本田圭佑選手の専属分析官、白石尚久さんの挑戦(2017/07/01 放送)
先週に引き続き、今週もサッカーコーチの白石尚久さんをお迎えしました。
高校3年生で本格的にサッカーを始め、明治大学在学中にアルゼンチンのユースのチームへ。その後はフランスでプレーし、27才で現役を引退した白石さん。引退後は代理人やスポーツ・マーケティングといったサッカー関連のビジネスに興味を持ち、日本の広告代理店に入社します。
「例えば、大会を作ったりとか、海外のクラブチームを日本に招聘したりとか。あとは選手のマーケティング周りですよね。選手をCMに起用したりとか、新しい国際大会とか日本代表の試合とか。また新しい挑戦だったので、最初の2,3年は死ぬかと思いましたね。大変でした。全然違う疲労感ですよね」
約4年間、広告代理店に勤めた白石さんは、さらなるチャレンジとしてサッカーの指導者を目指します。
「小さい頃からエンターテイナーっていうのはあったので、やっぱりいろんなものを見る中で、ステージを作るのではなくてステージに立って人を感動させたい、っていうのがありました。じゃあ次はなんだろうというので、指導者というのをやってみたいと」
そして、2008年にスペインの名門・FCバルセロナのスクールコーチに就任。「きっかけは、世界中に履歴書を送ってひっかかったのがここだったんで、そこに行っただけですね。ホントはイギリスのクラブに行きたかったんですけど」。サッカーの指導者になるにはライセンスが必要なので、指導者を目指す中で少しずつ資格を取得していったとか。
スクールコーチとしては6才〜12才の子供達を教えていたそうですが、外国の子供達を教えるのには様々な苦労があったようです。「僕は上手くなるためにここに来ているのに、監督の言っている言葉がわからないからここに来ても意味がない、わからないって泣く男の子がいるんですよね。僕はその時にうわぁショックだ…と思って。僕の力不足だって」
その後は、なんとスペイン女子1部リーグ『サン・ガブリエル』の監督に!現在のところ、男女通じてヨーロッパサッカーの1部リーグで日本人が監督を務めたのは白石さんだけだとか。
「いい勉強になりましたね。36才で監督デビューして自分の中にあるものを全部出し切りましたね。すっからかんになって」「(監督で大変なのは)マネージメントですね。コーチングスタッフのマネージメントと、選手のマネージメントと。あとは会長とか強化部長とのコミュニケーションですね。難しいですね。ホント、中間管理職ですよ」
白石さんにヨーロッパと日本の違いについて聞くと、こんなことを話してくれました。
「日本人の選手を指導したことはあまりないんですけれども、たまに帰ってきて教える時に、こうしなさい、ああしなさいって言うと日本人選手は動くんですね。でも、そういう言い方をしないと子供たちは動かないんですよね。そういうふうに学校教育がなっているので。でも、ヨーロッパの人たちは、言わないと自分で勝手に好きなことをどんどんどんどんやっていくので、その自主性を尊重しながら修正してあげる、行く方向性を導いてあげるっていう」
現在もスペイン在住で、コーチ業以外に本田圭佑選手の“専属分析官”も務めている白石さん。選手時代と指導者になってからの違いについてはこんなことをおっしゃっていました。
「ポジションにもよるんですけど、プレーしている時は、自分が!自分が!っていうのが大きかったですね。やっぱりフランス人と同じことをやっていると僕なんていらないので。いかに違うことをして目立って点を取って結果を残すか。で、指導者になると、選手のパフォーマンスが上がってチームとして勝つっていうところに凄く喜びを感じるようになりましたね」
今後の夢について、「将来的にはですね、ヨーロッパにチャンピオンズ・リーグってあるんですけども、あれの優勝監督になりたいんです。ヨーロッパで一番を決める大会の優勝監督になりたいです」と熱く語ってくれた白石さん。ご自身にとっての“挑戦”についてはこんなふうに話してくれました。
「ライフワークですかね。もう日常の中で普通にあることですね。そうしないと、どんどん自分をイノベーションしていけないし、前に進んでいけないかなと」「あとは情熱ですかね、挑戦って。情熱がないとできないと思います。で、挑戦だと思ってないんで。情熱だから。絶対になにか壁とかそういうのがあると思うんですよね。そんなものは来るのが当然だから、それを乗り越えていかないといけないので」
番組ではそんな白石さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらの色紙を1名様にプレゼントします。このホームページ右のメッセージフォームから「白石尚久さんの色紙希望」と書いてご応募ください!
