ON AIR REPORT

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聴取期限 2022年10月7日(金)PM 23:00 まで

・今月の放送分は1週間以内(2022年10月7日まで)であればradikoのタイムフリー機能でお聴きいただけます。BOSSのトークと音楽を合わせて楽しめるのは実際の放送だけなので聴き逃したという方はぜひどうぞ!

・さらに放送から1週間後(10月7日)にはTOKYO FMの音声配信サービス「AuDee」にて放送されたナレーション音声も公開されます。放送尺の都合でカットされた未公開パートも含む完全版となっています。また、これまでの全6回の音声もお聴きいただけますので、ぜひAuDeeの『YAZAWA LOCKS!』もチェックして下さい!


BOSS 矢沢永吉さま

魂がゆさぶられました。

私は先日、主人と幕張メッセのフェスと28日の国立競技場へ参戦いたしました。ひとこと、御礼を申し上げたくメールいたしました。私たち夫婦は、今年はじめて矢沢さんのライブに参戦しました。

矢沢さんのライブはインターネットでは拝見しておりましたが、生のライブは感動の嵐でございました。バックバンドの皆さんの音と技術、ファンの皆様の熱量、そして矢沢さん。全てに心を打たれ、ライブが終わってから何日もたちますが、あの日の記憶が胸に刻まれる毎日です。

人生には日々いろいろなことがありますが、矢沢さんのライブはコロナのことも全部忘れられるライブで、素晴らしい音楽に酔いしれる時間でございました。また、矢沢さんにお会いできる日を楽しみにしながら、私たちも健康に気を付けて、何事にも絶対に負けない人生を送って生きていきたいと思います。感動を本当にありがとうございました。

RN ちっちママ
東京都 45歳 女性

矢沢「いえ、こちらこそ!」

とーやま「今日この収録は、9月5日に行っておりまして。新国立競技場でのライブ2 DAYSが終わった段階です。そして、こちらのライブにちっちママさんが、初めてボスのライブに行かれたということで。」

矢沢「初めてご覧なったんですかね。ありがとうございます、本当に。」

とーやま「『EIKICHI YAZAWA 50th ANNIVERSARY TOUR「MY WAY」』国立競技場での幕開けでした。ボス、まずは国立競技場のライブはいかがでした?」

矢沢「でかいからね、ハコが。2日間で10万人以上。6万人ぐらい入っても12万人ですか。もうパンパンですよ。人を入れて演るのが多分矢沢が最初じゃないですか。」

とーやま「そうですね、有観客ライブは初めてですね!」

矢沢「どうなるものやら、ってことで始まった27日の初日、暑かったね…!あの日は、ステージの上はもう40度ぐらいあったし、着替えで舞台袖の着替え室みたいなところに入るんだけど。パッと見たらうちのスタッフもなんか、ほわ〜んとしてましたよ!「お前、歌も歌ってねえのに何ほわ〜んとしてんだよ!俺がほわ〜んとしてえよ!」っていうくらい(笑) 僕の体感温度は、わかんないけど、四十何度だったんじゃないの。」

とーやま「えー…!」

矢沢「だって走ったり飛んだり、マイク振り回したり、2時間20分ぐらいノンストップで歌ってますからね!だから僕の知り合いも客席に観に来てたけど「倒れんじゃないの…?ってビビって怖がって観てました」と!でも「最後の最後までぶっちぎってくれて、ほんとにホッとしてる」ってことを終わった後に言ってましたね。

客席は、それなりに心地いい風のひとつは流れてんのかな、と期待してました。で、来てる人に聞いたら「いやいや、こっちはもうとんでもない暑さで、座って観てるだけで暑いんだから、ステージの上で歌ってる矢沢は、どれほどのものなのか…と心配しながら観てました」というぐらいだから、客席も暑かったってことよ!」

とーやま「僕もあの初日と2日目、どちらもお邪魔させてもらいまして。確かに初日は暑かったです!気温も暑かったですし、当然ボスのライブの熱気も自分も感じてたから、あつく感じたと思いますけども。」

