元バトミントン選手の池田信太郎さんがオリンピックを語る(2019/11/23 放送)
先週に引き続き、今週も元バドミントン日本代表の池田信太郎さんをお迎えしました。
子供の頃からずっとバドミントンをやっていた池田さんですが、なかなか“天下を取る”ところまでは行けず、大学卒業後はラケットを置いて学校の先生になろうと思っていたとか。
「それが、大学4年生の冬に全日本選手権があって、インカレの決勝まで行くことができて、全日本も出て、ベスト16まで進むことができたんですよ」
見事に最後のチャンスを掴み、強豪の日本ユニシスに入った池田さん。その時の決意をこう振り返ってくれました。
「3年ぐらいで目が出なかったら仕方ないなと思うぐらい、もう1年1年が勝負だなと思って…」「教員はその後でもチャンスがあるかな、っていうふうに思ったので、やれるところまでやってみようって」
そして、社会人1年目に池田さんの才能を大きく開花させる転機が訪れます。それはダブルスに専念することでした。
「外国人のコーチ…良い指導者に教えてもらったんですよ。池田、絶対お前はダブルスだって」
「ダブルス1本で練習することになって。で、社会人1年目から日本ランキングも少しずつ上になってきて。2年目ぐらいの時に…年齢で言うと24才ぐらいですかね…全日本の社会人の大会があった時に、初めてダブルスで全国優勝するような形になりましたね」
「最初、日本ランキングはゼロだったんですよ。何もなかったところから2年半ぐらいで3位ぐらいまで行って…」「全然変わりましたね。こんなにも自分が通用するのかって」
「ダブルスって非常に面白くて、一人はゲームメイクの役割。もう一人は攻撃の、アグレッシブに動くような役割。けっこう役割が分かれてるんですよ。その役割で言うと、僕は戦略的にゲームを作っていくっていうのにハマったんですよね」
2007年の世界選手権で日本人初となるメダルを獲得し、日本のバドミントン界にとっても新たな1ページを刻んだ池田さん。翌2008年の北京オリンピックにも男子ダブルスで出場しますが、オリンピックは世界選手権とは別物だったとおっしゃっていました。
「世界選手権でメダルを取って、次はオリンピックだっていう強い気持ちを持って行ったんですけども…」
「当時は世界ランキング11位ぐらいでオリンピックに臨んで、その時の全英オープンではベスト4にも入るぐらい、上と勝負できるような実力はあったんですよ。ただ、1回戦で世界ランキング3位のマレーシアの選手と当たって、いざコートに立ってみるとホントに…あんなに緊張したことはなかったな…っていう」
「4年に1回しかないこの場所で勝たなくちゃいけない…自分で自分にプレッシャーをかけちゃった部分があって、4年に1回のこの場所で自分のベストのパフォーマンスを出す難しさっていうのを痛感した大会でしたね」
続く2012年のロンドンオリンピックでは、潮田玲子さんとの“イケシオ”ペアで混合ダブルスに出場した池田さん。35才で現役を引退した後は、バドミントンとはまったく違うビジネスの世界でも活躍しています。
「今基本的な時間を割いているのは、外資系のPRエージェンシーのフライシュマン・ ヒラードっていう会社で…。どちらかと言うと僕は企業の戦略を作る立場で、モノだとか事だとかを売れる仕組みを考えています」
そして、来年の東京オリンピックには“飲食戦略委員”として関わり、日本の食文化を世界の人々に知ってもらうための活動を行っているそうです。
「東京オリンピックを契機に日本の食文化を多くの人に知って頂くにはどうしたらいいか、っていうことを約2年間ぐらい議論してきたんですよね」
「日本の食はみなさんご存知だと思うんですけども、食文化って海外の方はあまり知らない…例えば、“いただきます”だとか“ごちそうさま”だとか“おかわり”だとか」
「選手村で提供するような食事の時に、どうやったらトップのアスリートに“いただきます”といった所作を覚えてもらえるだろうか。広めるためにはどうしたらいいのか。じゃあ、その食材ってどういうものがいいのか、どういう地産地消のものを使ったらいいだろうか、とか」
それに関連して、池田さんは食の安全や環境保全に取り組む農場に与えられるJGAP(ジェイギャップ)認証の普及にも取り組んでいるとか。
「まぁ、わかりやすく安心安全な農業形態ですよ、っていうので…」「それを95%扱ったビュッフェのレストランを今、銀座でやってるんですよ。銀座インズ2の2階『グランイート銀座』です」「野菜とかお肉だとか…なるべく(JGAP認証を)取れてるような食材を95%ぐらい集めてやらせて頂いてて…。ぜひ食べに来てください」
池田さんはご自身のセカンドキャリアについてこんなことをおっしゃっていました。
「スポーツを剥がされたとしてもちゃんと社会で勝負できる人材になりたいなっていうのが、ラケットを置いた時に思ったことなので…」「スポーツでいろんなものを組み立ててた思考が、社会に出てもビジネスにしても非常に役立ってるなっていうのは思いますね」
最後に池田さんはご自身にとっての挑戦についてこう話してくれました。
「シンプルな言葉だと思うんですけども、まぁ“エネルギー”ですね」
「ラケットを置いて、ちょっとぽっかりした時もあったんですよ。淡々と1日を過ごしていることに何か物足りなくなっていくような自分もいたりしたので、やっぱり悔しい思いも辛い思いもしていかないと人生面白くないなって非常に思ってるんですよ」「チャレンジは自分のエネルギーだと思ってますね」
番組では、そんな池田さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらを1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームから「池田信太郎さんの色紙希望」と書いてご応募ください!
