日本からアメリカ、アジアへ…DEAN FUJIOKAさんが俳優になった理由(2017/12/09 放送)
今週は、DEAN FUJIOKAさんをお迎えしました。
俳優で、12月20日にセカンドEP『Let it snow!』をリリースするDEAN FUJIOKAさんは、1980年福島県生まれの現在37才。千葉県で育ち、高校卒業後はアメリカへ渡って、IT関連の学校に行ったそうです。
「とにかく早い段階で海外に行きたかった」「ぼやっと世の中の流れ的にそういうインターネットの分野が面白いんじゃないかなとか思ってましたけど」というDEANさんですが、実は海外を目指した最大の理由は他にあったとか。
「僕、花粉症が酷くて。毎年春になるとしんどかったんですよ。中学校で花粉症になって花粉症のないところに行きたいって思うようになって」
「(アメリカの)西はないですね。僕が反応する花粉はなかったです。人によってはあるかもしれないですけど。一番の理由はそれですね。でも、さすがに花粉症だからアメリカ行ってじゃあどうすんの?って話になるじゃないですか。だから後付けで、いや、世の中これからはITでしょ、みたいな(笑)」
約5年間をアメリカで過ごしたDEANさんは、その後アジア各地を周り、韓国、中国、ベトナム、カンボジア、タイなどを訪れたそう。そして、香港でクラブやライブハウスに行っていたところを地元のファッション雑誌の編集者に「モデルをやってみないか?」と声をかけられて、表現者としての仕事をするようになったんだとか。
「(それまでに)そういう(表現をする)機会もちらほらとあったんですけど、そこに対して、自分がこれをやりたい!っていうふうに強く思えなかったんですよね」
「不安でしたよ。自分の人生どうなんのかな?って。今考えると漠然とこう…同い年ぐらいの人たちってもう就職してる時期ですよね。さすがにアメリカで生活すると、そういうの比較すること自体が無意味だって思うようにはなってたけど、次どうしようかなっていうのはあったんで…」
「とりあえず生活していくためになんでもトライしてみようと思って、自分が勉強していたITの関係でウェブ・デザインとかグラフィック・デザインのお仕事をやってみたりとか、モデルの仕事をやってみたりとか。いろいろやって、それが俳優としての一番最初の作品に繋がってった感じですね」
「でも、なんかこう変な自信があって。アメリカの生活を経て、なんとかなるだろう、みたいな。どこ行っても生きていけるだろうなっていうのはあったので…。でもヤセ我慢ですよね。(両親とは)連絡取ってなかったです、その頃。だから結構心配してたと思いますね、今考えると」
モデルとしてCMやミュージック・ビデオの仕事をしているうちに演技の面白さに気づいたというDEANさんは、2005年に制作された香港映画『八月の物語』のオーディションを受けて、見事、主役の一人に抜擢されます。
「モデルの、あの凄く密度の濃い、毎日いろんな仕事を掛け持ちしながらやった…短かったけどあの期間を経てここに繋がったっていう感じですかね」
「この段階でまだエンターテイメント以外の仕事もちょこちょこしてましたけど、俳優として初めてこの仕事をやった時に、ああもうこれしかないなって思いましたね。ホント現場にいるのが楽しくて、自分の出番ないのにそこでフィルム・クルーと一緒にいました」
「クルーも、僕のことを俳優としてだけじゃなくてプリプロもポスプロもずっと一緒に連れ回してくれたんですよ。どうやってシナリオ・ハンティングをするかとか、どうやってロケーションを選ぶかとか全部。映画制作特訓コースみたいなのに混ぜてもらった感じですね」
「もちろん外国人なんで、社会との接点って作るのむっちゃ難しいじゃないですか」「もしかしたら、人と繋がる、社会に求められるというか、接点が作れたかどうかっていうのが凄く大きかったと思うんですよね。ホント、出会いに恵まれました。こういう生き方があるんだっていうのをまじまじと見せてもらった感じですかね」
そして、出演した映画が台湾などの映画祭で注目を集めたこともあって、DEANさんには台湾からもドラマの仕事のオファーが来たそう。
俳優で、12月20日にセカンドEP『Let it snow!』をリリースするDEAN FUJIOKAさんは、1980年福島県生まれの現在37才。千葉県で育ち、高校卒業後はアメリカへ渡って、IT関連の学校に行ったそうです。
「とにかく早い段階で海外に行きたかった」「ぼやっと世の中の流れ的にそういうインターネットの分野が面白いんじゃないかなとか思ってましたけど」というDEANさんですが、実は海外を目指した最大の理由は他にあったとか。
「僕、花粉症が酷くて。毎年春になるとしんどかったんですよ。中学校で花粉症になって花粉症のないところに行きたいって思うようになって」
「(アメリカの)西はないですね。僕が反応する花粉はなかったです。人によってはあるかもしれないですけど。一番の理由はそれですね。でも、さすがに花粉症だからアメリカ行ってじゃあどうすんの?って話になるじゃないですか。だから後付けで、いや、世の中これからはITでしょ、みたいな(笑)」
