマでアングラをやりたいと思っていた。舞台でできなかったことをTVドラマっていうメディアの中でやってみよう」という想いが、あの冬彦さんの演技に繋がったようで、「できなかった宿題を一回提出して再スタートかな、っていうのがあの時期だったような気がしますね」と話してくれました。
佐野史郎さんは、1955年山梨県生まれの現在62才。生後すぐに東京都内へ移り、小学校一年生の3学期からは島根県の松江市で育ったそうで、実家は江戸時代から続くお医者様の家系だとか。
「俺が継がなきゃいけなかったんだけど…5代目なんですけどね。今は弟が医者になって開業してますけど。まぁ僕がとにかく全然ダメで…とは言いながら医者の役は多いんですけどね(笑)。参考にはなってます」
ミュージシャンとしても活躍している佐野さん。本格的に音楽にのめり込んでいったのは中学生だった1967年頃だったようです。
67年と言えば、ビートルズが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を発表し、フォーククルセイダーズの「帰って来たヨッパライ」が出た年。佐野さんは、この年に始まった『オールナイトニッポン』を聴きながらヒットチャートを追いかけていったとおっしゃっていました。
そして、高橋ともやさん、岡林信康さん、加藤和彦さんといった日本のフォーク・ミュージシャンからも影響を受けたという佐野さん。16才だった1971年には、島根から夜行列車に乗って、岐阜県の中津川で開催された伝説の野外フェスティバル『フォークジャンボリー』を観に行ったとか。
「観てるんですよ。かぶりつきで。(延々と歌い続けて伝説になった)吉田拓郎さんの『人間なんて』も目の前で観てる。はっぴいえんどの演奏も真ん前で観てる。もう行かずにはおれないですよ。親には“夏休みの社会科の宿題をしにいく”みたいな(笑)」
また、佐野さんはその時、ただフェスティバルを観るだけではなく、『フォークジャンボリー』の事務局で誘われて会場の設営を手伝い、地元のスタッフの家に泊めてもらったそうです。
「朝、知らないのにお母さんが僕に朝ごはんを出してくれるんですよ。味噌汁、美味かったなぁ。フォークジャンボリーのサブタイトルが、“来る者は拒まず、去る者は追わず”って、まさにそうですよね。ホントにああいうフラワーな感じでしたね」
「まだ16ぐらいだったけど、結局、聴いてるもの、読んでるもの、観てる映画とかは大学生の人たちや10才ぐらい上の人たちとだいたい一緒なわけですよ。そういう空気に憧れるわけですよね。で、そういうことをずっと続けていくうちに、(劇作家の)唐十郎さんのところに行かなきゃっていう」
ちなみに、佐野さんは演劇に興味をもつようになった経緯についてはこんなふうに話してくれました。
「島根県の松江にいて、音楽はリアルタイムで聴ける。文学もどんなにサブカルなものでもある程度は読める、映画もちょっと遅れてきてもまぁだいたい名作は観れる。でも、演劇だけは。新劇は回ってくるんですけど、アンダーグラウンド演劇は…。60年代も終わりになると、寺山修司、唐十郎、こういう名前が演劇雑誌だけじゃなくて音楽雑誌にも出てくるわけですよ。そうすると観たいわけですよ。物凄く観たいんだけど、山陰には回ってこないわけですよ」
「物凄く飢えてたんですよ。だから本当はなんでも良かったのかも知れないけど。(音楽と演劇は)つながってましたよね」
先日お亡くなりになった野際陽子さんと92年のテレビ・ドラマ『ずっとあなたが好きだった』で共演した佐野さん。“冬彦さん”の演技が大きな話題となり、社会現象にもなったあの作品について改めて振り返ってくれました。
「もう25年も前なんですけど、毎年ドラマの歴史みたいなのを振り返る番組が必ずあるじゃないですか。すると必ず流れるでしょ」「この間、ドラマの仲間たちと4人ぐらいで手を合わせに行ってご飯を食べて…野際さんの話をずっとしながらね」「まぁ、もう30代ですよ、あの時は。でも、こういう言葉はあれだけど、やっぱり青春(笑)、遅れてきた青春っていうか…。あの組はその後も共演したりとか」
「思い入れのある映画作品やドラマはありますよ。いっぱいあるんだけど、それでもあの90年代の何本か、貴島(誠一郎)さんのプロデュースしたのはやっぱり“一座”ですよね。“組”だったんで、久々に会ってもすぐ戻るし、ちょっと共演者っていうのとは違います。普段仕事をしなくても家族に近い愛情を持っちゃいますよね」
当時、いわゆるトレンディドラマが視聴率30%といった数字を出す中、『ずっとあなたが好きだった』は初回の視聴率が13%だったそうで、佐野さんは「なにくそ!っていうのはやっぱりそりゃありましたよ。で、視聴率を上げるぞ!っていう挑戦(笑)」とおっしゃっていました。
また、元々は劇団出身の佐野さんですが、『ずっとあなたが好きだった』に出演した頃はずっと舞台に立っておらず、「劇場で唐十郎さんの演出に答えられなかった。世に言うアンダーグラウンドな演劇の中では何にもできなかった」という“敗北感”があったとか。
そして「一度、連続ドラマでアングラをやりたいと思っていた。舞台でできなかったことをTVドラマっていうメディアの中でやってみよう」という想いが、あの冬彦さんの演技に繋がったようで、「できなかった宿題を一回提出して再スタートかな、っていうのがあの時期だったような気がしますね」と話してくれました。
そんな“冬彦さん”という当たり役について、「音楽で言えばヒット曲を持ってるようなものっていうことを言われますけどね」とおっしゃっていた佐野さん。野際さんが亡くなる前にもインタビューで「僕が亡くなったら絶対に『ずっとあなたが好きだった』の木馬に乗ってるシーンが流れるだろう」という話をしていたそうです。
8月30日(水)には、東京の代官山で、元サディステック・ミカ・バンドの小原礼さんや元はっぴいえんどの鈴木茂さん、ティン・パン・アレーやナイアガラで活躍された林立夫さんといったレジェンドなミュージシャンと共演する佐野さん。『SKYE meets 佐野史郎/マイカ・ルブテ』と題されたこのライブについては来週詳しく伺います。
↑『SKYE meets 佐野史郎/マイカ・ルブテ』のチラシと共に