ON AIR REPORT

SOL教育委員会
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とーやま委員「さあ、今日も生放送。#SOL教育委員会で、みんな、ありがとうございます。ハッシュタグ祭り。
そして今日も、もちろん、動画配信アプリ『ミクチャ』でも、映像の方、始まっておりますんで、よろしければこちらもアプリを立ち上げていただけたら。
#SOL教育委員会で、アカウントネーム:カワウソムーミンが、“とーやま委員は平手さんのクラフトボスのCMご覧になりましたか?”って。一昨日ぐらいに、(ツイッターの)トレンドで平手友梨奈ちゃんの名前が入っていたので、何か情報が出たのかな?とか思って見に行ったら…宇宙人になってたじゃん。友梨奈ちゃん。なんで言ってくんなかったんだろうな。去年とか、『平手LOCKS!』の中でも、“私、平手LOCKS!の後は宇宙人になります”みたいなことを言ってくれたら…。もう、いけずだね。ほんとに。宇宙人になるためのトレーニングとか積んだってことですか?友梨奈ちゃん。そう言われたら、なんかそんな雰囲気も…去年、『平手LOCKS!』で何回か会ったりとかしたけれども、(宇宙人の)雰囲気があったと言えばあったかもしんないけどもね。ビックリしましたですよ。だから、またいつか、宇宙人となった友梨奈ちゃんがここに帰ってきてくれることがあるかもしれないし、その時は、もしかしたら、TOKYO FMのこのビルの外に宇宙船を横付けして喋ることになるかもしれないすね。はい。そうなると、まあ、爆風がすごい吹くんで、風の音しか聴こえなくなるかもしれないですけど。まあ、その時の放送も楽しみにしていただきたいなということですね。地球人とーやまと、宇宙人平手の会話をお楽しみいただきたい。
どうでしょう?こんなオープニングの小粋なトーク(笑)…なんすか?サワカリー先生が、横でなんか書いてますけども。ええ…カンニングペーパーが入りましたね。“何言ってるんすか?”っていう言葉が(笑)何?いやいや。僕、何も間違ったこと言ってませんからね。はい。そんな日が来ることを楽しみにしてる」

SOL教育委員会


とーやま委員、職員の皆さん、こんにちは。主に『未来新聞』でお世話になりました、卒業生のRN:ともぼー☆といいます。

今月3月1日から12日まで、東京の末広町にあるギャラリーにて人生初の個展を開くことになりました。震災と石巻のことがテーマになっており、あの日から今に至るまでの12年を写真と文章で振り返る展示となる予定です。

このような展示になったのは、SOLにて執筆させていただいた『未来新聞』が原点にあると思います。この企画がなければ今回の個展はあり得なかったですし、遡ればあの当時に行き場のない思いだけが堂々巡りしてさらに息が詰まっていたかもしれません。3年に渡り執筆させていただいたこと、本当に感謝しております。

4日(土)、さらには6日(月)・7日(火)の休廊日以外は在廊しておりますので、お越しいただける際には是非お声がけください。常に生傷は絶えませんが、卒業生はなんとか元気に生きてます。という近況報告及び生存確認のお知らせでした。またお会いできるのを楽しみにしております。
RN ともぼー☆
宮城県 28歳 女性

とーやま委員「『未来新聞』というのは、SCHOOL OF LOCK!が、2011年3月11日以降、東北の生徒のみんなの声を集めて、それを新聞という形にして毎年発行していた企画です。ともぼー☆はね、ことあるごとに、このラジオを通して一緒にいろいろ喋ったり、それから実際に会って…だから、去年も多分、会ったよね。ちょうど1年前、俺達SCHOOL OF LOCK!教育委員会で東北の方に行って、多分、JR仙台駅のところで、久々に会って話したりしてると思うんだけど。
そのともぼー☆が、東京の末広町にある『パークギャラリー』というところで、初めての個展。この12年間の、いろいろな思い、感情とか考えとか、そういったものを切り取って、今に、そして未来に繋げるための活動を今でもずっとしている、という知らせを聞いて、嬉しいし、まだまだ知らないこともいっぱいあるし、これからまた問題もいろいろ生まれていくことになるのかなとか、そういうことをちゃんと俺たちに教えてくれるともぼー☆の存在というのは、本当に俺たちにとっては貴重なものだなと、今、このメッセージを読んで改めて思いました。
よかったらみんなも、末広町の『パークギャラリー』で調べたら、ともぼー☆の、いろいろなものを見ることができるので、もし時間があったら遊びに行ってほしいなと思います。ともぼー☆、素敵なメッセージをありがとう。本日もSCHOOL OF LOCK! 教育委員会、スタートいたします」




