「クエスチョニング」という言葉に助けられました。
2022
放送後記

「クエスチョニング」という言葉に助けられました。

こもり校長

毎週月曜日のこの時間は、『SOCIAL LOCKS!』。生まれた環境のこと、性のこと、障がいのこと、さまざまな生徒の声を届けていきます。

ぺえ教頭

今夜、声を届けてくれるのは…!

こやぎ

RN こやぎ 大阪府 14歳 中学3年生です。
私は、クエスチョニングです。クエスチョニングとは、自分の思う性別や、恋愛対象になる性別が定まっていない人のことを言います。

小学6年生のときから、性別に違和感を持ち始め、自分が男子なのか、女子のなのか、分からないことに悩むと同時に、苦しくなっていきました。「男か女か」選択する場面に直面するたび、どちらにも当てはまらない自分は、何かがおかしいんだと感じていました。

誰にも言えないので、夜、紙に自分の気持ちを書きなぐったり、あまりの苦しさで自分を傷つけたくなったり、本当に辛かったです。
でも中2の時に、そんな日々が変わる出来事がありました。それは、ネットでたくさん調べていた中で、「クエスチョニング」という言葉に出会ったことです。

男にも女にも当てはまらない、何者か分からず苦しんでいた私にとって、「クエスチョニング」は自分はこれだと思える言葉でした。
「クエスチョニング」に出会ったときは、居場所をみつけたような、ほっとした瞬間でした。

今でも、「男か女か」で選択しなければいけない場面に直面すると、とても辛い気持ちになることがあります。

そういう人がいるということを生徒のみなさんにも知ってほしいし、もしかしたら今、自分の性別が定まっていなくて苦しんでいる人がいたとしたら、「クエスチョニング」という言葉を調べてもらえたらと思います。男にも女にも当てはまらない人が、「自分はこれだ」と思える選択肢を選べる。そんな世の中になったらいいなと思います。

こもり校長
こもり校長

俺の中で、たまに悩むことがあるんだよ。
「LGBTQ」という言葉があって、徐々に世の中でもその言葉を耳にするようになって、自分も発するようにもなってきたんだけど、その言葉を使うことが、果たして正解なのかどうか。何か、“そこにはめ込んじゃっている感じがする”というか。それで悩む瞬間というのが、俺にはあって。

だから、(『LGBTQ』という言葉を使うことに)“うーん”って思う瞬間もあるんだけど、今こやぎが言ってくれたみたいに、その言葉があって、「自分がわからなかったことってこういうことなんだ」って気づく瞬間がある、ということを聞くと、やっぱりその言葉に救われることもあるし、何か思いを持って発することに意味があるんだなって思った。

ぺえ教頭
ぺえ教頭

「何者でもなく自分は自分だ」と気づけてることが私は素晴らしいなと思った。
私も10代の時の方が、“女性に丸をつけたい”という欲が強かった。今は正直、「こんな選択肢、どっちに丸をつけようが自分は何も変わらない」というところにたどり着けたから、だんだん“その選択肢にすらもう何も感じない”という日が来るといいなって思いながら聞いていました。

こもり校長

きっと世の中の考え方もどんどん変わってはきているだろうし、今のこの現状でその言葉に助けられる生徒もいるんだろうね。
RN こやぎ、声を聞かせてくれてありがとう。

『SOCIAL LOCKS!』では、引き続き色々な生徒の声を届けていきます。

ぺえ教頭

みんなにわかってほしいのにわかってもらえないこと、毎日の中で“もっとこうなればいいのに”と思っていること、ぜひ直接届けてください。特設サイトで待ってます!

2022.10.3「クエスチョニング」という言葉に助けられました。
TwitterでシェアLINEでシェア
TOP