安蘭けいさんが宝塚でのチャレンジを振り返る(2017/04/01 放送)
今週は、女優の安蘭けい さんをお迎えしました。
5月からは東京・天王洲の銀河劇場で、そして6月には富山と北九州で公演を行う舞台『リトル・ヴォイス』に出演する安蘭さん。子供の頃はピンク・レディーに憧れて歌手になりたかったそうで、バレエを習い始めて人前で表現することが好きになり、中学生の時にミュージカルに出会ったとか。
そして、中3の時に宝塚音楽学校を受験しますが、不合格だったので地元の高校に進学。オープニングで「根性の人間です(笑)」とおっしゃっていた通り、それからも毎年、宝塚に挑戦し続けます。
宝塚音楽学校は平均倍率が20倍という狭き門。試験はバレエと歌と面接で、8小節の曲の譜面を渡されて初見で歌うという試験もあるそう。中3、高1の時はあまり手応えがなかったという安蘭さんですが、3度目は受かる気がしていたので落ちたショックが大きかったとか。でも、お父様に「ここまで受けたんだから後1回なんだから受ければいい」と言われて、高校3年生の時に最後のチャレンジに挑んだそうです。
その年は大阪芸術大学のミュージカルコースも受験して、そちらはすでに受かっていたという安蘭さん。宝塚の合格発表の前に入学金を収めないと大学には行けない、という状況だったそうですが、悩んだ結果、「払ったら宝塚には受かんないな。そんな美味しい話ないな」と思い、払わずに退路を断って合格発表に臨んだとか。
そして、4度目の挑戦でついに合格した時の心境を「ああ、良かったぁ。(大学の入学金を)払わなくて良かったぁって(笑)」と話してくれた安蘭さん。お父様も相当嬉しかったようです。「今でもですけど、宝塚の発表の時ってニュースになるじゃないですか。どのチャンネルでも父親が映ってるんですよ(笑)」
厳しいことで有名な宝塚音楽学校。「1年間はホントにもう地獄で。宝塚って阪急グループじゃないですか。阪急グループの一番下なんですよ、1年目って。なので、みなさんよくご存知かも知れませんけど、電車に頭を下げるぐらい、みなさんに頭を下げなきゃいけない」。でも、2年生になると化粧も許されて遊びに行けるようにもなったとか。
「ディスコとかあるじゃないですか。そういうところに行ったりとか。授業とかそっちのけで遊びたいっていう…」とおっしゃっていた安蘭さんですが、成績は良く、学校を主席で卒業。91年に第77期生として宝塚歌劇団に入団します。
安蘭さんの初舞台は月組の『ベルサイユのばら』でした。「これが憧れてた舞台かぁと思ってやっぱ嬉しかったですけど、舞台に立つまでの、最下級生、初舞台生がしなきゃいけないことが結構多くて、また学校と違う規則があるんですよ。主席なので、私がまず40人分の責任をとらなきゃいけない。それがしんどかったですね」
そして、92年からは雪組に配属されます。「正直、あんまり行きたい組がなかったんで…。初めは月組とかに憧れてたんですけど、初舞台で行ってあまりにも厳しいので、あー月組ヤダって。花組もまたちょっと厳しくって。たぶんどこも厳しかったんですけど。だから、どこも一緒だな、どこでもいいわこれだったら、って思ったんですよ(笑)」
5月からは東京・天王洲の銀河劇場で、そして6月には富山と北九州で公演を行う舞台『リトル・ヴォイス』に出演する安蘭さん。子供の頃はピンク・レディーに憧れて歌手になりたかったそうで、バレエを習い始めて人前で表現することが好きになり、中学生の時にミュージカルに出会ったとか。
そして、中3の時に宝塚音楽学校を受験しますが、不合格だったので地元の高校に進学。オープニングで「根性の人間です(笑)」とおっしゃっていた通り、それからも毎年、宝塚に挑戦し続けます。
宝塚音楽学校は平均倍率が20倍という狭き門。試験はバレエと歌と面接で、8小節の曲の譜面を渡されて初見で歌うという試験もあるそう。中3、高1の時はあまり手応えがなかったという安蘭さんですが、3度目は受かる気がしていたので落ちたショックが大きかったとか。でも、お父様に「ここまで受けたんだから後1回なんだから受ければいい」と言われて、高校3年生の時に最後のチャレンジに挑んだそうです。
その年は大阪芸術大学のミュージカルコースも受験して、そちらはすでに受かっていたという安蘭さん。宝塚の合格発表の前に入学金を収めないと大学には行けない、という状況だったそうですが、悩んだ結果、「払ったら宝塚には受かんないな。そんな美味しい話ないな」と思い、払わずに退路を断って合格発表に臨んだとか。
そして、4度目の挑戦でついに合格した時の心境を「ああ、良かったぁ。(大学の入学金を)払わなくて良かったぁって(笑)」と話してくれた安蘭さん。お父様も相当嬉しかったようです。「今でもですけど、宝塚の発表の時ってニュースになるじゃないですか。どのチャンネルでも父親が映ってるんですよ(笑)」
厳しいことで有名な宝塚音楽学校。「1年間はホントにもう地獄で。宝塚って阪急グループじゃないですか。阪急グループの一番下なんですよ、1年目って。なので、みなさんよくご存知かも知れませんけど、電車に頭を下げるぐらい、みなさんに頭を下げなきゃいけない」。でも、2年生になると化粧も許されて遊びに行けるようにもなったとか。
「ディスコとかあるじゃないですか。そういうところに行ったりとか。授業とかそっちのけで遊びたいっていう…」とおっしゃっていた安蘭さんですが、成績は良く、学校を主席で卒業。91年に第77期生として宝塚歌劇団に入団します。
安蘭さんの初舞台は月組の『ベルサイユのばら』でした。「これが憧れてた舞台かぁと思ってやっぱ嬉しかったですけど、舞台に立つまでの、最下級生、初舞台生がしなきゃいけないことが結構多くて、また学校と違う規則があるんですよ。主席なので、私がまず40人分の責任をとらなきゃいけない。それがしんどかったですね」
そして、92年からは雪組に配属されます。「正直、あんまり行きたい組がなかったんで…。初めは月組とかに憧れてたんですけど、初舞台で行ってあまりにも厳しいので、あー月組ヤダって。花組もまたちょっと厳しくって。たぶんどこも厳しかったんですけど。だから、どこも一緒だな、どこでもいいわこれだったら、って思ったんですよ(笑)」
そんな宝塚歌劇団の厳しさについて、安蘭さんはこんなことを話してくれました。
「例えばですね、舞台上で失敗するじゃないですか。そしたら反省っていうのがあって、公演が終わった後に、例えばぶつかったとかだったら、ご迷惑をかけた上級生に謝りに行くんですよ。その言葉が決まってるんです。で、その“てにをは”を間違えたらもう1回戻って、てにをはを失敗したことをまず反省して、本編を反省するんですよ。わかります?これ。2段階(笑)」
入団から16年目の2006年に星組のトップスターに就任した安蘭さんですが、16年目でトップになるというのは遅いんだそう。それまでは「何か一つ残して辞めたい」と思いながらもずっと男役のスター候補生という感じで、お父様に相談して「極めろ!一つのことを極めないとダメだ!」と励まされたこともあったとか。