映画にもなった写真集『浅田家』の誕生秘話(2021/05/15 放送)
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今週は、写真家の浅田政志さんをお迎えしました。
ご自身の家族を撮った写真集『浅田家』などで知られる浅田さん。昨年は、その『浅田家』と『アルバムのチカラ』という2冊の写真集を原案とする映画『浅田家!』が公開され、二宮和也さんが浅田政志さんを演じました。
ご自身の家族を撮った写真集『浅田家』などで知られる浅田さん。昨年は、その『浅田家』と『アルバムのチカラ』という2冊の写真集を原案とする映画『浅田家!』が公開され、二宮和也さんが浅田政志さんを演じました。
「映画の原案になるなんてホント夢のような話で、家族で観て、みんなどういうリアクションを取っていいのかわからないというか(笑)。とにかくビックリの一言でしたね」
浅田さんは三重県津市の出身。両親とお兄さんがいる4人家族で、お父さんは毎年、年賀状用に浅田さん兄弟の写真を撮っていたんだとか。
「僕が生まれて1歳にならないくらいの時から始まって高校卒業するまで、三重県津市のいろんなところで(年賀状用の写真を)撮影してたのが、写真の原体験と言いますか」
「けど、中学校とかになっていろんな人の年賀状とか見たりすると、写真の年賀状が全然ないんですよね。どんどん思春期に入ってきて、休みの日に家族でいる、そういうのもちょっと恥ずかしかったりとか、父親にカメラを向けられるのが恥ずかしかったりとかして、どんどんどんどん笑顔がなくなっていって。で、もう家の前で撮ってくれよ…みたいな感じで、どんどん枚数が減っていったんですけども、毎年やってることだし、ま、付き合うかな…みたいな感じで、そこらへんはけっこう嫌々でしたね」
「けど、僕が中学校3年生の時に写真に興味を持ち始めて。その年賀状で使われるカメラがあるんですけど、それを父親に使ってもいい?って言って、いいよ、ってことで貸してもらって、撮り始めたのが一番最初だったんで。今思えば、そういう撮られてることが、なんかどこかでやっぱり引っかかってて、写真に興味を持ち始めたのかなと」
高校卒業は大阪にあるカメラの専門学校に入った浅田さんですが、当時は「写真に関わる仕事が将来できたらいいなぁっていうぐらいなんで、絶対なるぞ!とか、そういう気概もなかったですね」とのこと。でも、家族はそんな浅田さんをずっと見守ってくれたそうです。
「勉強しろとか、こうしろとかってあんまり言われたこともないんですけど、僕が、こんなことしたいんだ、とかって言った時は凄いバックアップしてくれるような家族の雰囲気は今でもありますね」
「高校卒業して専門学校行ってた時とか専門学校卒業してからとか、けっこうパチスロをしてて。やっぱ就職しなきゃいけないんですけど、就職しろ!とか言われなかったですし。パチスロ1日やって帰ってくると、今日は勝ったの?負けたの?とかって言ってくるんですよ。普通だったら、もうそんなんやめてあんた就職しなさい!とかって凄く怒られるんですけど、そんなことも言われたことなくって」
「2年半ぐらい続いたんです、そういう生活が。長いんですよ。で、自分で、やっぱりこのままじゃマズいよなって思って。もう1回写真を勉強したいなと思って、東京に出てきたんですけども」
ちなみに、当時の浅田さんはパチスロでけっこう稼げていたそうで、それもなかなか止められなかった理由なんだとか。
「運だけじゃなくってデータでちゃんとやってたら意外と勝てて。平均すると毎月50万とか60万とか勝ってたんですよ。で、実家に暮らしてるわけじゃないですか。人生で一番お金があった時なんですけど(笑)」
「けど、だいたい(パチスロの店に)並ぶ顔ぶれが決まってきますよね。で、年代も50歳とか40歳、60歳の方とかがずっといるんですけど、そういう方たちを毎日見てると、僕も将来こうなるよなぁ…みたいなことを(笑)。未来が近くに並んでる人に見えたような気がして、一生このままで過ごすのはさすがにお金あったとしても良くないな、違うと思って。で、やっと抜け出せました」
2008年に出版された写真集『浅田家』。浅田政志さん本人を含む浅田家のみなさんが消防士やバンドマン、ラーメン屋などに扮していて、普通の家族写真とは少し違うものになっていますが、その原点は浅田さんが大阪の専門学校に通っていた20歳の頃にあるそうです。
「ある日(学校で)1枚の写真で自分を表現しなさいっていう課題が出たんですね」「けっこう悩んでたんですけど、頭にある疑問が浮かんできて。もし一生に一枚しか写真が撮れないよっていう状況になったら自分はどういう写真を撮りたいのかなぁ?とかっていう疑問に変わっていったんですよね。その時に、一生に一枚だったら家族写真撮りたいなって」
「それまでは家族写真が作品になるっていうこともぜんぜん頭になかったですし、それよりもっとみんなが驚くような写真だったりとか、見たことのないような写真だったりとか、もっとアートっぽい写真だったりとかを撮りたいと思ってたんで。けど、一生に一枚しか写真を撮れないって言われたら、なんかこう家族写真だなと思ったんですよね」
「で、その時に考えたのが、家族の一番の思い出を写真で再現するというか、それを撮ったら家族の記憶と今の姿が同時に写ると…もしかしたら自分の中で思う一生のうちの一枚にふさわしいかなって思ったんですね」
そして撮影された最初の『浅田家』の写真は、浅田さんが小学校低学年の頃に兄弟とお父さんの3人が同じ日に怪我をして、お母さんが看護師として勤める病院で治療してもらった思い出を再現したものだったとか。
「母親の病院をお願いして借りて、患者さんの服とかも借りて、モノクロの写真を撮ったのが一番最初で。実際撮ってみて発表したら、みんなの評判が凄く良くってですね。面白いって言ってもらって。で、そこから家族写真にハマっていったんですよね」
ところが、当初は思い出の再現をテーマに撮っていたので、やがてネタ切れになってしまったそうです。
「ネタが尽きて、新しい思い出がないもんなぁ…と思ってたら、ふと、過去がダメなら未来はどうだろう?って。最初は、僕がもし死んだらどういうことになるだろう?と思って、和室で鼻に綿詰めたりとかして、家族みんなに喪服を着てもらって、そういう未来を撮ってみたんですね。そしたらなんかこう意外と吹っ切れて」
「で、もしかしたら家族全員でガソリンスタンドをやってることもあるかもしれないとか、家族全員で消防士やってるかもしれないとか、思考回路が変わっていって。で、未来のイメージを考えたら無数にあって、結局7年間ぐらい撮りためたんです」
結果的に写真界の芥川賞といわれる『木村伊兵衛 写真賞』に輝き、映画にまでなった写真集『浅田家』ですが、当初はなかなか出してくれる出版社が見つからなかったとか。
「(出版社の人に見せると)面白がって見てくれるんですけど、会議にかけると、一家族の写真だからこれが売れるか売れないかってなったら売れないだろうっていうことで断られ続けてたんです。けど、赤々舎っていう出版社に持ち込んだ時に、社長の姫野さんっていう方が気に入ってくれて、面白いねって言ってくださって。じゃあ出そうっていうことで写真集が出ることになったんです」
来週も引き続き、浅田政志さんをお迎えします!