M 君とつくる未来 / ケツメイシ



とーやま委員「もう12年前のことだから、今の10代のみんなからしたら、ちっちゃい時の記憶としてしか残っていない子もたくさんいるのは、まあ、それは当然だし。でも、自分はSCHOOL OF LOCK!の校長先生をしていた時に起きたことなので、機会があれば、こうして、ともぼー☆の力とかも借りて伝えていけたらいいなと。今日は、そんな1時間になったらいいなと思っております」

とーやま委員「俺、とーやまが10年間校長先生を務めておりましたSCHOOL OF LOCK!は、このSCHOOL OF LOCK! 教育委員会と同じく、全国放送。北海道から沖縄まで、全国38局。なので、全国いろんなところに住んでいる10代のみんなとも毎日話をしていたわけなんだけれども、2011年3月11日の震災以降、東北の方に、生徒のみんなに新幹線で会いに行った時もあれば、自分の車を運転してへ遊びに行ったり、美味しいものを食べに行ったり、そういった機会もたくさん、ありました。
で、去年、この教育委員会で、『BRAHMAN』、そして『OAU』のTOSHI-LOW先生と一緒に、僕の車で、仙台、福島の方に遊びに行きました。その辺の模様は、SCHOOL OF LOCK!の公式YouTubeに上がってるんで、是非、時間があったら観てほしいなと思います。TOSHI-LOW先生がね…“TOSHI-LOW先生、ちょっと休んでください”って言ったら、“なんで休まないといけないんだよ。なんなら、車、運転させろよ”って言って、TOSHI-LOW先生がわざわざ僕の車を運転してくれて、で、美味しいパンを食べに行ったりとか。一番最後は、ずっと行きたかった、『たこ八』という、美味しいお刺身を食べることができる福島の居酒屋さんに行って、TOSHI-LOW先生に、“そこに集まってくれたリスナーの皆さんに向けて弾き語りをお願いしていいですか?”って言って。で、俺たちは、1曲聴けたら、本当にバンバンザイだったんですけど、結局7曲ぐらいやってくれて、もう、どんだけいい人なんだ!と。あの時がもう1年前ですから、早いもんだなと思いますけどね。あの時に来てくれた皆さんも、もしかしたら、今、聴いてくれているかもしれないですし。どうすか?元気にされてますか?皆さん」

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昨年のドライブの際にはありがとうございました!

震災から12年という歳月が過ぎようとしています。この12年という年月のうちに新たなに産まれた、所謂「震災を知らない子どもたち」が増えつつあります。津波の被害を受けた地域も、見違えるほどに再生が進み、被害なんて受けなかった、初めて訪れる人にとってはそんな感想も抱くほどです。

現在私が通う大学でも震災について学ぶ課外活動団体があり、実際に明日防災フォーラムにて出展することとなりました。ない方が良いのは重々承知ではありますが、災害大国の日本では今後も地震や津波が発生するかと思います。「これまで津波が来なかったから、今大きい地震が起こってもどうせここまでは来ないだろう」そう考えている人は少なからず居るはずです。

“経験しなかったから”や“自分なんかが”などと考える人も居ますが、後世へと語り継いで行く人が居なくなってしまえば、そもそも3.11(東日本大震災)の記憶が忘れられてしまいます。昨年のドライブの際にも少し触れましたが、「2011年3月11日 14:46に東北で何があったのか」を知るだけでも、自分事として考え、学ぶことが出来ると思います。年に1回だけでもいいので、是非12年前の3月11日になにがあったのか、自分だったらどういった行動をとるのか、家族はどこに居て、どこで集合するのか。各々ができることは小さいかも知れませんが、何か一歩を踏み出して欲しいです。
RN 無口なペンギン
宮城県 20歳 男性