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矢沢「ほんで、ちょっと話はポンと飛ぶんですけど。28日の2日目。僕はもう1日目がそういう状態だったけど、ステージは良かった!いいステージやりました。自分で言うのはおかしいんですけど、かっこよく決めたと思います!」

とーやま「かっこよかったです!!!」

矢沢「だけど、僕もあまりにも暑くて…「頼むよ……!明日、どうなるわけ…?」って言ってたら…」

(スタッフ)「ボス、明日は、天気予報では温度が下がると聞いております!」

(矢沢)「ほんとかよ……(笑)信じねえよ…!(笑)」

矢沢「ちょっと暑さのあまり、ブツブツ言ってました(笑) そしたら次の日、約10度ぐらい温度下がったんじゃないかな。10度っておっきいですよ。で、夕方もほんとに涼しい。始まるちょっと前に袖の方に行ったら、『最高!これこそ夏の終わり!いいね!』って感じの。で、もうバリバリですよ。トータル含めて、2日間大成功だったんじゃないんですか。」


M  SEPTEMBER MOON / 矢沢永吉


とーやま「本当にかっこよかったです!僕も興奮してしまいまして、土曜日の公演終わった後Twitterとかで、みんなどのような感想を持ってるのかなと思って、“矢沢永吉”で検索したり、“永ちゃん”で検索したりしたんですけど、もうみんな感想はシンプルでした。“かっこいい”と“すごい”。今の時代は、かっこいいものに対しては、なぜかっこいいのかとか、いろいろ言葉を駆使して説明する時代でもあるな、とも思ったんですけども。でも、ボスのライブに関しては、それよりもずっと先に突き抜けている。ただ、ただかっこいい。ただ、ただすごいっていうのを、まざまざと体感できた2日間でした!」

矢沢「ありがたいね。」

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『EIKICHI YAZAWA 50th ANNIVERSARY TOUR「MY WAY」』の国立競技場公演から1週間ほど経ったこの日の収録では、感想や興奮がまだまだ収まることはなく……続いては、ライブでの出来事やゲストアーティストについてもお話をしていきます!

とーやま「サプライズゲストも……初日にはMISIAさん。MISIAさんとの『HEY YOU…』めちゃくちゃすごかったです…!」

矢沢「よかったでしょ!また、あの『HEY YOU…』自体が、大人の歌ですからね。詩の内容から言っても。で、僕あのMISIAが駆けつけたいというお話があったときに、僕と2回り半ぐらい年齢が違うと思うんだけども。同じ世代じゃ、決してないですからね。でも、もう声が良くて。ボーカリストとして日本最大の歌姫じゃないかと言われてる、その人と矢沢。だったらもうデリシャスな『HEY YOU…』なんか、夏の夜にピッタリだよね。だからよかったでしょ、『HEY YOU…』!」

とーやま「めちゃくちゃよかったです…!」

矢沢「ちょっと洋楽っぽいメロディだからね。曲が。それで『HEY YOU…』にしたんですよ。で、2日目はシークレットで、B’z だったんです。B’zは「ぜひ行きまっせ〜!」みたいな感じになって、来てくれましたね。これはもう、あそこにいた何万人はどよめいたよね!」

とーやま「そうですね、大声出したかった人でいっぱいでした!出せないけども、思わず漏れてしまう。体の動きで表現する感じですね!左右見たりとか、頭抱えたりとか!」

矢沢「松本くんは、飲み屋で1回か2回か会ったことあるかな。俺も「チャイニーズシアターの手形、すごいよなー!俺がやりたかったよ!日本の誇りだ!」みたいなこと言ってね。で、今回駆けつけてくれて。稲葉さんは、僕会ったの今回が初めてなんじゃないかな。ところが、やっぱり音楽ってすごいな、と思ったのは。打ち合わせのときに「何やろうか?」って言ったら、「『黒塗り(黒く塗りつぶせ)』なんかいいんじゃない?」って。氷室が大昔ゲストで出た時も『黒塗り』だったから。で、もう1曲「『ファンキー・モンキー・ベイビー』やっちゃおうよ!」って。それで、僕一緒にやってる時に思ったね。やっぱさすがだな、と。初めて会って、初めて一緒にデュエットやって、セッションやってるのに、「もう俺たち昔からしょっちゅうやってるよね!」ってぐらいの感じ。1番俺歌ったら、2番は稲葉お前行こう!って。前もって、念入りに打ち合わせしたわけじゃないんだよ。出る前にちょっと打ち合わせしただけよ。」

