スピーカーから、里菜ちゃんのアコギの音が鳴る。この前、山田先生の耳にとまった、“あの曲”だ。メロディーは勢いを増し、そして。
!
エレキギター、ベース、ドラム。3つの音が一気に重なる。
―バンドだ!!!
里菜ちゃんがつくってきてくれた“デモ”から一転。“キラキラ”を保ちながら、曲はさらなる強さと輝きをまとい、今、“この場所”で鳴っている。
前回のミーティングから、わずか数日後。2人は、山田先生が普段の曲作りの際によく使っているというスタジオにいた。
2人は今、楽器を置いたまま、スピーカーから流れる音に耳を傾けている。これは、前回の話し合いを受け、“あの曲”を山田先生自らがアレンジしてきてくれた、新たな“デモ”。
「この前の曲を、バンドっぽい音でつくってみたから…一度、聴いてみて。」
「えっ!ホントですか…!?」
バンドヴァージョンに生まれ変わった自分の曲との再会。
初めての経験。その、最初の瞬間。
里菜ちゃんは、この瞬間に鳴っている音全てをかき集めようとするように、必死で耳をそばだてている。ときどき、バンドの音に乗せて、メロディーをハミングしながら。
数分後。
音が止まった。
その瞬間に、里菜ちゃんが口を開く。
「ロックだ………!」
※ ※ ※ ※
この日は、里菜ちゃんの音楽人生にとって、おそらく、記念すべき日になった。
初めてのバンド体験。しかも。
「今日から、ギターは“この人”に手伝ってもらうことになったから。」
目の前に立っているのは、まぎれもない―
「どうも、喜多です。」
そう、今回から、サポートメンバーとして、なんとASIAN KUNG-FU GENERATIONのギター、喜多先生が参加してくれることに。
相変わらず、里菜ちゃんは、あまりの出来事に、緊張すら出来ていない様子(笑)。いや、緊張なんてしている時間はない。
3人は早速、山田先生がつくってきてくれた新たな“デモ”を元に、細かいアイデアとイメージをすり合せる作業に取りかかる。
「この音、ロック過ぎるってことはないかな?」
「いや、すごくカッコいいです! 私が最初に考えていたイメージを保ちながら、さらに“開けた”感じがして…」
「全体なイメージはどうだろう?『もう少し、ココはこうしたい』とか。」
「うーん、そうですね……」
2人を前にしても動じることなく、里菜ちゃんは、イメージを堂々と伝えていく。
「もう少し、最初の方は抑えめにしてみたり…」
「例えば、ココのドラムは、ハイハットだけとか…」
「あと、Aメロの最初の部分なんですけど…」
山田先生は、里菜ちゃんの頭の中で鳴っている“完成形”のイメージを探りながら、丁寧なアドバイスとディスカッションを繰り返していく。そして。
「じゃあ、それでやってみよっか。」
アイデアをつき合わせては、実際に音を鳴らしてみる。
コレの繰り返し。
里菜ちゃんにとっては、人生初のバンドセッション。
里菜ちゃんのギターと歌に合わせて、山田先生がベースを弾き、喜多先生がギターを鳴らす。
“何か”が始まる瞬間のドキドキが、スタジオに溢れ出す。
「さっきのギターのところ、こうしない?」
「そっちの方がグッときますかね?」
「うーん…この展開はちょっとありがちかもね。」
「確かに…どうしたらいいんですかね?」
「じゃあ例えば、ギターのアレンジを…」
「あ、今のいいね!」
「ハイ!」
「じゃあ今のところ、さらに、テンポを……」
2人のプロアーティストに挟まれて、様々なヴァージョンの演奏を繰り返す。
里菜ちゃんは置いて行かれないように、必死でついていく。
「…っ!!!すみません、間違えちゃいました!」
「全然いいよ。もう一回、頭から合わせてみよう。」
通算100個以上のアイデアが、3人の間を通り抜けたり、抜けなかったり。
あっという間に時間が過ぎてゆく。
「うーん… バンドって、難しいですね。」
3人で笑う。
“難しい”という言葉が、“楽しい”という意味にしか聴こえない。
今日、確実に、“何か”が始まった。
新しくて、ドキドキする“何か”が―
「じゃあ、さっきのパート、もう一回。」
※ ※ ※ ※
数時間に渡る“セッション”を経て、3人それぞれが新たな“宿題”を共有して、この日は終了。
「ギターのアレンジ、ケンちゃんも考えてきてね。」
山田プロデューサーからは、喜多先生にも宿題が(笑)。
少しずつ曲の全体像は見えてきたけれど、レコーディングにはまだたどり着けない状態。
さて。
(ひとまず、終わった……)
里菜ちゃんは、1日に100本のLIVEをこなした後のような放心状態(笑)。
「里菜ちゃんは、今日、とんでもない疲れ方をしていると思いますよ。バンドで作業をすること自体が初めてなのにも関わらず、僕らが、普段通りのペースで進めちゃうもんだから…」
これは、山田先生たちが、里菜ちゃんの才能を認めている証拠らしい。
「彼女の歌声って本当にすごいんです。聴く人が聴けば、絶対に分かる。でも、だからこそ、彼女をもう“アーティスト”として扱っちゃうんですよね。しかも、僕らのペースに、彼女もついてきてくれるから… 僕らが19歳の頃は、こんなこと、絶対に出来なかったと思いますよ。」
続けて、喜多先生も。
「本当に、雰囲気がありますよね。一見、普通の可愛い女の子に見えるんですけど、歌い始めた瞬間に、一気にアーティストの空気が出る。本当にすごいと思いますよ。だから、今回は、僕も頑張らないと…(笑)。」
そんな2人に挟まれて…
どうだった?
「全てが勉強になります、本当に。プロの方って、一見、すごく地味で小さな部分にもとんでもなくこだわっていて、それの積み重ねが、いい作品につながるんだなって。もちろん、これから、ちゃんとついていけるのかなって不安もありますけど、今はもう……楽しみです。楽しみでしかないです。」
そう笑う表情は、3週間前よりも遥かに頼もしくて。
春には一体、どんな顔になっているんだろう。
2012年、東京。
少し前に降った雪は未だに日陰の路上に残って、春の訪れを拒んでいる。
つづく