とーやま委員「ありがとう。立派なメッセージ。そして明日も、防災フォーラムの方に行って、いろいろ伝えたりとか、そこでまた学んだりすることもあるのだろう。そうだね。最近もまた大きな地震も起きていますし、別にビビらせるつもりはないですけども、“南海トラフ地震”という言葉もよく耳にするようになり、まあ、(いずれ大地震は)来るであろう、と。でも、我々の先輩達が教えてくれたことがたくさんあるので、無口なペンギンも、そういったことを、こうやって、近い人にたくさん伝えるという活動をこれからもしていくはずですし、僕も、こうやってラジオというメディアで喋ることでちゃんと伝えていかなきゃいけないなと、ちょっとした使命感とかも持ったりとかしながら、今日の放送にも挑んでいるわけなんですけども」

とーやま委員「今日が3月3日です。“3月”というものは、毎年、確実にやってくる。で、新型コロナというものが、これまた約3年前の今頃には、結構、猛威を振るって、ライブとかが中止になったりした時期ですけども、それ以降、少しずつ震災の報道というのも、目にはするけれども、やっぱり…12年という時間の中で、“減ってはいるな”という実感も強くある。そんな中、東北の皆さんは、一体、今、どんなことを考えているのか?どんなことを思っているのか?どんな話でも…何なら、“些細だから、これ伝えてもな…”っていう方がいい。全然、思ったままを伝えてもらって、話ができたらなと思うんで」

SOL教育委員会


とーやま委員こんばんは。

僕は一昨日高校を卒業しました。僕と同じ歳の世代は、幼稚園卒園から小学校入学の時に震災があり、高校入学のタイミングではコロナ禍に入るなど、たくさん苦難を強いられてきた世代でした。ですが、苦難を乗り越えられるチャンスを得たという面ではプラスに捉えられています。苦しい中でも自分たちが楽しいと思える学校づくりに取り組み、物凄く密な高校生活を送れたと思っています。一昨日は一瞬ながらマスクを外して友達と笑顔の写真を撮り、入学式では見せられなかった晴れ姿を親に見せることができました。周りからは可哀想な世代と思われるかもしれませんが、今の僕は胸を張ってこの世代で良かったと言えます。

「闇にいるなら光を探せ 光がないなら自分が輝け」このハイスタ先生の言葉を体現できた高校生活だったと思います。
RN 牛乳ボーイ
宮城県 18歳 女性

とーやま委員「電話。もしもし!とーやま委員です」

牛乳ボーイ「宮城県18歳、牛乳ボーイです」

とーやま委員「牛乳ボーイは、久し振りだよね?」

牛乳ボーイ「そうですね。ラジオでは初めてですね」

とーやま委員「去年、会ってるよね?」

牛乳ボーイ「はい。(とーやま委員が)東北に来た時に」

とーやま委員「JR仙台駅だよね?」

牛乳ボーイ「そうです」

とーやま委員「寒かったよね。あの時ね」

牛乳ボーイ「寒かったです」

とーやま委員「結構、待ってもらったっけ?」

牛乳ボーイ「そうですね。塾があったので、そこから走って、仙台駅まで行きました」

とーやま委員「これは申し訳ない。ほんとに。久し振り」

牛乳ボーイ「お久し振りです」

とーやま委員「18歳か。学年で言うと?」

牛乳ボーイ「一昨日、卒業式があって。高校3年生でした」

とーやま委員「おめでとう!」

牛乳ボーイ「ありがとうございます」

とーやま委員「2日前の卒業式はどうだった?」

牛乳ボーイ「コロナ禍で始まった高校生活で、入学式とかも各教室で、保護者とかも参加できない中で行われて、でも、3年経って、一昨日は、制限は、まあ、あったんですけど、保護者…お母さんだけだったんですけど、晴れ姿を見せることができて良かったなと思います」