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とーやま「そうなんですね…!?」

矢沢「で、本番始まったらあの息の合い方!だから僕思ったね!さすがB’zのあの2人は伊達じゃないな、と。ギターは当たり前、ボーカリストの稲葉くんも素晴らしいな、と思ったし。セッションっていう感じだったんですよ。」

とーやま「あの瞬間も興奮しました…!観てる我々も。」

矢沢「シークレットだったから、余計じゃないかな。」

とーやま「ほんとに誰も知らなかったですもんね!」

矢沢「もうこの際お客さん喜ばしちゃおう!っていう感じ。もう絶対外に出すのやめよう!って。で、当日誰来てると思う?「紹介しましょう……B’z!!!」って感じです。」

とーやま「いや、すごかったです!本当にいろんな感激した部分がたくさんありまして…!2日目でしたっけ。ピアノの音が出なかったタイミングがありましたよね?」

矢沢「(笑)あそこクライマックスで、いいとこじゃない!散々やるだけやってきて、グランドピアノで入って、一言二言矢沢のMCもあって。ちょうどあの時は2日目涼しかったから、いい涼しさが来るわけだ。この感じで……っていうふうにやろうと思ったら。完璧にモニターから音が抜けてるのがわかるわけよ!」

とーやま「会場もずっと聞こえなかったです!」

矢沢「あ、聴こえてなかった!?(笑)僕らステージの上では、漏れ音というかこぼれ音はちゃんと聴こえてるから。だけど、正常ではないっていうのがわかったから。そしたらもうピアニストが、泣きそうな顔してるわけ!だってそうじゃない!6万人ぐらいが観てるから。で、「ちょっと待て!ちょっと待て!」って、止められますか?普通(笑)」

とーやま「いや、止められないです(笑)」

矢沢「でもね、僕はもう何万人いようがいまいが、止めちゃうから。平気で。「音出てねえじゃん、音が!お前音抜けてんじゃねえのか!?」って言ったら、本当に抜けてたんだよね(笑) で、(舞台袖から)“×”のマークを俺の方にするから、「何、抜けてたのか!?」って言ったら、「はい、抜けてました……!」って。客席では半分笑いながら、こっちじゃ(舞台袖に向けて)「ったく、お前は……!」って言いながらガン飛ばしてるような感じ!(笑)」

とーやま「(笑)」

矢沢「ちょっとジョークっぽく笑顔を見せながら、こっち(舞台袖)の方じゃ「お前どうなってんだよ!」ってやってる(笑) でもそれをマイク通じて聴いてるんだから、あれは入場料だけじゃ見れないよ(笑) でも、あれ客席で観てた人たちは、「永ちゃん笑いながら言ってるけど、本当は半分ぶち切れたんじゃねえのか」と思いながら、「こんなの普通見れねえよな」と思いながら、なかなか面白かったんじゃねえの?」

とーやま「観てるこっちは、やっぱりハラハラしたんですよ!これどうなるんだろう、と。」

矢沢「そりゃ、まとめるよ。いいから音どうにかしろ、ってことよ!」

とーやま「で、観てるこっちからしたら、やっぱり緊張感が走ったわけですけど。ボスが(演奏を)止めて、ボスが「(音が)入ってないのか!」「さすがの矢沢も怒っちゃうよ?」って言って、まずこっちがドーンってウケたんですよ。で、その後にボスが僕らの方に向いて、何をおっしゃるのかな?と思ったら、「…すんませんね!」ってひとことおっしゃって、それも僕はめちゃくちゃかっこいいな、と思ってですね。全ての責任を背負って、当然ボスの責任ではないわけですけど、僕らに謝ってくれたんだ、とかっていうのもすごくホッとしましたし、嬉しかったし。」

