ハーバードを出たパックンが日本に来た理由とは?(2021/07/03 放送)
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先週に引き続き、今週もパックンマックンのパックンことパトリック・ハーランさんをお迎えしました。
先週も伺ったように、子供の頃の貧困を乗り越えて、名門ハーバード大学に進学したパックン。ハーバードで得たものをこう振り返ってくれました。
「講義はもちろん良かったですよ。ノーベル受賞者からの講義とか直接学んでることって、ものすごく恵まれた環境なんですけど」
「全寮制です。たぶんそこなんですよ。何よりも得たのは同級生との交流で。こんな生き方、こんな考え方、こんな哲学があるんだ!と」
「授業以外の時間で、食事しながら、飲みながら、夜遊びしながら得られることの方が、圧倒的に大きかった気がしますよね。毎日議論もするし、けなし合い、からかい合い、励まし合い、応援し合い、競争し合い…その刺激で、ものすごく成長するって感じがしたね」
そんなハーバード時代の友人たちとは今も交流があるんだとか。
「あの時に出会ったみんなが戦友っていうか今も大親友なんですよ。僕にとって朝6時、ヨーロッパにとって深夜の11時ぐらいで、アメリカにいる友達にとって午後の5時ぐらいで、みんなオンラインで集まって飲み会やってんですよ。僕は朝イチなんで飲めないんですけど」
「一人が大学の先生で、教育に関しての研究してる。もう一人は歯科の、歯から見える人間の過去を調べてる(笑)。考古学。で、一人がAmazonのヨーロッパ本部に入ってる。で、もう一人が元・世界経済フォーラムのアメリカ局長を努め、今は自分のコンサルティング会社を持ってる。で… 日本でお笑い芸人が一人(笑)。変な集まりですよね」
「(僕は)変な人ですよ。でも、ハーバードは変な人の集合体です。ハーバード大学まで出て日本でお笑い芸人なんかやってんだ?って聞かれますけど…攻撃的に…アメリカでこういう話をすると、みんな、うわぁすげえなぁ、立派だねぇ、カッコいいなって言うんですよ。高学歴はエリートビジネスマンとか政治家にならなきゃいけない、というのはアメリカの考えではないですね」
そして、ハーバード大学を卒業後に来日したパックン。日本に来ることになった経緯をこう話してくれました。
「4年生の時に、進路まったく決まってなかったんですね。で、先週話しました通り、小中高大でまぁわりと頑張った方なんですね。忙しかったし、ずっと働いてたし、ずっと勉強頑張ってたし、ちょっと疲れてたんですよ。そのままエリートビジネスパーソンを目指してビジネスコースに入るのもイヤだし、そのまま大学院に入って弁護士とかお医者さんとか裁判官とか目指していくのも、うーんどうかなぁ…しばらくはこの敷かれたレールから離れたいなと思ったわけ」
「で、そこで友達が、オレ日本に行くから一緒に来ないか?って言って。幼なじみのパトリックくんは、まぁ立派な大学に入って日本語を勉強して広島で留学経験があって、卒業後は文部科学省のJETプログラムで日本に来ることになってんの。で、一緒にどうか?って言って、いいんじゃない?って。ホントに二つ返事で、軽い気持ちで自分の進路を決めたんですよ」
パックンが日本に来て最初に住んだのは、福井県福井市だったそうです。
「それが良かったですよ。みんな車に乗って一軒家に暮らして、案外アメリカに近い生活だなと思って。で、それから2年ぐらい英会話講師をやって、日本語を勉強して、福井の生活がすごく好きになって。日本っていう国もいいなと思うようになったんですよ」
「2年で日本語能力検定試験1級は取れた。これが大学生っていうか四年大学にも通えるレベル、っていうんですよね。でも、たいしたことないですよ。前回も言いましたけど、人間っていう動物は学習能力を持ってます。これが標準装備。で、僕は日本に来てゼロから、この字も発音も文化もまったく違う、語順も違う言語を覚えられて、話術だけで今暮らしてんですよ。できるもんです」
「(それはパックンが頭いいからだよと言われて)間違いない!(笑)。でも、みんなできるんですって。僕も周囲の支えがあって、周囲の励ましがあって、ここまで来れたと思ってるし。で、どうやって恩返しするのかっていうと、次の世代に同じことをやることですよ。恩返しは、やってくれた人に対してじゃなくって、これからやってくれる人に対してやるんですよね」
パックンは、福井から東京に出てきて芸能活動を始めた経緯をこう話してくれました。