とーやま委員「友達たちとは、何か話はできた?」

牛乳ボーイ「そうですね。マスクも取って、写真とかも撮れたので、いい思い出になったなと思います」

とーやま委員「マスクは、基本、3年間、ずっと付けてたわけじゃん」

牛乳ボーイ「はい」

とーやま委員「昨日、みんなで撮る瞬間とかどうだったの?恥ずかしさとか、やっぱり、あった?」

牛乳ボーイ「いや、でも…やっぱり、卒業アルバムとかもマスクばっかりの写真で。でも、自分の携帯とかで撮る写真ぐらいは、ちゃんとみんなの顔を残しておきたいなと思ったので、みんな、いい顔して撮れたかなって思います」

とーやま委員「“こんな顔してたんだ?”みたいなのもあった?」

牛乳ボーイ「ありましたね」

とーやま委員「やっぱりそうか。でも、ちゃんといい日になれたんだね」

牛乳ボーイ「そうですね」

とーやま委員「くれたメールにも書いてあるけど、“周りからは可哀想な世代と思われるかもしれませんが”って文章、覚えてる?自分で書いたの」

牛乳ボーイ「はい」

とーやま委員「俺らからしても、ニュースだったり、新聞とか雑誌とかネットの記事とか見てもさ、やっぱりこの言葉、すごく目にするなと思うのさ」

牛乳ボーイ「はい」

とーやま委員「もちろん、そうだと思うんだ。行事もできなかったり、修学旅行が中止になったとか、そういう話もいっぱい聞いたしね。この言葉に対しては、牛乳ボーイはどういうことを思ってるの?」

牛乳ボーイ「元々予定されていたものがどんどん中止されていったり、形を変えざるを得なくなってしまったりして、でも、その苦しい状況の中でも、自分たちが楽しいと思える学校行事とか、日々の生活とかを作っていける、そういう、いい方向に変えていける機会をもらえたっていうのは、プラスに捉えられるんじゃないかなって思います」

とーやま委員「これからも、牛乳ボーイの人生の中で、大変なことはあるわけよ。絶対。どんな人にもそれはあるからさ。でも、もしかしたら、そこで、“じゃあ、どうしていこう”っていう…なんか(乗り越えられる)“体を作れた”っていうことでもあるかもしれないね」

牛乳ボーイ「そうですね」

とーやま委員「俺たちも、そういう“可哀想な世代”とか、“それありき”で見ちゃう癖がついてるなと思った」

牛乳ボーイ「はい」

とーやま委員「もちろん、そういうこともあるんだけど、でも、牛乳ボーイとか、実際に体験している10代のみんなが、どう思って何を得たのかっていうところをちゃんと大事にしたいなって思った」

牛乳ボーイ「はい」

とーやま委員「牛乳ボーイは、4月からはどうなってるの?」

牛乳ボーイ「まだ決まってはないんですけど、大学に進学したいなとは思っています」

とーやま委員「ってことは、もう入試は終わって?」

牛乳ボーイ「いや。まだちょっと残ってます」

とーやま委員「あるのか?」

牛乳ボーイ「はい」

とーやま委員「じゃあ、まだやらなきゃいけないことがあるから、集中力は切らすことができないのか」

牛乳ボーイ「はい」

とーやま委員「次の試験はいつあるの?」

牛乳ボーイ「来週ですね」

とーやま委員「大丈夫?電話してて」

牛乳ボーイ「まあ、大丈夫です」

とーやま委員「応援してるから」

牛乳ボーイ「ありがとうございます」

とーやま委員「SCHOOL OF LOCK!の方でも、こもり校長と一緒に、『応援部』の顧問も務めてるからさ。その気持ちも込めて、本気で応援している」

牛乳ボーイ「ありがとうございます」

とーやま委員「そして、もう1個だけ聞いていい?メールの最後に、“闇にいるなら光を探せ 光がないなら自分が輝け”っていう言葉を書いてくれるでしょ?俺はこれを見て、“あっ、あの言葉だ”ってすぐにわかったんだけど、このメッセージはなんで送ってくれたの?」

