誕生日、記念日、そして間もなくやってくるクリスマス。誰に何を贈ろうか、もし、少し悩んだら、日本古来の「藍染め」のプレゼントはいかがでしょう。藍染め集団リトマスが手がける「ジャパンブルー」の作品には、使う人の毎日をやさしく包むナチュラルな魅力が溢れています。
植物に関しての名著や、写真集、そしてグッズなどをご紹介するボタニカルブックス&グッズ。今回は、「ボタニスト」にもご登場いだいた藍染め集団、リトマスの作りだす藍染め品の魅力、藍の色をめぐる物語や、藍と暮らす素敵なライフスタイルをご紹介します。
身近にあるものにこそ藍の色を
リトマスの手がける藍染めは「灰汁発酵建て(あくはっこうだて)」。大切に育てられた「タデアイ」の葉から作られる自然の原料を使い、手作業で染めてゆく日本古来の染色技法です。自然の発酵の力を借りながら、「青」を作りだしてゆきます。そして、リトマスの考える藍染めは、その色が終着点ではなく、始まり。その青を人々の生活の中でどう輝かせるかを思い、仕事を続けています。彼らが初めて、自分たちのリトマスブランドで作った藍染め品はTシャツでした。それは日々、藍を身にまとって暮らして欲しいという思いから。 古くは手ぬぐい、作業着、暖簾などが藍染めから生まれるものとしておなじみでしたが、リトマスではニット帽、トートバッグ、ポーチ、ストールなども展開、普段身近にあるものにこだわり、「藍」のある毎日を提案しています。
「藍」が伝える心の言葉
一口に藍と言っても、実は様々な濃淡で色の名前がつけられているほど、その染めだされる青の表情は豊かです。淡い色は少しだけ藍瓶の中で染められたもの、つまり「瓶の中を少しだけのぞいた程度」ということで、「瓶のぞき」。続いて濃くなるごとに「浅葱色(あさぎいろ)」、「納戸色(なんどいろ)」、「縹色(はなだいろ)」、「濃藍(こいあい)」、「紺色(こんいろ)」と続き、もっとも濃く染められたものを「褐色(かちいろ)」と呼びます。鎌倉時代には武士の服や武具はこの色に染められ、相手に「勝つ」ようにとの縁起をかつぎ、藍の色に命を預けていました。また、藍の顔料は江戸時代に浮世絵にも使われ、その青によって当時の人々の生活が生き生きと描かれ、北斎や広重の色彩感覚を支えていました。原料を育て、作る人、藍を建て染め上げる人、多くの人の手と時間を経てその色は生まれてきたもの。だからこそ、藍の色は言葉以上に思いを伝え、人の心を表現するのかもしれません。
写真は、藍染め品を作るときに余る生地で作ったリトマスオリジナルバッジ。貴重な藍を少しも無駄にしたくないという気持ちから生み出されたもので、様々な藍の色合いが手軽に楽しめます。
ジャパンブルーと暮らし、ジャパンブルーを贈る。
さらに、「藍」をもっと身近なものにするために、贈りものにも使って欲しいと作ったのが、今や大人気となった「 ムーンカレンダー の手ぬぐい」です。1年間の月齢がデザインされたこの藍染めの手ぬぐいは、今やプレゼントの定番になり、「日本の青」を手軽に楽しめるものとして海外でも知られはじめています。
また、リトマスの藍色を家具に取り入れたのがNychair(ニーチェア)。1970年に日本人デザイナーの手により生まれ、今では世界40カ国で販売されるグローバルデザインの椅子となっています。シンプルで美しい、Nychairの機能的なデザインをリトマスの青がより印象的にしています。
「いろんな人との関わりに支えられ、リトマスがあります。デザイナーだったり、カメラマンだったり、原料を作る人だったり、まずそんな身近な人に愛され続けるように努力することが大事だと思っています。すべてはこの藍の色、このジャパンブルーの青があるから、気持ちが通じ合うし、もの作りで一緒にチャレンジも出来ています。そして、これを使ってくれる人が、今度は藍のある暮らしを楽しみ、伝え、広げてくれている。そんな循環の中にいられることは、なにより幸せです。この色を作った自然、見つけたひとはスゴい!と思い、毎日染めています。」(リトマス 吉川和夫さん)
人と自然の力が一つになり生み出された藍の色。かつて、藍が普段の生活の中に溢れ、価値あるものだったように、一部の人だけのものではなく、多くの人が手に取り、何かを感じ、使い、誰かに贈る。その繰り返しの中で、再び藍の「ジャパンブルー」に溢れた国が蘇るはずです。
TOKYO FM
「クロノス」では、毎週金曜日、8時38分から、毎週週替わりのテーマでボタニカルな暮らしをご紹介するノエビア「BOTANICAL LIFE」をオンエアしています。
また、TOKYO FMで毎週土曜日、9時から放送している
ノエビア「Color of Life」。12月10日からは歌手のJUJUさんをお迎えしてお届けします。どうぞ、お聞き逃しなく。
藍染め集団 LITMUS
LITMUS (リトマス)という名前は、彼らが大好きだったサーフィン映画のタイトルと、自分たちの発信する色に「反応」して欲しい、そんな思いを合わせて付けられた。2000年にスタート。現在は湘南、鵠沼でタデアイ作りも手がけ、日本に古くから伝わる天然の素材のみを使用した染色技法「灰汁発酵建て」を行う。そのこだわった技法を自らのフィルターを通し、素材や概念にとらわれない作品づくりで「日本の藍色」を表現している。その作品は手ぬぐい、暖簾、帽子、Tシャツからバッグ、椅子にまで及ぶ。