約5年間をアメリカで過ごしたDEANさんは、その後アジア各地を周り、韓国、中国、ベトナム、カンボジア、タイなどを訪れたそう。そして、香港でクラブやライブハウスに行っていたところを地元のファッション雑誌の編集者に「モデルをやってみないか?」と声をかけられて、表現者としての仕事をするようになったんだとか。
「(それまでに)そういう(表現をする)機会もちらほらとあったんですけど、そこに対して、自分がこれをやりたい!っていうふうに強く思えなかったんですよね」
「不安でしたよ。自分の人生どうなんのかな?って。今考えると漠然とこう…同い年ぐらいの人たちってもう就職してる時期ですよね。さすがにアメリカで生活すると、そういうの比較すること自体が無意味だって思うようにはなってたけど、次どうしようかなっていうのはあったんで…」
「とりあえず生活していくためになんでもトライしてみようと思って、自分が勉強していたITの関係でウェブ・デザインとかグラフィック・デザインのお仕事をやってみたりとか、モデルの仕事をやってみたりとか。いろいろやって、それが俳優としての一番最初の作品に繋がってった感じですね」
「でも、なんかこう変な自信があって。アメリカの生活を経て、なんとかなるだろう、みたいな。どこ行っても生きていけるだろうなっていうのはあったので…。でもヤセ我慢ですよね。(両親とは)連絡取ってなかったです、その頃。だから結構心配してたと思いますね、今考えると」
モデルとしてCMやミュージック・ビデオの仕事をしているうちに演技の面白さに気づいたというDEANさんは、2005年に制作された香港映画『八月の物語』のオーディションを受けて、見事、主役の一人に抜擢されます。
「モデルの、あの凄く密度の濃い、毎日いろんな仕事を掛け持ちしながらやった…短かったけどあの期間を経てここに繋がったっていう感じですかね」
「この段階でまだエンターテイメント以外の仕事もちょこちょこしてましたけど、俳優として初めてこの仕事をやった時に、ああもうこれしかないなって思いましたね。ホント現場にいるのが楽しくて、自分の出番ないのにそこでフィルム・クルーと一緒にいました」
「クルーも、僕のことを俳優としてだけじゃなくてプリプロもポスプロもずっと一緒に連れ回してくれたんですよ。どうやってシナリオ・ハンティングをするかとか、どうやってロケーションを選ぶかとか全部。映画制作特訓コースみたいなのに混ぜてもらった感じですね」
「もちろん外国人なんで、社会との接点って作るのむっちゃ難しいじゃないですか」「もしかしたら、人と繋がる、社会に求められるというか、接点が作れたかどうかっていうのが凄く大きかったと思うんですよね。ホント、出会いに恵まれました。こういう生き方があるんだっていうのをまじまじと見せてもらった感じですかね」
そして、出演した映画が台湾などの映画祭で注目を集めたこともあって、DEANさんには台湾からもドラマの仕事のオファーが来たそう。
「同じ時期に2つのドラマのオファーを頂いたんですよ。香港に住んでたら無理じゃないですか、長編のドラマやるってなったら。で、凄い迷ったんですけど、友達もいたし、仕事も香港で形になってたから…」
「でも、いろんなところに行っていろんな仕事をした中で、中国を含めたアジアで生きていくためには(香港で使われている広東語ではなく)北京語を喋れないと自分の未来が見えなかったんですよね。やっぱり北京語に切り替えるべきだななって思って」
「じゃあ、台湾でもう1回新人やるかみたいな感じで引っ越しましたね。そん時はホントに飛び降りる感じですね。当時は香港が凄く心地よかったから…」
ずっと音楽が好きだったというDEAN FUJIOKAさん。台湾の次はインドネシアへ行ったそうですが、そこには音楽への思いもあったようです。
「一回自分と向き合う、みたいな感覚の方が強かったですけど、自分で音楽を作ろうと思って。その時、自分が作るところからやらないとダメな気がしちゃったんですよね。どうしてこういうエンターテイメントの仕事をしたいって思ったのか?っていうのをちょっと振り返るタイミングになったっていうか。いろいろ試した中で、最終的にジャカルタでもっと冷静に自分のペースでやれるなと思って」
「でも、その後がシンドかったですよ。ジャカルタと台北を行ったり来たりして、ジャカルタで音楽作って散財して(笑)。で、中華圏でまた今までやってたことをやって仕事して…みたいなのをずっと繰り返しやってたんですね。それまで通りにはいかないじゃないですか。ずっとそこで毎日いろんなことを頑張ってやってた時期とは全然違いますよね」

「全部スポーツブランドです、僕。いつでもストレッチとか、それこそシャドーボクシングとか、ワークアウトできる方が好きなんですよね」とおっしゃていたDEAN FUJIOKAさん。来週は、日本でのチャレンジや新作EP『Let it snow!』について伺います。