牛乳ボーイ「ついこの前、ハイスタ(Hi-STANDARD)の恒岡(章)さんが亡くなったというニュースを聞いて、何だろう…これまでハイスタを聴くっていうことはあんまりなかったんですけど、そのニュースを見てから、Twitterとかでも、いろんなアーティストの方とかも、“恒岡さんの音がもう聴けないんだ…”とか書いているのを目にして、どういう音を出してるんだろうなってすごく気になって、サブスクとかで聴き漁ってみて、横浜アリーナからの音源が出てきたんですね」

とーやま委員「ライブ・バージョンか?」

牛乳ボーイ「はい。で、『STAY GOLD』の冒頭で、台詞っていうか…」

とーやま委員「“闇にいるなら光を探せ。光がないなら自分が輝け”。難波(章浩)さんの言葉ね」

牛乳ボーイ「はい。が、言われていて、なんかすごく、自分たちの、自分の高校生活にピッタリだなって思ったんですね」

とーやま委員「この3年間の」

牛乳ボーイ「はい。“コロナ禍”っていう闇があって、その中でも自分たちができるものを見つけられたっていう意味では、その言葉と合っているのかなって思いました」

とーやま委員「『STAY GOLD』ってさ、1999年の曲なのよ。で、ずっと光り輝いてくれていたから、きっと牛乳ボーイもHi-STANDARDを見つけることができたんだし、これは、牛乳ボーイの、これからの言葉でもあるわけだね。
そして、牛乳ボーイは宮城県でしょ?まさに、2011年の3月11日に東日本大震災があって、俺たちも、俺も、放送しながら、“何を届けていいか?”とか、もう、頼りも手がかりも全くなくて。日本中全員が落ち込んでいたし、どこに向かっていいかわからないって時に、俺は今でも忘れないけど、2011年の4月にね、1枚の写真がTwitterに上がったわけよ。“AIR JAM 届け!!!”の写真って知ってる?牛乳ボーイ」

牛乳ボーイ「なんかこの前、チラっと見た気がします」

とーやま委員「見たか。俺は、本当に、今思い出しても涙が出てくる気持ちなんだけど、あの時のHi-STANDARDは、俺たちは、もう3人が集まることなんて、絶対ないと思ってた。で、実際、雑誌上でお互いが喧嘩してたり、そんなやり取りとかもあったりして、本当に胸が苦しくて。だけど、CDはずっと残っていて、それを聴きながら、“いつか聴けたらいいな。でも、ないよな…”って、ホント、みんな思ってたと思うんだけど、(震災が起きて)東北のみんなに向けて、日本のみんなに向けて、3人が再結集した写真が、あれなのよ。で、そこから『AIR JAM』(Hi-STANDARD主催のライブイベント)が復活して、宮城でも行われたし。だからなんか、あの時から、もしかしたら、Hi-STANDARDの難波さんも(横山)健さんも、そして恒さんも、牛乳ボーイに向けて“届け!”って言ってたのかもしれないな、とか思ったらさ、なんか、カッコいいなと思うな」

牛乳ボーイ「はい」

SOL教育委員会

とーやま委員「どう?何か、あと、喋りたいことはある?伝えたいことでもいい。俺に言いたいことでも、なんでも」

牛乳ボーイ「今、言いたいことなんですけど、去年、仙台駅でとーやま委員とお会いして、スマホのケースにサインをいただいたんですよ。で、今年、自分が入試を受けるってなって、今年、カンニングとかがいろいろ厳しくなって、スマホを試験中1時間ごとに(電源が切れているか)確認するんですね。その時、毎時間、とーやま委員のサインが目に入って、ものすごく力をいただいたんです」

