デーモン閣下が世を忍ぶ仮の学生時代を語る!(2017/03/18 放送)
今週は、デーモン閣下さんをお迎えしました。
恵さんとは毎週水曜日に『ひるおび』で共演しているデーモンさん。3月15日にリリースされた“デーモン閣下”名義では5年ぶりとなるオリジナル・ソロアルバム『EXISTENCE』では、芥川賞作家の羽田圭介さんや、大人気マンガ『テラフォーマーズ』の作者・貴家悠(さすがゆう)さんなどさまざまな方々とコラボレーションしています。
そんなデーモン閣下が音楽を始めたのは、世を忍ぶ仮の中学時代。中2の時にギター部の発表会で自作の歌を披露する先輩を観て、「来年、ギター部に入ろう!」と思ったんだとか。「凄くいい歌だったわけ。すっごいなぁ。中学3年でこんな歌作っちゃうんだって」
ちなみに、その先輩というのは、名ギタリストで松たか子さんの旦那様としても知られる佐橋佳幸さん。また、ギター部でデーモン閣下にギターを教えてくれたのは、現在、演劇の世界で活躍する平田オリザさんだったそうです。
「我輩は2年の時までは演劇部だったのね。演劇部だった我輩がギター部に行って、オリザにギターを教えてもらって。でも、アイツはその後、演劇の世界に行ってるじゃない。面白い中学だよね。今そうやって考えると」
高校時代にも文化祭でギターを持って歌ったというデーモン閣下。ただ、ロック=不良の音楽という厳しい学校だったので、アンプに繋いだりする電気楽器は禁止だったそう。
「2年の時は完全にフォーク。アリスと松山千春を歌ったのね。弾き語りで」「で、3年になってから、アコースティックでやりゃなんでもいいのね?っていうことで、チャレンジですよ。アコースティックでどこまでのことができるのかやってみようぜ!ってやってみたのが、昴、与作、マイ・ウェイ」
小学校高学年の時からラジオっ子で朝から晩までラジオを聞いていたというデーモン閣下。なかでも歌、特に朗々と歌い上げる曲が好きだったそうで、「昴」「与作」「マイ・ウェイ」という3曲の共通点もそこだとおっしゃっていました。
恵さんとは毎週水曜日に『ひるおび』で共演しているデーモンさん。3月15日にリリースされた“デーモン閣下”名義では5年ぶりとなるオリジナル・ソロアルバム『EXISTENCE』では、芥川賞作家の羽田圭介さんや、大人気マンガ『テラフォーマーズ』の作者・貴家悠(さすがゆう)さんなどさまざまな方々とコラボレーションしています。
そんなデーモン閣下が音楽を始めたのは、世を忍ぶ仮の中学時代。中2の時にギター部の発表会で自作の歌を披露する先輩を観て、「来年、ギター部に入ろう!」と思ったんだとか。「凄くいい歌だったわけ。すっごいなぁ。中学3年でこんな歌作っちゃうんだって」
ちなみに、その先輩というのは、名ギタリストで松たか子さんの旦那様としても知られる佐橋佳幸さん。また、ギター部でデーモン閣下にギターを教えてくれたのは、現在、演劇の世界で活躍する平田オリザさんだったそうです。
「我輩は2年の時までは演劇部だったのね。演劇部だった我輩がギター部に行って、オリザにギターを教えてもらって。でも、アイツはその後、演劇の世界に行ってるじゃない。面白い中学だよね。今そうやって考えると」
高校時代にも文化祭でギターを持って歌ったというデーモン閣下。ただ、ロック=不良の音楽という厳しい学校だったので、アンプに繋いだりする電気楽器は禁止だったそう。
「2年の時は完全にフォーク。アリスと松山千春を歌ったのね。弾き語りで」「で、3年になってから、アコースティックでやりゃなんでもいいのね?っていうことで、チャレンジですよ。アコースティックでどこまでのことができるのかやってみようぜ!ってやってみたのが、昴、与作、マイ・ウェイ」
小学校高学年の時からラジオっ子で朝から晩までラジオを聞いていたというデーモン閣下。なかでも歌、特に朗々と歌い上げる曲が好きだったそうで、「昴」「与作」「マイ・ウェイ」という3曲の共通点もそこだとおっしゃっていました。
相撲評論家としても活躍するデーモン閣下ですが、高校時代は毎日のように相撲の本を読んでいたそう。「行きも帰りも。もう取っ替え引っ替え。高校の間に何冊読んだだろう?相撲の本。今それが一番役に立ってる(笑)」
ちなみに、デーモン閣下は幼少期にニューヨークに住んでいたことがある帰国子女。高2の時には、お父様が再びニューヨークに転勤となり、大学生だった世を忍ぶ仮のお姉さんと2人で暮らすことになったとか。「もう親がいないことをいいことに…でも、不良にはなんなかったよ。不良には、ってのもおかしいけど、悪魔なのに(笑))」
その結果、勉強はまったくしていなかったので、大学受験に失敗。「これ、話になんないね、っていう点数しかとってなかったので…。我輩の世を忍ぶ仮の父親は銀行員だったので、行くんだったらここかここより上の学校じゃないと行っても意味がない、みたいなのがちょっとあって。だから現役の年も滑り止め的なところはほぼ受けてなくて。だから、全滅は当たり前なの」。一浪の後に早稲田大学に入学します。
ちなみに、デーモン閣下は幼少期にニューヨークに住んでいたことがある帰国子女。高2の時には、お父様が再びニューヨークに転勤となり、大学生だった世を忍ぶ仮のお姉さんと2人で暮らすことになったとか。「もう親がいないことをいいことに…でも、不良にはなんなかったよ。不良には、ってのもおかしいけど、悪魔なのに(笑))」
その結果、勉強はまったくしていなかったので、大学受験に失敗。「これ、話になんないね、っていう点数しかとってなかったので…。我輩の世を忍ぶ仮の父親は銀行員だったので、行くんだったらここかここより上の学校じゃないと行っても意味がない、みたいなのがちょっとあって。だから現役の年も滑り止め的なところはほぼ受けてなくて。だから、全滅は当たり前なの」。一浪の後に早稲田大学に入学します。
「やりたいことは全部やろうと思ってたので、とりあえず面白そうなものは全部手を出したのね。で、まず演劇は学校のサークルではなく、俳優養成所に行ったのね」と大学時代について話してくれたデーモン閣下。俳優養成所では、恵さんの相方であるホンジャマカの石塚英彦さんと出会い、一緒に映画やドラマのエキストラをやったこともあるとか。
2年生、3年生になると聖飢魔IIでのバンド活動が活発化してプロデビュー目前となり、学校に行く時間がなかったそう。そして、4年生になっていよいよ卒業単位が厳しいぞ…というところに奇跡(?)が!なんと、学費値上げに反対する学生ストライキのために試験がなくなったんだとか。
「凄いでしょ。運命を感じたね。もういい加減ヤバいって時にストライキだ、試験ないって。あのストライキのおかげで卒業できたようなものよ」
来週も引き続き、デーモン閣下をお迎えします。お楽しみに!