矢沢「いやでもね、これ言っときますけど。だから“ライブ”なんじゃない。いろいろあるよ。線が抜けたとか、断線したとか、アンプがバーンと倒れてきたとか、昔死ぬぐらいにあったから。それもあれも含めて“ザ・ライブ”なんですよ。だからあの時会場にいた人は、いいもの、面白いものを見たんじゃないんですか。

で、(技術的な部分を)直して音が出て、もう1回最初から行こう!と。『いつの日か』よかったでしょう?」

とーやま「めちゃくちゃよかったです。」

矢沢「止めてよかったでしょ?」

とーやま「(笑)」


M  いつの日か / 矢沢永吉



永ちゃん、お疲れ様です。今年のファイナル行きます、よろしくお願いします。

さて、以前の放送でライブ中、投げたYAZAWAタオルが手元へ返ってくるお話をされていましたが08年に初めてライブに行った時それを経験しました。加減がわからず投げると、タオルが頭の上に落ちてこないのです…どうやら2階席にうまくカーブしてしまったようでした。

「安いタオルじゃないのに…」とアタフタしてると、次の投げるタイミングで、上からなんとタオルが降ってきたのです!矢沢ファンは優しいなあと思った神戸公演でした!顔も知らないけれど、その節はありがとうございました!
RN まつうらよしひで
兵庫県 33歳 男性

とーやま「たぶん、下からタオルが降ってきて…」

矢沢「上の人がまた戻したんだろうね(笑)」

とーやま「ですね!“たぶんあの人かな?”って目がけて投げて、ちゃんと手元に戻ってきた、というお話ですね。優しい方たくさん!」

矢沢「いつからかなぁ、あんなにタオルが上がるようになったのは。」

とーやま「いつぐらいからなんですか?」

矢沢「覚えてるよ、今でも。あれね、『トラベリン・バス』『止まらないHa〜Ha』もそうなんだろうけど。「(『トラベリン・バス』の歌い出しの)ルイジアナ!」ってところで、バーンって上がって。最初はパラパラパラパラ上がってたの。10枚とか5枚とか。それが、街から街へ会場に行ってる度に、それがちょっとずつ増えていくんだよ。投げやすいんだろうね。で、僕もタオル上に投げたりしてたのかな。肩にかけて歌ってて、汗拭きながら、「ルイジアナ!」のときに2枚4枚タオルが上がるから、俺も調子乗って上げた。そしたらみんな真似し始めたんじゃない?で、“ワサッ”が“バサッ”となって、“ドサッ!”となって、気づいたら5万人の会場で“ゥワッッ!!!”と上がるようになったんですね。やっぱりみんな歴史があるんですよ。あれ。」

とーやま「やっぱり、タオルが上がる光景って、すごいものですか。5万のタオルが一気に。」

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矢沢「すごいですよ!で、アーティストがみんなタオルを物販で売るようになったじゃない!あれ、矢沢が最初だから!」

とーやま「あ、権利はボスが持ってらっしゃるんですか!」

矢沢「ううん、僕は権利持ってませんよ。ただ、ああいうタオル上げだとか、肩にかけた、見せたっていうのは、矢沢から始まったんですよ。」

とーやま「だって今なんて夏のフェスティバルとか言ったら、みんなタオルを頭上で回したりとか投げるのもあるでしょうし。」

矢沢「ファッションって、そういうことなんだろうな。最初にやってる人は別にタオル上げの“ワサッ”を望んだわけじゃないのよ。“肩にかけて歌って、汗が吹き出るぐらい出る→拭く→いちいち最初は戻してたけど、戻すのがめんどくさいぐらいに汗をかく→もう肩にかけっぱなしで歌おう→拭く→戻す”この繰り返しをやってた!で、“「ルイジアナ!」の時に誰かがパーっと投げたりしたから、俺も投げた→みんなで投げた→やってるうちにどんどんみんな投げなければならない”になっちゃったんだよね。だから、ちゃんとそういう楽しかったとか、楽しみだとかでやってたのが“タオル”っていうのが、コンサートではものすごい普通になってきたんじゃない。