とーやま委員「あら、やだ(笑)嬉しいじゃない(笑)」

牛乳ボーイ「来週もまだ試験が残ってるので、あとちょっと、力をいただくと思います」

とーやま委員「え?そんな力あった?俺のサインに…」

牛乳ボーイ「あります。とてもあります」

とーやま委員「嬉しいね(笑)これから、俺がサイン求められた時に、そういった気持ちも込めて書くようにするわ」

牛乳ボーイ「お願いします(笑)」

とーやま委員「じゃあ、まずは、素晴らしい結果が来ることを、今まで以上に強く願っておく」

牛乳ボーイ「はい」

とーやま委員「そして牛乳ボーイ。いろいろ伝えてくれて、嬉しい。そして卒業、改めて、おめでとう!」

牛乳ボーイ「ありがとうございます」

とーやま委員「これからもよろしく!」

牛乳ボーイ「よろしくお願いします」


M STAY GOLD (Live at YOKOHAMA ARENA 20181222) / Hi-STANDARD


とーやま委員「震えますね。この話の流れでの、この、2018横浜アリーナ。最後ね、ほんとは、“I won’t forget”なんだけど、このライブ・バージョンでは“You”。“お前”って言ってるわけですね。これは、牛乳ボーイに向いてるんでしょう。そして、我々に向いているんでしょう。改めて、ちょっと信じられないなと思っちゃったな。恒さんが、この世にもういないっていうのは。改めて、Hi-STANDARD『STAY GOLD (Live at YOKOHAMA ARENA 20181222)』

SOL教育委員会

とーやま委員「今日は3月3日。東北の皆さんの、今思ってること、伝えたいこと、何でもいいです。お話を聞かせてもらおうという1時間」


今年27歳の私は2011年3月11日が中学校の卒業式でした。

高校時代も原発や震災の関係で、様々な制限の中で生活してきました。それでもやはり学生時代は特別で、なんでも面白かったし些細なことで悩んだし、泣いたり笑ったり、かけがえのない時間でした。だからこそ、コロナ禍でマスクと共に青春を駆け抜けた高校3年生には、まじで卒業おめでとう!よく頑張った!!の気持ちです。

今の私は、震災を経験していなかったら選ばなかったであろう道を歩んでいます。なんでもマイナスではないと今なら思えます。みんなもそうだよ!!!!

ちなみに宮城の春といえばアラバキですが、今年は通常開催なので両日遊びに行きます♩最近音楽に疎くなってしまっているので色々勉強したいと思います!
RN koko66
福島県 26歳

とーやま委員「もしもし!」

koko66「福島県、26歳のkoko66です」

とーやま委員「今、メールを読ませてもらったんですけど、あの時は、中学校の卒業式の日だったんだ?」

koko66「はい。そうです」

とーやま委員「やっぱり、今でもはっきり覚えてるもんですか?」

koko66「そうですね。午前中が卒業式で、午後が震災だったので、すごく覚えてます」

とーやま委員「2時46分だから、式も終わった後ぐらい?」

koko66「そうですね。私は家にいたんですけど」

とーやま委員「今も福島ですもんね?」

koko66「はい。福島に住んでます」

とーやま委員「さっき、RN 牛乳ボーイと喋ったんですけど、まさに、メッセージの中でも、牛乳ボーイ、そして他の高校生たちにも向けたメッセージをありがとうございます」

koko66「いえいえ」

とーやま委員「でも、本当にこの気持ちってことですよね」

koko66「そうですね。はい」

とーやま委員「メールの中で、“今の私は、震災を経験していなかったら選ばなかったであろう道を歩んでいる”ってありましたけど、今はどういったお仕事をされてるんですか?」

koko66「地元で、社会福祉士として働いてます」

とーやま委員「社会福祉士さん。いつぐらいから?」

koko66「大学卒業してすぐなので、もう5年ぐらいになりますか」

とーやま委員「社会福祉士というのは、どういったお仕事をされるんすか?」

koko66「一応、資格的には、国家試験を受けての資格なんですけども。高齢者の方だったりとか、障害を持った方だったりとか、地域住民の方の相談を聞かせてもらったりして、いろいろ支援させていただくようなお仕事になっています」

とーやま委員「なぜ、このお仕事に就こうと思ったんですか?」

koko66「やっぱり、震災を経験して、その当時は10代、中学生だったので、自分の生活でいっぱいいっぱいで、何もできない自分がいるなって、ずっと無力感があったんですけれども、大学でそういう勉強をさせてもらったりして、やっぱり地元に何か貢献したいなと思ったり、震災を経て、ボランティアさんだったり、いろんな福祉の力をすごく受けたので、自分もそういうお仕事をしたいなと思って、今、ここにいます」

