吉田栄作さんが音楽活動への想いを語る(2021/04/24 放送)
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先週に引き続き、今週も吉田栄作さんをお迎えしました。
1988年に俳優としてデビューし、翌89年にはシングル「どうにかなるさ -Chasing My Dream-」で歌手デビューも果たした吉田さん。元々、歌手にもなりたかったそうで、デビューのきっかけとなった『ナイスガイ・コンテスト・イン・ジャパン』でもカラオケで歌を披露したんだとか。
そして、1990年にリリースされたのが、チューリップの曲をカバーした3枚目のシングル「心の旅」。ただ、ご本人は往年の名曲をカバーすることに当初は乗り気ではなかったようです。
「『どうにかなるさ』っていう曲がね、ポッキーのコマーシャルソングになりました。で、2枚目に『抱きしめたい』っていう曲があって。でも、なんとなくブレイクしなかったんですよ」
「で、凄い悔しい時に、要は今リバイバルブームだと。ちょっとお前も『心の旅』っていう曲を、今ブームがそっちだから歌ってみないか?っていうふうに僕には聞こえたんです。で、楽曲はもちろん大好きですけど、そのブームに乗るのがイヤだ、っていうのがあって」
「そしたら、プロデューサーの佐久間(雅一)さんが、あっそう、と。でもこれ、お前がもしやるっていうんだったら、お前が大好きな浜田省吾さんのバックバンドでレコーディングをしようと思ってるんだけどさ…って言われてね。やります!と。コロッです(笑)。大人はずるいですよ」
「それでなんと(作詞作曲を手がけたチューリップの)財津(和夫)さんが全部のディレクティングをしてくれたんですよ。リズム録りからミックスダウンまで。ずっとスタジオにいらしてて」
そんな『心の旅』は見事に大ヒットを記録。吉田さんはこの曲で紅白歌合戦に初出場しました。
「発売から(ヒットするまでに)時間はかかったんですけど。それでまた、それが落ち着いた頃に紅白の話が来て…」
「じゃあ衣装をどうにかしないと、ってなるんだけど、何言ってるんですか、俺は(普段どおりの)白T(シャツ)で出ますよ、ジーンズで出ますよ、つったら、いやぁダメダメダメ!って」
吉田さんはそれに対して「じゃあ出ない!」と返したんだとか。
「それで寒いのに白Tとジーンズで出て、それがオンエアされて。そしたらまた翌年からドワァって、また(チャートの)15位ぐらいに跳ね返ってきて。『心の旅』は何度かそういう波がありました」
93年には仙道敦子さんとのデュオ、NOA(ノア)としてシングル「今を抱きしめて」をリリースした吉田さん。日本レコード大賞で優秀賞を受賞したこの曲は、X JAPANのYOSHIKIさんが作詞作曲とプロデュースを手掛けていますが、レコーディングはロサンゼルスで行われたそうで、後に吉田さんが休業してロサンゼルスへ渡る布石となりました。
また、吉田さんは休業の前にアジア・ツアーも実施。さらに、憧れの浜田省吾さんに「真夏の路上 〜午前3時のWILD BOY〜」という曲を提供してもらうという大きな出来事もありました。
「香港からのファンレターを頂いたんです。で、あなたは香港人である私たちにも知られているっていうことをご存知ですか?私はあなたの作品を観てファンです、っていうような1通の手紙から、あ、じゃあちょっと香港に行ってみよう、っていう。で、92年から香港、93年から台湾、っていうふうに活動の場を広げて、日本・香港・台湾でアジア・ツアーをやって、僕は一旦お休みしようかなと思ったんですよね」
「で、浜田省吾さんのところに行って、僕はこういうことを考えてます、と相談したんですよ。それこそ学生時代からずっと、ホントに影響を受けてきた方なんで、僕が休業する前に曲を書いていただけませんか?と。人にあまりお書きにならない人だっていうのは知ってましたから…だけど、わかった、っていうふうに言ってくださって」
