親子2代の“シノラー”も…様々な挑戦を続ける篠原ともえさん(2015/08/22 放送)
今週は、篠原ともえさんをお迎えしました。
「篠原は、女優さんでタレントさんでデザイナーさんで歌手で篠原ともえです。・・・宙ガール忘れてた!宙ガールでシノラーで篠原ともえです(笑)。なんでもするんです」と、自己紹介してくれた篠原さん。恵さんから「凄いキレイになりましたよ」なんて言われて、「いやーん、どうして。最近凄く言われるんです(笑)恥ずかしい!」と照れていました。
ちなみに、最近はナレーションやデザインといった“大人っぽい”仕事も来るようになったとか。「そういうのに挑戦していくうちに、あ、篠原、人間らしいっていう一瞬を見て頂いて、自然と大人になれたんです」
「篠原は、女優さんでタレントさんでデザイナーさんで歌手で篠原ともえです。・・・宙ガール忘れてた!宙ガールでシノラーで篠原ともえです(笑)。なんでもするんです」と、自己紹介してくれた篠原さん。恵さんから「凄いキレイになりましたよ」なんて言われて、「いやーん、どうして。最近凄く言われるんです(笑)恥ずかしい!」と照れていました。
ちなみに、最近はナレーションやデザインといった“大人っぽい”仕事も来るようになったとか。「そういうのに挑戦していくうちに、あ、篠原、人間らしいっていう一瞬を見て頂いて、自然と大人になれたんです」
1995年、16才の時に電気グルーヴの石野卓球さんのプロデュースで歌手としてデビューした篠原さん。そのきっかけは中3の時に受けたオーディションだったそう。「しばらくデビューできなかったんですけど、その間にボイストレーニングなんかを受けさせて頂いて。すると、卓球さんと巡り合う機会を頂いたんですよね。その時に卓球さんの前で歌とか歌ったんですけど、面白ね!ってなって。歌よりもキャラクターが面白いね!ってなって…」
デビュー後は、“シノラー”なる流行語を生んだ篠原さんですが、最近も10代のシノラーが増えているんだとか。「嬉しいですよ。だって10代の、それこそお母さんが私のことを知っていたという方がネットとか番組とかで見て、シノラーファッションしてみたい!とか。もう90年代に生まれたかった!とか言ってくれるので、あ〜なんか時代って巡ってくんだな、って」
腕輪や指輪、ハーフパンツ、お団子二つや前髪パッツンなど、一世を風靡したシノラーファッションは篠原さん自身のアイデア。さらにはファンの人が作ってプレゼントしてくれた腕輪なども付けたりしていたんだとか。「見て欲しい!と思ったり、自分に似合うものを突き詰めていったら、自然と生まれたのがシノラーファッションで、篠原の顔をもっと見て欲しいと思って顔にシール貼ったりですとか、動きを見て欲しいと思って腕輪をどんどんつけて…」
「ないものを自分で作って生み出すのが凄く楽しくって。でも、1にすると、みんなが100にしてくれるの。だから、篠原が腕輪を作ってテレビですると、もう次の週とかにはそれが商品になって原宿で売ってたりとかするの。それが面白いの。なんか時代と追いかけっこしてるような」
中学生の時の夢が「芸能人、漫画家、デザイナー」だったという篠原さん。自分で作ったビデオで全国コンクールで優勝したこともあるんだとか。「篠原、放送委員だったんですよ。ナレーションが好きで。私、軽音部にも入ってたので、軽音部の紹介ビデオを作るみたいな。廃部になりそうなんだけど、みんなの前で篠原が歌ったら、部員が増えたっていう(笑)。自分の脚本みたいなのを書いて応募したら1位になって…」
そして「その時に、いかに夢中になったものが今に繋がるかっていうのは…ちょっと怖いもんなしでなんでもやってみちゃおう!みたいな時期ですよね」と、中学時代について話してくれた篠原さん。高校はデザイン科に進んだそうで、部活は放送部、軽音部、それに天文部にも入っていたそう。「それが今のナレーターのお仕事とか、歌のお仕事とか、あと星が好きな今の物語に全部繋がっています」
高校の家政科に進むことも考えていたというお裁縫好きの篠原さんが、今年5月に出したのが『ザ・ワンピース』という本です。「自分で一生着られるお洋服を一着でいいから作ってみようよ、っていうコンセプトで作ったのが、この『ワンピース』っていうご本なんですけど」と篠原さん。ワンピースの作り方から型紙もついた本格的な1冊になっています。
「このワンピースの本を出したら、お祖母ちゃんと一緒に初めてお裁縫をしました、とか、お母さんは実はお裁縫大好きだったんです、とか…。親子のコミュニケーションになるんですよね。お子さんに作ってあげたりとか」
お祖母さんがお針子さんだったという篠原さんは、こんなことも話してくれました。「私、ある時にお祖母ちゃんから着次ぎでお着物を頂いたことがあったんです。で、置物をしつらえ直そうと思って、運針っていう、この並縫いの糸をほどいたんですね。そしたら、その目が凄く細かくて、ほどく時にお祖母ちゃんの人となりが全部お着物から伝わってきたんですね。で、私は孫の代まで残せる何かを今自分は作ってるんだろうか?って凄く問いかけになったんですよ」
「私、シノラー時代から実はずうっとデザイナーになりたいな、って思ってたんですね」という篠原さん。そして、当時から篠原さんのデザイナーとしての可能性に気付いていた唯一の人が、あの吉田拓郎さんだったとか。「10代の時に、篠原はファッションデザイナーになったらいいよ、って言ってくれたんです。で、どうして?って言ったら、篠原のお洋服を見てると、ミュージシャンの僕でも楽しい気持ちになれるから、って」
「じゃ、篠原これからも自分のお洋服、いっぱい派手派手でデザインします!って言ったら、違うって。アイデアっていうのは、自分のためじゃなくて、人に捧げるものなんだって。誰かにいつかデザインしてあげなさい、って言ってくれたの」。そして数年前、松任谷由実さんのステージ衣装を手がけることになった篠原さんは、真っ先に吉田拓郎さんにそのことを報告したんだとか。
↓こちらがワンピースの本『ザ・ワンピース』
来週も引き続き、篠原ともえさんをお迎えします。お楽しみに!