面白いよね、そうやって思うと。僕のマイクスタンドの白いテープだって、巻いたのには理由があるの。だって蹴飛ばしてたから、下のスタンドが吹っ飛んで向こう行っちゃうんだもん。で、危ない、と。僕の手に握ってるマイクっていうのは、手に握ってるからいいけど、その下についてる棒があるじゃないですか。あれが外れちゃって飛んじゃうんですよ。足でも蹴りまくってるから。これ危ないってことで、白テープでぐるぐる巻きにしたわけ。そしたら、いくら蹴りを入れても、マイクを手でガチっと握ってる限りは、足は飛んでいかないじゃないですか。それでテープを巻いた。 “白いテープを巻く→白いマイクスタンド=矢沢”ってなってきた。だから、理由があるんだよね。

ところが、最初にぱっと見た人は白いマイクスタンド、白い上下のスーツ着て、リーゼントやって出てくる…と言ったら“矢沢”ですよね、ってなるわけじゃないですか。それを当時の若い男たちがみんなポマード買って、グリースをバカバカつけて、オールバックにして。で、どっちかって言ったら兄ちゃんみたいな感じの連中たちが皆やるから、“矢沢=ちょっと柄が悪い”っていう風になって、マスコミはそこを書く。矢沢のライブは危ない、男ばっかり、と。確かに当時90パーセント以上男ばっかりだからね。で、“矢沢のコンサートは怖い”っていうそっちの方に行ったわけです。」

とーやま「YouTubeチャンネルにも、その当時の映像ありますもんね。」

矢沢「で、たぶんあの時代は、演ってる矢沢もどこからどこまでが、ってのがよくわかってなかった。観に来てる連中たちもよくわかってない。だからお互いにわー!とやってる。椅子壊れる。で、なんか知らねえけど、もうあっちこっちで殴り合いが始まるんだから。なんなんのかね。で、俺が演奏止めて、ライト当てて、「おい、そこのお前とお前、帰れ!チケットこいつらに返してやれ!」ってマイクで全部言う。そんな状態だったわけだ。

それで、だんだん気づいて。“あ、これただのせりゃいいってことじゃないんだな”と。で、僕はステージの上から「ちょっとみんな聞いてくれないか。のるっていうことと、ぐちゃぐちゃになるってことは別なんだ、ちょっと協力してくれ。」と。「日本に“ロックステージ”ってものを定着させようじゃないか」と。確かに、日本のロックやり始めた最初の人だからね。会場側も見に来てる側も僕も、みんな手探りだったんじゃないかな。それで、そっから先行った時には、矢沢のステージで観てるお客さんの方が一時期はマナー良くなっちゃった。みんな背筋ピッと伸ばして観てるような時代があるぐらい。やっぱり、手探りだよね。」

とーやま「そういったボスの言葉とか、ライブもそうですし、そういったもので今のアーティストの皆さんもファンの皆さんも、自然とルールとかマナー、道徳を覚えていって…。」

矢沢「外れるだけ外れて怒られて、これじゃダメだよな、と。ロックの音楽を定着させるってどういうことなんだ、と。“ぐじゃぐじゃ”と“のる”のは分けなきゃいかん。椅子の上に立ってジャンプしたら椅子抜けるよね。椅子をぶっ壊すようなことがあったら、会場側から見たら、やっぱり矢沢には貸したくないとなるよね。“やっぱりその辺だよな”ってことを僕もステージ上で言い始めた。まだ矢沢が27歳、32歳ぐらいの時。で、言ったらみんなかはわかんないけど、リーゼントで突っぱって喧嘩バリバリやりまくってた連中たちも、“会場で喧嘩するのはやめようぜ” “永ちゃんがライブできなくなるじゃんよ”っていうみたいな感じになって、“応援します” “従います”っていうふうになってきて。だから、矢沢の歴史には、ある種の険しい道があったんですよ。