高校3年生で本格的にサッカーを始め、明治大学在学中にアルゼンチンのユースのチームへ。その後はフランスでプレーし、27才で現役を引退した白石さん。引退後は代理人やスポーツ・マーケティングといったサッカー関連のビジネスに興味を持ち、日本の広告代理店に入社します。
「例えば、大会を作ったりとか、海外のクラブチームを日本に招聘したりとか。あとは選手のマーケティング周りですよね。選手をCMに起用したりとか、新しい国際大会とか日本代表の試合とか。また新しい挑戦だったので、最初の2,3年は死ぬかと思いましたね。大変でした。全然違う疲労感ですよね」
約4年間、広告代理店に勤めた白石さんは、さらなるチャレンジとしてサッカーの指導者を目指します。
「小さい頃からエンターテイナーっていうのはあったので、やっぱりいろんなものを見る中で、ステージを作るのではなくてステージに立って人を感動させたい、っていうのがありました。じゃあ次はなんだろうというので、指導者というのをやってみたいと」
そして、2008年にスペインの名門・FCバルセロナのスクールコーチに就任。「きっかけは、世界中に履歴書を送ってひっかかったのがここだったんで、そこに行っただけですね。ホントはイギリスのクラブに行きたかったんですけど」。サッカーの指導者になるにはライセンスが必要なので、指導者を目指す中で少しずつ資格を取得していったとか。
スクールコーチとしては6才〜12才の子供達を教えていたそうですが、外国の子供達を教えるのには様々な苦労があったようです。「僕は上手くなるためにここに来ているのに、監督の言っている言葉がわからないからここに来ても意味がない、わからないって泣く男の子がいるんですよね。僕はその時にうわぁショックだ…と思って。僕の力不足だって」
その後は、なんとスペイン女子1部リーグ『サン・ガブリエル』の監督に!現在のところ、男女通じてヨーロッパサッカーの1部リーグで日本人が監督を務めたのは白石さんだけだとか。
「いい勉強になりましたね。36才で監督デビューして自分の中にあるものを全部出し切りましたね。すっからかんになって」「(監督で大変なのは)マネージメントですね。コーチングスタッフのマネージメントと、選手のマネージメントと。あとは会長とか強化部長とのコミュニケーションですね。難しいですね。ホント、中間管理職ですよ」
白石さんにヨーロッパと日本の違いについて聞くと、こんなことを話してくれました。
「日本人の選手を指導したことはあまりないんですけれども、たまに帰ってきて教える時に、こうしなさい、ああしなさいって言うと日本人選手は動くんですね。でも、そういう言い方をしないと子供たちは動かないんですよね。そういうふうに学校教育がなっているので。でも、ヨーロッパの人たちは、言わないと自分で勝手に好きなことをどんどんどんどんやっていくので、その自主性を尊重しながら修正してあげる、行く方向性を導いてあげるっていう」
現在もスペイン在住で、コーチ業以外に本田圭佑選手の“専属分析官”も務めている白石さん。選手時代と指導者になってからの違いについてはこんなことをおっしゃっていました。
「ポジションにもよるんですけど、プレーしている時は、自分が!自分が!っていうのが大きかったですね。やっぱりフランス人と同じことをやっていると僕なんていらないので。いかに違うことをして目立って点を取って結果を残すか。で、指導者になると、選手のパフォーマンスが上がってチームとして勝つっていうところに凄く喜びを感じるようになりましたね」
今後の夢について、「将来的にはですね、ヨーロッパにチャンピオンズ・リーグってあるんですけども、あれの優勝監督になりたいんです。ヨーロッパで一番を決める大会の優勝監督になりたいです」と熱く語ってくれた白石さん。ご自身にとっての“挑戦”についてはこんなふうに話してくれました。
「ライフワークですかね。もう日常の中で普通にあることですね。そうしないと、どんどん自分をイノベーションしていけないし、前に進んでいけないかなと」「あとは情熱ですかね、挑戦って。情熱がないとできないと思います。で、挑戦だと思ってないんで。情熱だから。絶対になにか壁とかそういうのがあると思うんですよね。そんなものは来るのが当然だから、それを乗り越えていかないといけないので」
番組ではそんな白石さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらの色紙を1名様にプレゼントします。このホームページ右のメッセージフォームから「白石尚久さんの色紙希望」と書いてご応募ください!