飯沼誠司さんがライフセービングのワールドシリーズを振り返る(2020/08/15 放送)
先週に引き続き、今週もプロライフセーバーの飯沼誠司さんにリモート収録でお話を伺いました。
子供の頃から水泳に打ち込んでいた飯沼さんは、大学時代にライフセービングをスタート。卒業後は旅行代理店に就職することが決まっていたそうですが、就職を前に、ちょうどその頃出来たライフセービング競技のワールドシリーズからオファーされたんだとか。
「そこの会社にもう決めてるんで厳しいっていう話をしたら、会社がいいって言えばいいのかっていう話になって」
そのワールドシリーズの代表が交渉してくれた結果、会社で働きながら月に1回、バリ島やハワイ、オーストラリア、ニュージーランドなどで試合に出場できることになった飯沼さん。男子は30人が参加したというそのシリーズには、飯沼さんがライフセービングを始めるきっかけになった憧れの選手も参戦していたそうです。
「大学で初めて見せてもらった映像に強い選手が出てて、その選手がトレヴァー・ヘンディっていうオーストラリアのレジェンドのスーパーヒーローなんですけど」
当時で世界中に250万人いたというライフセーバー。オーストラリアなどではライフセービング競技の人気は高いそうで、ライフセーバーのトレーディングカードが付いてくるシリアルもあったとか。
「プロ野球チップスとかと一緒ですよね(笑)。まさにそういう憧れの存在だったので、子どもたちもホントにプロのレースを楽しみにしてましたし、僕もそれに出れるってことで凄く興奮してましたね」
ただ、ワールドシリーズに出た飯沼さんは、最初から世界との差を見せつけられる結果になってしまったそうです。
「初戦から海が荒れ狂ってですね(笑)。僕もいきなりリタイア寸前でヘロヘロになってゴールしたっていうのがあるので…。その時にトレヴァー・ヘンディと周回遅れみたいな状況になっちゃって、とんでもなかったですね。1レース目でトレヴァー・へンディが優勝して、ゴールした中では僕が最下位だったんですよね。それがまさに海外との差だなと思って」
そんな海外での経験を日本に持ち帰った飯沼さんは、ライフセービング競技の花形種目『アイアンマンレース』で1997年から全日本選手権5連覇を達成。2006年には、志を同じくする人々と千葉県館山市に『館山サーフクラブ』を設立しました。
「大学1年の時には余裕綽々でビーチに立ってた自分がいるんですけど、今は浜に立つことの緊張感とか恐怖心が凄くありますね。救われなかった命とか救えなかった命とかを見てますし、残された家族を見てますし」
「当事者になってみないと、その一瞬で亡くなる命の尊さとかっていうのはわからない部分もきっとあると思うんですけども、僕らはたくさん見てきているので、どうやったらこれを未然に防げるんだ、っていうことをテーマにやってますね」
実は、飯沼さんにはライフセービングと距離を置きたくなった時期があったとか。
「国内のライフセービングの発展性と海外との差っていうのをなかなか埋めきれてない自分の無力感とか。あとはいろんな仕事に出会って、自分自身も狭い世界しか見てない、っていうものがあったので、湘南の方から渋谷に引っ越して、芸能のお仕事とかも色々させて頂いて。それでドラマとか映画とかにも出させてもらって」
「で、何年かそういう経験をさせてもらった中で、やはり自分ができる原点がライフセービングだなっていうのに気づいて。もう1回形にするとしたら、一からクラブを作って広げていきたいって」
飯沼さんは若手を育てることにも力を入れていて、『館山サーフクラブ』のジュニアは全日本選手権で2年連続優勝を達成しているそうです。
子供の頃から水泳に打ち込んでいた飯沼さんは、大学時代にライフセービングをスタート。卒業後は旅行代理店に就職することが決まっていたそうですが、就職を前に、ちょうどその頃出来たライフセービング競技のワールドシリーズからオファーされたんだとか。
「そこの会社にもう決めてるんで厳しいっていう話をしたら、会社がいいって言えばいいのかっていう話になって」
そのワールドシリーズの代表が交渉してくれた結果、会社で働きながら月に1回、バリ島やハワイ、オーストラリア、ニュージーランドなどで試合に出場できることになった飯沼さん。男子は30人が参加したというそのシリーズには、飯沼さんがライフセービングを始めるきっかけになった憧れの選手も参戦していたそうです。
「大学で初めて見せてもらった映像に強い選手が出てて、その選手がトレヴァー・ヘンディっていうオーストラリアのレジェンドのスーパーヒーローなんですけど」