「浜田さんって、作詞家としては人の人生を…ご自分の人生も、だと思うんですけど、春夏秋冬に例える方なんですよ。生まれて、青春時代があって、秋を迎えて、最後は冬っていう。で、君はいま真夏だよねと。人生の中の真夏にいると。だから好きなように生きたらいいよ、って言って頂いた曲が『真夏の路上』だったんですよ」
吉田さんは、俳優と音楽活動についてこんなことをおっしゃっていました。
「自分で決めたのは、僕は俳優ですと。戦場は演技ですと。でも、やっぱり音楽っていうのも好きなんで、やめる理由がないんですよ。だから、こっち(俳優)はプロなので、もしかしたらいつか引退とかあるかもしれませんけど、こっち(音楽)はずうっとお金にならなくてもやってるかもしれない。好きなんで」
1988年に俳優としてデビューし、翌89年にはシングル「どうにかなるさ -Chasing My Dream-」で歌手デビューも果たした吉田さん。元々、歌手にもなりたかったそうで、デビューのきっかけとなった『ナイスガイ・コンテスト・イン・ジャパン』でもカラオケで歌を披露したんだとか。
そして、1990年にリリースされたのが、チューリップの曲をカバーした3枚目のシングル「心の旅」。ただ、ご本人は往年の名曲をカバーすることに当初は乗り気ではなかったようです。
「『どうにかなるさ』っていう曲がね、ポッキーのコマーシャルソングになりました。で、2枚目に『抱きしめたい』っていう曲があって。でも、なんとなくブレイクしなかったんですよ」
「で、凄い悔しい時に、要は今リバイバルブームだと。ちょっとお前も『心の旅』っていう曲を、今ブームがそっちだから歌ってみないか?っていうふうに僕には聞こえたんです。で、楽曲はもちろん大好きですけど、そのブームに乗るのがイヤだ、っていうのがあって」
「そしたら、プロデューサーの佐久間(雅一)さんが、あっそう、と。でもこれ、お前がもしやるっていうんだったら、お前が大好きな浜田省吾さんのバックバンドでレコーディングをしようと思ってるんだけどさ…って言われてね。やります!と。コロッです(笑)。大人はずるいですよ」
「それでなんと(作詞作曲を手がけたチューリップの)財津(和夫)さんが全部のディレクティングをしてくれたんですよ。リズム録りからミックスダウンまで。ずっとスタジオにいらしてて」
そんな『心の旅』は見事に大ヒットを記録。吉田さんはこの曲で紅白歌合戦に初出場しました。
「発売から(ヒットするまでに)時間はかかったんですけど。それでまた、それが落ち着いた頃に紅白の話が来て…」
「じゃあ衣装をどうにかしないと、ってなるんだけど、何言ってるんですか、俺は(普段どおりの)白T(シャツ)で出ますよ、ジーンズで出ますよ、つったら、いやぁダメダメダメ!って」
吉田さんはそれに対して「じゃあ出ない!」と返したんだとか。
「それで寒いのに白Tとジーンズで出て、それがオンエアされて。そしたらまた翌年からドワァって、また(チャートの)15位ぐらいに跳ね返ってきて。『心の旅』は何度かそういう波がありました」
93年には仙道敦子さんとのデュオ、NOA(ノア)としてシングル「今を抱きしめて」をリリースした吉田さん。日本レコード大賞で優秀賞を受賞したこの曲は、X JAPANのYOSHIKIさんが作詞作曲とプロデュースを手掛けていますが、レコーディングはロサンゼルスで行われたそうで、後に吉田さんが休業してロサンゼルスへ渡る布石となりました。
また、吉田さんは休業の前にアジア・ツアーも実施。さらに、憧れの浜田省吾さんに「真夏の路上 〜午前3時のWILD BOY〜」という曲を提供してもらうという大きな出来事もありました。
「香港からのファンレターを頂いたんです。で、あなたは香港人である私たちにも知られているっていうことをご存知ですか?私はあなたの作品を観てファンです、っていうような1通の手紙から、あ、じゃあちょっと香港に行ってみよう、っていう。で、92年から香港、93年から台湾、っていうふうに活動の場を広げて、日本・香港・台湾でアジア・ツアーをやって、僕は一旦お休みしようかなと思ったんですよね」