子供の頃からずっとバドミントンをやっていた池田さんですが、なかなか“天下を取る”ところまでは行けず、大学卒業後はラケットを置いて学校の先生になろうと思っていたとか。
「それが、大学4年生の冬に全日本選手権があって、インカレの決勝まで行くことができて、全日本も出て、ベスト16まで進むことができたんですよ」
見事に最後のチャンスを掴み、強豪の日本ユニシスに入った池田さん。その時の決意をこう振り返ってくれました。
「3年ぐらいで目が出なかったら仕方ないなと思うぐらい、もう1年1年が勝負だなと思って…」「教員はその後でもチャンスがあるかな、っていうふうに思ったので、やれるところまでやってみようって」
そして、社会人1年目に池田さんの才能を大きく開花させる転機が訪れます。それはダブルスに専念することでした。
「外国人のコーチ…良い指導者に教えてもらったんですよ。池田、絶対お前はダブルスだって」
「ダブルス1本で練習することになって。で、社会人1年目から日本ランキングも少しずつ上になってきて。2年目ぐらいの時に…年齢で言うと24才ぐらいですかね…全日本の社会人の大会があった時に、初めてダブルスで全国優勝するような形になりましたね」
「最初、日本ランキングはゼロだったんですよ。何もなかったところから2年半ぐらいで3位ぐらいまで行って…」「全然変わりましたね。こんなにも自分が通用するのかって」
「ダブルスって非常に面白くて、一人はゲームメイクの役割。もう一人は攻撃の、アグレッシブに動くような役割。けっこう役割が分かれてるんですよ。その役割で言うと、僕は戦略的にゲームを作っていくっていうのにハマったんですよね」
2007年の世界選手権で日本人初となるメダルを獲得し、日本のバドミントン界にとっても新たな1ページを刻んだ池田さん。翌2008年の北京オリンピックにも男子ダブルスで出場しますが、オリンピックは世界選手権とは別物だったとおっしゃっていました。
「世界選手権でメダルを取って、次はオリンピックだっていう強い気持ちを持って行ったんですけども…」
「当時は世界ランキング11位ぐらいでオリンピックに臨んで、その時の全英オープンではベスト4にも入るぐらい、上と勝負できるような実力はあったんですよ。ただ、1回戦で世界ランキング3位のマレーシアの選手と当たって、いざコートに立ってみるとホントに…あんなに緊張したことはなかったな…っていう」
「4年に1回しかないこの場所で勝たなくちゃいけない…自分で自分にプレッシャーをかけちゃった部分があって、4年に1回のこの場所で自分のベストのパフォーマンスを出す難しさっていうのを痛感した大会でしたね」
続く2012年のロンドンオリンピックでは、潮田玲子さんとの“イケシオ”ペアで混合ダブルスに出場した池田さん。35才で現役を引退した後は、バドミントンとはまったく違うビジネスの世界でも活躍しています。
「今基本的な時間を割いているのは、外資系のPRエージェンシーのフライシュマン・ ヒラードっていう会社で…。どちらかと言うと僕は企業の戦略を作る立場で、モノだとか事だとかを売れる仕組みを考えています」
そして、来年の東京オリンピックには“飲食戦略委員”として関わり、日本の食文化を世界の人々に知ってもらうための活動を行っているそうです。
「東京オリンピックを契機に日本の食文化を多くの人に知って頂くにはどうしたらいいか、っていうことを約2年間ぐらい議論してきたんですよね」
「日本の食はみなさんご存知だと思うんですけども、食文化って海外の方はあまり知らない…例えば、“いただきます”だとか“ごちそうさま”だとか“おかわり”だとか」
「選手村で提供するような食事の時に、どうやったらトップのアスリートに“いただきます”といった所作を覚えてもらえるだろうか。広めるためにはどうしたらいいのか。じゃあ、その食材ってどういうものがいいのか、どういう地産地消のものを使ったらいいだろうか、とか」
それに関連して、池田さんは食の安全や環境保全に取り組む農場に与えられるJGAP(ジェイギャップ)認証の普及にも取り組んでいるとか。
「まぁ、わかりやすく安心安全な農業形態ですよ、っていうので…」「それを95%扱ったビュッフェのレストランを今、銀座でやってるんですよ。銀座インズ2の2階『グランイート銀座』です」「野菜とかお肉だとか…なるべく(JGAP認証を)取れてるような食材を95%ぐらい集めてやらせて頂いてて…。ぜひ食べに来てください」
池田さんはご自身のセカンドキャリアについてこんなことをおっしゃっていました。
「スポーツを剥がされたとしてもちゃんと社会で勝負できる人材になりたいなっていうのが、ラケットを置いた時に思ったことなので…」「スポーツでいろんなものを組み立ててた思考が、社会に出てもビジネスにしても非常に役立ってるなっていうのは思いますね」
最後に池田さんはご自身にとっての挑戦についてこう話してくれました。
「シンプルな言葉だと思うんですけども、まぁ“エネルギー”ですね」
「ラケットを置いて、ちょっとぽっかりした時もあったんですよ。淡々と1日を過ごしていることに何か物足りなくなっていくような自分もいたりしたので、やっぱり悔しい思いも辛い思いもしていかないと人生面白くないなって非常に思ってるんですよ」「チャレンジは自分のエネルギーだと思ってますね」
番組では、そんな池田さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらを1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームから「池田信太郎さんの色紙希望」と書いてご応募ください!