当時で世界中に250万人いたというライフセーバー。オーストラリアなどではライフセービング競技の人気は高いそうで、ライフセーバーのトレーディングカードが付いてくるシリアルもあったとか。
「プロ野球チップスとかと一緒ですよね(笑)。まさにそういう憧れの存在だったので、子どもたちもホントにプロのレースを楽しみにしてましたし、僕もそれに出れるってことで凄く興奮してましたね」
ただ、ワールドシリーズに出た飯沼さんは、最初から世界との差を見せつけられる結果になってしまったそうです。
「初戦から海が荒れ狂ってですね(笑)。僕もいきなりリタイア寸前でヘロヘロになってゴールしたっていうのがあるので…。その時にトレヴァー・ヘンディと周回遅れみたいな状況になっちゃって、とんでもなかったですね。1レース目でトレヴァー・へンディが優勝して、ゴールした中では僕が最下位だったんですよね。それがまさに海外との差だなと思って」
そんな海外での経験を日本に持ち帰った飯沼さんは、ライフセービング競技の花形種目『アイアンマンレース』で1997年から全日本選手権5連覇を達成。2006年には、志を同じくする人々と千葉県館山市に『館山サーフクラブ』を設立しました。
「大学1年の時には余裕綽々でビーチに立ってた自分がいるんですけど、今は浜に立つことの緊張感とか恐怖心が凄くありますね。救われなかった命とか救えなかった命とかを見てますし、残された家族を見てますし」
「当事者になってみないと、その一瞬で亡くなる命の尊さとかっていうのはわからない部分もきっとあると思うんですけども、僕らはたくさん見てきているので、どうやったらこれを未然に防げるんだ、っていうことをテーマにやってますね」
実は、飯沼さんにはライフセービングと距離を置きたくなった時期があったとか。
「国内のライフセービングの発展性と海外との差っていうのをなかなか埋めきれてない自分の無力感とか。あとはいろんな仕事に出会って、自分自身も狭い世界しか見てない、っていうものがあったので、湘南の方から渋谷に引っ越して、芸能のお仕事とかも色々させて頂いて。それでドラマとか映画とかにも出させてもらって」
「で、何年かそういう経験をさせてもらった中で、やはり自分ができる原点がライフセービングだなっていうのに気づいて。もう1回形にするとしたら、一からクラブを作って広げていきたいって」
飯沼さんは若手を育てることにも力を入れていて、『館山サーフクラブ』のジュニアは全日本選手権で2年連続優勝を達成しているそうです。
「そのジュニアから育った人とも一緒に浜に立って監視活動をやってますね、今。そういう地元の子が地域の海を守るっていう仕組みが日本はできてないので、そういったクラブを無理やり作って自治体を巻き込んでやっていかないと子供の事故ってなかなか減らないと思うんですよね」
「で、その先に人を守れるライフセーバーになってくれればいいんですけど、まずは自分自身を守る、救うっていうこと…そこにきちんと着目したライフセービングを伝えたいっていうことで、ジュニアの教育とかを今やってる状況です」
来年2021年に日本での開催が予定されている生涯スポーツの祭典『ワールドマスターズゲームズ2021関西』。福井県ではライフセービング種目も行われ、飯沼さんもこれにチャレンジするそうです。ちなみに、飯沼さんは現在45歳。
「今、学生とも一緒にトレーニングを日々してますけど、ホントに体がシンドいですね」「苦しいと人って笑うんだな、みたいなことを日々痛感しながらやってますけど」
ライフセービングの世界大会では、選手としても監督としてもチーム戦で銀メダルに輝いたことがあるという飯沼さん。今後は日本の金メダルに貢献したいと考えているそうで、『館山サーフクラブ』以外にも東京の世田谷区でスクールの総合監修を務めているんだとか。
「区の事業の一環として、子供たちの溺水を防ぐっていうのと…ま、水泳教育の新たな形ですよね」「自分の身を守るためのライフセービングを取り入れた水泳教室。これを今、公共施設でやらせてもらってます」
そして、「自分自身が強くならないと人を守ることはできない」「これからも自分自身を磨いていきたいと思っています」とおっしゃっていた飯沼さん。最後にご自身にとっての挑戦についてこう話してくれました。
「私自身も続けることにいろんな意味・意義を持っていて、続けることによってさらにまた新たな挑戦も見えてくると思うので、続けていくことは一つの挑戦だと思ってます」
番組では、そんな飯沼さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらを1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームから「飯沼誠司さんの色紙希望」と書いてご応募ください!