子供達のためにもハンドボールをメジャーに!宮崎大輔さんの挑戦(2017/05/06 放送)
先週に引き続き、今週もプロハンドボール選手の宮崎大輔さんをお迎えしました。
大学時代にハンドボールの盛んなスペインへ留学したことをきっかけに大学を中退し、実業団チームの大崎電気に入団した宮崎さん。プロリーグではないものの、入団時からずっとプロ契約のような形で会社には行かなくていい立場だそうです。
「大崎電気は家の外でグルグル回ってるようなメーターを作ってるんですけど、そこぐらいしかちょっとわからないですね。電気のメーター、東日本はほぼ大崎電気だと思います。だから、今日家に帰ったら、それともいま家にいる人はぜひ外を見てもらいたいですね。もしかしたら大崎電気が回ってるかもしれない。大崎電気って書いてます。ちなみに、僕が住んでるマンションも大崎電気でした(笑)」
9月から3月の中旬まで週1のペースで試合があるというハンドボールの日本リーグ。9チーム中、上位4チームが3月中旬のプレーオフに出場し、その結果で1位が決まるそうです。大崎電気は、宮崎さんが入団した年に優勝。宮崎さんはいきなり最優秀殊勲賞とベスト7、MVP、新人王に輝くなどの大活躍を見せます。
また、宮崎さんは2004年のアテネ五輪から日本代表としても予選に出場していますが、まだオリンピックには出場できていません。
「日本はオリンピックってなるといろいろとテレビでも取り上げられますし、記事になるので、やっぱりハンドボールをメジャーにしていくためにはオリンピックというのは不可欠だなというのは強く思いましたね」と宮崎さん。予選に出場した4回の中では、得失点差で出場を逃した2004年のアテネの予選が一番惜しかったとおっしゃっていました。
「オリンピックはやっぱり違いますね。やっぱり僕らの目標とするとこでもあるし、夢でもあるし、みんなの夢でもあると思うんですよね」
そして、オリンピック出場を逃したことで、1点の重みを強く感じたという宮崎さんは、再び海外へのチャレンジを決意。大学時代のスペイン留学では3部リーグ、2部リーグでプレイしたそうですが、この時は日本人初となる1部リーグでのプロ契約にチャレンジします。
「何か環境を変えなきゃいけないっていうのがありましたし、僕個人も もっともっと伸ばしていかなきゃいけないなと。団体の競技なんですけど、個人がどれだけできるかっていうのもあるので」
大学時代にハンドボールの盛んなスペインへ留学したことをきっかけに大学を中退し、実業団チームの大崎電気に入団した宮崎さん。プロリーグではないものの、入団時からずっとプロ契約のような形で会社には行かなくていい立場だそうです。
「大崎電気は家の外でグルグル回ってるようなメーターを作ってるんですけど、そこぐらいしかちょっとわからないですね。電気のメーター、東日本はほぼ大崎電気だと思います。だから、今日家に帰ったら、それともいま家にいる人はぜひ外を見てもらいたいですね。もしかしたら大崎電気が回ってるかもしれない。大崎電気って書いてます。ちなみに、僕が住んでるマンションも大崎電気でした(笑)」
9月から3月の中旬まで週1のペースで試合があるというハンドボールの日本リーグ。9チーム中、上位4チームが3月中旬のプレーオフに出場し、その結果で1位が決まるそうです。大崎電気は、宮崎さんが入団した年に優勝。宮崎さんはいきなり最優秀殊勲賞とベスト7、MVP、新人王に輝くなどの大活躍を見せます。
また、宮崎さんは2004年のアテネ五輪から日本代表としても予選に出場していますが、まだオリンピックには出場できていません。
「日本はオリンピックってなるといろいろとテレビでも取り上げられますし、記事になるので、やっぱりハンドボールをメジャーにしていくためにはオリンピックというのは不可欠だなというのは強く思いましたね」と宮崎さん。予選に出場した4回の中では、得失点差で出場を逃した2004年のアテネの予選が一番惜しかったとおっしゃっていました。
「オリンピックはやっぱり違いますね。やっぱり僕らの目標とするとこでもあるし、夢でもあるし、みんなの夢でもあると思うんですよね」
そして、オリンピック出場を逃したことで、1点の重みを強く感じたという宮崎さんは、再び海外へのチャレンジを決意。大学時代のスペイン留学では3部リーグ、2部リーグでプレイしたそうですが、この時は日本人初となる1部リーグでのプロ契約にチャレンジします。
「何か環境を変えなきゃいけないっていうのがありましたし、僕個人も もっともっと伸ばしていかなきゃいけないなと。団体の競技なんですけど、個人がどれだけできるかっていうのもあるので」
大崎電気を辞めた宮崎さんは、入団テストのような形でバルセロナのチームの練習に参加しますが、4チームを回ってもすべて不合格…。場所をマドリッドに変えて、ようやくアルコベンダスというチームへ入団できたそうです。
「最初はみんなレベルがちょっと高すぎて、出れる時間が1試合で60分間あるうちの1分2分とかだったんですよ。まったく出れなくて。練習のうちからみんなに慣れていくしかないと。で、行く前は、絶対に100点取ってみせます!なんて言って強気で行ったんで、最初は大丈夫かなっていう不安ばっかりでしたね」
それでも無事1年間スペインの一部リーグでのプレイをやり遂げた宮崎さんは、100点以上取るという目標も達成。帰国後は再び大崎電気に入団し、2015年、16年には2連覇を達成しています。
チャレンジと言えば、宮崎さんにとっては『スポーツマンNo.1決定戦』などのテレビ番組に出るのも大きな挑戦だったようです。「凄く大変でしたね。最初は出ることが難しいっていうのもあったんですけど、バラエティとかに出ると、その間練習しとけよ、っていう苦情が来たりとか…。落ち込みそうにもなったんですけど、周りの人が、ハンドボールをやってる子どもたちが喜んでくれたりとか」
昔は「ハンドボールをメジャーにしたい」とは思っていなかったという宮崎さんですが、子どもたちを教えた際に、革がめくれてゴムがむき出しになっているボールで練習しているのを見たことからそう思うようになったとか。
「なんでそんな環境になってるかっていうとやっぱり支援してもらえないんですよね。ハンドボールっていうのはマイナーな競技なので。これは絶対に変えなきゃいけないなっていうので、もっともっとハンドボールを出していって、子供たちがハンドボールをやっててよかった!って言う、そんな環境を作りたいなと思いまして」
最後に、宮崎さんにとってのチャレンジは?と伺うと「やり続けることです」という答えが返ってきました。また、走っていて辛い時などは自分自身に「妥協は誰にでもできる」という言葉をかけているそうです。
「止まることっていつでもできるじゃないですか。老若男女。だから僕は止まらずに今日は一歩先へ…」「究極のMですよね。自分を攻めきれないと。自分に勝たなきゃいけないじゃないですか。限界まで行った時の次の1歩2歩が…ここからなんで」と宮崎さん。「だから試合が一番楽しいですね。練習が一番キツいんで」ともおっしゃっていました。
番組ではそんな宮崎大輔さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらの色紙を1名様にプレゼントします。このホームページ右のメッセージフォームから「宮崎大輔さんの色紙希望」と書いてご応募ください!