今見てごらんよ、日本のロックバンドって言ったら、いっぱいいるじゃん。みんなちゃんと武道館もやるし、 ちゃんと名前のあるいいバンドからシンガー、いっぱいいるじゃん。結構当てたやつなんていいベンツ乗ったり、なんだかんだ暮らしぐらいできるようになってんじゃん。ロックがベンツ乗るって、昔から矢沢は言ってたから、ロックで市民権とは、ある程度ちゃんとした暮らしができて、車もベンツ転がすぐらいの男になれ、って矢沢言ってたから、そうなってきたじゃん。だからそういった、扉が開く頃だったんだよね。ジャパニーズロックの扉が開くか、開かないかの、悪いレッテルみたいなものが、だんだん薄くなってきたのは、ここ20年ぐらい前じゃない?いまはもう、“レッテルってあったんですか”って言うよ。日本の音楽の歴史ですよ。」

とーやま「じゃあ僕たちが今この2022年で、いろんなアーティストのライブに行って、楽しい思いできたりとか、いろんな音楽をラジオから聴くことができるのも、ボスが色々戦ってくれたりとか、そういったことをしてくれたおかげでもある、という。」

矢沢「いや、僕はそれはそう思わない。ただ、日本のロックの他のバンドがどうかは僕は知りません。ただ僕の中においては、扉が開いた瞬間、開き始めた頃…最初の頃だよね。観る方も会場側も、イベントメーカーも、演る方も、このエンタメの世界でどうやって観せる?ってこと。これをショー・ビジネスとして、どうやって完結するのかってことは、手探りだったんじゃないかな。みんなが。今はもう完璧なちゃんとしたエンタメ業界として、ビジネスとしてコンサートをみんなが頑張ってる。ちょうど矢沢がキャロル出て、そのあとちょっとソロになって…って頃なんて、まだ(扉が)開いて間がない時だから、それは色々ありましたよ。色々あったけど、僕はそれ全部見てきた人だもん。」

とーやま「そこからボスはボスであり続けてくれて、50年経ったこの2022年に『MY WAY』というツアーで、国立2 DAYS、大阪、福岡、このオンエアの時点ではもう大阪と福岡がもう終了していることになってるんですね。で、いま(収録時点)はまだ当然その2つのライブを控えた前ですから、お聞きするのもなかなか難しいんですけれども、この『MY WAY』が終わった先は、ボスはどのようなものが見えてらっしゃるとか考えてらっしゃるとか、あったりしますか?」

矢沢「ものすごく忙しくて。50年まで俺はやったんだ、っていうことで、皆さんに応援してもらって、めちゃ忙しい1年でしたね。それと、50周年をこんなに派手に大々的に、テレビからラジオから、国立から何からやらせてもらった。最高じゃない。」

とーやま「確かにそうですね。人が50周年を迎えたっていうのをあんまり言葉で聞くことないな、っていうのも思ったんですよ。」

矢沢「ね!50年普通やれますか?“ただ時間が経って50年経ちました”じゃないんだもん。延々なんかやってんだもん。国立だって最初にやった人になっちゃったりしましたから。」

とーやま「完全にもう歴史に名前は残るわけですよね。」

矢沢「これはもう、ありがたい以外なんかありますか?そりゃ忙しいけど、忙しいのは結構じゃない。まだ歌歌ってんですよ、本気で。これが放送される頃は(ツアー『MY WAY』)もう終わってるんでしょ?」