とーやま委員「仕事を始められて、5年」

koko66「そうですね」

とーやま委員「いかがですか?やりがいとか、“こういうところはやって良かったな”と思った瞬間とかあります?」

koko66「震災が起きた時にも、いろんな地域住民の方やボランティアの方の力をいただいたんですけど、今、自分がそういう方々を被災地に派遣したりする仕事もしているので、そういう立場になれて、すごくやりがいは感じています」

とーやま委員「やっぱり、大変なこととかもありますよね」

koko66「特に、コロナ禍になったりして、いろんな生活面で大変さを感じていらっしゃる方が多いなと実感してます」

とーやま委員「もちろん、koko66さん自身も大変だなと思うことことあるわけじゃないですか。どうやってそこを乗り越えて行ってるんですか?」

koko66「メンタル面の話なんですけど、すごく音楽に助けられていて、そういう出会いをくれたのもこのSCHOOL OF LOCK!だったので、今、緊張してるんですけど、すごく感激してます」

とーやま委員「いつぐらいから聴いてくれてるんですか?」

koko66「中学生なので、2009年とか、2010年ぐらいから」

とーやま委員「初代のやましげ校長、やしろ教頭の時から、ずっと聴いてくれてて」

koko66「はい。そうです」

とーやま委員「先代たちも嬉しいはずですよ。最近、会えてないんですけどね。先代・やましげ校長とかにも」

koko66「そうなんですね」

とーやま委員「今度会ったら、言っておきます」

koko66「ありがとうございます(笑)」

とーやま委員「そこから音楽とかが好きになって、今でも力をもらえてる存在で。で、『ARABAKI ROCK FEST.』に…例年は4月ですよね。あれね」

koko66「そうですね。4月末ですね」

とーやま委員「毎年行ってるんですか?」

koko66「そうですね。でも、コロナ禍になってからはちょっと行けてなくて、今年、久し振りに行きます」

とーやま委員「好きなアーティストは、今年、出ます?」

koko66「いっぱい出ます(笑)」

とーやま委員「目当ては誰ですか?特に楽しみだなっていうのは」

koko66「フェスに行って、1番、行っちゃうのはアジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)先生です」

とーやま委員「“行っちゃうのは”?(笑)もう、体が向いちゃう?(笑)」

koko66「そうですね」

とーやま委員「じゃあ、『アジカンLOCKS!』とかも、ずっと聴いてくれて?」

koko66「はい。聴いてました」

とーやま委員「アジカン先生の曲、何が好きですか?たくさんあるでしょうけど」

koko66「『アンダースタンド』が好きです」

とーやま委員「今、目の前にジェーンがいてね、ジェーンもアジカンのことが昔から好きで、で、“『アンダースタンド』が好きだ”って、よく話してる」

koko66「嬉しい(笑)」

とーやま委員「演ってくれるかな?どうだろうな?今のモードとしては」

koko66「演ってほしいですね」

とーやま委員「これ、もしかしたら、わかんない、ゴッチ先生も、建さんも、山ちゃんも、潔さんも、聴いてくれてるかもしんないから」

koko66「演ってください(笑)」

とーやま委員「ハハハハ(笑)聴きたいですね(笑)」

koko66「はい」

とーやま委員「じゃあ、2日、両日行くんだ?」

koko66「両日行きます」

とーやま委員「僕、『ARABAKI』は行ったことがないんすけど、季節柄、すごく寒いって言うじゃないですか」

koko66「そうですね」

とーやま委員「汗もかくだろうから、風邪ひかずに、体調に気つけながら、遊びに行って来てください」

koko66「ありがとうございます」

とーやま委員「『ARABAKI』って、どこでしたっけ?場所は。会場」

koko66「宮城の…」

とーやま委員「宮城の公園でしたっけ?」

koko66「そうですね」

とーやま委員「また、俺、車で、(東北に)例年、3月に行ってるんですけど、3月じゃない時も行きたいなと思ってて」

koko66「是非」

とーやま委員「4月とか」

koko66「福島も是非」

とーやま委員「ほんとにね。行きたいと思ってて、結構調べたりもしたんですよ。車で、“こういう行程で行きたいな”とか。どっか、“ここ行ったらいいよ”とかってあります?」