「僕、人の助言どおりに動いてるだけなんですよ。こうやれば?って言われて、やるだけでここまで来てる」
「僕は子供の頃から役者をやってて、やりたかったんですよ。で、それを話すと(英会話教室の)教え子の友達が、劇団あるから入ってみる?って」
「で、その劇団で知り合った人が、福井の特設ラジオ局のDJをやってみないか?と。で、そこで知り合ったディレクターが東京から派遣されてた人なんだけど、お前なに芸能界やりたいの?だったら東京出てこいよ、俺デモテープ作るよと」
「で、僕、東京に行くよと友達に話したら、だったらうちに暮らせよ!って言うんですよ。で、現場に行って、そのデモテープとか持ってあちこち行ってるうちに、違う事務所あるよ、こういう事務所あるよ、って言って事務所も紹介してくれて」
「で、そこで知り合った人のホームパーティーに行って。隣に座ったパジャマ姿のおっさんが、俺も事務所やってるから来ないか?って言って、それが今の社長さん」
「お笑い芸人を別にやろうとしているわけではないんだけど、役者やりたいんだったら、お笑いやった方が話題性になってあなたのために誰かが脚本を書いてくれるようになるよ、という人がいて」
「やってみて万が一失敗したとしても、後で笑い話にできるし、経験として後でなんか生きるんじゃないかと思うんですよ。だからこれ、助言どおり動いたらすべてが上手くいったわけではないですよ。未だに脚本書いてもらってないです(笑)。あの人が詐欺師だったかぁ」
「でも、このドアを開けようとする時に、ついでにより広い部屋に入って、いろんなドアが同時に開く…みたいな感じなんですよ。楽しい人生が最終的な目的地で、そこはなんとか今いい感じで向かってるんですね」
今年、最新刊『逆境力 貧乏で劣等感の塊だった僕が、あきらめずに前に進めた理由』を発表したパックン。この本では、ご自身の体験のほか、日本の貧困問題についても書かれていて、困窮する子どもたちに家でも学校でもない“第三の居場所”を提供する日本財団や、教育支援を行うキッズドアなどが紹介されています。
「簡単に言うと、貧困な家庭で育ってる子供が、放課後にあったかいお弁当を食べながら静かな環境で勉強できる、そういうスペースを提供しているだけですよ。で、そこに先輩がいたり、先生がいたりして、ちょっと勉強の手伝いとかもするんですけど、とりあえず放課後に安定した空間にいられる。で、お腹を満たせる。それだけの活動なんですけど、それが子どもたちの人生をまるごと変えてしまう」
「恵さんの青春時代もそうだと思うんですけど、日々日々、自分の感情も体も変わってるじゃないですか。浮き沈みが激しいし、友達に嫌われたとか、好かれたぁとか、干されたぁとか、この絶望と希望の繰り返しじゃないですか。そこで、安定して、いやあなたはいつでもここにいていいよと。で、あったかいご飯が待ってるよと。どうぞ本を読んでいいよ、話し合っていいよ、とりあえず落ち着きな、っていうところがあると、ないと、どんなに人生が変わるか?っていう話ですよ。僕の場合は、友達の家とかに行けば、学校で何があっても受け入れてくれた」
最後に、パックンはご自身にとっての挑戦についてこう話してくれました。
「挑戦とは、WhyとWhy notの力だと思います。なんでそうなの?(why)と、なんでそうじゃなきゃいけないの?(why not)っていう、この2つですよ。Why notはちょっと日本人は馴染みないかもしれないですけど、なんでこうできないの?っていうこの疑問ですよ」
「このWhy notの答えが納得いくものってほとんどないんですよ。なかなか納得しない。だったらやろうか、だったら制度を変えようか、そのWhyとWhy notを聞いてない段階で諦めることが非常に多いと思うんですよ」
「やりたいことがあるなら、なんでできないのか?的な理由をきちんと聞いて納得するんだったらいいよ、諦めても。でも、けっこうねぇ、その理由が思い込みとか先入観とかに基づいてるものが多いから。一個一個ぶっ壊して、挑戦したいことに挑戦しよう。お笑い芸人で生計立てられてるアメリカ人がここで一人喋ってるから、無謀な挑戦もあんがい無謀に終わらないんです!」
番組では、そんなパックンの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらを1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームから「パックンの色紙希望」と書いてご応募ください!