とーやま「終わってます。」

矢沢「OK。“『MY WAY』は終わったんですか?”って…とんでもない!今度はアリーナーツアー、発表しますから。だって武道館今年150回じゃない。最多記録で矢沢が150回やる年です。ミック・ジャガーだって、やめないじゃない。体のこと、マインドのこと、やりがいのこと。自分が生きてるって証。そういうことでみんなやってんじゃないの。そこに行かなきゃいけなかったんだよ。我々が20代の頃にロック歌手やるんだ、ってことで突っ走っていったじゃない。俺たちの世界は1発当てたら、山が動くかもしれない。それを信じて走ったんだよ。それでいい車にも乗れるようになった。やりたいことにお金を費やすこともできた。全部行った。そしたら次、何やるかって言ったら、もう考えたらこのドキドキ感は、歌えるまで俺はやり続けるぞ、って言うところに切り替えていったんじゃないの。だから、やっぱり進むべき道がある。ありがたいことだよね。

まあでも、いま僕もこのぐらいの歳になって、名前もあって、家族もあって、会社もあって、この50周年。キャロルの頃からソロになってずっと来て、矢沢ファミリーができて、それから年間100回ぐらいステージにずっと行って、アメリカ行ったり、イギリス行ったり、いろんなことがあって、世界的にすごいいろんな人と会って、ぶち飛んで、オーマイガー、世界行ったらうじゃうじゃすげえと思うやつがいくらでもいるんだよね!なんだ、世界ってめちゃ広いじゃない!みたいなこと思ったりして…。

あとどのぐらい歌えるかわかんないけど、俺は歌えるまで絶対歌ってやろう、と思ってるし。ただ、パフォーマンスも何も含めて、ちょっとこれもう、観せてるものが弱いんじゃない?嘘なんじゃない?無理してんじゃない?もうちょっとないんじゃない?っていうようなとこにいった時には、そこは限界なんだろうね。限界になった時には、その先どうしようか、マイク置いたあと、俺どうすればいいんだろう?とか、そんなことも思ったり。でも俺、結構長く自分のやりたいこと、言いたいことを通してきた方だよ。だから、幸せ。感謝です。もう全てに感謝だな、ってそんな感じですね。」


M  灯台 / 矢沢永吉


とーやま「ボス。まだまだずっとボスのお話をお聞きしたいというのは、このラジオのリスナーの皆さんも、全員思ってることだと思うんですけれども。今回でこの『YAZAWA LOCKS!』が最終回ということになりまして。」

矢沢「ありがとうございます!」

とーやま「半年間という時間だったんですけれども、ボスはいかがでしたか。」

矢沢「おもしろかったですよ。またなんかあった時には、声でもかけてもらいたいと思いますし。おもしろかったですね、この半年間。」

とーやま「聴いてる皆さんも、直接ボスに言葉を届けて、さらにボスが生の声で答えていただけるという貴重な機会をつくっていただけて、僕らとしても本当に感謝でいっぱいです。」

矢沢「それとね、とーやまさんがうまいよね。“うまい”って、上手さの“うまい”んじゃなくて。誠意を持って司会というのか、窓口をちゃんと責任持ってやってくれてるな、ってことは何回かやってるうちにものすごく感じました。例えば、今回は矢沢ですけど、いろんなゲストの方含めてちゃんとエスコートできるんだと思いますよ。繋げられる、というか。」

とーやま「あ…嬉しいです。」

矢沢「そりゃ、聴いてる人が、あなたがこれやってるからみんなすっと入れて、聴けてるんじゃないかな。」

とーやま「いや、めちゃくちゃ嬉しいです。でも、僕もボスとこうやって半年間一緒にやらせていただいて。しっかりと目を見て喋っていただけることが、僕はとても嬉しくて。で、その目にたまに吸い込まれるんじゃないか、ってぐらいのその鋭さだったり、優しさだったりとか。面白いお話される時はすごく可愛らしい目になったりとかするところも、僕はすごく嬉しく感じていまして。僕みたいな者ですけど、真正面からちゃんと言葉を届けてくださってるっていうのも、とても嬉しかったです。」

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矢沢「あっという間でしたね!半年。」

とーやま「そうですね!また僕はお会いできるものと信じてますので!」

矢沢「またぜひ呼んでください!」

とーやま「半年間ありがとうございました!」

矢沢「どうも、ありがとうございました!」

とーやま「これからもよろしくお願いします!」

矢沢「お願いします。」


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