koko66「福島だと、4月になってくると、“花見山”っていう名所があって、すごく桜が綺麗だったりとかして、県外からも目当てで来ていらっしゃる方もいたりして」

とーやま委員「ちょっと今、画像で検索しましたけど、半端じゃないね。俺が今見た写真では、花の名前はわからないからあれですけど、黄色、白、ピンク、薄黄色、薄いピンク…って、1枚の写真の中に6色くらいある。何、これ?どういうこと?」

koko66「(笑)」

とーやま委員「これ、いつぐらいに行けば観れるんですか?」

koko66「もう、そろそろだと思います」

とーやま委員「“花見山”ね。これ、めちゃくちゃいいっすね」

koko66「是非」

とーやま委員「マジで行きたい」

koko66「案内します(笑)」

とーやま委員「嬉しい(笑)じゃあ、ちょっと山に登りながら、一緒に『アンダースタンド』を大声で歌うという催し物、いかがでしょう?食べ物、なんかあります?」

koko66「食べ物は、福島は餃子が有名でして」

とーやま委員「え?」

koko66「“円盤餃子”っていう名物があるんですけど」

とーやま委員「どういう餃子ですか?」

koko66「普通の餃子なんですけど、フライパンに敷きつめるというか」

とーやま委員「行きたい。これも」

koko66「是非」

とーやま委員「いい情報、いっぱい聞いちゃったな。もう時間も来ちゃいまして、これを聴いてる皆さんに、何か伝えたいことでもいいですし、ごく個人的なことでも、何でもいいですけど、何かありますか?」

koko66「私、学生の時にSCHOOL OF LOCK!を聴いていて、すごく覚えてる回がありまして。千葉雄大先生がゲストで出た時なんですけど、その時に、黒板に『つながり』っていう言葉を書いていて。私、その言葉がすごく心に残っていて、学生の時も、仕事をする上でも、人との“つながり”というものをすごく大事に思っていまして、震災を経て、いろんな制限とかいろいろあったんですけども、やっぱり最終的には、どうしても人の助けが大事だなっていうことをすごく感じていて…すごくその回を覚えてます」

とーやま委員「“人の助け”って、何か、今は優しさを持ってやったことが迷惑になってしまったりとか、“迷惑なんじゃないか”と思って手が差し出せなかったりとか、そういうことをめちゃくちゃ感じるんですよ。生きててね」

koko66「はい」

とーやま委員「なんだけど、今仰ったように、僕らはどう考えても1人じゃ生きてけないじゃないですか。経験もないし、長く生きていても実は知らないことばかりだし。だから、今一度、わからないことはわからないってちゃんと言いたいし、そんな人が横にいたら、気軽に“どうしたの?”って言える俺たちでありたいなって、すごく、今、思いました。koko66さん、ありがとう」

koko66「ありがとうございます」

とーやま委員「じゃあ、koko66さん、またね」

koko66「はい。ありがとうございます」

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M アンダースタンド (2004 国営ひたち海浜公園) (Live) / ASIAN KUNG-FU GENERATION


とーやま委員「最高よ。アジカン先生にも会いたくなったな。久々に。教育委員会に来てくんねえかな?ね。ここではお会いしてないもんな。
今、アジカン先生といえばね、『サーフ ブンガク カマクラ』という、江ノ電の駅名と曲名が一致している名盤があるんですけど、それの続編を作られてるって話を去年ぐらいに聞いて、もしかしたら、今年ぐらいにそれを聴けるかもしれないな、とか。
とか言っていたら、もう、本日も、3月3日の生放送が終わりです。たくさん話を聞かせてくれて、みんな、ありがとう。嬉しい限り」

とーやま委員「来週は、秦基博先生が登場!この後、『ミクチャ』で、少しだけ、謎の『居残り委員会』をやりますんで、よろしくお願いします。また来週です」


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この後記の放送を聴く

聴取期限 2023年3月10日(金)PM 11:00 まで




SCHOOL OF LOCK! 教育委員会

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