先週も伺ったように、子供の頃の貧困を乗り越えて、名門ハーバード大学に進学したパックン。ハーバードで得たものをこう振り返ってくれました。
「講義はもちろん良かったですよ。ノーベル受賞者からの講義とか直接学んでることって、ものすごく恵まれた環境なんですけど」
「全寮制です。たぶんそこなんですよ。何よりも得たのは同級生との交流で。こんな生き方、こんな考え方、こんな哲学があるんだ!と」
「授業以外の時間で、食事しながら、飲みながら、夜遊びしながら得られることの方が、圧倒的に大きかった気がしますよね。毎日議論もするし、けなし合い、からかい合い、励まし合い、応援し合い、競争し合い…その刺激で、ものすごく成長するって感じがしたね」
そんなハーバード時代の友人たちとは今も交流があるんだとか。
「あの時に出会ったみんなが戦友っていうか今も大親友なんですよ。僕にとって朝6時、ヨーロッパにとって深夜の11時ぐらいで、アメリカにいる友達にとって午後の5時ぐらいで、みんなオンラインで集まって飲み会やってんですよ。僕は朝イチなんで飲めないんですけど」
「一人が大学の先生で、教育に関しての研究してる。もう一人は歯科の、歯から見える人間の過去を調べてる(笑)。考古学。で、一人がAmazonのヨーロッパ本部に入ってる。で、もう一人が元・世界経済フォーラムのアメリカ局長を努め、今は自分のコンサルティング会社を持ってる。で… 日本でお笑い芸人が一人(笑)。変な集まりですよね」
「(僕は)変な人ですよ。でも、ハーバードは変な人の集合体です。ハーバード大学まで出て日本でお笑い芸人なんかやってんだ?って聞かれますけど…攻撃的に…アメリカでこういう話をすると、みんな、うわぁすげえなぁ、立派だねぇ、カッコいいなって言うんですよ。高学歴はエリートビジネスマンとか政治家にならなきゃいけない、というのはアメリカの考えではないですね」
そして、ハーバード大学を卒業後に来日したパックン。日本に来ることになった経緯をこう話してくれました。
「4年生の時に、進路まったく決まってなかったんですね。で、先週話しました通り、小中高大でまぁわりと頑張った方なんですね。忙しかったし、ずっと働いてたし、ずっと勉強頑張ってたし、ちょっと疲れてたんですよ。そのままエリートビジネスパーソンを目指してビジネスコースに入るのもイヤだし、そのまま大学院に入って弁護士とかお医者さんとか裁判官とか目指していくのも、うーんどうかなぁ…しばらくはこの敷かれたレールから離れたいなと思ったわけ」
「で、そこで友達が、オレ日本に行くから一緒に来ないか?って言って。幼なじみのパトリックくんは、まぁ立派な大学に入って日本語を勉強して広島で留学経験があって、卒業後は文部科学省のJETプログラムで日本に来ることになってんの。で、一緒にどうか?って言って、いいんじゃない?って。ホントに二つ返事で、軽い気持ちで自分の進路を決めたんですよ」
パックンが日本に来て最初に住んだのは、福井県福井市だったそうです。
「それが良かったですよ。みんな車に乗って一軒家に暮らして、案外アメリカに近い生活だなと思って。で、それから2年ぐらい英会話講師をやって、日本語を勉強して、福井の生活がすごく好きになって。日本っていう国もいいなと思うようになったんですよ」
「2年で日本語能力検定試験1級は取れた。これが大学生っていうか四年大学にも通えるレベル、っていうんですよね。でも、たいしたことないですよ。前回も言いましたけど、人間っていう動物は学習能力を持ってます。これが標準装備。で、僕は日本に来てゼロから、この字も発音も文化もまったく違う、語順も違う言語を覚えられて、話術だけで今暮らしてんですよ。できるもんです」
「(それはパックンが頭いいからだよと言われて)間違いない!(笑)。でも、みんなできるんですって。僕も周囲の支えがあって、周囲の励ましがあって、ここまで来れたと思ってるし。で、どうやって恩返しするのかっていうと、次の世代に同じことをやることですよ。恩返しは、やってくれた人に対してじゃなくって、これからやってくれる人に対してやるんですよね」
パックンは、福井から東京に出てきて芸能活動を始めた経緯をこう話してくれました。
「僕、人の助言どおりに動いてるだけなんですよ。こうやれば?って言われて、やるだけでここまで来てる」