「で、浜田省吾さんのところに行って、僕はこういうことを考えてます、と相談したんですよ。それこそ学生時代からずっと、ホントに影響を受けてきた方なんで、僕が休業する前に曲を書いていただけませんか?と。人にあまりお書きにならない人だっていうのは知ってましたから…だけど、わかった、っていうふうに言ってくださって」
「浜田さんって、作詞家としては人の人生を…ご自分の人生も、だと思うんですけど、春夏秋冬に例える方なんですよ。生まれて、青春時代があって、秋を迎えて、最後は冬っていう。で、君はいま真夏だよねと。人生の中の真夏にいると。だから好きなように生きたらいいよ、って言って頂いた曲が『真夏の路上』だったんですよ」
吉田さんは、俳優と音楽活動についてこんなことをおっしゃっていました。
「自分で決めたのは、僕は俳優ですと。戦場は演技ですと。でも、やっぱり音楽っていうのも好きなんで、やめる理由がないんですよ。だから、こっち(俳優)はプロなので、もしかしたらいつか引退とかあるかもしれませんけど、こっち(音楽)はずうっとお金にならなくてもやってるかもしれない。好きなんで」
6月5日(土)に名古屋のボトムライン、6月6日(日)に大阪のバナナホール、そして6月25日(金)には東京・渋谷のプレジャープレジャーにてライブを行う吉田さん。これは歌手活動30周年を締めくくるツアーで、元々は昨年行われる予定でしたが、コロナの影響で延期になっていました。
「僕の音楽をずっと応援し続けてくれたり、それを人生の糧というか勇気にしてくださってる方たちがたくさんいらっしゃるんで、そういう方たちとこの30年の歩みをしっかりと分かち合えるような、1曲1曲を感じられるような熱いライブになればいいかなと思ってますけどね。だから、古い曲とかもけっこう歌おうと思ってるんです」
今年で52歳になり、俳優としてのデビューから33年目を迎えた吉田さん。最近では舞台などで活躍する一方、大きな話題となったNetflixのオリジナルシリーズ『全裸監督』の続編『全裸監督 シーズン2』(6月24日に配信スタート)にも出演しています。
「続編で時代がバブル期になるんですけど、僕の役は大手銀行の副支店長の役です。実際にいらした方がモデルになってるそうなんですけど、(山田孝之さん演じる主役・村西とおるのところに)あるビッグビジネスを持っていくんですね」「で、その夢を実現するために共に奔走するという。だから、全体の中でちょっとサブストーリーになるんですけど、そこはそこで凄く盛り上がるので」
「そのビッグビジネスって今はネタバレだから言えないんですけど、今だったら当たり前の、普通の、僕らの身近にあるビジネスなんです。けど、それがどのように生まれてきたのかっていう、その歴史もわかるので。ああ、こういうことだったんだ!っていうこともわかるので」
最後に、吉田さんはご自身にとっての挑戦についてこう話してくれました。
「挑戦っていう言葉自体が、なんとなく僕の中では生活っていうか”Life”ですね。だから毎日毎日、挑戦・チャレンジしてますね。僕自身、もの凄く自分は弱い人間だと思ってるんで、やっぱこれを奮い立たせないと」
「トレーニングウェアに着替えて、お前走ってこいと。こっから挑戦です。仕事だってもう30何年やらせてもらってるけど、実はちょっと怖いんですよ、毎回毎回。それもやらなければもう次がないので。やっぱ長くやっていると自分の得意なところで勝負しちゃうじゃないですか。それは逆に言うと先がないんですよね。だから、どんどんどんどん新しいことに…その恐怖心と闘って、自分が自分を超えていかないともう明日はないと思ってるんで、挑戦=My Lifeかなっていう感じがしますね」
番組では、そんな吉田さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらを1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームから「吉田栄作さんの色紙希望」と書いてご応募ください!
↓「52歳なんて若造じゃないですか。まだまだなんで」とおっしゃっていた吉田栄作さん。