「僕は子供の頃から役者をやってて、やりたかったんですよ。で、それを話すと(英会話教室の)教え子の友達が、劇団あるから入ってみる?って」
「で、その劇団で知り合った人が、福井の特設ラジオ局のDJをやってみないか?と。で、そこで知り合ったディレクターが東京から派遣されてた人なんだけど、お前なに芸能界やりたいの?だったら東京出てこいよ、俺デモテープ作るよと」
「で、僕、東京に行くよと友達に話したら、だったらうちに暮らせよ!って言うんですよ。で、現場に行って、そのデモテープとか持ってあちこち行ってるうちに、違う事務所あるよ、こういう事務所あるよ、って言って事務所も紹介してくれて」
「で、そこで知り合った人のホームパーティーに行って。隣に座ったパジャマ姿のおっさんが、俺も事務所やってるから来ないか?って言って、それが今の社長さん」
「お笑い芸人を別にやろうとしているわけではないんだけど、役者やりたいんだったら、お笑いやった方が話題性になってあなたのために誰かが脚本を書いてくれるようになるよ、という人がいて」
「やってみて万が一失敗したとしても、後で笑い話にできるし、経験として後でなんか生きるんじゃないかと思うんですよ。だからこれ、助言どおり動いたらすべてが上手くいったわけではないですよ。未だに脚本書いてもらってないです(笑)。あの人が詐欺師だったかぁ」
「でも、このドアを開けようとする時に、ついでにより広い部屋に入って、いろんなドアが同時に開く…みたいな感じなんですよ。楽しい人生が最終的な目的地で、そこはなんとか今いい感じで向かってるんですね」
今年、最新刊『逆境力 貧乏で劣等感の塊だった僕が、あきらめずに前に進めた理由』を発表したパックン。この本では、ご自身の体験のほか、日本の貧困問題についても書かれていて、困窮する子どもたちに家でも学校でもない“第三の居場所”を提供する日本財団や、教育支援を行うキッズドアなどが紹介されています。
「簡単に言うと、貧困な家庭で育ってる子供が、放課後にあったかいお弁当を食べながら静かな環境で勉強できる、そういうスペースを提供しているだけですよ。で、そこに先輩がいたり、先生がいたりして、ちょっと勉強の手伝いとかもするんですけど、とりあえず放課後に安定した空間にいられる。で、お腹を満たせる。それだけの活動なんですけど、それが子どもたちの人生をまるごと変えてしまう」
「恵さんの青春時代もそうだと思うんですけど、日々日々、自分の感情も体も変わってるじゃないですか。浮き沈みが激しいし、友達に嫌われたとか、好かれたぁとか、干されたぁとか、この絶望と希望の繰り返しじゃないですか。そこで、安定して、いやあなたはいつでもここにいていいよと。で、あったかいご飯が待ってるよと。どうぞ本を読んでいいよ、話し合っていいよ、とりあえず落ち着きな、っていうところがあると、ないと、どんなに人生が変わるか?っていう話ですよ。僕の場合は、友達の家とかに行けば、学校で何があっても受け入れてくれた」
最後に、パックンはご自身にとっての挑戦についてこう話してくれました。
「挑戦とは、WhyとWhy notの力だと思います。なんでそうなの?(why)と、なんでそうじゃなきゃいけないの?(why not)っていう、この2つですよ。Why notはちょっと日本人は馴染みないかもしれないですけど、なんでこうできないの?っていうこの疑問ですよ」
「このWhy notの答えが納得いくものってほとんどないんですよ。なかなか納得しない。だったらやろうか、だったら制度を変えようか、そのWhyとWhy notを聞いてない段階で諦めることが非常に多いと思うんですよ」
「やりたいことがあるなら、なんでできないのか?的な理由をきちんと聞いて納得するんだったらいいよ、諦めても。でも、けっこうねぇ、その理由が思い込みとか先入観とかに基づいてるものが多いから。一個一個ぶっ壊して、挑戦したいことに挑戦しよう。お笑い芸人で生計立てられてるアメリカ人がここで一人喋ってるから、無謀な挑戦もあんがい無謀に終わらないんです!」
番組では、そんなパックンの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらを1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームから「パックンの色紙希望」と書いてご応募ください!